遅ればせながら、こちらでも
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!!
昔、私の曾祖母を介護していた人が、
永谷くんの買い言葉のようなことを陰で言っていたのを思い出します。
さらには、脳梗塞か何かで入院していた祖父のお見舞いに行って、
永谷くんと同じように私もその環境に馴染めない気持ちになったことがありました。
大人も子供も、老いの最後の局面を目の当たりにして、
そんなふうになってしまうことがあるものなのですね。
でも、突き詰めれば、老いたその人自体を否定するものでは決してなくて、
状況への戸惑い(?)なのだろうと思うのですが。
コメント欄見てですが、「いつも何度でも」は大好きな曲です。
初めて歌詞を見ながら聴いた時は号泣しました(笑)
ちょっとスピリチュアル的で、示唆に富んだすばらしい歌ですよね!!
新年早々長いコメント失礼しました(悪いクセ!!)
作者からの返信
返信遅くなりました。すいません。
今年もよろしくお願いします。
状況への戸惑い。まさにそうだと思います。
身近な人の病や老い、死への準備や心構えができてる人なんていませんからね。
ちょっとスピリチュアル。普段意識しない生と死の境界を意識するからかもしれません。覚さんの詩集が本当に素晴らしいので、お時間あればぜひ。
人の死を目の当たりにする度に、1度空っぽになった心の中が浄化されるような気がします。そしてその魂と共に生きているような気がします。だからこそ今の自分があるような…
上手く表現できないけど…私の心の中に2人の母親がいるような(見守って?)
意味不明なコメント失礼します。
しかし頑張ったね弟よ
自慢の弟だ!
作者からの返信
こっちもありがとー
皆さんからコメントもらえて、口頭試問の良い練習になってます。
ありがとー!
覚和歌子という詩人がいまして、
(ジブリ映画「千と千尋の神隠し」ED「いつも何度でも」の作詞をされた方です)
「いつも何度でも」の曲中に「ゼロになるからだ」という歌詞がありますが、「一度空っぽになった心のなか」という姉さまの感覚はこれに近いと思います。
また、この論文で言うなれば「対象喪失」による悲しみとなりますね。
その魂と共に生きている。すてきな感覚です。
グリーフワークの最初でとても大きな段階「最愛の人を喪った深い悲しみからの回復」を達成し、故人を身近に感じながら生活できる心の豊かさは素晴らしいと思います。
今さらいろんなアイデアが出てきてしまって困っています。そういうものかしら。ありがとう。とっても嬉しいです。頑張ったよ!
論文ではありますけれども、わたしは小説として読んでいる自分に気がつきました。
作者からの返信
naka-motooさん
たくさん読んでくださりありがとうございます。
論文ですか?よかった!
論文になってなかったらどうしようかとw
一人称的研究が認められている稀有な専攻にいるので、思いきって自分のことを書いてみました(学問的な枠組みは要るので、そのあたりは大変でしたが。)
祖父の死のあたりからは完全に私小説に足を踏み入れていると思います。
これを深めていけば1本お話書けるなあ。検討の余地アリです。