第10話 二つのティア
結局、穹路には体に問題はなかったと伝えることしかできなかった。嘘を言うのは心苦しかったが、おいそれと本当の検査結果を告げられる訳もない。
そうして真実を隠したまま琥珀と別れ、穹路と妹の二人と共に家路についた螺希は、帰宅してすぐに伯父の則行に連絡を取っていた。
『すまないが、有用な情報は何一つない。相変わらず天の御座の連中は一方的に捜索を要請してくるだけだ。こちらからの問いには答えようともしない』
「……そう。分かった」
一日経って何か新しい情報が得られないかと思ったが、則行の言葉通り一日程度では何の進展もないことが分かっただけだった。
『改めて調べようとしても不審な点は見られない。巧妙に隠されているのか。それとも本当は何もないのか。いや、それはないか。……とにかく、何かしらティアに関する研究をしているのは間違いないだろうが』
「それは自明のことだと思うけれど。噂も何も関係なく、この時代で研究対象となるものといえばティアぐらいしかないんだから」
落涙の日の被害により、既存の技術の電子的な情報は全て消え去ってしまった。
旧時代の末期には紙媒体での記録は稀だったこともあり、そうした情報は人の記憶に残るもの以外全て消滅したと言っていい状況だ。
当然、生き残った科学者達も最初はそれを再構築しようと試みた。
しかし、急務だった復興に直接必要な技術には、ティアをそのまま据えなければならなかった。効率の面から、そうせざるを得なかったのだ。
結果、旧時代よりも遥かにティアに依存した社会ができ上がってしまった。
その技術がどれ程恐ろしい事態を引き起こしたのか誰もが知っている。
それでも尚ティアを求めるのは必要性以上に、人々はその力の全てを解明し、支配できると妄信しているからだと螺希は思っていた。
そして、パラダイムからして異なる桁違いの汎用性を前に、古い技術の情報を取り戻すことに目を向ける者など誰もいないだろう。
ティアの仕組み。各分野におけるティアの応用。今となってはそれが科学者の最大の関心事なのだから。
「じゃあ、何か新しい情報が入ったら、連絡して」
そう則行に伝えて家の電話を切り、深く溜息をつく。
そして、螺希は胸元で僅かに揺れるティアを握り締めた。
「……お父さん」
父の形見として母に託されたティアに呟く。
その技術が結果として父の命を奪ったとも言えるのに、形見が正にそれぐらいしかないことは皮肉としか言いようがない。
落涙の日。それが終息して間もない混乱期。
父はティアによる災害の被害者、あるいはその家族と思しき男に螺希の目の前で殺された。苦しみを長めるように急所を外され、少しずつナイフに切り刻まれて。
最終的に父の死を見取った母が言うには失血死とのことだった。
それから数日して母から受け取ったのが、螺希が首から下げているティアだった。
「……お母さん」
かつて母の部屋だった二階の一室を見るように顔を天井に向ける。
螺希の母は父の死後、日を追うごとに気力を失っていった。
不本意ながら祖父の遺産のおかげで食うに困りはしなかったが……。
最終的には家事や物心ついて間もない真弥の世話も全て、螺希がしなければならない程に母は弱っていた。
そして、螺希が十五歳になった日に、母は忽然と姿を消してしまったのだった。
二年前のその日の朝も、螺希はいつも通り母の様子を見にいった。だが、螺希が目にしたのはベッドの上に積もる砂と、その中で輝く一つのティアだけだった。
螺希は不思議とその砂が母の変わり果てた姿だと直感した。
しかし、そんな感覚だけでそれを母の死として認められる訳もなく、母は失踪したのだと思い込もうとした。
そんな螺希の気持ちに反して則行は、行方不明では法的に色々と面倒があるとして、認定死亡のような形で公的に死んだとしたのだった。
その時こそ則行には強く反発したものだったが、今や螺希もまた、母は死んだのだと心のどこかで受け入れていた。
あの優しかった母が行方を晦まし、自分達を放っておくなど信じられないから。
螺希は一旦自室に戻り、暗く沈み込みそうになった気持ちを切り替えるように部屋着に着替えた。それからリビングに戻ってくると、既に穹路と真弥はゲーム機の前で楽しそうに笑っていた。
本当に、真弥は随分と穹路に懐いたようだ。彼女は常々、お兄ちゃんが欲しい、と言っていたため、当然の結果かもしれない。
真弥にいつも身につけさせているあのティア、母の形見であるティアには常に危険から真弥を守ってくれる機能がある。
そのことも穹路に対して全く警戒心のない態度を見せている一因だろう。
当然、性格が一番大きな要因だろうが。
穹路の人柄は悪くない。むしろ螺希としては好感が持てていた。
しかし、琥珀の検査結果と空から落ちてきた時の異常な光景は気になる。
もっとも後者については、途中で気を失ってしまったため、真弥のように一部始終を見ていた訳ではないのだが。
となると、それでも信頼しているような真弥の態度こそ正答なのかもしれない。
穹路自身はやはり我が身のことだからか、思考を拒否するように空から降ってきた事実を無視しているようだ。
が、それを責めることはできないだろう。クライオニクスから目を覚ましてすぐに、そんなことを言われて信じろという方が無茶だ。
しかし、事実としてそれは厳然とある。
穹路に埋め込まれているというティア。それがあの再生力の原因に違いない。
だが、あの状態から身体を再生することができるようなプログラムは、今現在は勿論として旧時代でも存在しないはずだ。
やはり、彼の真実を知るには、琥珀の言う通り直接調べるしかない。
そこに、どのような真実が隠されていようとも。
「お姉ちゃん、ほら、お姉ちゃんも一緒に遊ぼっ!」
それでも今はまだ、もう少しだけ様子を見ていたい。そう螺希は思った。
真弥がこんなにも眩しい笑顔を見せてくれているのだから。
だから、螺希は意識的に表情を柔らくして、二人に近づいていったのだった。
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