第32話 ドラビヤ
天の御座の見取り図を片手に、異様な程静まり返った施設内部を行く。
そこは夢で見た重力区画ではないため、重力は四〇分の一程度。
慣れていないと進みにくいことこの上ない。
当然、低重力下で効率よく移動するための装置があるのだろうが、穹路には使用方法がよく分からなかった。そのため、通路をゆらゆらと漂いながら、何とかその床、壁、天井を上手く蹴って目的地を目指していた。
視界に映るのは、眩いまでの白とその色が象徴しているかのような静寂の空間。
夢と全く同じ光景に、あれが彼女の記憶であり現実なのだと実感できてしまう。
自分という存在がどういうものであるかも。
だが、今更だ。それが事実であろうとなかろうと、螺希達に信じられていることに変わりはない。ならば、何の問題もないだろう。
内から滲み出る不安と緊張感を抑え込むようにそんなことを考えている内に、穹路はその扉の前に辿り着いた。リンク機能の中枢が存在する部屋の前に。
この奥に全ての元凶がある。それさえ破壊すれば事態は解決に向かうはずだ。
そう思いつつ、しかし、同時に疑問が沸々と湧き上がってくる。
普通、最重要拠点とも言える場所でこれ程抵抗がないものなのだろうか、と。
その疑問に扉の前でほんの僅かな間躊躇していると、穹路を招き入れようとするかのようにその扉が自動的に開いた。
『ようこそ。天の御座へ』
同時に、違和感を抱く程に透き通った声がスピーカーから響いてくる。
それは夢の中で聞いた彼女の声とほぼ同じでありながら、全く異質なものだった。
機械的な印象が限りなく強く、声と言うよりも音と言った方が的確かもしれない。
彼女、ウーシアもAIである以上、結局は機械に過ぎないとも言えるが、それでも確実に違う。
それは最初期の彼女に近く、夢の声のような温かみもない。残酷な程に冷たく美しい響きを持っていた。
『しかし、残念ですが、ご覧の通りこの部屋に中枢はありません』
声の主に警戒しながら、壁に手をついて上手く減速しながら慎重に部屋へと入っていく。
その言葉通り、そこにあるはずだったリンク機能の中枢は影も形もなかった。
「そんな、どこへ……」
端末で確認した中枢の外観からすれば、容易く移動できるものではないのに。
『第二重力区画に辿り着くことができれば、教えて差し上げましょう』
その言葉を合図に部屋の外から隔壁が降りる音が聞こえてきた。
『一本道にしておきましたので迷うことはありません。勿論、障害はありますが』
「何の、つもりだ」
『一種の実験です。何にせよ、貴方に拒否権はありません』
「実験、だと?」
余りに平坦な言葉に苛立ちが募り、穹路は奥歯を噛み締めた。
「……そこに、お前はいるんだな」
『はい。お待ちしています』
穹路は即座にその部屋を出て、第二重力区画を目指して床を蹴った。
恐らく、天の御座に着いた瞬間から監視されていたのだろう。
しかし、だとすれば何故ここに至るまでの間に何も仕かけてこなかったのか。
それも何かしらの策略なのか。
脳裏にそんな疑問が渦巻くが、今は従う以外の選択肢などない。
慎重に、警戒を強めながら、降りた隔壁で作られた一歩道を進んでいく。
そうして何度目かの曲がり角の手前に至った瞬間、螺希のティアが敵性の反応を示し、穹路は則行に渡されたエグゼクスのトリガーを引いた。
対グリーフ用の一般的な自動拳銃が生成され、それを構えながら角を曲がる。と同時に穹路は連続的に弾丸を撃ち放った。
そして低重力により大きくなった反動によって体勢が崩れそうになるのを壁に手をついて抑え込みながら、敵の姿を確認する。
「これは――」
それはグリーフのような生物的な存在ではなく、極めて機械的な存在だった。
人間の倍以上の大きさがあり、外見から重量感が伝わってくる。
「ガードロボット、って奴か?」
どこか昆虫的なフォルムのそれは数発の弾丸を受けながら、しかし、多少動きを鈍らせたのみで備えられた機関銃によって反撃してきた。
反動はマニピュレーターを壁と接続させて抑えている。
咄嗟に射線上から逃げようとするが、低重力下では上手く動くことができず、穹路は本能的に頭部と腹部を手で覆い隠した。
そこにあるティアが砕かれてしまえば、体の再生は不可能になり、命はない。
ラクリマと弱点自体は同じなのだ。
ガードロボットが放った無数の銃弾によって削られた身体は、しかし、すぐさま修復される。穹路はそれを頼みにして、相手の攻撃を省みずに弾丸を撃ち放った。
『まるで化物ですね。その再生力で物資運搬用のエレベーターに生身で乗り、生きてここまで辿り着いた訳ですか。貴方は一体何者なのですか?』
冷たく響くその声には、実験動物に対するような歪んだ興味が感じ取れる。
この声の主は穹路を真っ当な命としても人間としても見ていないのだろう。
「俺は、人間だ!」
無機質な声に激しい嫌悪感を抱き、それを吐き出すように叫びながら苛立ちをぶつけるように銃撃を続ける。
しかし、何分相手は機械。
銃では的確に制御機関を射抜かなければ、行動不能には追い込めない。
『それを人間が認めるとでも? そのような人外同然の力を目の当たりにして』
「……そんなことは、関係ない!」
確かに全世界の人々が認めてくれるとは思えない。
むしろ大多数に排斥されるのかもしれない。
しかし、それでも少なくとも螺希達は認めてくれる。
それに何より――。
「自分が何者かを決めるのは自分だ。そして俺は何があろうと人間として生きる」
螺希から貰った言葉が芯にある。敵の言葉になど惑わされはしない。
だから穹路は、エグゼクスの撃鉄を起こし、回転式弾倉を回転させて即座にトリガーを引いた。
瞬間、中枢を破壊するための武装プログラムが起動し、エグゼクス上部にオーソドックスな剣が生成される。
グリーフと対峙するには問題のあるそれも、グリーフ以外を破壊するためであれば十二分に威力を発揮するはずだ。
穹路は壁を蹴り、一気にガードロボットに近づいた。そして飛来する銃弾は完全に無視し、生成された剣によってマニピュレーターを切り裂く。
次いで、姿勢を崩したその機体を一刀で両断した。
全力で剣を振るったため、穹路もまた体勢を崩しそうになり、壁に刃を突き立てて勢いを殺す。
ティアによって材料工学の分野は日進月歩だという話は嘘ではないらしく、その剣の切れ味は恐ろしい程に優れていた。
『そう思うことは勝手です。それに、いずれ関係なくなりますからね』
どうでもよさそうに意味深なことを言い、その声はさらに言葉を続けた。
『しかし、やはり興味深い素材です。態々見逃した甲斐がありました』
「見逃した、だと?」
『如何に制御システムの中枢が地下にあるとは言え、私は黙って人間の侵入を許しはしません。貴方は、その特異性を解明するためにここまで招待したのです』
その言葉の途中で新たなガードロボットが現れ、再度機関銃を向けてくる。
『さあ、間もなく私が待つ第二重力区画の部屋ですよ』
淡々とした余裕あるその態度。主導権を握られたままでいることに嫌な焦燥感を抱きながらも今は眼前の敵に集中する。
穹路は壁を上手く蹴って駆け上がり、天井を踏み、そこから銃口を上に向けようとしているガードロボットに突っ込んだ。
そのまま、それの真上から剣を深く突き刺す。さらに機体に取りつきながら、刃を引き抜きつつ乱雑に切り裂く。
「……よし」
それの機能停止を確認してから、再び目的地を目指して歩みを再開する。
低重力下での動きにも多少慣れ、手足を上手く利用して姿勢を制御しつつ進んでいくと、やがて区画内の倉庫と思わしき広間に出た。
どうやら、そこが終着点のようだ。
そして…………。
そこにそれはいた。
あの夢の最後に見た、ウーシアという人格を失った機械の体。
正に人形にしか出せないような至上の美しさを持つ姿。
しかし、それは氷でできた彫刻のように、温かさは微塵も感じられない。
「お前が、ドラビヤ、だな?」
「はい。私がドラビヤです」
そう言ってドラビヤは見下すような笑みを浮かべ、冷たい瞳を穹路に向けてきた。
「リンク機能の中枢はどこだ」
「貴方達の手の届かないところにあります」
「それはどこだと聞いてるんだ!」
ドラビヤの無味乾燥な返答に苛立ちを強め、声を荒げて剣の切っ先を向ける。
「穏やかではありませんね」
「地上では今も多くの人々が苦しんでるんだ。御託は後で聞いてやる。さあ、中枢の在り処を言え!」
穹路の言葉にドラビヤは嘲るように薄く笑った。
「まあ、いいでしょう。約束ですからね。……中枢はここからさらに上にあります」
「上、だと?」
「分かりませんか? 重心を静止軌道上に固定するためにある、この衛星からさらに上方へと伸びた塔のことですよ。中枢はその途中、距離にしてここから約一万キロメートル先にあります。勿論、そこまでの道は封鎖してあります」
「そ、そんな、馬鹿な」
涙が落ちた瞬間から、現在までの間にそのようなことができる訳がない。
自分の常識からそう思い込もうとしたが、現実に本来中枢があるべき場所に存在していない以上、ドラビヤの言葉を信じざるを得ない。
「馬鹿なことではありません。連関型ティアのリンク機能と分解再構成機能を用いれば容易いことです。まず中枢をティアによってスキャンし、分解。その情報を別のティアに送信し、その場で再構成する。中枢という性質のために、私のティアが持つ、管理者としての特殊なプログラムを使用する必要がありますが」
ドラビヤはただ事実を告げるように冷淡な言葉を発した。
「な、なら、今すぐこの場に中枢を再構成しろ!」
ドラビヤの冷たい瞳を睨みつけ、剣を持つ手に力を込めて言うが、相手はそんな穹路を冷笑するだけだった。
「脅しは通じません。私を破壊すればあれをこの場に再構成させる手立てがなくなりますし、そもそも私は、私であって私ではないのですから」
「何を、言って――」
「私はドラビヤのコピーの一つに過ぎません。私が消去されたところで、中枢が起動している限り別のドラビヤが世界のどこかで生み出されるだけです。私を本当の意味で殺したいのなら、中枢を破壊するしかないでしょうね」
その言葉に穹路は奥歯をきつく噛み締めた。
彼女を破壊しても破壊しなくても中枢には辿り着けない。
無理矢理に外を伝って中枢に向かうことができたとしても、馬鹿みたいに時間がかかってしまうし、そもそもその場所から再び移動されてしまえば元も子もない。
翠達を囮にしてまでここに来たというのに、打つ手がない、というのか。
穹路は表情を歪めたまま、視線と剣の切っ先を床に向けてしまった。
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