第4話 日本第一区画

 緩やかに流れる景色の中にありながら、位置関係のせいで不動に見える塔を忌々しく眺めながら、螺希は区役所を目指すバスに揺られていた。

 それはまるで天を切り裂くようにそびえ立っており、風景を縁取る四角い窓からそれを見ると実際に空を二分している。

 東京湾に浮かぶ超大型浮体式海洋構造物、いわゆるメガフロート上に建てられた軌道エレベーター天橋立あまのはしだて

 その光景が同名の日本三景を彷彿とさせるため、と言うには余りにも人工的で直線的だが、ともかくそれが名前の由来だ。

 軌道エレベーターとは地表から静止軌道以上まで伸びたエレベーターのことで、スペースシャトルに比べ、安全性、エネルギー効率などの面で優れている。

 穹路が眠りにつく前の時代ではまだ実用化されてはいないだろうが、構想自体はあったはずだ。

 現在では一般的な素材に過ぎないカーボンナノチューブもその頃に登場し、ようやく机上の空論から一歩現実へと踏み出したところか。


 ここが未来だと教えたため、単に軌道エレベーターを見ただけでは穹路も余り驚かないかもしれない。しかし、それが日本のこの辺り、旧時代で言うところの東京にあることを知れば、驚いた顔を見せてくれるだろう。

 何故なら、軌道エレベーターは赤道上に建てるのが最も簡単であり、それが普通だったからだ。その理由はケーブルにかかる張力が最も小さく済むためだ。

 赤道から南北三五度の地点で建設の適性が約五〇%だったはずだから、北緯三五度の旧東京は丁度その程度。最適な条件ではないのだ。

 旧時代では赤道に何基もの軌道エレベーターが建設され、最終的にはオービタルリングという形にまで改良されていた。

 が、赤道に建設するという前提のために、日本は他国と軌道エレベーターを共有するしかなかった。

 そのため、本来は難しい国内での建設を容易に可能とする技術が望まれていた。

 とは言え、その望みは、あったらいいな、程度の軽いものだったのだが。

 しかし、それを可能とする技術は、望まれるままに生み出されてしまった。

 それがいずれ旧時代に終焉をもたらし、多くの人々を死に至らしめ、無数の悲しみを世に振りまくことになるとも知らずに。

 螺希は胸元に光る黒い宝石にも見えるそれを摘み上げ、静かに溜息をついた。


 一般的にティアと呼ばれているそれこそが、全てに変革を与え、数多くの被害を生み出した元凶となる技術の結晶なのだ。

 だが、所詮技術は技術でしかない。結局、扱う人間が愚かだったのだ。

 旧時代に建設された軌道エレベーターは、もはやこの一基しか残っていない。

 他は暦がSAに変わる契機となった事件で、文字通り塵と化して消えてしまった。

 最後に残るあの軌道エレベーター天橋立は過去の栄光の墓標であると同時に、人間の愚かさの象徴と言っていい。

 にもかかわらず、それに縋りつくようにして周囲にはビル群が建てられている。人々は旧時代の繁栄を懐かしみ、それを取り戻そうとしている訳だ。

 それは結局、人間は何もかもを繰り返す存在に過ぎないことを示しているように螺希には思えていた。繁栄も、同じ過ちも。

 だから、それ以上、現在では常となっているその光景を見ていることを厭い、バスの中へと視線を戻して姿勢を正す。


 二時を少し過ぎた頃のバスは平時とほぼ変わらない客層、そして、混み具合だ。

 それは今日が春休み最後の日でも全く関係ないし、時間帯も影響しない。

 この時代、この区では通学に公共交通機関をほとんど利用しないのだから。

 日常的にバスを使用する人と螺希のような僅かなイレギュラーがいるだけ。

 次の停留所が目的地である旨がアナウンスで伝えられ、停車ボタンを押す。

 程なくしてバスは緩やかに停留所に停車した。

 予め用意しておいた料金を支払ってバスから降りると、すぐに春の柔らかい陽気が全身を包み込んでくれる。が、ここ、区役所の前にあるのはほとんどが人工物であるため、視覚的には全く味気がなかった。


 日本第一区画の区役所。

 区役所と言いながらも、旧時代における東京都庁に相当するレベルの役所だ。

 現在、日本には三六区画が存在し、それぞれが独自の形で自治を行っている。

 当然日本として大まかな方針は共有しているが、かつてあった国会は消滅しており、区長議会が暫定的に立法の役割を担っている。

 権限は名目上各区画に平等らしいが、実際はこの一区が強いようだ。

 区役所に入っていくと、事前に、とは言っても数分前にだが、緊急の用事と連絡しておいたため、螺希はすぐに目的の人物と会うことができた。

 その人物とは分不相応にも現在の一区の区長を務めている伯父の逢瀬則行だ。

 則行に区長室へと通され、そのソファーに座る。一応の礼儀として、家を出る時に着てきた薄手の上着を脇に置いて。


「螺希、私はこれでも忙しい身なんだ。急な呼び立ては勘弁して貰いたいな」


 グレーのスーツで身を包み、平均より高い身長のスラリとした立ち姿は四〇代後半にもかかわらず、非常に若々しい。

 最近、老眼が進んでいると嘆いていたが、デザインのおかげかスッキリした形状の老眼鏡はむしろ知的な印象を醸し出していた。

 彼はテーブルを挟んで螺希の向かい側に足を組んで座り、言葉を続けた。


「しかし、珍しいな。君が私に頼みごとをしに来たのはこれで二度目だったか。前は真弥の付属小学校への進学について万が一の時は、というものだったが。まあ、あれは真弥自身の学力も君同様非常に優れていたから、必要なかったがね」


 だが、穹路が空から降ってきたことで再確認したことだが、世の中何が起こるか分からないものだ。

 真弥の学力は勉強を教えていた螺希が一番理解していたが、小学校の入学試験は学力以外の要素も大きいため不安だったのだ。今その話は関係ないが。


「一つお願いがあるの」

「内容によるが、とりあえず聞こうか」


 螺希は穹路のことを説明し、一先ず彼の住民票を作り、この時代に適応するための教育を自分と同じ学校で行えるように頼んだ。当然、彼の身の安全も。

 話の途中、穹路が空から落ちてきた時の庭での凄惨な光景を思い出し、一瞬気が遠くなりかけたが、何とかその時のように気を失わずに済んだ。

 昔からとは言え、血に弱いのは女性としては中々致命的かもしれない。

 そんな螺希の様子には気づかず、則行は目を瞑ったまま腕を組み、黙って一連の話に耳を傾けていた。そして、彼は螺希の言葉が終わると同時に目と口を開いた。


「空から、か。そんな怪しい者を匿って益があるのか?」

「ある。あの再生力には確実にティアが絡んでるはずだから。裏に何があるかは知らないけれど、少なくとも保護と監視は必要。それに彼自身の人格には特に問題ないと思う」


 穹路に向けられた真弥の無邪気な笑顔を思い出す。

 真弥は基本的に直感的な物事の判断の仕方をするが、それが的外れだったことはほとんどない。それに、こと相手の悪意に対しては別の理由で敏感に察知できる。


「保護も監視も私達に任せればいいじゃないか」

「ティアに関わることだから、私が何とかしたいの」


 螺希は則行の目を真っ直ぐに見据えた。

 彼に自分達が匿うと言った以上は、他人に任せる訳にはいかない。


「君がそこまで言うなら、まあ、いいだろう。……しかし、一体どこからそのクライは沸いてきたのか。新たな遺跡は発見されていないというのに」


 ポツリと呟かれた則行の言葉に螺希は眉をひそめた。

 単純にクライオニクスを略しただけのその呼び方。しかし、それは社会復帰した被験者への蔑称として一時期使われていたものだ。

 人口問題に喘いでいた当時を考えると、差別的な感情が生じるのも無理もないことかもしれない。

 現在では余り聞かれなくなったが、それは社会全体にとって彼らが様々な意味で必要な存在となったからだろう。真弥の言う通り現金過ぎる理由だが。

 しかし、冷凍保存状態にある人々を実際に管理している役人や、社会復帰のための教育を施す施設の職員の中にはその呼び方は未だに残っているらしい。

 則行は螺希の厳しい視線を受けて、小さく嘆息した。


「あれの処理は中々面倒でね。つい侮蔑的に呼びたくなる程に。しかし螺希。常々言っていることだが、君はもう少し愛想をよくした方がいい。そんなことだから、彼氏の一人もできないんだ」

「……そんなの余計なお世話。祖父の遺産を勝手に自分の出世と保身のために使ってる人に言われたくない」


 その螺希の言葉に則行は顔を僅かに背け、押し黙ってしまった。

 彼が区長の職に就けたのも、全てそのおかげだからだ。

 螺希の両親は既にこの世にいない。

 則行は母親の兄だが、祖父と血が繋がっているのは螺希と真弥だけ。

 祖父の遺産は本来二人のものだ。だが、現在二人は未成年なので、則行が祖父の遺産を管理する後見人となっている。

 つまり彼は後見人としての責務を全うせず、それを自身の立身出世のために勝手に利用してきた訳だ。


「それを黙認して上げてるんだから、私の望みの一つや二つぐらい叶えてくれてもいいでしょ?」

「全く……君は怖いな。君のお祖父さん、想永そうえい博士のことを思い出すよ」


 そう則行に言われ、螺希は顔をしかめた。

 死んだ祖父は自分の望みを果たすためなら、手段を選ばない男だったと聞く。

 行方不明の祖母も彼に人体実験されたという噂があるくらいだ。ただ、残した功績のために一般的には偉大な人物とされているのだが。

 ともかく、そんな祖父に似ていると言われ、螺希は耐えがたい程不快に思った。


「そこまで君が表情に出すとは、余程博士のことが嫌いなんだな。彼の遺産のおかげで私達は裕福に暮らせているというのに」


 螺希は則行の言葉を聞きながら胸元のティアを強く、自分の掌に爪の跡が深く残ってしまうぐらい強く握り締めた。

 祖父、望月想永によって発明されたティア。既存の技術を凌駕するその力によって、確かに莫大な財産は残された。

 しかし、それが奪ったものもまた計り知れない。その中には螺希の父親も、そして恐らく母親も入っている。

 螺希は少しの間目を瞑って心を落ち着かせてから、握った手を開いた。

 案の定、爪の跡がくっきりと掌についていた。


「……私達はともかく貴方は寄生虫みたいなものでしょ?」

「そうだな。しかし、寄生虫の中には宿主に利をもたらすものもある」


 シニカルな笑みを浮かべながら言う則行に、螺希は深い溜息をついた。

 この男は本当に屁理屈だけは一級品だ。しかし、その程度は頭や口が回らなければ、いくら金があったところでここまでの地位を得られはしなかっただろうが。


「とにかく、穹路のこと、頼んだから」

「ああ、それはいいんだが、名前だけでは書類を作りようがない。他の部分は全てこちらに任せて貰えるなら、それはそれでいいが。できれば他の情報も教えて貰えると助かる」


 螺希はそれで今更ながら、穹路から名前以外のことを何も聞いていなかったことに気づいた。

 クライオニクスの説明を長々としていたせいか、すっかりと忘れていた。


「……名字は望月にしておいて。年齢は私と同じで。住所も同じでいいから。後は違和感がないように適当にやって」

「年齢や住所はいいが、名字はそれで本当にいいのか?」

「少し苦しいかもしれないけれど、同じ名字の方が周りの人に彼の説明をする時、先祖の親戚とか誤魔化すこともできるから」


 居候させる理由にも、特別扱いして同じ学校に通わせる理由にもなるだろう。

 逆にその名字を重荷に感じてしまうことがあるかもしれないが、その時はその時。

 匿うと決めた以上は、その名も利用して守るだけだ。


「そうか……まあ、君の言う通りにしておこう。どうせ、私が後見人になるんだ。君達と一纏めで管理できるようにしておいた方が楽ではある」

「そう、じゃあ、よろしく」


 螺希はソファーから立ち上がり、上着を羽織って部屋から出ようとした。


「そうだ。螺希。一つ面白い話があるんだが」


 そこへかけられた則行の言葉にその足を止める。


「何?」

「実は上から穹路君のことだろう少年を捜索するよう要請が来ている」


 そう言いながら則行は視線だけを上に向けた。

 彼の言う上とは文字通りの上、つまり天橋立のさらに先のことのようだった。


「天の御座みくらから?」


 自分で言って、その馬鹿馬鹿しい名称に忌々しい気持ちになる。

 天橋立の先、静止軌道上に存在する人工衛星、天の御座。宇宙を神の座としていた昔の考えからそのように名づけられており、滞在施設と低重力下での様々な実験を行うための研究施設を備えているそうだ。

 この時代の誰もがその名は知っているはずだ。ほとんどの人々は凄惨な体験の記憶と共に、まだ幼い子供達でも歴史的な悲劇の知識と共に。

 現在では軌道エレベーターを含めて一般人の立ち入りは禁止されており、そのため、ティアに関する怪しい研究が行われているという噂が一人歩きしている。

 区による調査では何てことない低重力下の実験が行われているそうだが、悪い噂は絶えない。

 だが、則行に示されたその情報が伝えようとしているのは一体何なのか。

 まさか、穹路がそこから落ちてきたとでも言うのだろうか。

 あり得ない。常識的な考えから打ち消そうとするが、あの驚異的な再生力を目の当たりにしては可能性がないと断じることはできなかった。


「だが、君に穹路君の安全も頼まれたからな。それは私が止めておこう。隠れて何をやっているか分からない科学者連中の要請など無視すればいいだけのことだ」


 則行の言葉に少し安心するが、螺希は嫌な予感のようなものを抱いていた。

 穹路が自分のところに現れたのは何かの始まりを暗示しているのではないか。

 あるいは、かつての忌まわしい出来事が繰り返されてしまうのではないか、と。


「彼ら自身に捜索能力などないのだから、穹路君もそうだが、周囲の人間が危険に巻き込まれるようなこともないはずだ。穹路君自身が危険な存在でもない限りは」

「なら、多分大丈夫」


 少なくとも穹路自身はただ単に長い眠りから目覚めさせられただけの過去の人間と見て間違いない。

 そして、真弥の彼に対する態度とは関係なく、螺希自身、話をした限りでは彼が悪い人間だとは思えなかった。

 もし万が一穹路が真弥の信頼を裏切るようなことがあれば、その時はそれ相応の対応をすればいいだけのことだ。

 昔とは違い、今はその程度の力は持っているのだから。

 真弥も最低限自分の身を守れるぐらいの力はある。

 螺希はそう考えながら、再び真弥とお揃いのネックレス、そこで静かに揺れているティアに僅かに触れた。


「いや、呼び止めてすまなかったな。君の望みはすぐに叶えよう。今日の内に学校にも連絡しておく。明日、始業式から登校できるようにな」

「そう……ありがとう」


 そして、心の片隅に生じた不安を隠しながら、螺希は今度こそ部屋を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る