第20話 惨劇
現在、時刻は間もなく十二時になろうとしているところ。
授業の科目は情報演習。
初回こそ講義形式だったが、普段はプログラミングの実習が中心の、ティアを扱う者には最重要と言っても過言ではない授業だ。
しかし、プログラム言語は従来とは全く異なる言語が使用されているらしく、旧時代の知識が全く通用せず、穹路は頭を抱えながら竜也の説明を聞いていた。
その余りの難解さのせいなのか、妙な頭痛さえしてくる。
まるで脳が警告を発しているかのような痛み。
それは何故か腹部にまで飛び火して、痛みがどんどん増してゆく。
「う、く」
「穹路……大丈夫?」
脂汗が出そうな程の激痛に顔を歪め、頭部と腹部を手で強く押さえつけていると螺希が心配そうに声をかけてきた。
「どうかしましたか?」
螺希の声に異変を感じ取ったようで、竜也が教壇から降りて近づいてくる。
だが、その気配に顔を上げた穹路の目に映った時計が、正に十二時丁度を指し示した瞬間、竜也は翠の席の傍で立ち止まり、突然仰向けに倒れてしまった。
それと全く同時に教室の何人かの生徒もまた前触れなく机に倒れ込み、派手に頭を机に打ちつけたような音が教室に響いた。
「え? な、何?」
目の前で人が突然倒れたことに翠は取り乱したように立ち上がり、床に大の字になっている竜也から螺希のところまで離れてきた。
そんな状況を前に穹路は酷い痛みを感じながら立ち上がり、引き寄せられるように竜也に近づこうとした。
「駄目! 穹路、近づいちゃいけない!」
初めて聞くような叫びを上げて、必死になって腕を抱き締めてくる螺希に、穹路ははっとして足を止めた。それと同時に痛みは幻のように消え去った。
腕をきつく絡めたままでいる螺希に一旦視線を向け、それから彼女の視線の先を辿るように移動させる。
竜也の顔、その目は限界以上に見開かれ、そこから大量の涙が溢れていた。
「涙が、落ちた……何で?」
隣で螺希が愕然としたように呟く。
「皆、逃げろ!」
直後、その異常な竜也の様子を近くで見ていた武人がそう声を荒げ、懐からティアを取り出した。
瞬間、教室に悲鳴が響き渡り、クラスメイト達は弾かれるように走り出す。
何かから逃げるように。
それは他の教室でも同じらしく外からも叫び声が聞こえてくる。
しかし、穹路だけは全く意味が分からないまま、螺希の傍で立ち尽くしていた。
「一体、何が……え?」
何が起きているのか問おうとした穹路の言葉を遮るように、グシャ、と何かが砕け押し潰される音が響く。
「ぎ、が、あああ、ぁぁああ……」
それと共に声量こそ小さいが凄絶な命の限りの叫び、断末魔と呼ぶしかない声が後方から聞こえ、穹路は振り向いた。
そして、目に飛び込んできたのは、真紅に染まった教室。
「な、何だ、これ」
穹路の呟きに螺希もまた振り返り、その光景を見てしまう。
瞬間、螺希は恐怖に大きく目を見開き、PTSDのショック症状が起きたらしく震え出してしまった。
そして、彼女は力が抜けたように膝をつき、自分の体を抱き締めた。
「螺希!」
そんな螺希の様子に、穹路は自分自身の混乱を無理矢理抑え込み、床に片膝をついて彼女の肩を抱いた。そのまま凄惨なその光景を睨みつける。
赤は血の色。血溜まりに転がる塊が何かは考えたくない。
後ろ側の扉の前には化け物としか呼べない存在が立ち塞がっている。
恐らく、あれがその扉から逃げ出そうとした生徒を無惨に引き裂いたのだろう。
「グリーフ……」
震える螺希の口から微かに聞き取れる声が漏れる。
その化け物、グリーフは写真で見るよりも遥かにおぞましい異形だった。
光沢を持ちながらもどこまでも有機的な外殻に、血の滴る巨大な爪。
半開きにされた口からは鋭い牙が覗くが、理性は欠片も感じられない。
しかし、その若干装甲に覆われた頭部をよく見ると、最後列のクラスメイトの面影が僅かに見て取れる。
その姿にハッとして教室を見回すと、同じようなグリーフが他に三体存在していた。その内の一体には竜也と思われる顔が頭部に認められ、他のグリーフにも直前に倒れた生徒の特徴がある。
皆、連関型ティアの所有者だ。
「早く逃げろ! 今なら前の扉から出られる!」
「桐生君!?」
ティアを再構成したものらしい黒く輝く槍を手に、竜也だったグリーフを教壇まで押しやっていた武人が叫んだ。
確かに、前方の扉を抜ける余裕が僅かながら生まれていた。
その声に導かれるように、ほとんどのクラスメイトが前方の扉へと集中する。
だが、運悪くグリーフと化した生徒のすぐ傍にいた者は無残な姿を晒していた。
更には散らばる肉塊が禍々しく再生し始め、新たなグリーフと成り果てていく。
「こんな、こんな、ことが……」
それらは床を赤黒く染め上げている自らの血の溜まりに足を浸しながら、穹路達に近づこうとしていた。
「くっ、螺希」
恐怖による硬直のためだけではなく、こんな状況の中に震える螺希を残すことなどできず、穹路は螺希を守るように抱き締めながらその場から動けずにいた。
そのすぐ近くでは翠も酷く怯えたように体を震わせてへたり込んでいる。
恐らく竜也の変化を目の当たりにしてしまったためだろうが、その視線は目の前の光景を捉えておらず自失しているようだ。
「相坂さん!」
叫ぶように呼びかけても翠は反応しないため、螺希を引きずるように抱えながら翠の傍に向かう。
本当に僅かな距離しか翠との間にはなかったのに、この異常な空間では異様に長く感じられた。
「ちょっと、ごめん」
穹路は謝ってから翠のポケットを探り、彼女のティアを取り出した。
同時に、今度は自分の意思で起動するように念じる。
と、あの日と同じように翠の父親の形見であるリボルバーが手の中に現れた。
「何をしているんだ! 望月君、早く逃げろ!」
穹路達三人を守るようにグリーフ達を牽制しながら、武人が叫ぶ。
「駄目だ! 螺希と相坂さんが動けない!」
武人がカバーしきれない位置から緩やかな動きで迫ってくるグリーフに対し、穹路は昔見たアクション映画の見様見真似で照準を合わせて引き金を引いた。
耳をつんざくような発砲音と共にそのグリーフの半身が弾け飛ぶ。無骨な見た目とその威力に反して反動はほとんどなかった。
おかげで素人でも命中精度が出る。
「これなら……やれる」
そのまま、後からグリーフと化した者も連続して撃ち抜いていく。
「どう、だ?」
「だ、駄目。ラクリマは、ティアを破壊しないと、復活、してしまうから」
歯の根が合わない螺希がたどたどしく告げる。
それがティアを体内に持つグリーフの名だと思い出す前に。
彼女の言葉通り最初にグリーフ化した者、即ちラクリマは何事もなかったかのように元の状態に戻っていた。
「ティアを、破壊……ティアは、どこだ?」
少しずつ近づいてこようとしているそれを撃ち続け、何とか押し止めながらティアを探す。しかし、どこにも見当たらない。
ゲームのように都合よく弱点が外に露出しているなどということはないようだ。
とにかく寄せつけないように、同時に武人を援護するために、ラクリマを狙い続ける。だが、その頭に照準を定めた時、穹路は見てしまった。
「こ、れは――」
頭部に見出せるクラスメイトの顔、その目から流れ落ちる涙に気づき、その半ば開かれたままの口元が微かに動いていることに息を呑む。
「早く……早く、殺、して」
懇願するようなか細い声に、一瞬穹路は恐怖から幻聴を聞いたのかと思った。
幻聴であって欲しかった。
そんな思いに反し、その口から発せられ続ける言葉は紛れもなくグリーフと化したクラスメイトの声だった。
「意識が、あるのか? そんな、いくら何でも、残酷な」
「嫌、だ。殺したく、ないのに。嫌だ。嫌、だ」
しかし、穹路の声に対して何の反応も見られない。
ただ考えていることがそのまま言葉になっているという感じで、だからこそ余りにも痛ましい。だから穹路は彼を狙う銃の重さに負け、腕を下ろしてしまった。
「望月君! 躊躇うな! それはもう人間じゃない!」
武人はそう叫ぶと竜也だったグリーフに槍を突き立て、腕を引き裂いた。
それと同時に竜也の声で微かな呻き声が上がる。
武人の言葉を理解しつつも、穹路は体を動かせなかった。
いつの間にかクラスにいる生存者は四名だけ。
その内二名はうずくまり、震えている。
対するグリーフはラクリマが四体。その上、穹路の援護が止まったことで、武人は三体に取り囲まれて押され始めていた。
更には銃による牽制がなくなったことで、一体が与し易い穹路達の方へと歩み寄ってくる。
「……穹路。ごめん。私の、せいで」
螺希は震える唇でただひたすら謝り、体を動かせない自分を責め続けていた。
「螺希……」
今、ここで彼らに同情していても何にもならない。
ただ、無残に四人共殺されてしまうだけだ。
弱々しく涙する螺希の姿にそう心に言い聞かせて穹路は立ち上がり、グリーフへと一歩進み出た。そして、再び銃を構え、ただ何も考えないよう機械的に撃つ。
肉片が飛び散るのを見て、何より僅かな時間だったが確かに同じ教室で共に学んだクラスメイトの呻き声を聞き、涙が目に浮かび視界が揺らいでも唇を噛み締めて耐えながら、ただ闇雲に撃ち抜く。ひたすら撃ち続けた。
「よし……これなら、何とか」
援護を受けて持ち直した武人が、竜也だったグリーフの脇腹に一撃を入れる。
と、彼は何かに気づいたように切り裂かれたそこを見据えた。
「見つけた」
そして、凄絶な笑みを浮かべながら武人が呟く。
「先生。これでさよならです」
一気に対象の懐に入り込んだ武人はその腹部に深々と槍を突き刺すと、一気に薙ぎ払った。一瞬遅れて、その切っ先によって抉り取られ、破壊されたティアが床に転がり落ちる。
ティアを失ったグリーフは一時的に身動きを止めていた。
その一瞬の隙を見逃さず、武人は相手の四肢を切り離した上で首をはねた。
そこまですれば、ティアと共に再生能力を失ったそれは、如何に生命力が強かろうと何もできないだろう。そう思った瞬間――。
「望月君! 余所見をするな!」
武人がそのままの体勢で切羽詰ったように叫ぶ。
「え?」
ほんの僅かな間、彼に意識を向けていたせいで、穹路は振り返るまで自分を狙ってグリーフが正に爪を振り下ろそうとしていることに気づけなかった。
回避。それが最も適当な行動だっただろう。
しかし、このような場に慣れているはずもない穹路に咄嗟に避けることなどできる訳もなく……。
愚かにも、両手を前に出して体を硬直させることしかできなかった。
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