第15話 強制起動

「あ、先生」


 授業が終わり、教室を出ていこうとする琥珀を呼びとめる。


「ん? どうしたの?」

「ちょっと質問があるんですけど」


 そう穹路が言うと琥珀は頷いて質問を促してきた。


「その、教科書を見ていて思ったんですけど、何でグリーフには鳥類と魚類を由来としていると思われるものがないんですか?」

「……穹路君。確かに私は後で教科書を見ておいて、とは言ったけど、授業中に見て、とは言ってないよ?」


 琥珀は溜息をついて少し困ったような声を出した。


「す、すみません」

「ま、少しぐらいはいいけどね。でも、いいところに気がついたね」


 一転して嬉しそうに口元を緩める琥珀。


「魚類については、まあ、水の中だから余りグリーフ化してないの。淡水魚には影響が出てるのもあるけどね。教科書には載ってないだけで。でも、鳥類については別。これもグリーフの謎の一つなの。鳥類の数は激減してるし、どう考えてもグリーフ化した鳥達がどこかに必ずいるはず。なのに報告されてない。それは何故か」


 琥珀は一呼吸置いてから続きを言葉にした。


「これはあくまで私の推測だけど、他のグリーフとは設定が違って、本能的に人間から隠れてるんだと思う。多分、ドラビヤの目的に必要だったんでしょうね」

「目的、ですか?」

「うん。まあ、ドラビヤは消去されたらしいから、結局その目的は分からずじまいだけどね」

「でも、隠れてるって、食料とかどうしてるんですか?」

「グリーフは土さえあれば、自分で栄養素を作れるの。ティアの分解再構成という機能の一部分を肉体維持のために取り込んだ、って感じかな」


 つまり食料が足りなくなって共食い、とはならないようだ。

 ならば、人間の手で駆逐しなければ、増えていく一方だ。

 この存在は確かに人類にとって大きな脅威だと改めて認識させられる。


「……成程、ありがとうございました」

「いやいや、教師の務めだから。ま、ちょい面倒臭いけどね」


 前髪の下でウインクでもしていそうな悪戯っぽい声を出し、琥珀は背中越しに手を振りながら教室を出ていった。

 そんな彼女を見送ってから、穹路は自分の席に戻った。


「先生と何の話してたの?」


 と、毎度のことで螺希のところに来ていた翠に尋ねられる。


「いや、グリーフについて質問してたんだ」

「へえ、穹路君、勉強熱心だね」

「ま、まあ、なるべく早くこの時代に適応したいから」


 翠の称賛にくすぐったさを感じながら、穹路はそう返答した。


「ところで、相坂さんのティアって連関型なんだよね?」

「そうだけど。それがどうかした?」

「ちょっとお願いがあるんだけど。また、少し見せてくれないかな?」

「んー、ま、別にいいよ」


 翠は笑顔で頷いて、ティアをスカートのポケットから取り出した。


「あ、でも、起動しちゃ駄目だよ? あたしのってお父さんが使ってた奴で、武装プログラムが書き込まれてるから」

「武装プログラム?」


 言葉の意味から何となく想像はできたが、確認のために螺希へと視線を向ける。


「起動するとグリーフを掃討するための武器にティアを再構成するプログラムのこと。所持には許可証が必要で、基本的に街の中で起動することは禁止されてる。学校では実技の時だけ許されるけれど」


 つまり、旧時代で言えば銃刀法違反になるようなものが再構成されるプログラムと言うことらしい。

 螺希は一瞬躊躇うように目を伏せた後、更に言葉を続けた。


「翠のお父さんはグリーフの駆除を仕事にしてたから」

「五年前に死んじゃったけどね」


 螺希の逡巡に全く気づいていないように、そして、螺希の言葉を欠片も気にしていないように翠はそう言いながら苦笑した。


拭涙師しょくるいしと呼ばれてるそれは、この時代でとても重要で、最も危険な仕事なの」


 琥珀の授業でグリーフの概略を聞いただけでも、危険性の一端は感じられる。

 それに挑むのは猛獣に生身で突っ込むようなものだ。

 しかも、ライオンやトラ、クマなどなら銃を持ち出せば何とかなるだろうが、グリーフ相手ではティアで武装してようやくスタートラインに立てる程度なのだろうから、最も危険と言うのも過言ではない。


「立派な人だったんだな」

「んー、あたしはお父さんを尊敬してるけどね。別にそれを仕事にしてるから皆が皆立派って訳じゃないよ。危険な分、かなりいい生活もできるから目指す人は多いし。ま、人気ナンバーワン職業は拭涙師じゃなくてプログラマーだけどね」

「理系だと大体プログラマーを目指すの。私もそう。でも、中には自分でプログラミングできる拭涙師を目指して理系に来る人もいる。勿論、一般的な職業への道もあるけれど」

「例えば、桐生君なんかはそういう風になりたいみたい」


 武人に聞こえないように注意しているのか、翠は心なしか声を潜めていた。


「そうなの?」


 螺希は初めて聞いた、という感じで微妙に驚いた声を上げた。


「さすがは翠。知識だけじゃなく、好きな人の情報もしっかり集めてるのね」


 少しからかうように言う螺希に、翠はやはり顔を激しく紅潮させた。


「と、ともかく今は起動しないでね? はい」


 それを誤魔化すように言いつつ、翠は父親の形見のティアを手渡してくれた。

 これのリンク機能が問題なのか、と思いつつ、穹路はそれを落としたりしないように注意しながら丁寧に受け取った。

 その瞬間。

 正に彼女のティアが手に触れた刹那、穹路の思考は真っ白に染まり上がった。


「え?」


 それに対する驚きによって発せられた間抜けな自分の声が耳に届く。


「って、ちょ、言った傍から!」


 そして、次に聞こえてきたのは翠の焦ったような声だった。

 それで我に返り彼女の視線の先、手の中にあるはずのティアに目を向ける。

 しかし、その手に握られていたのはビー玉のような球体ではなく、無骨なまでに大口径のリボルバーだった。

 そのフレームはこの時代の特殊な素材に設定されているのか、かつて見たことがないような不思議な輝きを放っている。


「穹路君、早くプログラムを停止させて!」

「で、でも、どうやって」

「そう念じればいいから!」


 酷く慌てた翠に言われた通り、必死に止まるように念じる。

 すると、リボルバーは何事もなかったかのように青く輝くティアに戻った。


「はあ、もう、焦ったよ……」


 原因は全く分からなかったが、ぐったりした様子の翠の姿に、穹路はとにかく申し訳ない気持ちで一杯になった。

 翠の叫び声はクラス全体に響いていたはずだが、クラスメイトはこの違法行為を無視してくれているようだ。

 穹路がクライオニクスから目覚めたばかりの人間であるという事実のおかげか。


「ご、ごめん、相坂さん」


 謝りながらティアを翠に返す。

 彼女はそれを大事そうに両手で包み込んで、ホッと一つ息を吐いた。


「ん……いいよ。大事にはならなかったみたいだし。許してあげる」


 それをポケットにしまって顔を上げた翠の表情はいつも通りの笑顔だった。

 内面が表情に出易い彼女なので、それで本当に許してくれたのだと確信できて一安心する。


「翠」

 しかし、一息ついた穹路と翠とは対照的に、この騒動を黙って見守っていた螺希の声と表情には緊張の色が滲んでいた。


「ど、どうしたの? 螺希」


 そんな螺希に戸惑ったように翠が尋ねる。


「ちょっと翠のティアを貸して欲しいの」

「え?」

「さっきの、穹路の意思とは関係なく勝手に起動したように見えたから。何かまずいところがないか調べさせて」

「う、うん」


 翠は鬼気迫る様子の螺希に半ば強制されるようにして、一度スカートのポケットにしまったティアを再び取り出した。そして、そのまま螺希に渡す。


「放課後には返したいから、二人共しばらく話しかけないで」


 螺希はそう簡潔に言うと、パソコンを机の中から、ティアを填め込むような窪みがあるUSB接続の機器を鞄から取り出した。

 そして、即座にパソコンを起動し、ティアをアダプターに固定すると黙々と何かの操作を始めてしまった。

 穹路は翠と顔を見合わせてから、螺希に視線を戻した。彼女は完全にその作業に没頭しているようで、話しかけても反応しそうにない。

 そうこうする内に授業開始の鐘が鳴り、翠は慌てて自分の席に戻っていく。

 それから授業が始まっても螺希は教師の話を無視して作業を続けていた。

 申し訳程度には、内職がばれないように偽装工作を施しながら。


 そのおかげか、それとも成績学年一位という肩書きのおかげなのか、あるいはその教師が余り気にしない性格だったのかは分からないが、ともかく授業中螺希が注意されることは結局のところ一度もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る