第12話 落涙の日に失われたもの
「あー、もう。やだね。年末の試験の話なんてさ。今から憂鬱になるよ」
授業が終わり昼休みに入ってすぐ、弁当箱を持って穹路達の傍にやってきた翠は開口一番不満を言って唇を尖らせた。
「でも、それに合格しないと何も始まらない」
螺希に冷静に返され、翠は溜息をつきながら、がっくしと肩を落とす。
「それは正論だけどさ」
「でも、相坂さんもちゃんと答えてたじゃないか」
「それは、まあ、あたしの場合は知識量でカバーしないと本当にどうしようもないからね」
翠は決まりが悪そうに頬をかく。
「そ、それよりお昼、食べよ」
誤魔化すように言った翠は近くの、学食に行った生徒の椅子を引っ張ってきた。
「ほら、机くっつけて」
無理矢理穹路と螺希の机をくっつけさせた翠は二人の反対側に陣取った。
そして、机の繋ぎ目を微妙に避けて弁当箱を置く。
穹路はそんな翠の行動に苦笑いしつつ、それに合わせて椅子を動かした。
螺希もまた同様にしながら、鞄の中から弁当箱を取り出した。
「はい、穹路。貴方の分」
「ああ、ありがとう」
真横から手渡しされ、螺希に感謝の意を伝えつつ受け取る。
「いきなり螺希の手作り弁当!? 穹路君、中々やるねえ」
意地の悪い笑みを浮かべて言う翠に、螺希は恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
翠の声が大きかったせいか教室に残っている生徒、特に男子から何やら妙な視線を一瞬受けた気がしたが、きっと気がしただけだと穹路は思っておくことにした。
「穹路に食堂のあの混雑具合は多分まだ無理だから」
「あー、それは確かに。寮の生徒も多いし、その上大学生まで来ることがあるからね。大学の食堂はちゃんと別にあるのに安いからって。購買もいつもかなり混んでるし、遅れるとまともなものなくなっちゃうもんね」
翠はうんうんと同意するように頷いた。
「でも、やっぱり手作りはレベル高いよねー」
それから、やはり嫌らしい笑みで視線を向けてくる翠。
スルーしてくれれば何てことないのに、これでは妙に意識してしまう。
螺希も若干居た堪れない様子だった。
「ま、まあ、それは置いといて――」
螺希のためにも自分のためにも何とか話を逸らそうと穹路は口を開いた。
「相坂さんの弁当は相坂さんが作ってるのか?」
「え? あ、うん。まあ、ね。お母さんは仕事で忙しいから」
「共働きなのか?」
「ううん。お父さん、死んじゃったから」
「そっ……か。ごめん」
「あ、大丈夫、大丈夫。気にしてないから。大体、今の時代そんな家庭状況の子は結構いるんだよ? 悲劇のヒロインを気取るにはまだまだ悲劇度が足りないって」
そう言いながら、翠はポケットからあのティアを取り出した。
「それに、お父さんの形見もあるし。夢もあるからあたしは大丈夫」
「……翠、何度も言ってるけれど、それは――」
「うん。……これは連関型のティアで内部にはリンク機能がまだ残ってる。ただ起動してないだけで。だから、危ないって言うんだよね?」
螺希は静かに、しかし、深く頷いた。普段余り感情の出ないその瞳には、はっきりと心配の色が見て取れる。
「それは分かってるつもりだけど、やっぱり形見だから、ね」
そのティアを見る翠の目は悲しげだった。口では大丈夫と言ってはいても、やはり寂しさはあるのだろう。当然のことだ。
思えば、穹路は過去に既に亡くなっている両親に関して悲しみは抱いていなかった。実際は違うかもしれないが、遥かに昔のことなので、きっと天寿を全うしただろうという想像を心が答えとしているからかもしれない。
「でも、リンク機能だっけ? それはもう使えないんだろ? だったら、別に問題はないんじゃないか?」
穹路の疑問に螺希は首を横に振って答えた。
「問題がない訳じゃない。それは危険性を度外視すれば、確かに便利な機能ではあるから。状況に応じて必要な機能を自動的に検索して最も優れたプログラムをダウンロードし、実行することができる。正に最高の汎用性」
そこまで言って、螺希は小さく嘆息した。
「つまりその利便性にのみ目を向け、それを復活させようと思う人間がいても、不思議じゃないということ。でも、そうすれば、必ずまた落涙の日が繰り返される」
螺希は苦々しい表情で奥歯を噛み締めていた。
翠もまたその言葉は重く受け止めているようで、静かに目を閉じている。
「穹路、いい? さっき九条先生は落涙の日における単純な物理的被害だけを言った。でも、それを大した被害じゃないとはさすがに言えないけれど、私はより大きな被害があったと思う。あの先生はちょっとティアという技術を崇めてる感じがあるから言わなかったんだと思うけれど」
確かに、授業中ティアの素晴らしさを突然熱く語り始めることが何度かあったため、そんな印象を穹路も持っていた。
「私が考える最も恐ろしい被害はティアによる人間の支配、分解と――」
そこではっとしたように螺希は言葉を一旦止めた。
「ごめんなさい。調子に乗って喋り過ぎた。これは食事時にするような話題じゃなかった。次の時間は生物だから、琥珀……先生が多分教えてくれると思うけれど」
そして、そう言って螺希は申し訳なさそうに俯いてしまった。
「あ、あはは。でも、昼休みの後に生物、ってちょっと勘弁して欲しいよね」
「それは……確かに」
フォローしているようで余りフォローになっていないことを言う翠に、穹路はやや曖昧に同意した。残念ながら事実は事実だ。
「まあ、麻生先生が授業でやってくれる場所は省いてさ。他に螺希が知っておいた方がいいと思うティアの被害を教えてくれないか? さっきの先生の説明だけじゃ落涙の日がどれ程のものだったのかよく分からなくて」
余計なことを言ったと思ってか落ち込み気味の螺希に、気にしていないことが伝わるように尋ねると、彼女は表情を少し柔らかくして頷いた。
「それは……やっぱりAIドラビヤによってネットワークが支配されたことだと思う。旧時代の末期では全ての機械がネットワークに繋がってたから、必然的に全ての機械が人間の敵になったの。ライフラインも分断されて、悲惨な状況だった」
「よく聞くような話だけど、現実に起きたって訳か」
つまり、よくあるSFのような状態に陥ってしまった訳だ。いや、この時代の視点で言うなら、よくあったSF、と言うべきが。
穹路がかつて生活していた二〇二〇年を基準に進歩した未来を想像しても、当然家庭用を含めた様々なロボットが存在していたはずだ。
素人考えでも日々のアップデートが必要とされ、基本的にその全てがネットワークに繋がっていたと推測できる。
結果、多くのSFの定型通り、暴走を起こしてしまったことは想像に容易い。
「だから、今は機械にネットワーク機能はつけないようにしてるし、通信にはそれ専用の、たとえ暴走しても人間に害を及ぼさない小さな端末を使うの。パソコンも単純な文書作成やプログラミングが基本用途だし、本当に重要な情報は書類の形でも残すようにしてる。人口が増えたら、また違ってくるのかもしれないけれど」
確かに人口増加に伴って情報量が増大し、膨大なものになれば、結局は元のようにデータ化する可能性の方が高いかもしれない。必要に迫られて。
「そう言えば結局、AACSみたいなテクノロジー以外で消失した情報って一体どの程度のものなんだ? 少なくとも学問的には余り変わってないように今のところ感じるけど」
「それは、えっと……」
螺希は穹路の質問に考え込むように首を傾げながら翠を見た。どうやら例を思いつかなかったため、翠に何か例があるか視線で問うているようだ。
「例えば……そうだねえ。うーん、難しいなあ……」
しかし、翠も中々思いつけないのか、うんうんと唸っていた。
よくよく考えれば、情報すらも日々消費され、忘れられていく社会で、何が消えたかを把握するのは不可能に近い。
意図せず意地の悪い質問をしてしまったかもしれない。
「具体例は挙げられないけど、研究対象じゃなかったもの、かな。穹路君が昔と学問のレベルが変わってないように感じるのは、生き残った研究者が記憶を基にある程度再構成できたからなんだよ。AACSとかの一部のテクノロジーが失われたのは、ティアっていう埒外の汎用性を持つ技術ができたせいでオワコン化しつつあったから……じゃないかな」
「にしても、本ぐらいはなかったのか?」
「旧時代末期には本という媒体も廃れてて、ほとんどがデータ化されてたの。結果として、データとして保存されてた全ては一括で消えてしまった。その中で取り戻せたのは、人々が記憶してたものと歴史的価値が極めて高いとして保存されてた書物の一部だけ」
「あー……成程。まあ、紙だとかさ張るからな」
当時の状況を考えると人口問題に付随して土地問題もあったはずだし、保管場所を作るのも難しかっただろう。
全て電子化という方向に進んでもおかしくはない。
「そうすると、他に失われたとすれば……」
これまでの話を参考に考えてみると――。
「記録、とかかな。色々な世界の記録」
何年何月何日の天気、降水量などを始めとした日々の記録。
後は百メートル走の世界記録などもそうかもしれない。
長期間での変遷は研究対象となり得るかもしれないが、正確な数値を逐一記憶している人が多数いるとは思えない。
そうしたものは普通、記録データの検索に頼らざるを得ないものだ。
それに、万が一正確な記録を逐一覚えている人がいたとしても、態々再構築しようとは思わないに違いない。
旧時代の細かい記録など今更現在にとっては何の意味もないものだろうから。
「それは、うん、そうかもしれないね」
翠は同意するように頷いて、しかし、首を傾げた。
「でもさ、こうやって考えてみると、なくなってあたし達が本当の本当に困るような情報は消えてないってことなのかな」
この時代の人間にそう言われると元旧時代の人間としては悲しいが、研究対象にもならないものは、未来にとって別段価値などないのかもしれない。
きっとそれに価値を与えられるのは、あくまでその時代の人間なのだ。
その差異は同じ時代の枠にいる人間には一生気づくことができないもので、旧時代と今を分断するような大きな時代的、精神的な隔絶によってようやく見えてくるものに違いない。
何にせよ、今においてこそ価値があり大事にすべきものと未来においても必要だから結果として残っていくものは、どちらが重要ということではなく、きっと区別して考えなければならないことなのだろう。
「ん、思い出した。一番実害があった、だろうもの」
螺希の言葉に翠共々彼女へと顔を向ける。
「例えば預金の情報や電子マネー。あの時期には、一瞬にして一文なしになった人もたくさんいた。私自身は特に害を受けなかったから、忘れてたけど」
祖父の遺産は現物的だったから、と螺希は続けた。
「あ、それもあったねー。元々お金持ちな訳じゃなかったから、別にあたしの家も大した影響はなかったかなあ。裕福な人がどう思ってたかは知らないけど。そんなこと考えてられないぐらい大変だったし。復興が」
余りにも忙しくてぼんやりとしか覚えてないんだけどね、と翠はつけ加えた。
「ともかく、紙もデータも一長一短だけれど、少なくとも紙なら適度に分散させれば一括で消滅、なんてことは地球が消滅でもしない限りはないから。今はしっかり併用することにしてるの」
「ま、それは記録メディアでもいいのかもしれないけど。でも、別に何か一つだけに決めちゃう必要はないってことだよね。……それも余裕あってのことだとは思うけどさ」
そして、複製はどこまで増やすのがいいか、という問題もある。無秩序に増やしてしまうと、情報の整理がつかなくなりかねない。
「電子データなら永久に残ると勘違いしてんだろうな」
ただ残すだけなら下手な記録メディアを使うよりも壁画などの方が文明の痕跡を残してくれると聞いたことがある。
ただし、この場合はあくまでも痕跡という漠然としたものだが。
それに記録メディアの場合は、未来のフォーマットとの違いによって再生が不可能になる危険性もあるのだ。
その点は紙などの方が優れていると言える。
「そうね。……そもそも存在なんて本当に儚いもの。奇跡の上に奇跡が重なってあるようなものなのに。失わないとそれに気づけない」
螺希は遠い目をして静かに呟いた。両親のことを考えているのかもしれない。
翠もまた父親のことを思い出しているのか、その言葉に小さく頷いた。
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