家族に看取られること。自宅で亡くなることって、今はほとんど無くなりましたが……。
大切だなぁ、とおもいます。本人のために。
ただ、こういうのって、家族が辛いんですよね……。
その後の家族のフォローが必要。
だからこそ、宗教が重要だったり、地縁が必要だったりするんでしょうが。
永谷さまもこういうシーンだけ切り抜き、昇華させるために、お辛い思いをされたようで……。
いや、でも、感動いたしました。
作者からの返信
その後の家族のフォロー、として遺言を残したと考えています。
部屋で悲しむ時間より、外で製本作業をする時間。自分の信じた法華経を広めたいという思いも当然強くあったでしょうが、喪失感を「一旦は」埋める手段として、これから生きていく家族と死んだ自分とを繋ぐ手段として法華経1000部の配布を遺言したと考えています。
賢治の死後、宮沢家は一家総出で日蓮宗に改宗し、賢治のお墓も日蓮宗のお寺にあります。
この節は辛かったです。
祖父の死のシーンと同じくらい。
辞書以上のページ数の全集の重みと記録の重み。そこから賢治の病のシーンだけを延々探してまとめる。なかなかな作業でした。でも必要な仕事でもあったと思います。
感動してくださり嬉しいです。
頑張った甲斐がありました。
時代がもう少しあとか、医学が、もう少し先にいって、抗生物質とかあれば、話しはちがったんでしょうねぇ。
こればかりは、手に負えませんが、おしいことです。
作者からの返信
結核は死の病だったので…
それは本当に思います。
後30年長く生きてたら日本の文学史は大きく変わってますね。
カラーアニメ、プロジェクションマッピング、VRなど、今賢治が生きてたら、文学以外にどんな作品が生まれてたのかなと思うときもあります。
肺浸潤との診断の時点である程度の「覚悟」があった時代だったのかなと。
賢治の痛々しいまでのストイックさを感じます。
胸が詰まりますね。
そして、雨ニモマケズが書かれたのがこういう時期だったんですね。
子供のころに習って、ずっと好きだった詩なのに、賢治の映画を見るまで
この詩が自身の生き方とリンクしてると知らなかったんです。
それで、あらためて深く理解でき、感動したことを思い出します。
こういう時期に書かれたなら、なおさらですね。。。
作者からの返信
この章は書いてて辛かったです。
全集の年譜とずっとにらめっこ。
文字の記録から病に苦しむ賢治の様子を取り出すのは、それだけで大変でした。
賢治の映画、どんなものでしょう。
不勉強が祟って存じ上げないので、タイトルだけでも教えていただきたいです。
死とは誰にでも訪れる最後のドラマですが、
こうやって読ませて頂き彼の最後にぐっときました
愛がありますね…
一億総孤独化の現代より不便な時代に生きた彼ですが、
現代に彼が生きていたらあのような美しい作品を書けたかなと考えてしまいます
↓熊の胆…?すいません、勉強不足でこの分の意味が分からず…
永井様の気が向かれましたらでいいので、教えて頂けると嬉しいです…
『21日朝は、昨日と容体が変わり、母の勧めで実家から熊の胆が届き、みんなで見送る。』
海野ぴゅう
作者からの返信
コメントありがとうございますー
永谷です。
熊の胆は、字の通り熊の胆嚢です。
漢方薬として古くから用いられ、胃薬のような効果があるとされています。