第17話 真弥との帰り道

「久しぶりの授業はどうだった? お兄ちゃん」


 バスの中、最後列の座席。穹路は隣に座っている真弥にそう尋ねられた。

 通学の時もそうだったように、そこに陣取るのが真弥達の習慣のようだ。

 今はかなり空いているおかげで三人分ぐらいを二人で占領している。のだが、荷物を端にまとめて、真弥は穹路とぴったりくっついて座っていた。

 傍から見れば、非常に仲がいい兄妹のように見えていることだろう。


「うーん、まあ、普通の授業は何とか大丈夫そうだったけど、やっぱりティア関連の話となると、ちょっと難しい、かな」

「そっか。そうだよね。お兄ちゃんの時代にはティアなんてなかったんだし」

「今日、一番驚いたのは、グリーフ、かな。教科書で見た写真のインパクトは、何だか夢に出そうだったよ」

「あぅ、わたしもあれの写真は見られないよ。怖くて」


 昔見たものを思い出したのか、真弥は今にも泣きそうな顔になってしまった。

 その様子に穹路は慌ててしまい、おろおろしつながら彼女の頭を撫でた。

 すると真弥は、すぐにほわっとした笑顔を浮かべてくれた。


「えへへ、冗談だよ。気持ち悪いから進んで見たくはないけど、別に見られない程怖いって訳じゃないよ。授業に何度も出てきて、結構慣れちゃってるから」


 気持ちよさそうに体を預けてくる真弥に、苦笑いをしながら頭から手を離す。

 と、真弥は名残惜しそうにその手の動きを上目遣いで追っていたため、穹路は手を彼女の頭の上に戻した。単純に頭を撫でて欲しかっただけらしい。


「でも、あれのせいでほとんどの生物が絶滅したんだよな」


 しかし、穹路が真剣な口調でそう言うと、真弥もまた真面目な表情で頷いた。

 街の中で犬や猫は見かけることはあるが、ペットとしてはその程度で種類も非常に少ない。後は一部の家畜だけ。

 野生の生物はほぼ全てがグリーフと化しているのが現状なのだ。

 今は海の生態系は余り乱されていないようだが、先は分からない。

 もはや人間に保護されていなければ、種の存続を保てなくなることだろう。

 いずれ、全ての種が野生絶滅同然の状態になるかもしれない。


「そして、元々は人類の過ちによって」


 旧時代、穹路が生活していた時代にも生物の絶滅は大きな問題となっていたが、それが霞んでしまう程の状況だ。


「自然の一部であるはずの人類が、自然を破壊する、か。正にその通り、かな」


 動物保護、自然保護を扱った番組でよく使われる標語のようなものを思い出し、つい口に出してしまう。

 当時は、気にしつつも結局は遠い場所での出来事だと思っていたが、ここまで大規模にことが起こっていると現実味も桁違いだ。


「それは違うよ」


 しかし、真弥からはそんなはっきりとした否定の言葉が発せられ、その余りに冷め切った口調に穹路は驚き、彼女の頭から手を離してしまった。


「誰の言葉か知らないけど、それは矛盾してるよ」

「真弥ちゃん? ……どういうこと?」

「人類が自然の一部なら、人類がしたことも全て自然の一部でしょ? なら、それで滅ぼされた動物達は自然の摂理に従って淘汰されただけだよ。人類の行動が自然にとって害になるって考えることは、人類を完全に自然から切り離して考えることと同じ。罪の意識を感じるとすれば、人類が自然とは別の存在だからなんだよ」


 真剣な表情の真弥にじっと見詰められ、彼女の言葉を心の中で反芻する。

 改めてそう言われると、確かに彼女の言い分はあながち間違いではないように感じられる。

 人類を単なる自然の一部と考えるなら、全ては弱肉強食という摂理に従って行われたことに過ぎない。

 進化の中で得た知恵という名の力、そこから生み出された様々な道具、科学技術。

 人類が自然の一部ならば、それらもまた自然と言うべきもののはずだ。


「でも、やっぱりティアのせいで生物が絶滅したのは人の罪だと俺は思う」

「わたしもそう思うよ。でも、それはわたし達が自然とは別の存在として、自然という別の存在を一方的に破壊しちゃいけないから、なんじゃないかな。どうしても自分の道を守るために必要でも、少なくとも別のあり方を理解しないといけないってわたしは思う。だから、自分勝手な自然破壊は否定されるべきなんだよ」


 螺希との比較で元気で明るいイメージが強かったが、やはり真弥は螺希の妹なのだと穹路は実感していた。

 口調にはところどころ年相応の幼さはあるが、とても頭がよく、しっかりと自分の考えを持っていることが分かる。


「でも、逆に自然保護を考えると少しこんがらがっちゃうんだけどね」

「真弥ちゃんのように考えると、自然保護の方は人類が自然の一部でないと肯定できなくなる、かな。人類を自然と別の存在だとして考えると、自然への干渉は全てが人工化だから」

「うん。だから、人類を自然の一部と考えて自然破壊も自然保護も肯定するか、人類を自然とは別の存在と考えて自然破壊も自然保護も否定するか。そのどっちかになるんじゃないかな」

「もし後者、人類を自然と別の存在と考えるなら、人類の手による自然保護は否定されてしまうから、もう後は地球の自然回復力に託すしかない。つまり、人類はさっさと宇宙にでも出ていく必要がある訳だ」


 真弥の話からそう結論すると、真弥は満足そうに頷いた。


「だからって訳でもないけど、旧時代の終わりには地球を旅立って宇宙開拓を行おうとしてたんだ。人口問題もあったからね。AACSのおかげでその見通しも立って、実際に計画ももうすぐ実行段階ってところまで行ってたんだって」


 確かにAACSがあれば、資源を完全な形で循環させることも不可能ではなかっただろう。

 となれば、後は如何にして全人類を空へ上げるか、という問題だけになる。

 それはそれで大き過ぎる問題だが。


「でも、それも今じゃ意味のないことだけどね。百億を軽々と超えてた人口も今では十億未満。生態系はズタボロ。もう人類は自分の種の維持を第一に考えなくちゃいけない」


 悲しげに呟く真弥はどこか大人びて見えた。それが寂しく感じられ、穹路は自然と彼女の頭を撫でていた。真弥には笑顔でいて欲しい。

 それで真弥は年相応、外見相応という感じにまた無邪気な笑みを見せてくれた。


「あ、そだ。わたしも散々言ったし、しかもお姉ちゃんからの受け売りだけど、あんまり人類って言葉は使い過ぎない方がいいと思うよ?」

「ん? でも、人類は人類だろ?」

「そうなんだけど、お姉ちゃんはその言葉、嫌いなんだ。多分、お祖父ちゃんが人類の進歩がどうとか言ってたからだと思うけど」


 真弥の言葉に納得する。螺希が祖父、望月想永を嫌っているのは、昼休みの会話でもありありと感じられたから。


「人類なんて実体はどこにも存在してない。実際にそこにいるのは一人一人の人間だけ。これ、お姉ちゃんが言ってた言葉だよ」

「人類という実体、か。……確かにそんなものはないね。それは単なる観念だ」

「科学者は人類のためって名目で酷いことを一杯してきたから。目の前にいる人間の感情を無視して」


 歴史の中で繰り返されてきた非人道的な人体実験などはその最たるものだろう。

 それで医学などは発展してきた事実もあるにはあるが、感情で納得できるものではない。


「人類のためという言葉を神聖化して、それを大義名分に何をしてもいいように考えてる人がいる。でも、結局、そんなものから生まれた何かに人間を幸せにする力はない」


 真弥は螺希の口調を真似て言った。

 しかし、螺希の言葉に当てはまらないものもある。それはやはり医学だ。

 健康であることも幸福の大きな要素。それは技術に依存する部分が確かにある。

 そう考えるのは不治の病にかかった経験のためか。

 螺希は祖父への反発で、機械技術を技術の象徴として考え、やや視野が狭まっているのかもしれない。だが、それを真弥に指摘しても仕方がない。


「人間の幸福は遥か昔から何も変わってない。どんな技術が生まれても。権力を得ることに幸福を感じる人、金儲けに幸福を感じる人、娯楽に幸福を感じる人。様々な幸福はあっても直接技術に依存する幸福はない。お姉ちゃんがそう言ってた」


 これは同意できる。幸福の得易さが技術によって変動したとしても、その中身まではそう変わるはずがない。


「真弥ちゃんは何が幸せだと思う?」

「わたし? わたしは……きっとお姉ちゃんと同じ。大切な人と普通に過ごすことかな」


 言っていて少し恥ずかしいのか、真弥は頬を紅潮させた。

 それは両親を失ったからこその言葉なのかもしれない。


「だから、わたし達は人類って言葉が嫌い。もっと目の前にいる人、個々の人間のことを大事にしたいから」


 真弥は彼女の頭に乗せていた穹路の手を取って、ぎゅっと両手で握ってきた。


「わたしは今ここにいる。お兄ちゃんはわたしの目の前にいる。それが何より一番大事なことだよ」


 そして、顔を赤らめながら、それを抱き締めるように胸元に持っていく。


「お兄ちゃんの手の温かさはこうやって触れないと分からない。目の前の人の温かさも分からない人がどこか遠くにいる誰かの温かさを想像することなんてできないでしょ?」

「……そうだね」


 触れられた真弥の手は少しだけ冷えていたが、しかし、何となく心の温かさが伝わってくる気がする。

 真弥はにこっと愛らしく笑ってから、穹路の手から片手を放して前を向いた。

 もう一方の手はしっかりと繋いだままで。


「真弥ちゃん。俺がこんなことを言うのも何だとは思うけど、何でそんなに気安く接してくれるんだ?」


 繋がれた手を見ながら尋ねる。

 すると、真弥は折角の可愛らしい顔を曇らせてしまった。


「お兄ちゃん、嫌、だった?」

「そ、そんなこと、ないよ」


 手を離そうとする真弥の手が離れないように強く握り、嫌がってなどいないことを伝える。

 すると真弥は、えへへ、とすぐに太陽のように眩しい笑顔に戻ってくれて、ぎゅっと手を握り返してきた。


「あ、じゃあ、お兄ちゃん、恥ずかしいんだね」


 そして、少し意地の悪い言葉を、しかし、弾んだ声で言う。


「……わたしね。お兄ちゃんが欲しかったんだ。あ、もちろんお姉ちゃんに不満がある訳じゃないよ? お姉ちゃんのこと、大好きだもん」

「うん、分かってる」

「ただ、お姉ちゃんはわたしのこと心配してばっかりだから。そんなお姉ちゃんを心配してくれる人が必要だと思ったの。お兄ちゃんがいれば、きっとお姉ちゃんのこと助けてくれるはずだし、それにわたしともたくさん遊んでくれるかな、って」


 真弥は、お姉ちゃんには内緒だよ、と気恥ずかしそうに笑った。


「で、お兄ちゃんならわたしのお兄ちゃんになってくれるかなって思ったの」


 それから真弥は、胸元に光る螺希とお揃いのネックレス、そこに連なるティアを掌の上で転がした。


「でもね。実はわたしも最初はちょっぴり怪しいって思ってたんだよ?」

「そうだったのか?」


 少し驚くが、それは当然のことだ。未だに何故あそこで目覚めたのか穹路には分からなかったが、不審者そのものだったことに変わりはない。


「でも、わたしにはこれがあるから」


 そう言って真弥は掌に乗せたティアを目の前に差し出してきた。


「ティア?」

「そ。お姉ちゃんの話だと、このティアには他人の悪意を感じ取って、身を守るプログラムが書き込まれてるんだって。お母さんの形見だって聞いてる」


 つまり、それで相手に悪意があるかどうかを判断している、ということか。

 ならば、真弥の相手をすぐ信用するような態度も理解できる。


「あ、でもでも、今はそんなの関係なくお兄ちゃんのこと信頼してるよ?」


 しかし、甘えるようにくっついてくる真弥を見ると、やはり性格によるところが一番大きそうだ。真弥にとってそのティアのプログラムは、安全装置として丁度必要な機能だったのだろう。

 だが、そんなプログラムは実際可能なのか。当然ながら疑問が生じてくる。

 旧時代の感覚ではまるで魔法のように感じられる物質再構成を授業で目の当たりにしたせいで、ティアならば何でもできるような感覚を持ってしまっていたが、よくよくティアの機能を思い返してみると明らかにおかしい。


「真弥ちゃん、本当にそんなプログラムをティアが実行できるのか? 単なるAACSの発展形なら、他人の感情を読み取るなんてできる訳がないと思うんだけど」


 相手の脳波を直接測定できる訳でもないだろうに、物質を自由に分解し、再構成できるだけの機能でそんなことは不可能だ。

 たとえ測定できても、厳密にどれぐらいの数値以上で悪意と見なすのか、同じ数値を示していても人によって実際に起こす行動は異なるのではないか、同一人物で同じ数値であっても状況に左右されるのではないか、など疑問は多々残る。


「うん。そだね。わたしもそう思うよ」


 真弥は穹路がその疑問を持ったことを称賛するように微笑んだ。


「このティアにはもう一つ、どこにいてもお姉ちゃんのティアと引き合うって機能があるの。それは磁力でも万有引力でもない力。でも、そんなのおかしいでしょ?」


 真弥の言う通り、そんなことはあり得ない。

 万有引力は距離の二乗に反比例している。

 変数が分母である以上は二つのものが存在する限りゼロにはならない。どこにいても引き合っていると言える。

 だが、真弥が言いたいのはその程度の微々たる力ではないはずだ。


「これが進化型って呼ばれてるティアの特徴なの。物質の分解、再構成に留まらないその機能が。その原理は全くの不明で、今も研究が続いてるんだって」


 結局のところ、AACSの物質再構成機能と同様にこれもまたロストテクノロジーに分類されてしまうようだ。


「この進化型だけはお祖父ちゃんの資料にもほとんど記述がなくて、旧時代でも原理は知られてなかったみたい。どうやって作るかも分からないんだよ」


 そんな不確かなものを使っていて大丈夫なのか、とも思ってしまうが、それに頼らなければならないのが現在の状況であり、旧時代の当時もまた必要とされていた訳だ。人口増加に伴う食糧危機、土地問題などのために。


「でもお姉ちゃんには仮説があるみたい。馬鹿馬鹿しい考えだって否定してたけど」

「螺希が? どんな?」

「うーん。わたしもはっきりとは覚えてないんだけど……えっと、ね。これはサイエンスなんかじゃない。SFになんか決してなれないファンタジーも同然。全てはフィジカルなものじゃなく、メタフィジカルなもの、だったかな」

「科学じゃない。空想科学にもなれない幻想みたいなもの。物理的なものじゃなく形而上学的なもの? 螺希は一体何を言ってるんだ?」


 魔法の一種だとでも言いたいのだろうか。

 正直意味が分からないが、螺希はわざと煙に巻いたような言い方をしているような気がする。


「あっ、後、宇宙の生ける鏡によるロゴスへの干渉がどうとか言ってた。でも、すぐに、そんなことあり得ない、現実にあり得ちゃいけない、とか言ってたけど。それと、もしそれが正しいなら、お祖父ちゃんの最終的な目的も分かるかもしれないとも言ってたかな。けど、その内容は忘れちゃった。お祖父ちゃんはもういないから意味がないし」

「ロゴス……言葉、理法か。尚更よく分からないな。大体、その、宇宙の生ける鏡って何のことだ?」

「だよね。わたしの頭じゃ分からないよ」


 しばらくの間、二人で首を傾げながら考え込んでいるとアナウンスがあり、もうすぐ降りるべきバス停に到着することが伝えられた。


「あれ? もう着いたんだ。やっぱり話をしてると早いね」


 バスの速度は徐々に落ちて、家から最寄りのバス停で停車する。

 それと共に答えの出そうにない疑問は思考から霧散してしまった。


「ほら、降りよ?」


 真弥に手を引かれながらバスを降り、そこから家までの道のりを彼女としっかり手を繋いだまま歩いていく。

 その間真弥との会話はなかったが、彼女はいつにも増して機嫌がいいようで、隣からは鼻歌が聞こえてきていた。

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