第52話

「――だから俺じゃないとさっきから言ってるだろうがッ! 何度も言わせるなッ!」  


 教室に戻るや否や聞き覚えのある声が怒号となって耳を劈く。


「いやだから確認の為にスマホを見せてくれって言ってるんだよ。この垢と同じ垢がでてこなかったら無実が証明できるんだからさ」

「何故親しくもない貴様にプライバシーを晒す真似をしなくてはならないんだ! そもそも犯人扱いされる謂れが俺にはない、これ以上疑うようなら名誉棄損で訴えるぞクソリア充がッ!」

「リア充かどうかは関係ないと思うんだけど……てかこのアップしてる写真に三谷写ってるんだって。それにプロフに『邦嘉の世界へようこそ』って書いてあるし、謂れがないことはないんじゃない?」

 

 怒号を飛ばしていたのはどうやら三谷のようだ。そんな三谷を物腰柔らかく、けれども逃がしはしないとスマホの差出しを要求しているのは木暮、そのそばで口を閉ざす昼間が取り調べを静かに見つめている。


 ていうか『邦嘉の世界へようこそ』ってなんだよ。自供してようなもんじゃねーか三谷……。


 威勢のいい否定とは裏腹に頭の悪さ全開の三谷に俺はつい呆れて首を振る。

 と、その時視界に『昼間の告白阻止し隊』の一人にして『恋愛保証人』である田宮が入った。三谷の席で勃発している悶着から距離をとるように廊下側周辺に集う生徒達の中に彼女はいる。

 すると、向こうも俺の存在に気が付いたのか強張った表情筋を緩めて傍へと寄ってくる。

  

「大変だよガネ君!」


 大変、という割にはどこか安堵した様子の田宮。


「そうだな、見た感じ大変そうだな……三谷が」

「そうなの。ガネ君が鏡花ちゃんを追いかけた後、木暮君と昼間君が三谷君を問い詰めたんだよ。そしたら三谷君が怒っちゃって」


 周囲に聞こえないよう小声でそう言った田宮に俺は嘆息する。つまり三谷は追い込まれた結果、逆上と言う名の悪あがきを行使していると。

 勢い任せのもろ刃の剣、けれど三谷のそれは刀身が錆に錆付いている。粉々になるのは時間の問題だ。


 ……花ケ崎の奴、この最悪な状況を察してやがったな。


 目の前の剣呑な光景と田宮の言を受け、俺は別れ際に花ケ崎が口にした意味深な発言の意図を理解した。


「あれ、てか棚橋は?」


 と、そこで俺はもう一人の共謀者である棚橋がいない事に気が付き、再度視線を巡らし辺りを探す。がしかし、三谷達に視線を向ける生徒達の中にも机の下にも棚橋の姿は見当たらない。


「えっと、凪ちゃんならもう帰ったよ。木暮君が三谷君に問い詰め始めたくらいに用事があるって言って」

「……なるほど」


 棚橋の奴め、とんずらこきやがったな。花ケ崎といい危機察知能力高すぎだろ。


「どうしよう……」


 言い合いが続く三谷と木暮を横目に思案顔を浮かべる田宮と目が合う。彼女の表情は助けに行きたい気持ちと戸惑う気持ちが絶妙に交差しているように見えた。

 多分、昼間の告白を花ケ崎が受け入れてた未来があるとしたらこうにはならなかっただろう。


 人は物事が上手く運べば相応の余裕を得られる。余裕が得られれば振る舞いも変化する。人に優しく寛大で且つ罪や欠点を咎めることなく寛容な心で許してしまえる、そんな仏のような存在に、余裕さえあれば誰でもなれてしまうのだ。

 反対に物事が思い描いた通りに進まないと余裕が失われる。余裕がない人はいつだって人に厳しく、些細な事でも目くじらを立てる。いわば鬼、これも前述通り誰にでもなれてしまう。


 そして恐らく今の昼間は後者にあたる。黙ってはいるが心の中では三谷の断罪を望んでいる。その証拠にさっきから木暮を止めようとする素振りすら見せない。少し前までは俺達の策を利用し告白を有利に進めようとした人間が、いざ振られたとなったら手のひら返したように非難の対象とする。何故か、それは心に余裕がない悪鬼と化したからだ。


 一喜一憂の精神が如何に争いの種であるかがよくわかる。それらを揶揄するように先人が残した言葉を俺好みに変換すると『平常こそ最上』である。つまり感情を抑制し、他人と干渉しない平和主義者の俺こそ仏にして神……異論は認める。


「ちょっと行ってくる」

「う、うん! 頑張って!」


 俺が二、三歩前へ出ると田宮は期待をはらんだ声でそう返してきた。


 田宮、お前は俺が三谷を助けに行くものとばかり思ってるのだろうがそれは盛大な勘違い、そんな気などさらさらない。俺はただ自分の席に掛けてある鞄を取りに行くだけだ。その後は花ケ崎と棚橋に倣って回れ右、ゴートゥーホームするだけだ。

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