第13話 第2章第3節1項:筆者が歩んだグリーフワーク―祖父の死―

 本節では、先述した賢治の妹トシに対するグリーフワークとの共通点を考えながら、筆者の祖父に対するグリーフワークについて振り返ってみたい。

 賢治は、トシの死に際して風や鳥といったものにトシの面影を見出す体験を詩に残している。ここでは「無声慟哭」より「風林」と「白い鳥」を取り上げ、該当部分を紹介する。


「風林」

 とし子とし子

 野原へ来れば

 また風の中に立てば

 きつとおまへをおもひだす (40)


「白い鳥」

 二疋の大きな白い鳥が

 鋭くかなしく啼きかはしながら

 しめつた朝の日光を飛んでゐる

 それはわたくしのいもうとだ

 死んだわたくしのいもうとだ

 兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる

(それは一応はまちがひだけれども

 まつたくまちがひとは言はれない) (41)


「風林」、「白い鳥」の該当箇所について、鳶野克己(2017)は次のように考察している。


 ただしそれは、野原や風の中に「トシが居る」と感じているのではない。トシは、「あの世」も含めて、そうした特定の名づけられた場所には居ないのである。(中略)

 永訣したトシとは、どのようにもこの世では二度と会えないのでなければならない。

 朝の光のもとに飛来した二羽の白い鳥がトシだというのは、そうした二羽と出会うというかたちで、賢治が「この世に生きるということ」において、「この世ならざるどこか」を感じ取り、その「どこか」に居るトシの姿を透視するからだろう。(42)


 本論の表題である「人は死んだらどうなるの」という問いに、鳶野は「そうした特定の名づけられた場所には居ないのである」と答えている。通説的に「人は死んだら空に行く」と言われるものを否定していると考えられる。

 一方、筆者の祖父に対するグリーフワークは、序論にもあるように空を見上げて祖父を思うことで精神的な近さを感じることであった。当時12歳の筆者は、空を見上げても「見上げた空の上に祖父がいる」とは思っていなかったが、肉体的に遠く離れてしまった祖父を身近に感じる手段として、空を見上げて祖父に話しかけることで精神的なつながりを感じることで祖父を喪った悲しみを癒していた。祖父の死についての詳細は以下の通りである。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(40) 宮澤 『全集2巻』 p.146より

(41) 同上 p.148より

(42)鳶野克己 「「生きることの悲しみ」再考」

『教育哲学研究』第115号抜刷 pp.91‐107 教育哲学会 2017 p.104より



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