ここで、この論文の全体がつながったように感じました。
こういった研究に詳しくはないのですが、宮沢賢治にとどまらず、御祖父様の死という長谷さんのごく個人的な経験までを考察対象としたところが素晴らしいと感じています。
作者からの返信
ここまで引っ張っちゃってすいません・・・
ここに持ってくるための伏線と言っちゃえばそれまでですが。
「人間の在り方について考える」専攻の性質上、一人称的研究(私はどう思うか。についての実証)が認められているのはありがたかったです。
要は、永谷くんの祖父の死に関するエッセイを、賢治の妹トシの死、賢治の死、臨床心理学の対象喪失、死の受容といった学問の文脈をつぎはぎして論文にする。
というのがここまでの作業になります。読んでくださりありがとうございます。
本題はここからですwよろしくお願いいたします。
私も身近な人を亡くした体験がありますが、
今回掲載の部分に関しての感覚は自分でもどういうものだったのか捉え切れてない気がしますね。
魂が空から見てくれてる的なことかなぁ。。。
鳶野克己氏の解説によると、賢治の場合は死についてちょっと普通とは違う捉え方をしていた??ということでしょうか。
作者からの返信
たまきさん
帰省のためコメント遅くなりました。すいません🙏
身近な人を亡くすというこの感覚について言語化するのが目的の論文なので、これは永谷個人の考えであり、半ば無理矢理に言葉にしようとしている部分は少なからずあります。
鳶野の解説は、むしろその逆で、
「白い鳥」の引用部で、「賢治が野原の風や白い鳥そのものにトシの幻影を見いだしている」と素直に読むのではなく、それらを媒介として、もう二度と会えないトシが、「この世ではないどこか」にいる姿を賢治が透視しているとするものです。
(賢治が素直に白い鳥がトシの生まれ変わりであるとそう感じていたと言うわけでもないと思います。
引用すると、「(それは一応はまちがひだけれども/まつたくまちがひとは言われない)」より。
一応は間違いであるという賢治の了解を強調した解釈が鳶野のものであるという理解です )
永谷様
バーチャルに体験できても、個人的体験に勝るものはないです
その深い経験がこの「人は死んだらどうなるの」という素晴らしい卒業論文に力を与えているように思いました
海野ぴゅう
作者からの返信
ありがとうございます。
書いていて一番辛い章でした。
思い出すって結構厳しい作業で、
10年かけて作ったかさぶたをひっぺがすような。
必要な作業だったと思っています。