第27話 できることを

「な、そんなの、危険過ぎる!」


 間髪入れず珍しく声を荒げた螺希に、琥珀は微かに俯きつつ口を開いた。


「螺希……今はどこにいたって危険な状況でしょ? それにこのままだと皆永遠にシェルターの中に押し込められて、地上はグリーフに、つまりドラビヤに支配されてしまう。何とかしてドラビヤを止めないといけない」

「それは、別に穹路じゃなくても……」

「螺希。分かってて言うのはやめて。螺希らしくない。拭涙師をそこに回す余裕なんてないし、回せたとして無駄死にするだけ。でも、穹路君なら生きて到達できる可能性が高い。他の誰よりも。あの体のおかげで」


 螺希は琥珀の言葉に両手をきつく握り締めて唇を噛み締めた。


「穹路君と螺希の話を統合すると、穹路君は大気圏をその体一つで突破してきたことになる。その上、地面に叩きつけられて尚、生き残った。恐らく、そのティアさえ破壊されなければどのような状態からでも再生できるはず。しかも、前より優れた状態で」

「でも、でも不死身じゃない。ティアが破壊されれば死んじゃうんでしょ!?」

「螺希……」


 穹路は呟きながら、必死な表情で叫ぶ螺希の微かに震える肩に手を置いた。

 螺希はその境遇から身近な人間が危険な目に遭うのが嫌なのだろう。

 だが、もしそうだとすれば、自分は螺希の身近な人になれたのか、とこの状況では少々不謹慎ながら嬉しく思う部分もあった。


「こうしてる間にも被害は増える一方なの。お願い、穹路君」


 螺希の想いと、自分のスカートをしわになりそうな程強く握り締めながら頭を深々と下げる琥珀の姿を前に、穹路は一つ大きく息を吐いてから決意した。


「……分かりました。俺が行きます」

「穹路!?」

「お兄ちゃん!?」


 驚いたように声を上げ、不安げに見上げてくる二人を安心させるように柔らかく笑いかける。


「二人は俺を助けてくれた。それが可能な状況にあった訳だけど、それをしない選択肢もあったはず。それでも助けてくれた二人には本当に感謝してる。だから、今度は俺が二人を助けたいんだ。それができる力があるんだったら」


 結局、力は使い方次第だ。

 だから、もしこの力で皆を守ることができたなら、その時こそ人間として本当に自信を持って二人の傍にいられる気がする。

 そんな思いを込めるように強く螺希と真弥を見詰める。

 短くない時間、沈黙が場を支配した。


「穹路が……そこまで言うなら」


 二人は最後まで穹路の身を案じているようだったが、遂には折れて頷いてくれた。


「本当に、いいの? 穹路君」


 螺希に対するはっきりした物言いとは対照的に、弱々しい声で尋ねてくる琥珀に穹路は首を縦に振った。


「そうか。では、決まりだな」


 それまで黙って成り行きを見守っていた則行が口を開く。


「君には天橋立まで行き、物資運搬用の超高速エレベーターに乗り込んで天の御座へ向かって貰う。生身の人間ならGに耐えられないだろうが、君なら大丈夫だと麻生博士は予測しているし、何より敵から攻撃を受ける確率も少ないはずだ。そして天の御座にあるリンク機能中枢を物理的に破壊すれば作戦完了だ。簡単だろう?」

「はあ、まあ。でも、それの場所なんて俺、知りませんよ? それにどうやって破壊するんですか?」

「天橋立の発着拠点と天の御座の見取り図はこれに入っている。中枢はこのエグゼクスの武装プログラムで物理的に破壊すればいい」


 則行から携帯電話程度の大きさの端末と、授業で見たものと同じ銃身のない拳銃型のエグゼクスを手渡される。


「それから、このティアは軌道エレベーターのキープログラムが書き込まれたものだ。パスワードもこの端末に入っている」


 さらに彼はむき出しのティアを穹路に差し出した。


「キープログラム、ですか?」

「プログラムの一部が切り取られて、記録されているものだ。これがなければプログラムが完全な状態にならず、まともに動作しない」

「成程」


 当然機械的なものに限定されるものだろうが、確かに旧来の鍵やカードキー、パスワードなどよりも信頼性が高そうではある。


「あ、あの」


 そのティアを懐にしまっていると、翠がおずおずと手を挙げた。


「軌道エレベーターもドラビヤに支配されてるんじゃないんですか?」

「天の御座は支配されている可能性が高いが、かつての教訓から軌道エレベーターの制御システムの中枢は地下に移設されている。そこはグリーフ達も手は出せないはずだ。軌道エレベーターは使用できるだろう」

「だろう、って、確認できてないんですか?」

「……偵察に出した拭涙師は連絡が途絶えてしまっている。君達が乗ってきたあの装甲車も出したんだが」

「そ、そんなところに穹路君を!?」


 翠は信じられない、というような表情で則行と琥珀を見た。


「先生も、何でそんな大事なことを黙ってるんですか!?」

「……ごめん。皆に心配させたくなくて。それは間違い、だったね。でも、天橋立までは私も一緒に行って、必ず穹路君を守るから」

「そんな、琥珀まで!?」


 今にも泣き出しそうに叫んだ螺希に琥珀は微笑みかけた。


「私は穹路君の先生だから。それに穹路君に何かあれば螺希が悲しむでしょ? それでも、この状況を打開するにはこれしか方法はないと私は思うから。発案者としての責任もあるしね」

「なら私も一緒に――」

「それは駄目だ」


 螺希の言葉を遮り、則行が厳しい口調で断じる。


「螺希、君は血が苦手だっただろう? そんな君がいても、いざという時に足手まといになるだけだ」

「そ、それは……」


 螺希は目線を落とし、口を固く結んだ。

 則行の言葉が全く正しいことは、彼女自身が一番分かっているのだろう。


「だったら、俺も行きましょう。先生一人では帰りが大変でしょうから」


 ノートパソコンをシャットダウンし、武人が静かに立ち上がる。


「桐生君……危険だってことは、分かってる?」

「ええ、そんなことは十二分に理解しています。それに、最初からそのつもりだったんでしょう? 他にこの作戦に回せる拭涙師はいないでしょうし」


 琥珀は肯定せず、しかし、否定もしなかった。

 武人に手助けして貰えたら、程度のことは考えていたに違いない。

 しかし、これで三人。穹路が抜けた後を考えるとたったの二人だけ。

 たとえグリーフとの戦闘が主要目的ではないにしろ、いくら何でも少な過ぎる。最低限、後一人ぐらいは欲しいところだ。


「な、なら――」


 緊張しているのか、少し擦れた声を出す翠に振り返る。

 彼女は両手をきつく握り締めながら、決心したように顔を上げた。


「あたしも行きます。あの時は混乱してて役に立てなかったけど、今度こそ、お父さんのように戦ってみせるから」

「相坂さん……本当に覚悟は、ある?」


 どこか申し訳なさそうに、しかし、真剣な口調で尋ねる琥珀に、翠は深く頷いた。


「そう。……ありがとう、二人共」


 深々と頭を下げ、琥珀は感謝を述べた。


「では、一時間後に出発して貰う。それまで各自準備を整えておくように」


 則行は簡潔に言って踵を返したが、すぐに立ち止まった。


「そうだ。相坂君。君のお母さんの安否だが、別のシェルターで無事が確認された」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ。異変が起きてすぐにシェルターに避難したようで、怪我もないようだ」

「よ、よか、った」


 心底安堵したように翠はふらふらとソファーに座り込んだ。


「では、私は……いや、穹路君、少しいいかな」

「え? あ、はい」


 則行に強い目で促され、困惑しつつ部屋を出る。

 彼は一般の避難者がいる大広間とこの部屋を繋ぐ廊下の真ん中で立ち止まり、静かに振り返った。


「君の詳しい話は麻生博士から聞いた」

「そ、それは、その――」

「私としてははっきり言って君に不安がある。力というものはただそこにあるだけで恐怖を生むことがあるからな。できれば、枷をつけたいとも思っている」


 則行の正直な物言いは中途半端に誤魔化されるよりは遥かに気が楽だったが、それでもやはり他者に自分を認めて貰うのは難しいことだと改めて実感させられる。

 普段の姿を知らなければ尚更だ。


「しかし、螺希と真弥は君を本当に信用している様子だった。だから、どうか二人のことだけは裏切らないでやって欲しい」


 不安だと言う則行が頭を下げてそのように頼んでくるので、穹路は少し戸惑ってしまった。しかし、最初からそんな気は毛頭ないので、しっかりと頷く。


「私は螺希に嫌われている。だが、あの二人は私の妹の娘だ。幸せになって欲しいと思っている。まあ、私は独り身で屁理屈をこねるしか能のない男だから、精神的な面で彼女達を幸福にする方法が分からなくてね。生活の形を整えることしかできないが」


 則行は自嘲気味に言うと、一つ小さく息を吐いてから続けた。


「ともかく、今はあれを破壊することを第一に考えてくれ。それが二人の日常を取り戻すことに繋がるのだから」

「……はい」

「それと君のことは記録には残らないようにしておく。あの二人にとってはもう、君も含めての日常だろうからな。だから、心配せず、全力でことに当たってくれ」


 それだけ言うと則行は別の部屋へと入っていった。

 螺希から聞いた話のために余り印象がよくなかったが、今の言葉を本心と信じるなら悪い人間ではないようだ。

 螺希は、自分が嫌う祖父の遺産とその権威を利用して今の地位を得たというただその一点で、彼が気に食わないのかもしれない。

 そう考えながら部屋に戻ると、すぐに螺希が小走りで駆け寄ってきた。


「伯父が何か変なこと、言わなかった?」

「いや、特には。単に激励されただけだった」

「そう……」


 首を小さく捻って不審がる螺希から部屋の中に視線を移す。

 武人はソファーに座って目を閉じ、翠は隣で彼の寝顔をちらちらと盗み見ていた。

 琥珀はその真正面のソファーで完全に横になって眠っていた。髪が流れるようにさらさらしているため、重力に簡単に負けて、寝顔が見て取れる。

 螺希と同い年でありながら教師として必死に振舞っている彼女もその寝顔は余りにあどけなかった。


「相坂さんは休んでなくていいのか?」

「この二人みたいにこの状況で眠れる程、あたしは神経が太くないよ。まあ、それはあたしが未熟だってことなんだろうけどさ。穹路君こそ休まなくていいの?」

「いや、俺はさっき十分に眠ったから」

「そう、だったね。しかも螺希の膝枕で、ね」


 意地悪く笑う翠に、後ろで螺希が恥ずかしそうに顔を背けていた。


「相坂さん……本当にいいのか? 折角お母さんが無事だって分かったのに、態々危険に飛び込んで」

「そりゃ、行きたいか行きたくないかの二択なら行きたくないよ。でも、教室では本当に格好悪いところ見せちゃったからね。だから、今度はちゃんと戦って、生き残る。お父さんに恥ずかしくないように」


 翠はポケットに手を突っ込み、父親の形見であるティアを握り締めながら言った。


「それにやられたままで簡単に引き下がったら、それはそれできっとお母さんに怒られるから」

「……とか言って、実は桐生君が行くからなんじゃないか?」

「ちょ、穹路君! しーっ!」


 翠は顔を真っ赤にして必死な様子で自分の唇に人差し指を当てた。そして、隣で眠っている武人を窺うが、彼は熟睡しているようで反応を見せなかった。


「もう。穹路君も意外と意地悪だね。こんな時なのに」


 不満げに睨んでくる翠だったが、すぐに決まりの悪そうな笑みを見せた。


「ま、まあ、理由の三〇%ぐらいはそうかもしれないけど……」

「それは結構な割合のような気がするけれど」

「翠ちゃんは恋する乙女だもんね」


 螺希と真弥の茶々に翠は再度恥ずかしそうに頬を赤くして、うぅ、と唸った。


「こ、この似た者兄妹め」


 そして、唇を尖らせながら声色を不満に染めて呟く翠。


「まあまあ。それで、残る七〇%は?」


 彼女は穹路の問いに表情を真面目なものに戻し、しかし、どこか躊躇うように視線を揺らした。それから一つ息を深く吐いて意を決したように口を開く。


「それは、夢のため、だよ」

「夢?」

「そう。あたしはお父さんみたいな拭涙士になりたいの」


 からかわれた時とはまた異なる羞恥のような感情を顔と口調に滲ませて言う翠に、穹路は首を傾げた。


「でも、相坂さんは理系だよね?」

「うん。あたしは自分でプログラミングもできる拭涙士になりたいから」

「桐生君みたいな?」


 翠はその問いにちらっと武人を一瞥してから頷いた。


「螺希は知ってたのか?」

「初耳。この前、拭涙士が話題になった時も聞かなかったし、てっきり翠も私と同じで普通のプログラマーを目指してると思ってた」

「まあ、これまで口にしたことはなかったからね。だって成績も半端だったし、実際に戦闘になればあのざま。そんな自分にはその夢を口にする資格がないような気がしてさ」


 堰を切ったように早口で翠は言う。その様子に穹路は微妙に違和感を抱いた。


「それは、何て言うか――」

「うん。逃げてる、よね。夢を夢として受け止め切れてない。目指す以前の問題」


 翠は夢を笑われることを恐れているのだろう。

 どこかで声高にそれを言うことを恥ずかしく思っているのだろう。

 しかし、そう思うことこそが、逆に自分で夢を追う自分自身を嘲笑っていることになる。夢を穢すことになりかねない。


「だから、この戦いからは逃げられないの。その夢は確かにあたしの夢だって胸を張って言えるようになるために、乗り越えなくちゃいけないものなの」

「そっか……」


 それが翠の戦う理由。それを話す彼女の目には確かな覚悟が見て取れた。

 ならば、これ以上口を出す必要はないだろう。


「この話はここまで。眠れはしないだろうけど、一応時間まで休んでおこ? ね?」


 穹路はそんな翠の言葉に頷いて、時間が来るまで静かに待つことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る