応援コメント

第22話 第3章第3節2項:絶詠の考察―宗教性の見地から―」への応援コメント

  • わたし自身についての答えも見つけようという思いで読み進めさせていただいています。
    私事で大変恐縮ですけれども、わたしは結婚する前は、なんまんだぶ、の家でした。
    結婚して姓が変わり、なんみょうほうれんげきょう、の家に今は居るわけです。
    そして、わたし自身が小説の中で常にメインテーマとしてよりどころとしているのが、わたしが生前会えなかった恩人の残してくれた、詩のような歌のような文章なんです。
    次話が『結論』とあります。
    楽しみでもあり怖さもあり、このまま読み進めさせていただきます。

    作者からの返信

    にゃるほど。
    そうなんですね。
    詩のような歌のような文章。
    差し支えなければ詳細教えていただきたいです。興味があります。

    一気読みする量とテーマじゃないのに…ありがとうございます。

  • >法華経的な宇宙的自己の立場
    法華経って、そういうものなのですか!?
    全然知りませんでした。

    賢治の詩集を読んだ時も思ったのですが、
    宇宙の中の一つの生命としての自分(人間)を意識してるような感じ、
    そういうのは、もっぱら、文系分野はもちろん理系分野にも明るいところから来てるのかと思ってましたが、宗教の影響もあったんですね。

    作者からの返信

    法華経。NHKの100分de名著で取り上げられていたのをじっくり見たくらいで、自分で紐解けていないのは内緒です。
    法華経の本尊大日如来は宇宙全土を統べる仏様で、それに合一しようというのが法華経の主な思想です。(詳しいことはご自分でお調べになることを強くお勧めします。不勉強なものですいません。)

    宇宙の中の一つの生命としての自己。
    本当は、これがしたかったのです。
    大正生命主義というのが賢治のころ日本の宗教界で流行りまして。
    玉木さんおおっしゃるようなことを思想として実践しようとしたものです。
    金光教や、天理教などにその影響が見られます。
    賢治研究では鈴木貞美という人が長ーい論文を書いています。
    永谷は途中で読むのをあきらめてしまいましたw