第8話 ティアと螺希の過去

 始業式では昔と変わらず校長の長話があり、ある種の伝統のようなものを感じたが、それはやはり伝統的にしんどいものだった。

 話そのものが定型的で、去年も同じことを言っていたのではないかと感じさせるのが生徒を飽きさせる要因に違いない。

 だからと言って無駄に時事ネタを織り込まれて教訓めいた話をされても、それはそれで困るだけなのだが。つまり、早く終われ、ということだ。


 そんな始業式に引き続いてのホームルームも終わり、現在穹路は翠と他何人かの生徒と共に教室の掃除を行っていた。

 ホームルームでは翠が予測した通り、面倒臭いからとか言い出した琥珀に穹路は口頭で適当に紹介されただけだった。

 そんなぞんざいな扱いだったおかげなのか、特に騒がれることもなく、穹路は自然にクラスの一員になれたような気がしていた。

 まあ、気がするだけで皆、単に戸惑って様子見しているだけだろうが。

 ともかく、琥珀から多少の連絡事項を伝えられた後、すぐに放課後を迎えることになった訳だ。しかし、廊下側の縦一列が掃除当番だったため、穹路は初日から教室の掃除をする羽目になったのだった。


 穹路の左隣の席で当番にならずに済んだ螺希は、真弥と待ち合わせをしているから、と既に教室を出ている。後で真弥と一緒に戻ってくるとのことだ。

 そんなこんなで穹路は久方ぶりに掃除当番を体験していた。


「全く相坂って名字は損だよね。出席番号はほぼ確実に一番になるもん。授業じゃよく当てられるし。今日は初っ端から掃除当番だよ」


 翠は穹路の隣でそんな不満を言いながら、しかし、口だけでなく手もしっかりと動かして仕事をこなしていた。


「でも最終的には同じくらいなんじゃないか?」

「本当はそうならなきゃいけないはずだし、そうなってると信じたいけどね。やっぱり最初ってのは変に印象に残るよ」


 モップで教卓側の床を丁寧に拭きながら穹路は内心で同意した。それは理解できる。理解はできるが、それは出席番号一番の宿命だとしか言えない。

 翠も長年の経験から言っても詮のないことだと分かっているのだろう。

 彼女は深く嘆息しながらも怠けたりせず、教卓側半面の仕上げにかかった。

 前方が終われば、後は後方に集めた机を前に移動させ、残りの面も同様に綺麗にすれば完了だ。久しぶりの教室の掃除も終盤に差しかかる。


「でもさ。こういうのも教育の一環なのは分かるけど、楽できる技術があるならそれを使うべきだと思わない? 皆文句言わないけどさ。この時代に目覚めたばかりの穹路君ならあたしの気持ち、分かってくれるんじゃないかな」

「楽できる技術って、例えば?」

「それは勿論ティアだよ」

「……え、っと、ティア?」


 聞き慣れない言葉に穹路は床を掃く手を止めて聞き返した。


「あれ? 螺希からまだ聞いてないの?」


 驚いたように言って、翠もまたモップの動きを止めた。


「螺希ったらティアのこと、教えてないんだ。……でも、まあ、仕方ない、か」


 考え込むように翠は目を閉じて、しかし、どこか納得したように頷いた。


「望月君、相坂さん。喋るなとは言わないが、せめて手は動かした方がいい」


 翠にその反応の理由を問おうとしたところで、諌めるように声をかけられる。


「それに、早く掃除を終わらせて、後でゆっくり話した方が気も楽じゃないか?」


 それは朝、翠との会話の中で話題となっていた桐生武人だった。

 彼も同じ列なので、当然ながら掃除当番だった。

 その武人は話をしながらもテキパキと掃除を続けていた。

 行動が逐一素早く、だからと言って雑ではなく正確で、そこから優秀という評判の一端と真面目さがよく見て取れる。


「ああ、悪い。桐生君の言う通りだ」

「そ、そうだね。ごめん」


 二人揃って武人に謝ると、彼は軽く頷いた。


「いや、確かにティアを使って自動で清潔にしておいた方が効率面でも衛生面でも遥かにいいとは俺も思う。しかし、人の手による適当さが免疫力を保つためにも必要という話もあるし、何より決まりは決まりだ」


 武人の言葉に穹路は、過度に衛生面に気を使った結果、アレルギーを持つ人がかえって増えてしまった、という話をかつての時代で聞いたのを思い出した。


「何にせよ、手早くやってしまった方がいい」


 武人の言葉に穹路と翠は頷き、一先ず掃除に集中することにした。

 そのおかげか比較的早く掃除を終わらせることができ、琥珀にその報告をしに行った生徒が帰ってきたところで解散となる。

 しかし、まだ螺希が真弥を連れて戻ってくる様子がなかったため、気を利かせてくれた翠を話し相手に廊下で待つことになった。


「じゃあ、俺は帰るから。望月君、相坂さん、また明日」

「また明日」

「う、うん、またね」


 武人を見送る間、翠の目は彼の姿が見えなくなるまで彼の背を追っていた。

 その目はポーッとした、いかにも恋する乙女な感じの目だった。


「何なら一緒に帰ればいいのに」

「そ、そんなこと、できないよ。まだ」


 翠はそう言って恥ずかしそうに顔を赤らめていた。確かに、まだ話をするだけで精一杯という感じが見て取れる。彼女の春は当分先のようだ。


「まあ、それはいいとして、さっきの話の続き」

「へ? えっと、何だっけ」

「ティアってのは何かって話」


 教室前の廊下で、冷たい壁に背を預けながら翠に尋ねる。


「ああ、それは、えっと、うーん、詳しいことは授業でやってくれると思うけど、簡単に言うと物凄い装置の名前なんだよ」

「それじゃあ、説明になってないよ……」

「ごめんごめん」


 翠は悪戯っぽく笑うと、穹路の隣で壁に寄りかかった。


「でも、ちゃんと一から説明しようとすると結構面倒な上に難しいんだよね。完全に解明されてる訳でもないし。まあ、とりあえずは概略だけでも知っておくと後が楽になる、かな」


 そう言うと、翠はスカートのポケットからビー玉ぐらいの大きさの宝石のようなものを取り出した。

 それは青色の澄んだ光を放っていて、その色からは水が連想される。

 いや、水というものは本来無色なのだから、むしろ水の惑星たる地球、だろうか。


「これがティア。で、内部に適切なプログラムを書き込んで起動させると、それに従って自身の形状を再構成して、更には様々な機能を発揮させることができるの。だから、例えば掃除の時には全自動の掃除機を作ったりもできる。勿論そのためのプログラムを考えて書き込まないといけないけどね」


 翠はそう言いながらティアを手の中でコロコロと転がした。

 彼女は当たり前のことのように言うが、それが本当なら、軌道エレベーターすら霞む程の驚くべき技術だ。

 正直、かつて身近にあった、あるいはメディアで取り上げられていた最先端の技術とやらの延長線上に存在するとは思えない。

 もはや魔法のようにも思えてしまう。


「この時代の生命線とも言える技術なんだ」


 翠は手の動きを止め、何故か悲しそうな目でそのティアを見下ろした。


「でも、だったら何で螺希は教えてくれないんだ?」

「それは……これを発明したのが螺希のお祖父さん、望月想永博士だから」


 それが何の関係を持つのか、と穹路は尋ねようとした。が、翠の哀愁を帯びた表情を前にそうすることはできなかった。ただ彼女の言葉の続きを待つ。


「この技術はね。旧時代の末期に登場したんだけど、当時のあらゆる技術より汎用性が優れてるとして急速に広まったんだ。人口問題とかが逼迫してたから、原理が完全に解明されないままで」

「理屈も分からないのに?」

「うん。根本の原理が分からなくてもプログラムさえ書き込めば、誰でも操作はできるからね。そして、その事実だけを見て、一般の人達はティアの全てを理解したつもりになってたのかもしれない」


 確かに、道具の原理を全て把握している使用者などほとんどいない。

 旧時代でもそうだ。

 例えば電化製品。操作はできても、その原理を全て説明できる者は果たしてどれだけいるだろうか。


「とにかく、それだけ凄い力を持ってたから、扱いを誤った時、その害も恐ろしいものになったの。その結果、既存の技術や過去の情報が破壊され、多くの人々の命も奪われてしまう程に」


 翠は目を瞑ってティアをきつく握り締めた。


「それが旧時代に終焉をもたらした事件。ティアという名にちなんで落涙の日、なんて呼ばれてる。そして、今の時代SAはそこから再びやり直そうという意思を表してるの。でも、結局今はこの技術に頼らないと生きていけないんだけど、ね」

「だから、螺希は話したくないのか?」


 穹路の問いに翠は小さく首を振った。


「一番大きな原因はそれじゃないよ。……SAの本当に最初期の頃はね。落涙の日の被害者の中には博士のことを凄く恨んでる人もいて、それで――」

「それで?」

「逆恨みもいいところだけど、螺希のお父さんが螺希の目の前で殺されたんだ」


 翠に告げられた事実に穹路は息を呑んだ。

 両親がいないことは知っていたが、まさか父親が殺されていたとは。


「その時には博士は生死不明の行方知れずになってたから、その代わり、だったのかもしれない。あるいは、その技術の利益と博士の影響力のおかげで時代が移っても変わらず豊かに暮らしてたのが許せなかったか」


 翠は深く溜息をついた。


「今ではその事件のおかげで、って言っちゃ悪いけど、世間は螺希達に同情的でそっとしておいてくれてる。でも、螺希は心に深い傷を負って……PTSDって言うのかな。今も血とかを見るとショックで気を失ったりすることもあるんだよ」

「……そ、っか」

「だから、螺希は別に意地悪して教えなかった訳じゃないの」

「ああ、それは分かってるよ」


 最初から意地悪などとは思っていない。

 螺希がそんな人間ではないことぐらいは、翠や真弥に言われなくとも、彼女自身の言動から信じられる。


「表情は出にくいけど、結構お茶目だし本当は優しい子だから、勘違いしないでね」

「大丈夫。真弥ちゃんにも言われたし、そうじゃなくても螺希は優しいと思うから」

「そっか。うん、やっぱり穹路君とは仲よくできそうだね」


 翠はにこっと笑って穹路の肩をぽんと叩いた。

 それから彼女は何かに気づいたように階段の方へと視線を向ける。


「あ、螺希達来たね」


 翠の言葉にその方向に目をやると、螺希と真弥の歩いてくる姿が見えた。


「ごめん。待った?」

「いや、相坂さんが話し相手をしてくれたから」


 むしろ丁度いいぐらいだ。

 色々と大切な話を聞かせて貰ったのだから。


「ごめんね。わたし、掃除当番になっちゃって」

「そっか。まあ、それは仕方ないよ」


 螺希の隣で申し訳なさそうに見上げてくる真弥の頭を穹路は軽く撫でた。それだけで彼女は花の咲いたような笑顔を見せてくれる。

 それから真弥は翠に顔を向けた。


「翠ちゃん、お姉ちゃん達と同じクラスなの?」


 真弥の質問に、翠は優しい表情で頷いた。


「じゃあ、これで六年連続だね」


 真弥は翠にそう笑いかけてから、再び穹路に視線を戻した。


「それで、お兄ちゃん。学校、どうだった?」


 そして、そう尋ねながら腕を絡めてくる真弥。


「悪くなかったよ。友達もできたし」


 翠をチラッと見て言うと、彼女はにやりと嫌らしい笑みを浮かべた。


「それも、女友達、だもんね」


 翠が妙に含みを持たせるような口調で言うと、真弥は何故か困ったような表情を浮かべて、爪先立ちになりながら耳元に顔を寄せてきた。


「お兄ちゃん、浮気しちゃ駄目だよ? わたしと一緒にお姉ちゃんを口説き落とすって約束したでしょ?」

「ま、真弥ちゃん!」


 穹路が慌てた反応をすると真弥は、半分冗談だよ、と笑った。

 しかし、その瞳の奥には相変わらず残り半分の真剣さが見え隠れしている。

 何にせよ、螺希の傍では心臓に悪い。


「どうかした? ひそひそ話なんかして」

「べ、別に何でもないよ」

「そ、そうそう。何でもない、何でもない」


 訝るように首を傾げる螺希に、二人一緒に誤魔化す。翠はその様子を見ながら、くすくすと笑っていた。


「じゃ、あたしはもう行くね。これから何か用があるんでしょ?」

「うん。先生に会いに行かないといけないから」

「そっか。また明日ね、三人共」

「ばいばい、翠ちゃん」

「また明日」


 小さく手を振ってから階段に向かう翠を三人で見送る。


「さ、行きましょ?」


 翠の背中が完全に見えなくなってから、螺希はそう言って歩き出した。


「あれ、職員室じゃないのか?」


 いきなり職員室への順路から逸れる螺希に問いかけると、彼女は首を横に振る。


「これから行くのは大学の研究室だから」

「ああ、そっか」


 確かに検査して貰うというのに職員室では何もできないだろうし、たとえ技術の進歩でできるようになっていたとしても色々と都合が悪そうだ。

 周りの目も気になるし、なるべく人がいない場所の方がいい。


「ほら、行こっ? お兄ちゃん」


 真弥に手を握られ、引かれるままに歩き出す。

 そうして穹路達は、螺希に先導されて高校の校舎を出ると、琥珀の研究室がある大学の研究棟へと向かったのだった。

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