六 天の御座、見下ろす蒼
第30話 空へ
螺希が貸してくれたティアのおかげだろう。
穹路達は的確にグリーフの手薄なルートを選び、天橋立の直前のビルまで何事もなく辿り着くことができていた。
今はその二階から外の様子を探っているところだ。
「あれ、俺達がシェルターまで乗ってきた車、ですよね?」
天橋立の入口、発着拠点の前にあの装甲車が引っ繰り返った状態で放置されていた。その周囲には、偵察に出ていた拭涙師のものだろう血が飛び散っている。
更にその奥には、グリーフの集団が入口を守るように集まっていた。
「あの集団に車の動きを止められて、力任せに引っ繰り返されたってとこね。多分パニックでもう外に出るしかないと思って、それで……」
「むしろ車が使えなくて助かった、ってことですか」
彼らの最後を想像し、残酷な光景が脳裏に浮かんでグリーフへの怒りが募る。
「それよりも……今はあそこにどうやって突入し、軌道エレベーターに乗り込むかが問題よ」
「それは当然、俺達が囮になるしかないでしょうね」
簡潔に答えた武人の言葉に琥珀は頷いた。
「桐生君、でも、それは――」
「あたし達はどうせ軌道エレベーターに乗れないんだから仕方がないでしょ? 最初から護衛よりむしろそういう役割だったんだろうし。あたし達に任せて、ね?」
「相坂さん……」
翠はぱちりとウインクするが、足元は微かに震えていた。
穹路はそれに気づかない振りをして、分かった、と頷いた。そんなことをこの場で指摘しても何の意味もない。
「このビルの入口を電子的にも物理的にもロックすれば、かなり時間を稼げるし、各階に罠を張りつつ戦えば十二分に持ち堪えられる」
「罠? そんなもの、一体いつの間に準備を――」
「こうなることは予測していた。そのためのプログラムは既に作成してある。グリーフは行動が単調だからな。古典的なワイヤートラップでも十分効果的だろうが、例えばミスリル製のナノワイヤーを張り巡らせれば細切れにもできるだろう」
武人はこの状況をむしろ楽しんでいるかのようだった。
「環境と準備さえしっかり整えておけば、一世代も二世代も前、つまりは落涙の日当時のレベルの装甲しか持たないグリーフなど恐れるに足りない。望月君が中枢を破壊して戻ってくる前に、この付近のグリーフは一掃してやるさ」
そう言って笑みを浮かべる武人にちょっとした恐怖と、しかし、この場ではむしろ安心感を抱く。翠も同様に武人を頼もしく感じたのだろう。
震えていた足はしっかりと体を支え、表情にも空元気ではなく僅かながら余裕が生まれていた。
「じゃあ、穹路君。私達はここから派手に攻撃するから、それに合わせて君のタイミングで突入すること。いい?」
「はい。分かりました。外で待機してます」
「穹路君。頑張ってね」
「相坂さんも、自分の身を守ることを第一に、ね」
翠と頷き合ってから、穹路は武人と共に一階に下りた。
そして、ビルの出入口の手前で一旦立ち止まる。
「望月君が外に出たら即座に全ての扉をロックし、罠を仕かける。もう戻っては来られないぞ」
武人の言葉に穹路は一回大きく深呼吸して気合を入れた。
「分かってる。あれをちゃんと破壊して、帰ってくるさ」
「武運を祈る」
簡潔に言って武人は手を差し出してきた。
「ありがとう。桐生君も」
頷いて彼と握手し、それから背を向ける。そのまま穹路はそのビルを出た。
すぐに施錠がなされる音がして、微かに振り返る。
既に武人は入口に物理的なバリケードを作ってから、そのフロアに罠を張り始めているようだった。
そこから螺希に借りたティアを利用して、慎重にグリーフのいないルートを上手く通って天橋立に近づいていく。
この周辺のグリーフは皆、発着拠点に集められているようで、ある程度までは簡単に近づくことができた。しかし、その位置から入口までが大分遠かった。
先程までいたビルが見える位置にある物陰に隠れ、その方向と発着拠点入口の様子を窺いながら援護を待つ。
実際はそう長くない時間だったのだろうが、一人外で待機する穹路には永遠とも思える時が過ぎ、やがて一つ上の階の窓が開いて準備完了の合図が来た。
どうやら三階を拠点に選んだようだ。
少し離れた位置に三人並び、その手には通常の銃にしては銃身が長く、しかし、スナイパーライフルにしては無骨過ぎるフォルムのものが握られていた。
その照準は発着拠点入口に集まるグリーフに向けられている。
「あれが、レールガン、か?」
そう穹路が呟いた瞬間、雷鳴が轟いたが如く空気を震わす音と、グリーフの装甲諸共大地を破壊する音がほとんど同時に聞こえてきた。
それはレールガンの咆哮とでも呼ぶに相応しい音。弾丸は空気も音も切り裂いて、圧倒的な破壊力でグリーフを完膚なきまでに撃ち砕く。
「くっ、何て、音だ」
そんな穹路の声が自分の耳にすら届かない程の音は止むことを知らず、間髪入れずグリーフ達を襲い、それらは肉片と化していった。
嵐の只中の如き様相。
超音速の弾丸が降り注ぐ発着拠点入口には穹路も近づけない。
しかし、内部からグリーフは次々と現れ、その先頭はじりじりと三人がいるビルへと近づき始める。加えて、遠くからも他のグリーフが集まってきているのがティアを通して感じ取れた。
それでも三人はただ撃ち続けていた。彼女達の役割は囮。とにかく派手に暴れ、発着拠点内部のグリーフ全てを釣り上げることが仕事なのだから。
やがて嵐の如き弾雨とそれが生む音はグリーフの物量に押され、発着拠点入口からビルの方へと移動していく。
そして、遂に穹路の進路を阻むグリーフの気配は完全に消え去った。
「よし。今なら――」
穹路は三人がいるビルを一瞥してから、その隙を突いて発着拠点へと突入した。
そのまま端末に見取り図と最短ルートを表示し、それに従って発着場へと急ぐ。
まだグリーフの手に穢されず、恐らくかつての白く整然としたまま残されているだろう未来的な、どこか空港を思わせるような施設。
二三〇年先の技術の結晶とも言えるそこにこのような形で入らなければならないことに複雑な気持ちを抱きつつ、ただ端末が示す目的地を目指して穹路は走った。
そして何事もなく、物資運搬用の軌道エレベーターの入口直前に至る。
武人達が囮としての役割を十分に果たしてくれた成果だ。
物資運搬用のそれは途中で見かけた人間用の軌道エレベーターとは異なり、デザイン性が全く重視されていないようだった。
それでも洗練されているように見えるのは、機能美もまた突き詰めれば一定の美となることを示しているのかもしれない。
その入口に設置された制御装置にカードキーを通し、次いで奥から現れた端末にパスワードを打ち込む。
すると、ティアを設置するための装置が現れ、穹路はそこにキープログラムが書き込まれたティアを置いた。そこまでして、その扉はようやく開かれた。
「よし」
安堵はそこそこに、すぐさま乗り込む。
今回はこのティアに追加でプログラムされた設定によって全てのコントロールを自動で行うようになっており、扉が開いて二〇秒もせず出発してしまうためだ。
やがて扉が閉じられ、エレベーター内部から光源が失われてしまう。
しかし、それに対し何らかの感情を持つより先に恐ろしいまでのGを受け、穹路の足は呆気なく圧し折れてしまった。
「な、ぐっ」
そのまま床面に潰されるように押しつけられる。
琥珀の予測通りか、痛みもなく思考能力にも別段影響はないが、それでも余りの加速度に穹路は身動きが取れなくなってしまっていた。
事前の設定次第ではあるが、今回は数分で静止軌道にまで至る加速度と説明を受けている。つまり人間用の軌道エレベーターの加速度に比べ、ざっと一〇〇倍。
だが、そんな中でも次第に脚部は再生され、一分もする頃にはその加速度にも全く問題なく適応できるようになっていた。
「ティアの、力、か」
そんな人外としか思えない力に身震いし、しかし、この場では天の御座へと辿り着けることを感謝しておくことにする。
そして、穹路は急速に近づく目的の場所を見据えるように天井を見上げながら静かに目を瞑り、心を落ち着かせようと努めた。
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