第13話 人の道

 それから少しの間、会話をする雰囲気ではなくなり、三人共弁当に集中した。

 翠に揶揄された螺希の手作り弁当は三つの箱に分かれていて、一つは御飯。一つはおかずで内容は卵焼きに鳥の唐揚げ、タコさんウインナー、アスパラガスのバター焼き。一つはデザートとしてウサギに切られたリンゴが入っていた。

 どれも冷凍食品などではなく正真正銘の手作りで、正に至れり尽くせりだ。翠がからかいたくなるのも理解できる。

 螺希の手料理は既に家でも数回食べているが、昔の料理と雰囲気は大きく変わらず、しかし、螺希の腕前のおかげか好みの味つけだった。

 やはり料理というものは、研究の対象にもなっているかもしれないが、それとはまた別に人の記憶に大きく依存するものなのだろう。

 多少の変化は当然あるだろうが、伝統的な形式が完全に途切れることは余程のことがなければないに違いない。

 例えば、世界の環境が激変して食材自体に大きな変化でも起きない限り。


 しかし、先程のティアについての説明から考えると、合成栄養素のようなものも容易く作り出せそうだし、新しい食材も簡単に生み出せそうだ。

 そうなれば、料理の雰囲気も一変するかもしれない。

 有機化合物は無機化合物に比べ、それを構成する原子の数は非常に少ないが、化合物の種類は果てしなく多い。そして、身の回りに多く存在するのは有機化合物。ティアを用いれば、新たな食材を作り出すのも不可能ではないはずだ。

 とは言っても、それについてはあくまでも人間側の選択だろうが。

 そういうことまで考えてみると、改めてティアという技術の汎用性には恐ろしさすら感じる。感じて、食事時に態々考えることではないか、と穹路は苦笑した。


「螺希、美味しかったよ。ありがとう」

「うん」


 きっちり平らげて空の弁当箱を螺希に返すと、彼女はどことなく嬉しそうに微笑みながら弁当箱を受け取った。


「うーん、やっぱりそういう表情すると余計に螺希って可愛いよね? 穹路君」

「え? そ、そうだな」


 反射的に穹路がそう言って頷くと、翠はにやりと意地悪そうに笑った。


「ほら、螺希。穹路君、螺希のこと可愛いってさ」


 その笑顔のまま話を振る翠に、螺希は珍しく顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 翠はそれを見てにやにやと嫌らしい笑みを続けながら立ち上がって椅子を元に戻し、弁当箱を自分の机の鞄にしまいにいった。

 そして、また戻ってきて螺希の机の傍に立つ。

 その間に少々微妙な雰囲気を誤魔化すように、穹路と螺希は机を離した。


「で、でもティアって凄い機能だよな。俺から見れば、もう魔法みたいだった」

 その空気をどうにかするために、穹路は話題を変えようとそう切り出した。

「うん、まあ、あたしでもちょっとそう思うけどね」

「これがあれば、ダイヤモンドとかも作り放題なんじゃないか?」


 螺希と翠は穹路の言葉に顔を見合わせて小さく笑った。

 螺希のその表情は、直前のやり取りで箍が外れていたのか、先程にも増して眩しく感じられるはっきりした笑顔だった。


「ダイヤモンドなんて今や金銭的な価値はほとんどないの。穹路の言う通り、炭素なんてそこら中に存在するから原子配列変換を行えばいくらでも量産できる。そうすれば、価値なんて下がるでしょ? 天然かどうかなんて自己満足以外の何物でもないことだし」

「その他の宝石だって同じようなもんだよ。例えばサファイアやルビーはコランダム、つまり酸化アルミニウムの一種で、サファイアは鉄とかチタンが、ルビーの方はクロムが不純物として入ってるだけだし。エメラルドやガーネットはケイ酸塩鉱物だったよね?」


 翠が確認するように螺希に尋ねると、彼女は小さく頷いた。

 そういう風に言われると、宝石もまた単なる化合物の一種にしか思えなくなる。

 と言うか、全ての物質がそうなのだが。


「ティアとそのためのプログラムさえあれば簡単に作れるから、工業的な素材としての価値はあっても、装飾品としてはそこら辺の綺麗な石っころと変わんないよ」

「特に普通のダイヤモンドはもう素材としても余り作られてないの。それよりむしろカルボナード・ダイヤモンド、通称黒ダイヤの方が多く作られてる。靭性の点で遥かに優れてるから。普通のダイヤモンドはハンマーで叩けば砕けるし」

「ああ、そう言えば」


 昔テレビでダイヤモンドが簡単に砕かれるのを穹路も見たことがあった。

 ダイヤモンドが優れている硬度とはモース硬度に代表される摩擦や引っかきに対する強さのことで、それは衝撃に強い、つまり靭性に優れている訳ではないのだ。

 まあ、実際にテレビでそれを見た瞬間は正直、そんな学術的な驚愕よりも勿体ないという俗っぽい気持ちの方が遥かに強かったのだが。


「でも本当に凄いな。ティアって。人類の進歩はここまで来たかって感心するよ」

「進歩、か」


 穹路の言葉にそう呟いて、螺希は表情を難しくした。


「螺希? どうしたんだ?」

「螺希は進歩って言葉が余り好きじゃないから」

「……何で?」

「人間は人類の進歩のために生きている。進歩しようとしない存在など人間ではない。それが私の祖父の口癖だったそうだから」


 忌々しそうな螺希の口振りには、想永博士を快く思っていない彼女の気持ちが滲み出ていた。血縁であることを恥とでも考えていそうな雰囲気だ。


「祖父が何故ティアを作ったと思う? それは更なる進歩を目指すためよ」

「どうして、そう言えるんだ?」

「ティアという名前。それは色や形状が涙を連想させるからだと言われてるけれど、本当は違う。ただ祖父の研究資料の中にあったt.e.a.rという文字をそう読んだから。涙云々の理由は後からつけ加えただけなの」

「それは、どういう意味なんだ?」

「to evolutionally anthropological revolutionの頭文字で、進化主義人類学的な革命に向けて、とかいう意思表示。祖父は人間のより優れた進化を追い求めてたの。さっきも言った通り、それこそ人間の道だと祖父は考えてたから」


 螺希はそこで一つ大きく溜息をついて、小さく首を振った。


「でも、私はそう思わない。それはただの獣の道。人間固有の道じゃない。そして進歩は正しいことでも間違ったことでもない、そのどちらでもないものよ。単なる前進と後退の内の前者を表してるだけで、優劣は意味を成さない。ただ上も下もない平坦な道を進んでるだけのこと」

「でも、確かに歴史の中で人類は進歩してきたんじゃないのか?」

「優れた方に向かったという意味でそれを使うなら、危険な考えになりかねない。軍事力が強いだけで自国の文明が優れてると勘違いした旧時代の欧米のような」


 旧時代と言われ、その当時の知識を頭に思い描く。

 文明化されていないとされる集団の中にも、実際は文明化された集団と同様の構造がある。そんなようなことをどこかの社会人類学者が言っていた気がする。

 先住民を未開の人間であり野蛮だとして自分達より劣っていると見なし、殺戮したり、強制的に自国の文化に組み込んだりすること。

 むしろそれこそが野蛮な行為に他ならないのだ。


「例えば進歩を一番象徴するのは科学技術だと思うけれど、人間がそれによって生み出してきたと信じてるものに大きな意味はないと私は思う」

「ま、まあ、これはあくまで螺希の考え方で、結構きつい部分もあるから、話半分でいいと思うよ?」


 翠が苦笑いしながら話に割り込んでくる。恐らく彼女は、螺希は祖父への反発によって思考が少し極端になっている、と言いたいのだろう。


「新しい技術を生み出す度に人は不可能を可能にした、なんて馬鹿みたいなことを言ってるけれど、この世界にある技術は全てできるからできたものに過ぎない。世界として不可能なものは、どれだけ努力しても不可能なまま。最初から世界の中に結果があるの。それと同じように人間の可能性にも人間の設定という限界がある」


 しかし、翠は話半分でと言うが、螺希が言っていることは自明のことだ。

 結局のところ物理法則、少々胡散臭い言い方をすれば神が定めた理法を覆すことなど人間如きにはできないのだから。

 人間である以上、人間という限界がいつもついて回り、あらゆる技術は人間の限界の中で物理法則に従って生まれるのだ。


「これまで多くの科学者が法則を発見したとか騒いできたけれど、それも同じ理由で大した意味はない。法則は宇宙が誕生したその時からそこにあったんだから。例えば素粒子を新たに観測できたからといって、その瞬間に素粒子が新しく世界に生み出された訳じゃないでしょ? もしそうだったら、存在は認識に依存することになる。科学者は普通、唯識論者じゃないはず」

「でも、それは――」

「発見、進歩、そんなものは幻想。マクロな視点で見れば。勿論人間という限定されたミクロな視点で見ればそう言えなくもないかもしれないけれど」


 螺希の言いたいことは理解できなくもなかったが、穹路にはどことなく納得できるものではなかった。

 ある意味、進歩を神聖視し、信仰していたと言っても過言ではない時代に生きていたからかもしれない。


「人類という存在の目的を進歩だと言い、象徴的に科学を発展させてゆく。でも、それは結局人類から希望を奪うもの。最終的に自らの、そして、世界の限界を知るだけだから」


 螺希は人類という言葉を特別強調しながら言った。


「それなのに私の祖父はティアという技術を生み出してしまった。技術の進退、取捨選択は人の心の変化と共になされるべきなのに。技術だけが先走れば、心を歪めてしまうのは想像に容易い。勿論便利だからというだけで、何も考えずに享受する私達にも問題はあるけれど。でも、一番は心を置き去りにして技術だけを見て、進歩が正義と信じて疑わない愚かな科学者」

「科学者が悪者みたいに言うんだな」

「そうは言ってない。全ての科学者がそうじゃないとは思ってる」


 琥珀みたいな人もいるし、と螺希は呟いた。


「何にせよ、人間には心があるということ、そして、自分と異なる考え方を持つ他人も確かに存在することを、私達は忘れてはいけないと思う」


 それは分かる。

 その異なった考えを最終的に肯定するか否定するかは別にしても、それが確実にそこにあることだけは最低限心に留めておかなければならないことだ。


「でもさ、人間は全ての可能性をその手に掴むことができるぐらい技術を進める前に滅んじゃうんじゃないかな」


 翠はどこか皮肉げにおどけて言ったが、螺希は胸元のティアを強く握り締めて表情を翳らせた。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。世界に許されてるもの、人間に可能なものが全て実現する可能性はどんなに低くても確かにあるから。ともかく私はこの平坦な道を進むことも、立ち止まることも、そして、時に後戻りすることすらも、その全てができてこその人間だと思う」


 螺希は優れた方向へ進むという意味での進歩という言葉を嫌うだろうが、その意味でそれを考えても、やはり螺希と同様のことが言えるのかもしれない。

 進歩というものは結局のところ、そこにある全ての命にデフォルトで備えられた設定なのだ。

 どのような生命もその速度の差はあれ、生物学的に進化し続けている。

 それの向かう先はその種自体にも分からないし、主観的にそれで優れた方に向かったと感じるかは別だが。

 その意味でも、単純に技術を進歩させているだけでは獣同然なのだろう。

 現在の状態を維持することも、状況に応じて退化させることすらできて、人間はようやく自分自身を特別と言えるのかもしれない。

 そう真剣に穹路が考えていると、昼休み終了五分前を告げる予鈴が鳴り響いた。

 その瞬間、翠が露骨に嫌そうな表情を見せ、つい顔が綻んでしまう。


「もう。穹路君、笑わないでよ。穹路君だって昼休みが終わるの嫌でしょ?」


 翠はその表情のまま唇を尖らせ、何とも言えない面白い顔になってしまっていた。

 そんな翠を前に吹き出してしまうのを穹路は何とか耐えて口を開いた。


「ま、まあ、でも昼休みが終わらないことには放課後は来ないからな」

「うーん、それもそうなんだけどね」


 翠はその面白い表情をやめて、同意するように深く頷いた。


「二人共、そんなに授業が嫌なの?」


 そのやり取りを見ていた螺希に、呆れたように言われてしまう。


「俺は必要だから嫌とは言えないけど、一般的に好きだって胸を張って言える人は少ないんじゃないか?」

「そうそう。螺希だって好きって訳じゃないでしょ?」

「それは、普通、だけれど」

「授業についていけてない人は言わずもがなで嫌。普通ぐらいの人は結局のところ普通だろうし。完全に理解できてる人にはつまらない。授業っていうものは嫌なこと、つまらないことへの忍耐力を高めるためにあるとあたしは思うけどね」


 翠の意見に深く賛同して、穹路は二度頷いた。

 好きな教科の授業に対しては好ましく思うこともあるかもしれないが、授業一般については翠の言う通りポジティブな感情は持ち辛いだろう。

 それに知識欲は自分でも満たせる。

 授業はそのために絶対的に必要なものではない。


「勉強っていうのはね。勉めることを強いるって書くんだよ」


 翠は仰々しく作ったような口調で言った。

 そんな彼女の口振りが余りにわざとらしく滑稽で、穹路は螺希と顔を見合わせて小さく笑い合った。


「って、うわ、本鈴だ」


 そうしていると、翠の言葉通り授業開始のベルが鳴り始め、彼女は慌てたように自分の席に戻っていった。

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