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2020年1月22日 02:19
コメント失礼いたします。また結核ですね。このあたりの話には本当によく出てきます。押し入れに首を突っ込んで慟哭する。切ないです。でも、現代人はこんなことしませんよね。今と違うところに、興味がわきます。今とは違う時代背景があるような、ないような。
作者からの返信
自宅で看病の後に看取ること、病院で医師の診断のもとに看取ること。別れ方の様相もだいぶん変わってきたんだなあと思います。(E.キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』をぜひご覧ください)賢治とトシの関係は、近親愛の眼である種ゴシップ的に語られることが少なくはないのですが、賢治自身は信仰上の、また人生の「同行の徒」(共に歩む者、の意です)としてトシを見ていたんだなあというのが永谷の見解です。(ゼミの先生の受け売りですが。参考文献の鵜野祐介「僕って何?」という論文に詳述されてます)
2019年12月27日 00:05
この三編、本当に読んでると心が「痛い」ですよね。
そう。痛いんです。全集の詩をPCで写してるだけでも、いろんな感情が沸き起こってきました。
コメント失礼いたします。
また結核ですね。このあたりの話には本当によく出てきます。
押し入れに首を突っ込んで慟哭する。
切ないです。でも、現代人はこんなことしませんよね。今と違うところに、興味がわきます。今とは違う時代背景があるような、ないような。
作者からの返信
自宅で看病の後に看取ること、
病院で医師の診断のもとに看取ること。
別れ方の様相もだいぶん変わってきたんだなあと思います。
(E.キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』をぜひご覧ください)
賢治とトシの関係は、近親愛の眼である種ゴシップ的に語られることが少なくはないのですが、
賢治自身は信仰上の、また人生の「同行の徒」(共に歩む者、の意です)としてトシを見ていたんだなあというのが永谷の見解です。
(ゼミの先生の受け売りですが。参考文献の鵜野祐介「僕って何?」という論文に詳述されてます)