五 人間として

第26話 宇宙の生ける鏡

「穹路、大丈夫?」


 螺希の心配そうな声と、彼女に揺すられる感覚で穹路は目を覚ました。


「随分、うなされてたけれど……」


 夢の内容に愕然としたまま螺希の顔を見上げていると、視界の中に真弥も現れる。


「お兄ちゃん?」


 そんな真弥の呼びかけにも上手く反応できないまま、穹路は体を起こして自分の腹部に手を当てた。

 もし夢が現実に起きたことなら、体に埋まっていると琥珀に言われたティアはウーシアの命そのもの。だが、自分は人間と呼ぶには程遠い存在なのかもしれない。


「どうしたの?」

「夢を、見てたんだ。螺希の家で目を覚ます前の夢を」

「え?」


 穹路は螺希達に夢の中で見たこと全てを話した。

 彼女、ウーシアのこと。天の御座で行われていた実験の内容。進化型ティア。

 そして、自分自身のことを。

 それが単なる夢に過ぎないことを望みながら、もし事実なら自分は皆に拒絶されてしまうのではないかという不安を抱えながら、穹路はところどころ言葉につかえながらも少しずつ、何一つ包み隠さず語った。

 その間、螺希と真弥は言葉を失ったように、武人は目を瞑って冷静に、翠は俯いて複雑な感情を表情に浮かべながら耳を傾けていた。


「おかしい、よな。こんなの。ただの夢、だよな」

「ただの夢とは言えないかもしれない。穹路君、自分の身に起こったことを忘れた訳じゃないでしょ?」


 いつの間にか前髪を下ろしていた琥珀が、いつになく真剣な口調で穹路の願望を否定した。そして、彼女は螺希に視線を向けて口を開いた。


「螺希はどう思う? 進化型ティアについては」

「……穹路の夢の通りだと思う。私も思い当たる部分があるから」


 螺希はそう言いながら、いつも胸元で揺れている黒く輝くそれを握り締めた。


「進化型ティアは人間の脳とティアを融合させて得られる。だったら、このティアは……」


 真弥のティアにも目を移しながら、螺希はそう小さく呟いた。

 聡明な彼女は穹路にも予想できたことに感づいたようだった。

 そんな螺希に琥珀は少しの間視線を送り、それから穹路へと顔を向け直した。

 前髪に隠された瞳にはきっと螺希を気遣う気持ちが滲んでいたことだろう。


「でも、やっぱり天の御座が全ての元凶だったみたいね。大方、穹路君が落ちてきて以来、地上からの監視も厳しくなって実験材料が来なくなったから、強行的にウーシアさんのバックアップを使って中枢を制御しようとして、失敗したんでしょうね。……その彼女は結局、中枢の破壊に失敗したって訳か」


 琥珀は天の御座を見上げた。前髪が流れ、その瞳が顕になる。


「ウーシア、ギリシア語で本質や実体を意味する語。そう言えば、AIドラビヤの名前もインド哲学の用語で実体を表す言葉だったっけ」


 そして、彼女は難しい顔をして俯き、考え込むように黙り込んでしまった。


「先生?」

「……螺希、ちょっといい?」


 螺希はまだ、自分自身の限りなく正しいだろう予想を受け止め切れていない様子だったが、琥珀に呼ばれると顔を上げた。


「穹路君のこと、区長に話しても大丈夫?」

「……話すだけなら別に問題ない。前に穹路を守ってくれるよう頼んでおいたし、私達には大きな借りがあるから、言い触らすような真似はしないはず」

「分かった。じゃ、ちょっと行ってくる」


 そう言って琥珀は足早にその部屋を出ていった。

 一体則行と何の話をするのか、ほんの少しだけ気になったが、穹路にはそんなことに意識を向けられる余裕はなかった。


「なあ、螺希……あの夢は、事実、なのか?」


 心の中に得体の知れない恐怖を抱きながら、穹路は隣に座る螺希に尋ねた。


「事実、だと思う」

「なら、俺はグリーフと似た存在なのか?」


 教室で襲いかかってきたグリーフのおぞましい姿を思い出し、思わず身を震わせてしまう。

 窓ガラスに映った自分自身の姿は幾分か嫌悪を感じさせるようなものではなかったが、それでも改めて考えると人間だとは思えない。

 あの姿を見た瞬間、翠が怯えたような反応をしたことも思い出されてしまう。

 穹路は自分の体を確かめるように両の掌を見詰めた。この姿も、その存在も所詮ティアに作り出された偽りに過ぎないのだろうか。


「穹路。それは違う。絶対に」


 はっきりとした口調で言った螺希の両手に、片方の手を温かく包み込まれる。


「お姉ちゃんの言う通りだよ」


 真弥もまたもう一方を取って、穹路の言葉を窘めるように強く握り締めてきた。


「だってお兄ちゃんはわたしを助けてくれたもん。でしょ? お姉ちゃん」


 真弥の言葉に螺希は深く頷いて、優しく微笑んだ。


「お兄ちゃんはもうわたしのお兄ちゃんなんだから。そんなこと気にしないで、ね?」


 真弥は可愛らしく首をちょっとだけ傾けながら見上げてきて、向日葵のような明るい笑みで元気づけようとしてくれた。


「それに穹路は私のことも命懸けで守ってくれた。あの時はまだ、そんな力を持ってることなんて知らなかったのに。それでも、私を守るために戦ってくれた。だから、私達は穹路を信じる。穹路はグリーフなんかじゃなく人間だって」

「……螺希、真弥ちゃん」


 二人の言葉と温もりに心が少しだけ軽くなる。自分を信じてくれる人がいるということは本当に心強いことだと穹路は改めて知った。


「あ、あの、穹路君」


 少し遠くでそのやり取りを見守っていた翠がおずおずと近づいてくる。

 その表情はいつものはっきりしたものではなく、どこか曖昧で不安げだった。


「えっと、その、ごめんね。あの時、何も知らないで怖がったりして。それと、ありがとう。助けてくれて。穹路君のおかげで、あたしはグリーフにならずに済んだんだよね」

「相坂、さん」


 必死になって言葉を紡いでくれる翠に心が和らいで、涙腺が緩みかける。


「あたしはこれからも穹路君の友達でいたい。穹路君は穹路君だから」

「ありがとう……相坂さん。相坂さんが友達でよかった」


 穹路がそう言って頭を下げてから笑いかけると、翠は安堵したように微笑んだ。


「別にそう深く考える必要はないさ。武装プログラムの一種だと考えればいい。実際、プレートアーマーのような鎧を生み出す類のものもあるからな。少しばかり形状が特殊で細身だったが、まあ、それだけで似たようなものだ」


 武人はさして大した問題ではないかのように眼鏡を拭きながら言葉を続ける。


「何であれ、共にグリーフと戦った仲だ。俺はその程度のことは気にしない」


 それから武人はノートパソコンに向かって黙々と何かの作業を始めてしまった。

 恐らく穹路が眠っている間から続けていたのだろう。

 その顔には疲労の色が見て取れる。


「桐生君……」


 そんな武人の素っ気ない態度のおかげで、むしろそのような悩みは別段重大なことではないように思えてくる。


「自分が何者かを決定できるのは自分だけ。結局のところは。人間は自分のことを自ら人間と名づけたからこそ人間と名乗ってるの。だから、穹路が自分自身を人間だと信じ、そう行動する限り人間でいいの。でも、私達が穹路を信じることがそのちょっとした助けにでもなってくれれば、私は嬉しい」


 心を込めるように穏やかで丁寧な螺希の言葉が、胸に染み渡っていく。

 穹路は少しの間その内容を反芻してから彼女に頷いた。

 結局は自分自身がどうありたいかが大事だと言う螺希は全く正しい。

 それでも、自分の望むあり方を他者にも認めて貰えることは、自分自身を認めるための大きな、最も大きいと言っても過言ではない根拠に違いない。

 そして、ここにいる皆に信じて貰えるなら、後は己自身がそう望むだけでいい。

 技術も力も全ては扱う人間次第のもの。道具に過ぎない。

 彼女に与えられたこの力を人間として、即ち自分が信じる人間のあり方に従って使っていくことができれば、きっとそれでいいのだろう。

 真弥に握られた手にぎゅっと力が込められるのを感じ、穹路は彼女に目を向けた。


「もう、大丈夫だよね? お兄ちゃん」


 手を離して見上げてきた真弥の確認に、その頭を撫でることと笑顔で答える。

 と、彼女は気持ちよさそうに、えへへ、とはにかんでから胸に飛び込んできた。

 そんな真弥の大胆な行動にまた睨まれてしまうかと思い、少し慌てて螺希に視線を移すが、予想とは異なり彼女は優しい目で二人を見守っていた。


「うーん、何か、本当に兄妹、って感じだよね」


 またいつも通りの人懐こい笑顔を向けてくれる翠に嬉しさを覚えながら、その言葉には苦笑いで返す。


「もちろん! お兄ちゃんはわたしのお兄ちゃんだもん」


 当然、という感じで真弥は朗らかな笑みを翠に向けた。

 こんな状況にもかかわらず笑顔で会話している二人の様子は、どこか空元気のようにも感じられる。

 しかし、それはこんな状況だからこそ必要な強がりなのだろう。

 実際にそれによって元気づけられた穹路はそう実感していた。


「ところで、桐生君はさっきから何をしてるんだ?」

「これか? 狙撃用の武装プログラムを作成しているんだ。あの鳥型のグリーフを撃ち落とすためにな」


 パソコンの画面から視線を外すことなく武人は続ける。


「それに地上にいるグリーフは全てがラクリマと考えなければならない。ラクリマは基本的に距離をとって戦わなければならないんだ。教室では通常のグリーフ用の武装プログラムしかなかったから槍で戦ったが。あちらにその気があれば、触れられただけでグリーフ化させられてしまうからな」


 となると、武器と言われて真っ先に思いつく剣のような近接武器は、ラクリマを相手にするには以ての外ということになるようだ。


「それで、どんな武器なんだ?」

「レールガンと呼ばれるものだ。相坂さんのような旧来のハンドガンは近接戦闘では十分な威力を持つが、さすがにあのグリーフにまでは届かない。どんなに硬い弾丸でも、運動エネルギーが少なければ意味がないからな」

「レールガン、か」


 電磁誘導により弾丸を加速して撃ち出すレールガンは、通常の火薬を用いた銃よりも初速が圧倒的に速い。

 摩擦や弾丸のプラズマ化、電力供給の効率などの様々な問題があった旧時代の実験段階でさえ、旧来の銃とは比べものにならない威力を秘めていた程だ。

 とは言っても、二一世紀初頭のレールガンは戦車にやっと搭載できる大型のもの。携帯できるものではなかったが、武人の口振りからすると現在では小型化は不可能ではないようだ。

 しかし、その従来の銃に比べ大き過ぎる反動は、何かしらこの時代の特殊な素材で和らげるのだろうと好意的に解釈しても、別の部分に疑問が残る。

 それ相応の初速を得るために必要な電力をどこから供給するのか、というものだ。


「なあ、螺希」

「授業で聞いたように、一般的にそれぞれのプログラムに必要となるエネルギーはティアに蓄えられてる太陽光など世界に溢れる余剰エネルギーで賄われる、と言われてる」


 言外の問いを察したのか螺希が答える。


「でも、それはあり得ないこと。物質の分解、再構成に使われるエネルギーを含めて、余剰エネルギー程度でどうにかなるものじゃない。大体、このビー玉みたいなティアにそれだけのエネルギーが蓄えられると思う? これ自体をエネルギーにするならともかく」

「それは……」


 穹路の常識ではあり得ないとしか言いようがない。

 しかし、ここが二三〇年先の時代であることを考えると言葉に詰まる。


「そもそも最初期のAACSは、電源装置を含めてバスケットコート二つ分ぐらいの大きさがあった。最終的に教室一つ分ぐらいまで小型化されたけれど。でも、そこから僅か数年でここまで小型化できる訳がない。ティアはAACSの延長線上にあると思わせてるだけで実際は完全に別物なの」


 数日前にバスの中で真弥とした会話を思い出す。ティアには、AACSの発展形として考えては不可能としか思えない機能が確かに存在しているのだ。


「ティアの原理はメタフィジカルなもの……」


 ぽつりと呟くと、螺希ははっきりと驚きの表情を見せた。


「どこでそれを?」

「この前、真弥ちゃんに」


 腕を絡めてくっついている真弥に視線を落として言うと、彼女は何となく決まりが悪そうに曖昧な笑みを浮かべた。


「そう。……結局、形而上学なんて賢ぶって言っても、ただ単に人間にとって未知なだけなのかもしれないけれど。それに正直に言えば、私自身もこの推測は余り信じられないし」


 いつも何かを説明してくれる時とは異なる、少し躊躇うような口調から、螺希の自信のなさが窺える。

 しかし、現時点では発明者たる望月想永以外誰もティアの真実を知らないのだから当然だろう。


「宇宙と宇宙の生ける鏡との相互作用。宇宙の変化が宇宙の生ける鏡にも反映されるのなら、その逆もまた不可能ではない。……やっぱり言ってて馬鹿馬鹿しい」

「よく分からないけど、そもそも宇宙の生ける鏡って何なんだ?」

「意識が閉じられてるなら、人間は何も認識できない。逆に意識が開かれてるなら自分と他人、そして、世界との境界がないことになる。その矛盾を解消する一つの考えが宇宙の生ける鏡。閉じられた意識の中に森羅万象を映し出す鏡があり、それによって人間は認識しているという考え方。ライプニッツのモナド論にこんな考えがあったと思うけれど」

「ラ、ライプニッツ? 哲学者のか?」


 それが本当に技術の根幹なら、形而上学などと螺希が言うのも理解できる。


「ティアは宇宙の生ける鏡を通して宇宙に働きかけることで、これまでの技術体系では不可能と思えるような機能を発揮する。独立型は宇宙への限定的な干渉を、連関型はティア同士でのリンク機能による擬似的な相互干渉を、そして、進化型は宇宙そのものを介して他の進化型ティアや存在そのものとの完全な相互干渉を行える。そう私は予想してる」

「えっと、つまり?」

「つまり、物理法則の限定的な書き換え。そしてプログラムはその方向性を定めるためのもの」


 螺希はどこか歯切れ悪く言って、一つ大きく嘆息した。


「こんなの、明確な証拠なんて何一つない全くの妄想みたいなものだけれど、ね」


 それでも螺希の言葉にはただの妄想とは言い切れない説得力があった。

 それは彼女が自身の推測を限りなく正しいと思いつつも、そうであって欲しくないと考えていることが口調に表れているからかもしれない。

 何にせよ、発明者たる望月想永は既に死んでいるらしいのだから、これから研究を重ねていく以外にティアの真実に至る道はないだろうが。


「それにしても琥珀お姉ちゃん、遅いね」


 螺希との会話を黙って眺めていた真弥がそう言い、構って欲しいかのように体をぐっとさらに押しつけてくる。穹路はそんな彼女の頭を自然な動きで撫でた。

 そこへ、丁度噂をすれば影が差すの証明のように部屋の扉が開き、琥珀と一緒に則行も入ってきた。


「穹路君。話があるんだけど」

「え? あ、はい。何ですか?」

「……君に、頼みがあるの」


 琥珀の初めて聞くような深刻なトーンに一抹の不安を感じながら続きを待つ。


「天の御座へ行って、リンク機能の中枢を破壊してきて欲しいの」

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