お疲れさまでした!!
資料の読み込みもそうですが、身近な人の死と言う体験をからめるという発想が素晴らしいと思いました。
作者からの返信
Askewさん読了ありがとうございます💕
この発想をくれたのはゼミの教授です。自分のことを書けば良いと言ってくださり感謝してます。
資料を読むよりも当時のことを思い出して文章にする作業が一番大変でした。
すごく興味深かったです。
素敵な論文でした。
作者からの返信
最後まで読んでくださり嬉しいです。
お星さまもありがとうございます!
これだけの膨大な資料に当たってご自身の子供の頃からの課題として取り組んで来られた重厚な論文をお書きになるその中で、わたしたちの小説をお読みくださり励まし続けてくださったことに本当に感謝いたします。
ありがとうございます!
そして、この論文を拝読した結果、わたし自身の『書かずにはいられない原因』が更に深まったこと、また、今後書いていく上で何か、ほんの毛ほどでもよいから世のひとのためになる文章を書く努力をすることを誓わせていただきます。
最後に私事で蛇足ですけれども、わたしの子供たちは永谷瞬さんとほぼ同年代です。特に上の子は相当近い年齢だと思います。
ですのでこのオールド・タイプのわたしの小説を丁寧にお読みくださり励ましてくださっていることが本当に不思議に感じられ、より一層感動しております。
重ねてお礼申し上げます。
素晴らしい論文、本当にありがとうございました!(o^^o)
作者からの返信
naka-motoo さん
コメントをくれる。
★やフォローをくれる。
自分が当たり前にやってることを人からしてもらえるとこんなに嬉しいんだと、書き手になって気づくことができました。
毎日読みきれないほどの作品をフォローして、徹夜で読んでコメントをする、レビューを書く、「自称書く人応援隊長」を始めたのは、自分は書けないからと思っていたからです。
小学校時代から図書館に籠って少年少女日本文学大全集を読む子供だったので、オールドな小説がそもそも好きなのです。ライトノベルも異世界もラブコメも一通り嗜んできましたが、私の中には純文学の血が流れてるんだなとnaka-motoo さんの作品を読むたびに思います。『日月の交わり』、特に傑作でした。
私の論文がnaka-motoo さんの頑張る力になれたこと誇りに思います。
本当にありがとうございます。
これからも応援しています。
永谷さん、卒論お疲れ様でした。
そして、読み終わるのが遅くなってしまい
すみません。
私は親しい人の死をまだ経験したことがありません。(祖父母は物心がちゃんとつく前に亡くなってしまっていました)
それでも、最近会ったことのない親戚の死を知って、遠くの私のところにも波紋はやってきました。
それがもっと親しい人であったなら…
そう思うと怖くもあり、
その時にこちらで沢山読ませて頂いたプロセスで回復していくのかなと思うことがありました。
あと、宮沢賢治の死生観は勿論ですが、「自己犠牲」の考え方が今まで私の思うものと違って、心に残りました。
ピントがズレてる上にかなり個人的な感想になってしまっていて、すみません。
前にどこかでみさえさんが仰っていましたが、
きっと永谷さんはこの先、文章を書くのではないかと私も思いました。
その時はまた読ませてくださいね。
作者からの返信
ねむこさん
ありがとうございます。
対象喪失は普遍的なプロセスではありますが、個人差はありますし、必ずこの段階の通り進むわけでもありません。1つの段階に留まってしまったり、段階が戻ってしまうこともあります。(キューブラー・ロスの項で補足した通りです)
死に行く人の死の受容についても、
見送る人の回復についても、
大事なのは「今自分のいる状況に時間をかけて納得していく」ことだと思います。
病を得たこと、寿命が残り少ないこと、いつもとなりにいたあの人が居ないこと。
そういった環境や心情の変化を受け止め、受け入れ、可能な限りに日常生活へと目を向けられるようになるためにこれらのプロセスはあると思います。
自己犠牲について。
相手のために自分を犠牲にする。(ただ我慢する)のと、その自分の犠牲は回り回って自分の救いになる
(まさに、情けは人の為ならず。)
と言うのでは意味合いが変わってくると思っていて、賢治の場合は後者の意味が強いのかなと。
次回作。そうですね。
書きためた短歌を細々と出していくくらいでしょうかw
これからもよろしくお願いします!
お疲れ様でした。
口頭試問はいつですか?
きっと、うまく行くことと推察いたします!!
それと、第6話でしたか、
>賢治の生き方やその理想とするところは雨ニモマケズにシンボリックに集約されてる気がする
とコメント書いた部分ですが、書き方が悪かったみたいですみません。
(賢治がこの詩のような理想的な生き方をしたと言いたかったのではないです)
私も映画を見て、永谷くんと同じように感じるようになったのです。
最初に読んだ小学生のころは、そんなに農業に尽くした人だとか、菜食主義(?)だったとか、コミュニティでの自分の在り方みたいなことを真剣に考えていた人だったことなどなど、詩が書かれたバックボーン(生き方?)をまったく一切知らなかったのですが、映画を見ると上記のような賢治の生き方(とその中での苦悩)から「本当にこうなりたい」と実感として理想を歌ったのだなとわかった、という意味でした。
説明が下手&言葉足らずでごめんなさい。
こちらの連載を読みながら、賢治の詩集をもう一度開いてみたりしてたのですが、
久しぶりに、この映画も見たくなりました(笑)
すばらしい論文を読ませていただき、ありがとうございましたm(_ _)m
こちらの連載は、私にとっても本当に読めてよかったと思えるものでした!!
作者からの返信
口頭試問は来週です。頑張ります。
映画ということで、賢治像や作品の切り取り方はそれぞれだと思うのです。
それはそれぞれで良いと思います。そして、「本当にこうなりたい」と実感として~というのも、本当だと思います。
(まだ見れてないですすいません。)
理想主義なのは彼の文学の特徴ですが、それを後世の判断で彼の人物像にまである種過剰に当てはめるのはちょっと違うかなと思った次第です。
土臭い部分も、不器用なところもたくさんありますし。
永谷個人としては、雨ニモマケズを「人生の反省文」として読んでいます。
具体的には、「こうなれたら、いろんなことがもっとうまくいったのに。」
だから来世では~とつながると読んでいます。
青臭い屁理屈を並べてしまい、すいません。
素晴らしいと言っていただき嬉しいです。
たくさんコメントくださりありがとうございました!
遅ればせながら、通読させて頂きました。
前半は心理学、後半は宗教学といった趣ですね。
読みながら思い出したのは、コフートによる自己対象と、『共感』です。
永谷さんと宮沢賢治の間にあるのは、正に大切な人の死を通じた『共感』と、その癒しであるなと感じました。後半はそれが、何というか時空を超えた人間の繋がりといった、霊的なもの、或いは宇宙的なものにまで昇華している感じです。
文学とは正にこういうものなのかと思い知らされました。素晴らしい論文です。
共感能力の著しく欠如した私には、いろいろと考えさせられるところがありましたね。
作者からの返信
朝木さん
読了、お星さまもありがとうございますー(*´▽`)
コフートの理論、不勉強ながら存じ上げなかったのですが、少し調べてみてなるほどと。
確かに近いものがあると思います。
自己対象転移など、自分にも賢治にも当たる部分はあると思います。
前半の心理学は先生の指導です。
後半が書きたくて、その学問的な補強と根拠が前半部、特に小此木啓吾とE.キューブラー・ロスになります。
本論の柱が、生者と死者との生前とは異なる新たな関わり方について、と言うものなので、時空を越えた人間の繋がり、と言う指摘は仰る通りです。
永谷くんと祖父との、また永谷くんと賢治との関わりを書いたつもりです。
朝木さんに届いていれば幸いです。
文学というか、20年生きた中で一番大きかった出来事、祖父の死とそこに重なる賢治との出会いの私小説を無理繰り論文にしてみた。と言うものだと考えています。
5年後10年後にはまた違った想いを抱くと思いますし、いずれ父が死んだ祖父の年を越えたときにも何か思うことがあるのかなと思います。
同窓生として、高野悦子の「二十歳の原点」をだいぶんと意識しました。
25歳に、30歳に永谷くんは何を思うのか、折に触れて賢治とは、祖父とは向き合っていこうと思います。
長々書いてしまいましたが、読了ありがとうございました。