第33話 ウーシア

「さて、そろそろ本題に入りましょうか」


 ドラビヤはそう言いながら静かに歩み寄ってきた。


「貴方は一体どこでその力を手に入れたのですか?」


 すぐ傍からドラビヤの声が耳に届き、穹路は顔を上げた。

 と、眼前、人間であれば息もかかる程の距離にドラビヤの顔があった。


「そもそも記録によれば、貴方はこの研究所の実験材料だったとされています。しかも、等級で言えば最低。破棄されて然るべきレベル。それが何故生きて、この場にいるのですか?」

「くっ」


 目の前にあったウーシアと同じ顔。

 そこに浮かぶ彼女とは似ても似つかない冷たく歪んだ表情に対して湧き上がった激しい怒りと悲しみ。

 何の方策も思いつかないことへの苛立ち。自分自身の不甲斐なさ。

 それらが胸の内で複雑に入り混じり、その瞬間、穹路はドラビヤを闇雲に切り上げていた。

 低重力下にあるため、剣の勢いそのままに体勢が崩れそうになるのを、剣を床に突き立てて何とか固定する。手応えだけは、あった。

 事実、ドラビヤの体は斜めに切り離され、上半身が空間に浮かび上がっていた。


「……言ったでしょう。私を破壊しても無駄だと」


 しかし、その瞳は穹路を捉えたままで、嘲笑の色がそこに滲む。

 そして、ドラビヤが右手の指を軽く鳴らすと、その体は瞬く間に再生され、続けて床に溶け込むように消え去ってしまった。


「待――」


 その様子に驚きつつも駆け寄ろうとした瞬間、突然横向きに慣性が働いた。

 と感じた時には、穹路は壁に凄まじい勢いで叩きつけられ、思わずエグゼクスを放してしまった。


「ぐ、うう」


 そのまま壁に押し潰されるような加速度を感じながら、ずるずると床に体を引っ張られ始める。

 ようやく加速度が消え去った瞬間、穹路は床面に文字通り落ちていた。


「重、力?」


 床に手をついて何とか立ち上がると、地上と同様に自分を基準に真下への加速度、即ち重力のようなものを感じた。


「ここは重力区画ですから。遠心力により、擬似的な重力を作ることができます」


 その声にハッとして顔を上げると、剣が生成された状態のエグゼクスを手にしたドラビヤが目の前に立っていた。


「リミッターを外して、人間には耐えられない加速度をかけました。それでもやはり、貴方は無事なのですね」


 ドラビヤは平坦にそう言うと剣を掲げ、一気に振り下ろした。

 何とか避けようと体を逸らしたが、避け切ることができず、穹路は痛みもなく右手を切り落とされてしまった。遠心力に引かれてそれが床に落ちる鈍い音が響く。


「血も出ませんね」


 無表情のまま呟くドラビヤに僅かに恐れの感情を抱きながらも、穹路は姿勢を低くして相手の腰に抱き着くようにして体当たりしようとした。


「悪足掻きを……」


 静かに呟いて、ドラビヤは再び指をパチンと鳴らす。

 瞬間、ドラビヤはまたも姿を消し、それが手に持っていたエグゼクスと共に穹路も床に転がってしまった。

 その上、先程とは逆方向に慣性を受け、またもや対処のしようもなく壁に叩きつけられてしまう。


「ぐっ、く、そ」


 壁に押しつけられる圧迫感に呻き声を上げる。それでも何とか体勢を立て直そうと穹路は体に力を込めた。

 が、両手両足に何かが絡みついて力が入らなくなり、全く身動きが取れなくなってしまった。

 そして、その加速度が完全に消え去った時には、穹路は壁の一部を再構成したらしい真白い拘束具によって壁に張りつけられていた。


「いつの間にか切り落とした手も再生していますね」


 再度現れたドラビヤは穹路の再生された手に触れながら言う。

 その手の余りの冷たさ、心の温かさも何も感じられない冷たさを不快に思い、穹路は拘束を解くためにがむしゃらに体を動かそうとした。


「無駄です。力が入らないように拘束していますから。どれ程筋力があろうと、この体勢で固定されてしまえば無意味です。肉体の構造的に力が入らないようにしてあります」


 ドラビヤに頬をその手で触れられ、穹路は顔を嫌悪で歪ませた。


「お前は、一体何のためにこんなことを!」

「当然そうプログラムされているからです。私はそれに従っているに過ぎません」

「プログラムに、従って?」


 つまり、この状況はドラビヤの意思ではなく、それをプログラムした人間の意思によって引き起こされたものだ、とでも言うのか。

 確かに、あのウーシアも進化型ティアに宿った人格の干渉を受けるまでは研究者達の傀儡に過ぎなかった。

 ならば、単なる連関型ティアをコアとしていたドラビヤに、ウーシアのような自由意志があるとは考えられない。


「な、なら、何の目的でお前は作られたんだ?」

「全ては人類の進歩のために。私の行動もそのためのものです」

「何を、馬鹿なことを。そのためにどれだけの人が死んだと思ってるんだ!」

「進歩に多少の犠牲はつきもの。人類のために死ぬのです。代わりなどいくらでもいる無価値な大衆も、そのために役立てれば満足でしょう」

「な、に?」


 見えていない。穹路はそう感じた。

 ドラビヤを生み出した人間は人類というお題目に拘り、結果、目の前にある人間の営みを無視している。

 マクロな視点にばかり囚われ、大切なものを見過ごしているのだ。

 実際に関わりを持てば、個々の人間に代わりなど決して存在しないことぐらいはすぐに分かるはずだ。

 螺希の代わりになる人間も、真弥の代わりになる人間も、この宇宙のどこにだっている訳がないのだ。


「人類なんて、いない。そんな実体はこの世界のどこにもいない! だから、目の前の人間も大切にできないで、人類を導くことなんてできる訳がないんだ!」


 真弥との会話を思い返しながら、叫ぶ。


「できます。私の力があれば」


 しかし、その余りに冷静で簡潔な反論に穹路は言葉を失ってしまった。

 そのドラビヤの様子から、このAIを生み出した人間はそれを信じ切っていたことが分かる。だが、穹路とは導くという言葉の意味を決定的に取り違えているとしか思えなかった。

 一流の科学者には基本的に純粋な人間が多い。

 子供のように純粋で、だからこそ終わりのない研究を続けることができるのだ。

 しかし、だからこそ過ちを犯しても気づかず、気づこうともせず、後悔せず、ただ己の知的好奇心に忠実なだけで、その果てに極端な道を選んでしまう者もいる。

 あるいは、そうでなければ、科学者として真の意味で大成することなどできはしないのかもしれないが。


「個々の人間など素材に過ぎません。私の役割はそれらを加工し、より優れた機能を持つ人間を生み出すことです。いずれここはそのための工場となります。そしてシェルターは素材を保管し、増やすための生産場、というところでしょうか」


 ただ平坦にそのようなことを告げるドラビヤに恐怖と怒りを同時に抱く。

 それを生み出したのが同じ人間であるという事実にも。


「環境適応能力、身体能力、思考能力など全てのポジティブな能力を向上させ、数値的に優れたものを新たな人類とします。ただそれを繰り返してゆくだけです」

「そんな、ことを――」

「貴方のような化物も、いずれは人類が追いつき、追い越すことで人類の進歩の過程に加わることができるでしょう。もっとも、貴方にはその礎となって頂きますので、その時を見ることはできないでしょうが」

「そんなことを、彼女の顔で、声で言うな!」


 ドラビヤの言葉から、あの夢の中で機械的に新たなティアを生み出し続けなければならなかったウーシアの苦しみを思い出し、穹路は声を荒げた。

 あの周囲にいた科学者は、きっとドラビヤを生んだ人間に近い存在なのだろう。


「彼女? 何のことです?」


 ドラビヤは訝るように穹路を少し見詰めていたが、完全に興味をなくしたように目を閉じた。


「まあ、いいでしょう。然程重要なことではなさそうですし。貴方はもはや私のものなのですから。その体の隅々まで切り開いて貴方の能力の謎を明らかにしましょう。そう。全ては人類の進歩のために」


 冷たい微笑みをその顔に浮かべ、ドラビヤは床に転がっていた剣を拾い上げ、穹路の喉元へと突きつけた。


「くっ、う」


 首に感じられる金属的な冷たさに死への恐怖が脳裏に渦巻き、鼓動が速くなる。

 病に倒れた時に一度受け入れつつあったはずのそれも、今となっては大き過ぎる恐れだった。


「さて、まずは確認です。再生能力がどれ程のものか、見せて頂きましょうか」


 ドラビヤはそんな穹路の様子を楽しむようにゆっくりと剣を構え、しかし、一切の容赦なく穹路の首を狙って薙ぎ払った。

 さすがに首を落とされて生きていられるとは思えず、穹路は思わず目を閉じた。

 危機にあって感覚が極限まで鋭敏になり、剣が空気を切り裂く音によって死の一撃が徐々に近づいてくるのが知覚できてしまう。

 しかし、それが首へと到達する直前、首を刎ねられる、と思った次の瞬間、穹路が聞いたのは金属音だった。

 一瞬置いて、さらに壁を金属が跳ねる音が部屋に響き渡る。

 穹路がおずおずと目を開けるとその視界にあったのは、ドラビヤの手に握られた、刀身が折れた剣だった。


「そう言えば、先程これで腕を切り落としていましたね。成程、一度受けた攻撃は二度効かない、という訳ですか。となると、少々事後処理が大変になりますね。実験の中で変に成長されても困りますし」


 ドラビヤはエグゼクスを眺めながら淡々と言い、それを後方へと放り投げた。


「まあ、太陽に放り込むか、適当に宇宙を漂流させれば問題ないでしょう。さて、次の実験はどうしましょうか」


 冷淡な言葉に恐れの感情は極限まで大きくなり、穹路は再び足掻くように全身に力を込めた。

 しかし、完全に固定されている上、どうしても力が入らない。

 ただ地上に残る螺希や真弥、今も自分を信じて戦っている友人達を思って、焦燥感が増すばかりだった。


「く、そ」


 このままドラビヤの玩具として死ぬまで好き勝手されてしまうのか。

 螺希達のために何もできないのか。

 そんな諦めに似た感情までもが心の中に生まれかけた瞬間……。

 心の奥底から声が響いてきた。


『大丈夫。私がいるよ』


 それは目の前のドラビヤと同じ声でありながら、しかし、全く違う、このような状況にあっても心に温かさが染み渡るような優しい声だった。


「ウー、シア?」


 そして、その穹路の言葉と共に、天の御座に巨大な衝撃が走ったのだった。

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