第22話 第3章第3節2項:絶詠の考察―宗教性の見地から―

 管見の限り、死の前日の絶詠が短歌であるということについて、また絶詠について詳細に書かれた論文や学術的な先行研究が見つからず、先行研究を挙げながら持論を論じることができないため、以下筆者独自の見解を述べていきたい。


 賢治の絶詠はいずれも自分が死んだあと、自分がどのように世界とつながっていたいかが示されていると思われる。「方十里~」では、空の上から豊かに実った稲を見下ろす存在になりたいと、「病の~」では、自分の命が稲の実り及び法華経の御法になりたいと祈る様子が描かれている。またこの2首が父政次郎との「心の決定を求める」対話の後に生まれたという点は興味深い。親鸞や日蓮の往生観、それぞれの宗派が示す人の死やその後の世界などについて考察することで賢治の絶詠に対する論はさらに深まると考えられる。ここではそれらを賢治の宗教性とした上で、参考文献をもとに絶詠の関わりについて持説を論じていく。


 柴田まどか(1996)は、絶詠について「最後まで自分の目的に向かって歩むこと(原文ママ)大切に思い、また自分がそうできたことを喜びにも思っていたのだろう」(69)と述べるとともに、自己犠牲について「自己犠牲とは自分の命をうち捨てることでは決してない。自分一人の欲のためにではなく、人々の幸福という高い理想に向かって努力し実行する生き方を言うのであろう」 (70)と述べている。これは絶詠二首目の「みのりに棄てば/うれしからまし」に援用できると考える。病に朽ちる肉体を稲の稔りに、自分が書いてきた作品が法華経の御法に役立てることができたらという賢治の願いは、自分のためだけではなく、人々の幸福のために役立てたいという承前があるのである。

 また松岡幹夫(2015)は、賢治の宗教意識について「自覚的な法華経信仰と無自覚的な真宗信仰」(71) という観点から考察している。


「晩年の賢治の思想にあっては、他力救済を願う彼の心情が前面に押し出されるとともに、それが法華経的な宇宙的自己の立場と結び合わされ、しかも共生の願いへと方向付けられるのである。(中略)彼は、つくづく自己の無力さを思い知らされながらも、独特の真宗的精神性に基づく、自己犠牲的な救済者信仰を決して捨ててはいなかった」 。(72)


 浄土真宗を信仰してきた宮澤家、特に父政次郎と法華経に傾倒した若き賢治との宗教的な対立があったことは年譜にも見えるが、賢治の中でその二者がどのような形で存在していたのかを考察している。国訳妙法蓮華経全品を1000部作ることを遺言とし、「みのりに棄てば」と絶詠に読んだ賢治は、最後まで法華経の信者であったと考えるのが自然であるが、真宗の自己犠牲的な教義の影響も無視できない。


 また、筆者がたびたび述べている絶詠一首目の「そらはれわたる」に感じる、上から見下ろす感覚については板谷栄城(1999)に以下のようにある。


 そらに居て

 みどりのほのほかなしむと

 地球のひとのしるやしらずや


 まるで故障して炎上中の宇宙衛星の乗組員の心境のような“短歌”であるから、「賢治のSF的な素晴らしい発想だ」などと思うかもしれないが、賢治の場合は頭を使って思いついたり、苦心してひねり出したりしたアイデアではなく、実際に「みどりのほのほ」を幻想風景としてしばしば見ていたのである。 (73)


「そらに居て」と始まることで、話者は地球の外にいることがすぐに了解され、結びの「地球のひとの」でそれがはっきりとわかるようになっている。絶詠の場合は、方十里という広大な田畑のイメージが提示され、祭りの様子へと視点がズームされるが、またすぐに「そらはれわたる」と上空へと意識が向いている。これを地面に立っている賢治の視点とすることは容易ではある。しかしこれが絶詠であるという先入観からか、筆者は空の上にいる賢治がたわわに稔った田んぼを見て、また祭りの様子を見て、その後空高く昇っていくイメージがこの短歌にはあると考えている。


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(69)柴田まどか 『宮澤賢治-南へ走る汽車』 洋々社 1996 p.239より

(70) 同上 p.239~240より

(71) 松岡幹夫 『宮澤賢治と法華経―日蓮と親鸞の狭間で』 論創社2015 p.184より

(72) 松岡幹夫 2015 p.213より 

(73)板谷栄城 『宮澤賢治の、短歌のような 幻想感覚を読み解く』 日本放送出版協会 1999 p.53より

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