心が痛くなるほどの詩ですが…何だか前向きに思えて来ます
正直宮沢賢治の作品はあまり読んでいません、…読みたくなりました。
作者からの返信
姉さま来てくれてありがとー!
「なんだか前向きに」、にゃるほど。
創作において「一人称」はとても大きな問題だと思うのですが、
賢治は「わたし」、「わたくし」、「おれ」と、いくつかの一人称を織り混ぜながら詩を書いています。
これについて原子朗という人がじっくりと論文を書いていますが割愛します。
自分の内面に沸き起こった感情を言葉にするその時点で、その感情は第三者的に自分から離れたものになると考えています。
痛切な賢治の絶唱も、辛い、悲しいその感情を詩の形にすることで一旦手放すことができた。それが姉さまの言う「前向き」の正体ではないかと愚考します。
永谷様
たまよばいうた…素敵な語感ですね。
アイヌの歌にもありそう
「千の風になって」は従来の仏教の教えと相反するようなイメージで、
初めて聞いたときにとても新鮮に感じたのを覚えています。
しかし日蓮宗はちょっと私の思う仏教とは違うのかしら…
これは勉強せねばならんですねっ(^^♪
ありがとうございます!
作者からの返信
魂呼ばい歌、有名どころで言うと、夏川りみ「涙そうそう」とか「千の風になって」が挙げられます。
人は死んだら天国に行く、と言うよりは、見えないけどそばにいる(そうだったら良いな)という死生観です。
死者の霊を慰めたり、現世に呼び戻そうとする歌です。
歌の語源は訴う(うったう)ですから。
アイヌにあるかどうかは不勉強のため不明ですが、熊送り(イオマンテ)に同じような概念を見ることができなくはないです。