第4話 第1章第1節:賢治の生涯への応援コメント
花巻、盛岡、小岩井農場と、宮澤賢治ゆかりの場所を訪れたこともあり、訪れた時のことを思い出しながら、読み進めさせていただいてます。
私は、賢治のガーデンデザインに興味があり、とくに人間の目の形の花壇に「涙ぐむ目」というタイトルを付けた感性に、いたく感銘を受けました。
卒論に、宮澤賢治と「グリーフワーク」というテーマで取り組まれたことに、とても興味を持ちました。
じっくり読ませていただきます。
作者からの返信
こんにちは。
ありがとうございます。
賢治のガーデニングに興味がおありとのこと、素敵です。
記念館の南斜花壇しか見たことはないのですが、とても素晴らしかったことを記憶しています。
結論までお付き合いくだされば幸いです。
第19話 第3章第2節1項:宮沢賢治の最後の手紙への応援コメント
『どうか今の生活を…生きて行きませう』で涙腺崩壊しました(ToT)
本当に素敵な手紙ですね、永谷様が書いて下さらなければ知らずに生きて行くところでした
ありがとうございます!
作者からの返信
ありがとうございます。
合唱界隈以外ではあんまり知られてないですが、素晴らしい手紙です。
これは手紙自体も素晴らしいですが、
曲を付けた合唱曲のこのシーンも素晴らしいのです。もう泣けちゃいます。
リンク付けます。是非聞いてみてください。
https://youtu.be/g9-xhwMDYDI
最後まで読んでいただきありがとうございました!
永谷様
バーチャルに体験できても、個人的体験に勝るものはないです
その深い経験がこの「人は死んだらどうなるの」という素晴らしい卒業論文に力を与えているように思いました
海野ぴゅう
作者からの返信
ありがとうございます。
書いていて一番辛い章でした。
思い出すって結構厳しい作業で、
10年かけて作ったかさぶたをひっぺがすような。
必要な作業だったと思っています。
永谷様
たまよばいうた…素敵な語感ですね。
アイヌの歌にもありそう
「千の風になって」は従来の仏教の教えと相反するようなイメージで、
初めて聞いたときにとても新鮮に感じたのを覚えています。
しかし日蓮宗はちょっと私の思う仏教とは違うのかしら…
これは勉強せねばならんですねっ(^^♪
ありがとうございます!
作者からの返信
魂呼ばい歌、有名どころで言うと、夏川りみ「涙そうそう」とか「千の風になって」が挙げられます。
人は死んだら天国に行く、と言うよりは、見えないけどそばにいる(そうだったら良いな)という死生観です。
死者の霊を慰めたり、現世に呼び戻そうとする歌です。
歌の語源は訴う(うったう)ですから。
アイヌにあるかどうかは不勉強のため不明ですが、熊送り(イオマンテ)に同じような概念を見ることができなくはないです。
第5話 第1章第2節1項:最晩年の賢治への応援コメント
死とは誰にでも訪れる最後のドラマですが、
こうやって読ませて頂き彼の最後にぐっときました
愛がありますね…
一億総孤独化の現代より不便な時代に生きた彼ですが、
現代に彼が生きていたらあのような美しい作品を書けたかなと考えてしまいます
↓熊の胆…?すいません、勉強不足でこの分の意味が分からず…
永井様の気が向かれましたらでいいので、教えて頂けると嬉しいです…
『21日朝は、昨日と容体が変わり、母の勧めで実家から熊の胆が届き、みんなで見送る。』
海野ぴゅう
作者からの返信
コメントありがとうございますー
永谷です。
熊の胆は、字の通り熊の胆嚢です。
漢方薬として古くから用いられ、胃薬のような効果があるとされています。
第4話 第1章第1節:賢治の生涯への応援コメント
永谷様
完結でわかりやすいです!
絵本の彼と教科書の情報くらいしか知らないので新鮮でした
「ほうほう」言いながら読んでましたw
もしや出生地ですが、
花巻氏豊沢町→花巻市豊沢町
続き、興味深く読ませて頂きます
海野ぴゅう
作者からの返信
ぴゅうさん
永谷ですー
誤字報告ありがとうございます。
助かります。
第5話 第1章第2節1項:最晩年の賢治への応援コメント
家族に看取られること。自宅で亡くなることって、今はほとんど無くなりましたが……。
大切だなぁ、とおもいます。本人のために。
ただ、こういうのって、家族が辛いんですよね……。
その後の家族のフォローが必要。
だからこそ、宗教が重要だったり、地縁が必要だったりするんでしょうが。
永谷さまもこういうシーンだけ切り抜き、昇華させるために、お辛い思いをされたようで……。
いや、でも、感動いたしました。
作者からの返信
その後の家族のフォロー、として遺言を残したと考えています。
部屋で悲しむ時間より、外で製本作業をする時間。自分の信じた法華経を広めたいという思いも当然強くあったでしょうが、喪失感を「一旦は」埋める手段として、これから生きていく家族と死んだ自分とを繋ぐ手段として法華経1000部の配布を遺言したと考えています。
賢治の死後、宮沢家は一家総出で日蓮宗に改宗し、賢治のお墓も日蓮宗のお寺にあります。
この節は辛かったです。
祖父の死のシーンと同じくらい。
辞書以上のページ数の全集の重みと記録の重み。そこから賢治の病のシーンだけを延々探してまとめる。なかなかな作業でした。でも必要な仕事でもあったと思います。
感動してくださり嬉しいです。
頑張った甲斐がありました。
編集済
第4話 第1章第1節:賢治の生涯への応援コメント
宮沢賢治って、ずっと農業のイメージがあったんですが……。
(あと、日蓮宗)
晩年だったんですねぇ。
作者からの返信
あ。
すいません。コメントありがとうございます。返信前後しました。
実際農業の活動(羅須地人協会)は2年くらいです。活動資金は父上からの援助で賄っていたと聞くと色々印象が変わってきます。
最後にどうしてもやりたいことの一つだったんだなあと思います。
ここで、この論文の全体がつながったように感じました。
こういった研究に詳しくはないのですが、宮沢賢治にとどまらず、御祖父様の死という長谷さんのごく個人的な経験までを考察対象としたところが素晴らしいと感じています。
作者からの返信
ここまで引っ張っちゃってすいません・・・
ここに持ってくるための伏線と言っちゃえばそれまでですが。
「人間の在り方について考える」専攻の性質上、一人称的研究(私はどう思うか。についての実証)が認められているのはありがたかったです。
要は、永谷くんの祖父の死に関するエッセイを、賢治の妹トシの死、賢治の死、臨床心理学の対象喪失、死の受容といった学問の文脈をつぎはぎして論文にする。
というのがここまでの作業になります。読んでくださりありがとうございます。
本題はここからですwよろしくお願いいたします。
編集済
第6話 第1章第2節2項:「疾いま革まり来て」への応援コメント
よたかさんも、カンパネルラさんも、ジョバンニさんも、グスコーブドリさんも、ゴーシュさんも、それぞれ、賢治さんの分身と、いう性格があるわけですね。
ジョバンニさんは、やましんが、近親性格を見る人ですが、最後、りっぱになりすぎなんです。
いじけたりしないのが、やたら、うらやましいです。
偉い人です。
作者からの返信
立派になりすぎ。そうですね。
文学史の中では理想主義という文脈で分類されますし、賢治自身もこうなりたいという理想をキャラクターに投影していたきらいも多分にあると思います
第1話 本論文の要約への応援コメント
はじめまして(´ω`)
カクヨムで卒論というのは珍しいですね。しかも宮沢賢治とは!興味深いです。
作者からの返信
犬塊さん
はじめまして。永谷です。
カクヨムで卒論あげる人、
ほとんどいないと思いますw
興味持ってくださり嬉しいです。
よろしくお願いします!
第5話 第1章第2節1項:最晩年の賢治への応援コメント
読みながら涙腺が熱くなりました。状態は知っていましたが、こうして改めて丁寧に細かくまとめて書いて頂けると本当に色々と感じられるところがありますね。書くにあたっての真剣さと愛を感じます。素晴らしい卒論ですね!
作者からの返信
彁はるこさん
ここは書いていてしんどいポイントNo.2でした。
辞書より分厚い全集から病に苦しむ賢治の姿を探して抜き出してまとめての繰り返しです。
書いてみて分かることがたくさんある章でした。
写経をすることで仏の教えを身体に刻むような。
是非続きも読んでやって下さい!
第1話 本論文の要約への応援コメント
宮沢賢治が好きでふらりと覗かせて頂いたのですが、とても深い着目点に大変興味が出ました。ゆっくり拝読させて頂きたいと思います。
作者からの返信
彁はるこさん
いらっしゃいませ。
はじめまして。
永谷です。
どうぞ結論までお付き合いいただきたく。
質問も大歓迎です。
賢治ファンに届いて嬉しいです。
第10話 第2章第2節3項:妹トシの死への応援コメント
コメント失礼いたします。
また結核ですね。このあたりの話には本当によく出てきます。
押し入れに首を突っ込んで慟哭する。
切ないです。でも、現代人はこんなことしませんよね。今と違うところに、興味がわきます。今とは違う時代背景があるような、ないような。
作者からの返信
自宅で看病の後に看取ること、
病院で医師の診断のもとに看取ること。
別れ方の様相もだいぶん変わってきたんだなあと思います。
(E.キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』をぜひご覧ください)
賢治とトシの関係は、近親愛の眼である種ゴシップ的に語られることが少なくはないのですが、
賢治自身は信仰上の、また人生の「同行の徒」(共に歩む者、の意です)としてトシを見ていたんだなあというのが永谷の見解です。
(ゼミの先生の受け売りですが。参考文献の鵜野祐介「僕って何?」という論文に詳述されてます)
第5話 第1章第2節1項:最晩年の賢治への応援コメント
コメント失礼いたします。
賢治さんだけでなく、昔の人のこういう話を知ると、今なら事情が違うだろうなと思います。
もっと医学が発展していたら……
おしいですね。
作者からの返信
烏目さん
コメントありがとうございます。
本当に。惜しいです。
しかし賢治の父政二郎は、賢治の死後、「電球にたくさんの電気を流すと周りはぱあっと明るくなるが、すぐに焼き切れてしまう。賢治も短い生涯ながらたくさんの仕事をしました。」と述べています。
結核や肺炎、チフスなどの病で分の死が近いことを知りながら、作品の執筆を通して自分にできることを全うしようとする姿勢は、この時期の作家に顕著にあると思います。
第24話 出典等文献一覧への応援コメント
これは、論文を書く前にある程度まとめて読まれたのでしょうか。それとも書きながら必要に応じて読んだのでしょうか。どうやって集めたのでしょう。検索から? 参照した文献から芋づる式に? 稚拙な質問ですみません。すごいなと思いました。
作者からの返信
うーん
書きながら、書いてることの根拠にするための本を探す。がほとんどです。
事前に読んでた本が使えたのは10冊もないくらいで、ほとんどは書きながら読んだものです。
小此木啓吾とキューブラー・ロスは、先生に「この方法論を使いなさい」と。
論文は、書く前にザクッと集めましたが書きながら増えていき…
タイトル詐欺的に、いざ読んでみたら使えないものもあり…
Cini (サイニー)という論文検索サイトから、論文を探しました。
単著は図書館のものと、自分が持っていたものの混合です。
(まあほぼ図書館ですが
第5話 第1章第2節1項:最晩年の賢治への応援コメント
時代がもう少しあとか、医学が、もう少し先にいって、抗生物質とかあれば、話しはちがったんでしょうねぇ。
こればかりは、手に負えませんが、おしいことです。
作者からの返信
結核は死の病だったので…
それは本当に思います。
後30年長く生きてたら日本の文学史は大きく変わってますね。
カラーアニメ、プロジェクションマッピング、VRなど、今賢治が生きてたら、文学以外にどんな作品が生まれてたのかなと思うときもあります。
肺浸潤との診断の時点である程度の「覚悟」があった時代だったのかなと。
第1話 本論文の要約への応援コメント
永谷様の卒論、どんなか気になっていたので読めて嬉しいです!
宮沢賢治は『虔十公園林』も捨てがたいですが、『よだかの星』が一番好きです (←聞いてない)
ぴゅう
作者からの返信
海野ぴゅうさん
お越しくださり感謝です。
ありがとうございます。ご心配お掛けしてました。
童話、渋めのいいチョイスですねw
論文も見所いっぱいですが、
皆さんのコメントが本当に素晴らしいです。
執筆時以上に色々深めることが出来ています。
もっと早く公開して、皆さんの意見も取り入れた卒論にすればよかったと後悔しきりですw
第25話 資料への応援コメント
これだけの膨大な資料に当たってご自身の子供の頃からの課題として取り組んで来られた重厚な論文をお書きになるその中で、わたしたちの小説をお読みくださり励まし続けてくださったことに本当に感謝いたします。
ありがとうございます!
そして、この論文を拝読した結果、わたし自身の『書かずにはいられない原因』が更に深まったこと、また、今後書いていく上で何か、ほんの毛ほどでもよいから世のひとのためになる文章を書く努力をすることを誓わせていただきます。
最後に私事で蛇足ですけれども、わたしの子供たちは永谷瞬さんとほぼ同年代です。特に上の子は相当近い年齢だと思います。
ですのでこのオールド・タイプのわたしの小説を丁寧にお読みくださり励ましてくださっていることが本当に不思議に感じられ、より一層感動しております。
重ねてお礼申し上げます。
素晴らしい論文、本当にありがとうございました!(o^^o)
作者からの返信
naka-motoo さん
コメントをくれる。
★やフォローをくれる。
自分が当たり前にやってることを人からしてもらえるとこんなに嬉しいんだと、書き手になって気づくことができました。
毎日読みきれないほどの作品をフォローして、徹夜で読んでコメントをする、レビューを書く、「自称書く人応援隊長」を始めたのは、自分は書けないからと思っていたからです。
小学校時代から図書館に籠って少年少女日本文学大全集を読む子供だったので、オールドな小説がそもそも好きなのです。ライトノベルも異世界もラブコメも一通り嗜んできましたが、私の中には純文学の血が流れてるんだなとnaka-motoo さんの作品を読むたびに思います。『日月の交わり』、特に傑作でした。
私の論文がnaka-motoo さんの頑張る力になれたこと誇りに思います。
本当にありがとうございます。
これからも応援しています。
第23話 結論への応援コメント
「学問的な言葉に翻訳していく作業は苦痛を伴うものであった」
こう書いておられる部分はわたし自身が『書かずにはいられない原因』と重なるように強く感じました。
わたしが勝手にそう思ってしまうことをもし不快にお思いになられたら大変申し訳ありません。
本気でしか小説を書けない中二病ワナビの単純で純粋なココロと思ってどうぞご容赦ください。
作者からの返信
論文にする前に、まずエッセイにするのも辛かったんです。
家族関係に悩んだ時期と卒論が重なり、祖父と過ごした「守られ幸せだった日々」と今とのギャップに苦しみ、
論文への着手は実質2か月ないくらいです。
でも、これを書いたら、もう少し家族と上手く行くかもしれない、自分の気持ちに整理をつけることで、大人になれるかもしれないと思い書ききりました。
そのあたりの執念めいた思い、願いが
naka-motoo さんに届いたなら嬉しいです。
ありがとうございます。
第22話 第3章第3節2項:絶詠の考察―宗教性の見地から―への応援コメント
わたし自身についての答えも見つけようという思いで読み進めさせていただいています。
私事で大変恐縮ですけれども、わたしは結婚する前は、なんまんだぶ、の家でした。
結婚して姓が変わり、なんみょうほうれんげきょう、の家に今は居るわけです。
そして、わたし自身が小説の中で常にメインテーマとしてよりどころとしているのが、わたしが生前会えなかった恩人の残してくれた、詩のような歌のような文章なんです。
次話が『結論』とあります。
楽しみでもあり怖さもあり、このまま読み進めさせていただきます。
作者からの返信
にゃるほど。
そうなんですね。
詩のような歌のような文章。
差し支えなければ詳細教えていただきたいです。興味があります。
一気読みする量とテーマじゃないのに…ありがとうございます。
第16話 第2章第3節3項補遺:曾祖母の死への応援コメント
論文ではありますけれども、わたしは小説として読んでいる自分に気がつきました。
作者からの返信
naka-motooさん
たくさん読んでくださりありがとうございます。
論文ですか?よかった!
論文になってなかったらどうしようかとw
一人称的研究が認められている稀有な専攻にいるので、思いきって自分のことを書いてみました(学問的な枠組みは要るので、そのあたりは大変でしたが。)
祖父の死のあたりからは完全に私小説に足を踏み入れていると思います。
これを深めていけば1本お話書けるなあ。検討の余地アリです。
第4話 第1章第1節:賢治の生涯への応援コメント
賢治さんは、宗教と科学のあいだを、科学的に融合させようという、日本人には、なかなか、なかった視点を持っていたようですね。
しかも、ベートーベン先生を聴いて、おれも、こういふものを書かねば、と、真面目に考えて、実行した。
実行しちゃうのが、すごい。
やましんは、それは、なかなか、できない。
でも、職場で応用することは、考えたんです。難しい。結局、敗残兵。
もっと、読み直し‼️
作者からの返信
先述してますが、大正生命主義という新宗教から起きた運動と賢治の思想の成熟を絡める研究が最近進んでいて、とても興味深いです。
ほんとはそういうことを卒論でしたかったのですが、難しかったですw
ベートーベン先生の交響曲5番を聴いて書いた詩が「春と修羅 mental sketch modified 」であり、
交響曲9番を聴いて書いたのが「農民芸術概論綱要」であるのは有名な話ですね。賢治の詩は詩からリズムを感じられる素晴らしいものばかりです(特に活動的な時期のものに顕著ですが。)
職場で応用しようとした、やましんさんすごいです!素晴らしいです!
第25話 資料への応援コメント
永谷さん、卒論お疲れ様でした。
そして、読み終わるのが遅くなってしまい
すみません。
私は親しい人の死をまだ経験したことがありません。(祖父母は物心がちゃんとつく前に亡くなってしまっていました)
それでも、最近会ったことのない親戚の死を知って、遠くの私のところにも波紋はやってきました。
それがもっと親しい人であったなら…
そう思うと怖くもあり、
その時にこちらで沢山読ませて頂いたプロセスで回復していくのかなと思うことがありました。
あと、宮沢賢治の死生観は勿論ですが、「自己犠牲」の考え方が今まで私の思うものと違って、心に残りました。
ピントがズレてる上にかなり個人的な感想になってしまっていて、すみません。
前にどこかでみさえさんが仰っていましたが、
きっと永谷さんはこの先、文章を書くのではないかと私も思いました。
その時はまた読ませてくださいね。
作者からの返信
ねむこさん
ありがとうございます。
対象喪失は普遍的なプロセスではありますが、個人差はありますし、必ずこの段階の通り進むわけでもありません。1つの段階に留まってしまったり、段階が戻ってしまうこともあります。(キューブラー・ロスの項で補足した通りです)
死に行く人の死の受容についても、
見送る人の回復についても、
大事なのは「今自分のいる状況に時間をかけて納得していく」ことだと思います。
病を得たこと、寿命が残り少ないこと、いつもとなりにいたあの人が居ないこと。
そういった環境や心情の変化を受け止め、受け入れ、可能な限りに日常生活へと目を向けられるようになるためにこれらのプロセスはあると思います。
自己犠牲について。
相手のために自分を犠牲にする。(ただ我慢する)のと、その自分の犠牲は回り回って自分の救いになる
(まさに、情けは人の為ならず。)
と言うのでは意味合いが変わってくると思っていて、賢治の場合は後者の意味が強いのかなと。
次回作。そうですね。
書きためた短歌を細々と出していくくらいでしょうかw
これからもよろしくお願いします!
第25話 資料への応援コメント
お疲れ様でした。
口頭試問はいつですか?
きっと、うまく行くことと推察いたします!!
それと、第6話でしたか、
>賢治の生き方やその理想とするところは雨ニモマケズにシンボリックに集約されてる気がする
とコメント書いた部分ですが、書き方が悪かったみたいですみません。
(賢治がこの詩のような理想的な生き方をしたと言いたかったのではないです)
私も映画を見て、永谷くんと同じように感じるようになったのです。
最初に読んだ小学生のころは、そんなに農業に尽くした人だとか、菜食主義(?)だったとか、コミュニティでの自分の在り方みたいなことを真剣に考えていた人だったことなどなど、詩が書かれたバックボーン(生き方?)をまったく一切知らなかったのですが、映画を見ると上記のような賢治の生き方(とその中での苦悩)から「本当にこうなりたい」と実感として理想を歌ったのだなとわかった、という意味でした。
説明が下手&言葉足らずでごめんなさい。
こちらの連載を読みながら、賢治の詩集をもう一度開いてみたりしてたのですが、
久しぶりに、この映画も見たくなりました(笑)
すばらしい論文を読ませていただき、ありがとうございましたm(_ _)m
こちらの連載は、私にとっても本当に読めてよかったと思えるものでした!!
作者からの返信
口頭試問は来週です。頑張ります。
映画ということで、賢治像や作品の切り取り方はそれぞれだと思うのです。
それはそれぞれで良いと思います。そして、「本当にこうなりたい」と実感として~というのも、本当だと思います。
(まだ見れてないですすいません。)
理想主義なのは彼の文学の特徴ですが、それを後世の判断で彼の人物像にまである種過剰に当てはめるのはちょっと違うかなと思った次第です。
土臭い部分も、不器用なところもたくさんありますし。
永谷個人としては、雨ニモマケズを「人生の反省文」として読んでいます。
具体的には、「こうなれたら、いろんなことがもっとうまくいったのに。」
だから来世では~とつながると読んでいます。
青臭い屁理屈を並べてしまい、すいません。
素晴らしいと言っていただき嬉しいです。
たくさんコメントくださりありがとうございました!
第24話 出典等文献一覧への応援コメント
すごい量!
私の場合は、外国語の資料が多かったので、卒論にやっとちゃんと手を付けたのが11月からでは、訳すので手一杯になってしまって、そこから丹念に読み込んで十分に考察するところまで行けませんでした(笑)
あのころに戻って「喝」を入れたいです。。。
作者からの返信
ホントはこの倍ぐらいあるのです。
高校から読んできた学術的でないエッセイのような賢治本、ますむらひろしの漫画や映画、藤城清治の版画が素晴らしい絵本などを含めるともう膨大な数になります。
まさしく賢治を偏愛してきた永谷ですが、かれの人物評については、賢治礼賛ではないというのが正直なところです。
自分と重なる部分も多く、不器用な人だなあといつも思いますw
第22話 第3章第3節2項:絶詠の考察―宗教性の見地から―への応援コメント
>法華経的な宇宙的自己の立場
法華経って、そういうものなのですか!?
全然知りませんでした。
賢治の詩集を読んだ時も思ったのですが、
宇宙の中の一つの生命としての自分(人間)を意識してるような感じ、
そういうのは、もっぱら、文系分野はもちろん理系分野にも明るいところから来てるのかと思ってましたが、宗教の影響もあったんですね。
作者からの返信
法華経。NHKの100分de名著で取り上げられていたのをじっくり見たくらいで、自分で紐解けていないのは内緒です。
法華経の本尊大日如来は宇宙全土を統べる仏様で、それに合一しようというのが法華経の主な思想です。(詳しいことはご自分でお調べになることを強くお勧めします。不勉強なものですいません。)
宇宙の中の一つの生命としての自己。
本当は、これがしたかったのです。
大正生命主義というのが賢治のころ日本の宗教界で流行りまして。
玉木さんおおっしゃるようなことを思想として実践しようとしたものです。
金光教や、天理教などにその影響が見られます。
賢治研究では鈴木貞美という人が長ーい論文を書いています。
永谷は途中で読むのをあきらめてしまいましたw
第21話 第3章第3節1項:絶詠の考察への応援コメント
これらの短歌は知りませんでした。
胸が痛いですね。。。
作者からの返信
序論で書きましたが、永谷もこれを知ったのは高校時代、賢治の詩集を買ってからです。(今時分詩集を買う高校生なんていませんよねw)
小学生の時に学研の伝記漫画を読んでるので、眼にしてはいるはずなのですが。
「方十里」も「病の」も、心に焼き付いて離れませんでした。
第20話 第3章第3節2項:最後の手紙の考察への応援コメント
(映画で記憶してるイメージですが)賢治らしいなぁと思います。
作者からの返信
賢治らしさ。賢治作品を受け取った人それぞれにそれを描けるから、賢治は文豪として評価されていったのだと思います。
みちのく岩手に根差した自然感覚(同時期に柳田国男『遠野物語』が上梓されています)や素朴な民話形式の童話は人口に膾炙していますが、「雨ニモマケズ」以外の詩歌、ましてや手紙なんぞについてはほとんどの人が知らないのかなと。
第19話 第3章第2節1項:宮沢賢治の最後の手紙への応援コメント
素敵な手紙だなぁと思います。
教え子を相手に、こんな素直に思いの丈を書けるなんて。
作者からの返信
良いですよね!!ね!!
いつも泣いてしまいます。
出典にも出しましたが、千原英喜作曲の「宮沢賢治の最後の手紙」は素晴らしいのです。YouTubeにも上がってます。ぜひ。
第18話 第3章第1節2項:死の受容4~5段階への応援コメント
受容の段階の患者さんが穏やかにしてるのを見ることがありますけど、
確かに「幸福」とは違うのかもしれませんね。。。
勉強になりますm(_ _)m
作者からの返信
永谷もこの本を読むまで受容=「幸福」だと思ってました。
死の受容の概要だけ、専攻の概論でかじるので、この卒論を書かなければ本を手に取らなかったかもしれません。
第17話 第3章第1節1項:死の受容第1~3段階への応援コメント
そうそう、これですね。
医療をテーマにしたドラマで見て(笑)、なるほどと思いました。
作者からの返信
医療ドラマで描かれがち。わかります。
対応するスタッフの人、家族が苦しいのはもちろんですが、患者本人が一番苦しんでいることにスポットを当てたのはキューブラ―・ロスの偉業だと思います。
第16話 第2章第3節3項補遺:曾祖母の死への応援コメント
遅ればせながら、こちらでも
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!!
昔、私の曾祖母を介護していた人が、
永谷くんの買い言葉のようなことを陰で言っていたのを思い出します。
さらには、脳梗塞か何かで入院していた祖父のお見舞いに行って、
永谷くんと同じように私もその環境に馴染めない気持ちになったことがありました。
大人も子供も、老いの最後の局面を目の当たりにして、
そんなふうになってしまうことがあるものなのですね。
でも、突き詰めれば、老いたその人自体を否定するものでは決してなくて、
状況への戸惑い(?)なのだろうと思うのですが。
コメント欄見てですが、「いつも何度でも」は大好きな曲です。
初めて歌詞を見ながら聴いた時は号泣しました(笑)
ちょっとスピリチュアル的で、示唆に富んだすばらしい歌ですよね!!
新年早々長いコメント失礼しました(悪いクセ!!)
作者からの返信
返信遅くなりました。すいません。
今年もよろしくお願いします。
状況への戸惑い。まさにそうだと思います。
身近な人の病や老い、死への準備や心構えができてる人なんていませんからね。
ちょっとスピリチュアル。普段意識しない生と死の境界を意識するからかもしれません。覚さんの詩集が本当に素晴らしいので、お時間あればぜひ。
第15話 第2章第3節3項:筆者ら遺族の対象喪失の様相への応援コメント
このような過程を見ながら、
病気や余命を宣告された人が辿る過程を思い出してました。
似たようなところがありますよね。
作者からの返信
先ほどのつづきになりますが。
キューブラー・ロスがまとめたものがまさにそれなのです。
末期がんや余命を宣告されながらも、死が来るそのときまで「生きていく」患者さんたち200名以上にインタヴューを行ったのが「死ぬ瞬間」という本です。
第14話 第2章第3節2項:祖父の死の様相への応援コメント
突然死の場合と、長い闘病の末の場合は、死に対する反応がかなり違うことは、
何度も実地に見ました。
突然はつらいですね。。。
作者からの返信
前日会ったときにはあんなに元気だったのに。というショックが一番最初にあったように思います。
同居していた祖母以外の親戚のなかで最後に祖父に会っていたのが私だったらしく。
初七日までは泣いて泣いての日々でした。
曾祖母の件については、転んで頭を打ったことによる脳出血から半年以上の長い入院生活で、子供ながらの見舞い疲れがあったことは事実です。
しかし、「死んじゃえば良い」と言っててしまった言葉が、直接的に曾祖母の死のタイミングに関係してないことも、事実です。それは結果論でしかないので。
曾祖母の死を悲しむ親戚中を見て、自分の言葉のせいで曾祖母は死んだんだと考えてしまうショックはとても大きかったです。泣くより先に、動揺が来るというか。
キューブラー・ロスの死の受容については、突然死の人たちは扱っていないので、その辺りは今後の課題となります。死に行く本人よりも、残された遺族のケアの仕方に違いが出るのかなと。
私も身近な人を亡くした体験がありますが、
今回掲載の部分に関しての感覚は自分でもどういうものだったのか捉え切れてない気がしますね。
魂が空から見てくれてる的なことかなぁ。。。
鳶野克己氏の解説によると、賢治の場合は死についてちょっと普通とは違う捉え方をしていた??ということでしょうか。
作者からの返信
たまきさん
帰省のためコメント遅くなりました。すいません🙏
身近な人を亡くすというこの感覚について言語化するのが目的の論文なので、これは永谷個人の考えであり、半ば無理矢理に言葉にしようとしている部分は少なからずあります。
鳶野の解説は、むしろその逆で、
「白い鳥」の引用部で、「賢治が野原の風や白い鳥そのものにトシの幻影を見いだしている」と素直に読むのではなく、それらを媒介として、もう二度と会えないトシが、「この世ではないどこか」にいる姿を賢治が透視しているとするものです。
(賢治が素直に白い鳥がトシの生まれ変わりであるとそう感じていたと言うわけでもないと思います。
引用すると、「(それは一応はまちがひだけれども/まつたくまちがひとは言われない)」より。
一応は間違いであるという賢治の了解を強調した解釈が鳶野のものであるという理解です )
第16話 第2章第3節3項補遺:曾祖母の死への応援コメント
人の死を目の当たりにする度に、1度空っぽになった心の中が浄化されるような気がします。そしてその魂と共に生きているような気がします。だからこそ今の自分があるような…
上手く表現できないけど…私の心の中に2人の母親がいるような(見守って?)
意味不明なコメント失礼します。
しかし頑張ったね弟よ
自慢の弟だ!
作者からの返信
こっちもありがとー
皆さんからコメントもらえて、口頭試問の良い練習になってます。
ありがとー!
覚和歌子という詩人がいまして、
(ジブリ映画「千と千尋の神隠し」ED「いつも何度でも」の作詞をされた方です)
「いつも何度でも」の曲中に「ゼロになるからだ」という歌詞がありますが、「一度空っぽになった心のなか」という姉さまの感覚はこれに近いと思います。
また、この論文で言うなれば「対象喪失」による悲しみとなりますね。
その魂と共に生きている。すてきな感覚です。
グリーフワークの最初でとても大きな段階「最愛の人を喪った深い悲しみからの回復」を達成し、故人を身近に感じながら生活できる心の豊かさは素晴らしいと思います。
今さらいろんなアイデアが出てきてしまって困っています。そういうものかしら。ありがとう。とっても嬉しいです。頑張ったよ!
心が痛くなるほどの詩ですが…何だか前向きに思えて来ます
正直宮沢賢治の作品はあまり読んでいません、…読みたくなりました。
作者からの返信
姉さま来てくれてありがとー!
「なんだか前向きに」、にゃるほど。
創作において「一人称」はとても大きな問題だと思うのですが、
賢治は「わたし」、「わたくし」、「おれ」と、いくつかの一人称を織り混ぜながら詩を書いています。
これについて原子朗という人がじっくりと論文を書いていますが割愛します。
自分の内面に沸き起こった感情を言葉にするその時点で、その感情は第三者的に自分から離れたものになると考えています。
痛切な賢治の絶唱も、辛い、悲しいその感情を詩の形にすることで一旦手放すことができた。それが姉さまの言う「前向き」の正体ではないかと愚考します。
魂呼ばい歌に昇華
なるほど、そうなんですね。勉強になります!
作者からの返信
実はこの部分は、2回生のときに今のゼミの先生の別の授業で出したレポートをはっつけて、ほぼそのままですw
「たまよばいうた」と読みます。
日本だと、夏川りみの「涙そうそう」とか、10年前流行った「千の風になって」が該当するかなと。
亡くなった人の魂を偲び、あの世にいる人をこの世にを呼び戻そうとするときに歌われる歌です。
第10話 第2章第2節3項:妹トシの死への応援コメント
この三編、本当に読んでると心が「痛い」ですよね。
作者からの返信
そう。痛いんです。
全集の詩をPCで写してるだけでも、
いろんな感情が沸き起こってきました。
編集済
久々に、小此木啓吾氏の名前を見ました!
こちらでごめんなさい、返信に返信してもいいですか?
まず映画ですが、私が見たのは「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」だと思います。
緒形直人主演です。
永谷くんもおっしゃってた、理想と(自分の)現実の狭間でオロオロしたり苦悩したりしてる賢治の姿に共感(?)しました。
本当に真剣にギャップに悩んでる純真さに打たれました。
そこから、雨ニモ負ケズが生まれたんだなぁって、実感を伴ってその詩に感動し直しました。もともと永谷くんご指摘のように、道徳の教訓みたいに受け取っていたものが、書かれた背景はそうではなかったと映画で初めて知ったと言うか。。。
それと、卒論は私も11月からやっと資料をあたって、最後はぶっつけ本番で36時間ぶっ続けで書きました(ごはんとお風呂以外座りっ放し)
もちろん、いいものは書けず。。。でした。
あれでよく通してもらったと教授陣には感謝してます(笑)
でも、こちらの論文はすばらしいと思います!!
だてに読み専やってませんね!!(違!?)
作者からの返信
たまきさーん
永谷です。
昨日は長々と講釈垂れてしまいました。すいません🙏
「我が心の~」探して見てみます。
ありがとうございます!
小此木啓吾氏を知っていらっしゃる!
大学の専攻は心理学か臨床教育ではないかと邪推しますw
そうです。賢治は悩む人。修羅の人なのです。けして聖人君子ではなく、悩んで悩んで絞り出した言葉と現世で叶わなかった願いの結晶が、病中作の数々だと思っています。
思いの丈を書きなぐってしまいましたが、伝わってよかったです。
36時間ぶっ続け!
その体力と根性に天晴れですw
すごい!
お褒めに預かり光栄です。
カクヨムの皆さんの作品含め、良い文章はたくさん読んで来た自負があります。レビューを書くというのも、良い練習になりました。
編集済
第3話 序論への応援コメント
宮沢賢治さまは、レコードマニアだったんですが、それは、テーマ外ですね。
しかし、やましんは、おじいさまがおなくなりになったお歳に、接近しております。
子供がいないから、孫もないですよね。
60年は、すぐです。
ま、ひとりだけ、年取らないのも、嫌だし。
同窓会でも、各自の運不運はありますが、まだ、見た目の差は少ない。70歳となると、個人差がいっきに、目立つんだろうなあ。
おや、まだ、やましんは、先まで行くつもりかい?
作者からの返信
あ。そうです。
音楽家賢治の影は、この論文には出てきません。
レコードマニアも、チェリストも、バリトン歌手も出てきません。
奇遇ですが、明日は祖父の命日です。
そして明日公開する内容は祖父の死の様相です。なんまんだぶ。
やましんさんにはぜひ長生きしていただきたいです。
第9話 第2章第2節2項:グリーフワークについてへの応援コメント
勉強になります。
そしてまたまた、自分の卒論の未熟さに今さら(何年経ってるんだ!!)恥じ入っています。
こういうふうに書くんですね、本当の論文は!!(笑)
作者からの返信
勉強になりますといっていただけてとても嬉しいのですが、お恥ずかしながらこの論文、あんまり時間をかけて書いてないんです。
ずうっと書けなくて、先生にお尻ひっぱたかれて1ヶ月半くらいで完成させてます。穴だらけですw
第7話 第2章第1節:賢治の死生観への応援コメント
一時期、スピリチュアル(!?)に興味があったんですけど、
そのころ賢治の詩を読んでてしっくり来るものが多かった理由がわかった気がします。
今また腑に落ちました。
作者からの返信
スピリチュアルと賢治は相性が良いのです。
宗教学の見地から(宮沢家、幼少賢治が篤く信仰していた浄土真宗からも、後年賢治が熱烈に崇拝した法華経からも)
たくさん本が出てますし、
「日本の名文」とか、「今日の言葉」みたいなコラムにも、賢治はよく登場します。
最近だと、心理学の見地から、賢治の病理を読み解く。みたいなゲテモノも登場してますが。
言葉の力がとても強いのは賢治作品の大きな特徴だと思っています。
オノマトペの多彩さであれ、宇宙的な世界観であれ、「そうなんだ」と読者に頷かせる力はすごいものです。
その力に、我々は元気をもらうんでしょうね。
編集済
第6話 第1章第2節2項:「疾いま革まり来て」への応援コメント
論文なのに、読みながらウルウルしています。
本当はどんなにか、もっと生きたかったでしょうね。
でも、受け入れてるところが切ないです。
コメント欄も見ましたが、でもやっぱり、賢治の生き方やその理想とするところは雨ニモマケズにシンボリックに集約されてる気がするのです(勉強不足の素人目線ですが)。
「疾いま革まり来て」を読むと、なおさらそう思います。
宮沢賢治は、私にいつも利他の心や素直さの大切さを思い起こさせます。
作者からの返信
うるうるしましたか。
よかったです。励みになります。
たまきさんのご指摘はごもっともです。我々読者が素直にそう受けとることに疑問をさしはさむ余地はありません。
その受け取り方を「だから賢治はすごいんだ!」とか、「賢治は自分がこうあるべきだと思って死んでいきました。あとに続く我々に何ができるでしょうか」とか言った「賢治礼賛」には違和感を感じるなと思った次第です。
道徳や国語の教科書に「雨ニモマケズ」が採択されていた時期もあるようで、20年ほど前、賢治の生誕100年に合わせた時期に「賢治礼賛」の論調でたくさんの本が書かれた賢治ブームがありました。
また、戦前の国定教科書にも「イチニチニ玄米4合」の文を「玄米3合」に軍部が改編し、「お国のために尽くす辛抱強い臣民を育てる」目的で採択された負の歴史があります。
話すと長くなるのは私の悪い癖ですね。
病に苦しむ賢治の姿は「雨ニモマケズ」だけじゃない。そして、病に負けず闘っただけが賢治じゃない。ちゃんと怖いものは怖いと思う普通の人だったんだ。というのが「最晩年の賢治」の論旨であります。
「疾いま革まり来て」についてはだいぶんと肯定的な見方をする論文を引っ張ってきましたが、そうですね。
欲しくても得られなかった「利他」と「素直な心」があったら、これまでの人生どんなによかったか。という反省文として、永谷はこの詩を読んでます。この読み方は3章2節で明らかにしますので乞うご期待です。
長々失礼しました。
第5話 第1章第2節1項:最晩年の賢治への応援コメント
賢治の痛々しいまでのストイックさを感じます。
胸が詰まりますね。
そして、雨ニモマケズが書かれたのがこういう時期だったんですね。
子供のころに習って、ずっと好きだった詩なのに、賢治の映画を見るまで
この詩が自身の生き方とリンクしてると知らなかったんです。
それで、あらためて深く理解でき、感動したことを思い出します。
こういう時期に書かれたなら、なおさらですね。。。
作者からの返信
この章は書いてて辛かったです。
全集の年譜とずっとにらめっこ。
文字の記録から病に苦しむ賢治の様子を取り出すのは、それだけで大変でした。
賢治の映画、どんなものでしょう。
不勉強が祟って存じ上げないので、タイトルだけでも教えていただきたいです。
第9話 第2章第2節2項:グリーフワークについてへの応援コメント
すごくしっかりした卒論ですねΣ(・ω・ノ)ノ。
よほど賢治がお好きなんですね。
作者からの返信
よほど好きですが、作品や作家論を読むのが好きなのと、自分で論文を書けるのとは別なんだなあと。書いてみて分かった次第ですw
お褒めに預かり光栄です。
第6話 第1章第2節2項:「疾いま革まり来て」への応援コメント
永谷さん、おはようございます。
宮沢賢治は「注文の多い料理店」や「雨ニモマケズ」など、自分で手に取った訳でもないのに
自然にあれこれ触れてきたという感じです。
(それくらいの作家さんだということですよね)
でも、本人の事は東北の人という事以外は何も知りませんでした。
なので、こうして詳細を知ることが出来て嬉しいです。
ありがとうございます。
特になかなか知ることの出来ない死生観に
スポットを当てて下さっているところが
すごく興味深くて、どんどん読みたくなります。
作者からの返信
ねむこさーん
ありがとうございます。
賢治の死って、わりと偶像化されたり、すぐに「雨ニモマケズ」と結びつけたり、特に一般書はその傾向が強いと思っています。
学研の漫画の伝記だとわりと一次資料を中立に読み込んでかいてるので、下手に活字の本読むよりかはおすすめです。
今回は賢治の死生観を探るよりも、既存の「死の教育」や「死にまつわる臨床心理」の視点から賢治を捉えてみたいなーってところで終わっちゃったのは少し悔しいです。
論文はまだまだこのテンションで続いていきます。明日もお楽しみにー
第6話 第1章第2節2項:「疾いま革まり来て」への応援コメント
賢治の人柄がよく伝わってきました。
よく調べてありますね。感心します。
作者からの返信
ああああありがとうございます!
その言葉とっても嬉しいです!
論文はこのテンションで続いていくのでw
続きもご期待くださいー
編集済
第1話 本論文の要約への応援コメント
永谷さん、こんにちは!
宮沢賢治の死生観と永谷さんの死生観。
ゆっくり読ませて頂きます!!
作者からの返信
ねむこさーん
ありがとうございますー
結論までぜひお付き合いくださいー!
第1話 本論文の要約への応援コメント
待ってましたよ〜!
ただ、それが卒論とは。。。ビックリです!!(笑)
そんなすごいもの読ませてもらっちゃっていいんですか!?
てか、この時点で、もう過去に自分が書いた卒論が恥ずかしくて(泣)
というのは、おいといて。
宮沢賢治、大好きです♡
楽しみです。
作者からの返信
たまきさーん
ご期待に添えるか分かりませんが、
よろしくお付き合いください。
今さっき公開した第1章はなかなかヘビーですが…
よろしくお願いいたします。
第1話 本論文の要約への応援コメント
宮沢賢治さまは、やましんの最も尊敬するおふたりのひとり(もうひとりは、シベリウスさまです。)であります。
ぜひ、いろいろ、学ばせていただければ、と、思います。
ただ、ゆっくりとです。 🐌
作者からの返信
やましんさん
最近お伺いできずすいません。
やっとこさ落ち着いたので、今からガンガン読んでいきます。
よろしくお付き合いください。
第1話 本論文の要約への応援コメント
永谷君
待ってたよ~!
てか…すげーやつ公開してるやん
卒論?
読みます!頑張って読みます!
おバカだけど頑張る
作者からの返信
姉さまありがとー
頑張ったよーw
出したてほやほや、産地直送の卒論です。
良ければ結論までお付き合いください。
第25話 資料への応援コメント
遅ればせながら、通読させて頂きました。
前半は心理学、後半は宗教学といった趣ですね。
読みながら思い出したのは、コフートによる自己対象と、『共感』です。
永谷さんと宮沢賢治の間にあるのは、正に大切な人の死を通じた『共感』と、その癒しであるなと感じました。後半はそれが、何というか時空を超えた人間の繋がりといった、霊的なもの、或いは宇宙的なものにまで昇華している感じです。
文学とは正にこういうものなのかと思い知らされました。素晴らしい論文です。
共感能力の著しく欠如した私には、いろいろと考えさせられるところがありましたね。
作者からの返信
朝木さん
読了、お星さまもありがとうございますー(*´▽`)
コフートの理論、不勉強ながら存じ上げなかったのですが、少し調べてみてなるほどと。
確かに近いものがあると思います。
自己対象転移など、自分にも賢治にも当たる部分はあると思います。
前半の心理学は先生の指導です。
後半が書きたくて、その学問的な補強と根拠が前半部、特に小此木啓吾とE.キューブラー・ロスになります。
本論の柱が、生者と死者との生前とは異なる新たな関わり方について、と言うものなので、時空を越えた人間の繋がり、と言う指摘は仰る通りです。
永谷くんと祖父との、また永谷くんと賢治との関わりを書いたつもりです。
朝木さんに届いていれば幸いです。
文学というか、20年生きた中で一番大きかった出来事、祖父の死とそこに重なる賢治との出会いの私小説を無理繰り論文にしてみた。と言うものだと考えています。
5年後10年後にはまた違った想いを抱くと思いますし、いずれ父が死んだ祖父の年を越えたときにも何か思うことがあるのかなと思います。
同窓生として、高野悦子の「二十歳の原点」をだいぶんと意識しました。
25歳に、30歳に永谷くんは何を思うのか、折に触れて賢治とは、祖父とは向き合っていこうと思います。
長々書いてしまいましたが、読了ありがとうございました。