第2話

結局あの後、俺は田宮に突き飛ばされ彼女は教室を出ていった。


 突如湧いてでた第三者、花ヶ崎はながさき鏡花きょうかもその後に続くように去っていった。


 残された俺は整理が追い付かず放心状態、散らばった教科書類を呆然と眺めるだけ。結果、授業には遅刻して見事に失態を重ねてしまった。


 ――――――――


「このように硝酸銀水溶液にアンモニア水を加えると酸化銀の暗褐色沈殿が生じる。しかし――」



 化学担当の教師が何か言いいながら何かやっている。それだけはわかる。だけど内容は全く入ってこない。思考の全てがさっきの件に向いてしまっているから。


 撮られた、間違いなく撮られた。けどなぜ……理由なんて一つしかない。このご時世だ、SNSで世に広めシェアとは名ばかりの公開処刑を執行する為に決まってる。てかそうなったら俺はどうなるんだ? あの状況を世間の目で判定されたら俺は社会的に抹殺されるのでは?


 悲観的ならざる得ない事態にマイナス思考は加速する。


 いずれニュースでピックアップされる日がきて、未成年が故に名前も顔も公開されないからまさか自分の息子がなんて念頭に一切ない母が『世も末ね』と茶菓子片手に呑気に言ってその言葉が俺に重くのしかかり、『実はあにぃなんじゃないの?』などと茶々を入れる妹の冗談でさえ俺の心に深く傷をつけてくる。何も言えない俺は瞳から涙を流す事でしか語れずお縄になるのを刻々と待つ、そんな悲しい未来が訪れてしまう! バットエンド№5『家族の崩壊』を迎えてしまう!


 俺の脳裏に一寸先は闇ということわざが不意に浮かんできた。全くその通り、予測不能な運命の恐ろしさを身をもって知った。


 それにしても、一体俺になんの恨みがあるってんだ。


 俺は顔を上げ前を向いた。背筋をスッと伸ばし真面目に授業に取り組み、端正な横顔を見せつけてくる花ケ崎鏡花が目の前にいる。今の俺にとっては意味不明な女だ。


 よりによって隣の席のこいつに……。


 そう、何を隠そう花ケ崎はお隣さん、クラスでは廊下側の一番後ろという日陰ながらも好位置に陣取る俺の左隣が彼女なのだ。


 そして化学室は四人掛けの実験台、必然的に前を向けばそこにいる状態なのだが……どうも居心地が悪い。


 あの場を撮った本人と被写体が向かい合うこの状況に俺は萎縮してしまう。

 そんな俺に追い打ちをかけるかのように、唐突に冷酷な目つきで睨んできた花ケ崎と目が合ってしまった。


 俺は反射的に目を背けた。心臓がせわしなく動いてるのがわかる。


 や、やべぇ、目が合っちまった。しかもなんだあれ、『深高のマドンナ』と言われる女がする目じゃねーぞ。


 誰が言いだしたかはわからないが花ケ崎はそう呼ばれている。俺でも知ってるくらいだ、きっと深間高校内では常識なはずだ。学生の本文である学業において成績は上位の常連と優秀で、さらに何もしなくても周囲の男子生徒を魅了させてしまう程の容姿端麗、胸が少々控えめだが……。それらに驕ることなく、周囲の人間を差別せず誰もに対等に接し心配りもできすぐに打ち解けあえるコミュニケーション能力に富んだ一面もあり、生徒からは信頼、中には尊敬すらされる存在。無論、教師達からの信頼も厚い。これらを踏まえ、花ケ崎はクラス、いや学校内での頂点と言っても過言ではないだろう。非の打ち所がないを存在で表してる奴だ。


 そんな花ケ崎が今、ゴミを見るような眼差しを俺に向けてきている。それはもはや『深高のマドンナ』という完璧な存在が、普段絶対に見せない欠点のように思えた。


 俺は花ケ崎の凍てつく恐怖から逃れる為に逆に花ケ崎を分析して気を逸らした。だが、彼女は曖昧に流す気は一切なかった。


 ――ん?


 化学の教師が黒板に向き合っている時にそれは起こった。


 なんか頭に当たったような……。


 俺は側頭部に違和感をもたらした原因を探す。それはすぐに見つかった。広げられたノートの上にさっきまでなかったはずのクシャクシャに丸められた紙くずがぽつんと置かれていた。


 俺はその紙くずを広げて……そして恐怖の連鎖が再び身を襲った。



『放課後、旧棟の二階にある教室札がない空き教室に一人で来なさい。万が一背いた場合どうなるか……それはあなた自身がよくわかっているはず。待ってるわ』



 生じた亀裂は徐々に広がりつつあった。

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