第10話 第2章第2節3項:妹トシの死
これらをもとに、賢治の妹トシに対する対象喪失およびグリーフワークの有り様を考察していく。
1922年11月27日に賢治の妹のトシは24歳で死亡した。死因は結核である。全集14巻の年譜には以下のようにある。 (27)
みぞれのふる寒い朝、トシの脈搏甚だしく結滞し、急遽主治医藤井謙蔵の来診を求める。医師より命旦夕に迫るを知らされ、蒼然として最愛の妹を見守る。この一日の緊張したありさまは〈永訣の朝〉〈松の針〉〈無声慟哭〉にえがかれている。いよいよ末期に近づいたとき、トシの耳もとでお題目を叫び、トシは二度うなづくようにして八時三〇分逝く。享年二四歳。押し入れに首を突っ込んで慟哭する。
「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」にはともに1922.11.27の日付が付してある。 (28)これには三上満(2016)が以下のように述べている。
一一月二七日、トシが亡くなった日にこの三つを書き上げるというのは不自然であるということで、今では、後になって二七日のことを思い起こしながら書かれた詩なのだろうということが、ほぼ明らかになっています。 (29)
それぞれの詩から、賢治がトシの死に対する衝撃と不安、また対象への思慕と執着を感じている部分を抜粋する。
「永訣の朝」
けふのうちに
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる (30)
「けふのうちに」は、医者からトシの命がもう夕方までに迫っていると告げられたその時の賢治の心境であろう。「みぞれがふつて‐」は、トシの緊急事態に際して緊張し、危機的な興奮状態にある賢治の心象であると考えられる。「蒼鉛いろの暗い雲」は、賢治の不安な心が実際の空模様にそのまま投影されている。
「松の針」
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言つてくれ (31)
「永訣の朝」と同様の言葉がここにも登場するが、「ああ」と感嘆詞が挿入されることで、より一層極まった賢治の心境を表している。
「いつしよに行け」、「泣いてわたくしにそう言つてくれ」には、小さい頃のトシとの思い出を回想するとともに、先を行く兄と後ろをついてくる妹の姿を死にゆくトシに投影し、賢治が逆縁の別れを嘆いている様子が描かれている。
「無声慟哭」
わたくしが青ぐらい修羅をあるいているとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか (32)
「じぶんにさだめられたみち」とは、死者の世界のみちであり、生きている賢治とは違う道をトシはひとりで歩いていかなければならない。戻って来いと言えないことは賢治にもわかっているが、それでも問いかけずにはいられない心境が描かれている。
なお、小此木(1986)の指摘する「再生と理想化の心理」については以下に考察する。また「同一化」についてはそれに合致する箇所が現時点で見つからないため割愛する。
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(27) 宮澤 『全集14巻』 p.551より
(28)同上 目次より
(29) 三上満 『賢治 詩の世界へ』新日本出版社 2016 p.143より
(30) 宮澤 『全集2巻』 p.136より
(31)同上 p.140より
(32) 同上 p.141より
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