二 未来、しかし現在、そして日常

第6話 朝の光景

 翌朝、穹路は螺希達と共にバスに揺られ、この新しい時代で今日から通うことになった学校を目指していた。

 今は最後列の広めの座席に三人で陣取り、左の窓側から穹路、螺希、真弥の順番で並んで座っている。


「お兄ちゃん、ちょっと疲れてる?」


 と、ぼんやりしていたせいか、真弥が螺希の奥から体を乗り出して心配そうに顔を覗き込んできた。


「ほんのちょっとだけ、ね。昨日、はしゃぎ過ぎたかも」

「深夜まで遊んでたんだから当然。真弥も、いくら春休み最後の日で名残惜しくてもやり過ぎ」


 螺希に呆れたように言われてしまい、苦笑いする。

 正直穹路としては大目に見て貰いたかった。

 二人と遊んでいる内に健康になった実感がようやく湧いてきて、思った以上に浮かれてしまったからだ。

 むしろ穹路には今感じている微妙な疲れすら心地よく、ありがたいぐらいだった。

 しかし、やはり姉としては妹の体調が心配なのだろう。

 螺希にとって真弥はたった一人の大切な家族なのだから。


 目覚めてすぐは現状認識に必死で、そこまで聞けずにいたが、後になって二人の両親が既に亡くなっていることを真弥に教えられた。自分の応対が二人だけだったことからも薄々近い想像はしていたが。

 真弥が言うには、近くに社会的地位のある伯父がいるそうだが、余り会うことはないらしい。今回のように螺希がお願い・・・をしに行く以外には。

 そんな状況で世話になるのは悪いんじゃないか、と穹路も一応は言ったが、結局他に行く当てなどある訳もなく、二人に押し切られる形で今に至っている。

 もう知り合ったのに放り出したら心配で眠れないよ、という真弥の言葉とその時の必死な表情が決め手だった。


「それにしても、学校か。本当に俺が通ってもいいのか?」

「大丈夫。穹路ぐらいの年齢だと多くはないけれど、前例もあるし。冷凍保存されてた人の中で、ある程度幼い子ならむしろ簡単な知識だけ教えて、学校に入れちゃうから。若い人から優先的に解凍されてたから、今ではかなり珍しいけれど」


 多分新しい遺跡が発見されたことになってると思う、と螺希は続けた。

 旧時代の人々が冷凍保存された施設も、この時代から見ればもはや遺跡らしい。

 それだけ旧時代とSAとの間には、時間的な隔たり以上に精神的な隔たりが大きいということなのかもしれない。


「真弥ちゃんの学校も同じ敷地にあるんだよな」

「そう。区立第一統合大学付属校。私達は付属高校で、真弥は付属小学校」


 旧時代末期の人口激減を受けて、大学は区画ごとに一つに統合されたらしい。

 高校以下は一部合併程度で選択の幅も多少はあるそうだが。

 昔程は大学への進学率が高くないことも、その一因に違いない。

 現在では、大学付属の高校以外から大学に行くことは稀なようだ。

 そういった現在の社会、価値観の根底には、恐らく人口激減の引金となった事件の影響があるのだろう。

 そして、それこそ穹路が今、最も知りたい事柄なのだが、螺希は躊躇しているのか話を逸らすばかりだった。

 もっとも、価値観を左右する程の重要な話であれば、螺希から無理に聞き出さなくとも自然と知ることになるはずだが。


「……しかし、あれ以外はこう、凄い未来の技術って衝撃を受けるものがないよな」


 穹路は窓の外、天を貫いてそびえ立つ軌道エレベーターに視線を向けて呟いた。


「それは仕方がないと思う。今の技術水準は本当に極端だから。旧時代、それも穹路の時代と同レベルかそれ以下のものもあるだろうし。でも、あの学校で学ぶものにはきっと穹路も驚くはず」

「そっか。それはちょっと楽しみだな。……でも、学校、か」


 主観的に言って直近数ヶ月の間、学校には通っていない。

 そのため、口にした通り楽しみな気持ちも確かに大きかったが、同時に不安もまた心の内にはあった。


「ところで、螺希」

「何?」

「言われるままに着てきたけど、この制服、どこから持ってきたんだ?」


 穹路は今、紺色のブレザーに赤いネクタイ、灰色のスラックスという姿だった。

 外見的には昔の同じような制服と変わりなかったが、素材が違うのか何故か異様に動き易い。この服装のままで運動でもするのだろうか。


「昨日、帰りに買ってきたの」

「いや、でも、体の寸法を取ったのはその後じゃないか」

「それはお姉ちゃんが夜鍋して合わせてくれたんだよ。お兄ちゃんのために」


 真弥が嫌らしい笑みを浮かべながら口を挟んできた。


「それは、確かに言ってることは間違いとは言えないけれど……」


 螺希は、真弥が言葉の意味以上に何か含みを持たせるように言ったためか、どこか困ったように呟いた。


「そっか。ありがとう、螺希」

「そんな、別に大した作業じゃないから」


 僅かに照れたように俯きながら、螺希はまた呟くように小さな声で言う。

 やはり彼女の表情の変化はよく見なければ判別できない。

 しかし、表情の変化が小さいだけで感情自体は中々豊かなようだ。

 じっくりと彼女の顔を見ていると分かる。

 とは言え、余り見詰め過ぎると恥ずかしそうに顔を背けられてしまうのだが。


「でも、とっても似合ってるよ。お兄ちゃん」

「そ、そうかな。ありがとう。真弥ちゃんも、制服姿も可愛いね」

「本当? えへへー、ありがと」


 とても嬉しそうなニコニコ顔になる真弥の手前で、螺希に氷のように冷たい瞳で睨みつけられる。

 妹のことが絡むと螺希は感情が表に出易くなるようだが、今はそんな彼女に苦笑いするしかなかった。


「お姉ちゃんはどう?」


 位置的に螺希の顔が見えないはずの真弥は、その表情に気づいていないのか、あるいは実は気づいていてわざとなのか、無邪気にそう尋ねてきた。


「勿論、螺希もよく似合ってるよ」


 相変わらず睨み続けている螺希へのある種の仕返しにその目を真っ直ぐに見てそう言うと、彼女は一転して珍しくはっきりと驚いたような表情になった。

 そして、ほんのりと顔を赤らめ、それを隠すように真正面に向き直ってしまう。

 真弥はそれを見て、螺希の奥でにやりと笑っていた。

 穹路の制服と同様、二人の制服もかつてのものに似た、白を貴重としたセーラー服だった。同じ大学の付属校であるためか、二人の制服の違いは襟の部分、セーラーカラーと胸元のスカーフの色の違いだけだ。

 襟の色が小中高の違いを表し、スカーフの色が学年を表しているらしい。

 小学生である真弥の制服の襟は水色で、五年生になるためスカーフの色は朱色。螺希の制服は襟が紺色、高校三年生になるためスカーフの色は赤色だった。

 共にスカートはプリーツのついた紺色のもので、真弥は白いハイソックスを、螺希は黒いオーバーニーソックスを履いている。

 男子の場合はブレザーの色が前者を、ネクタイの色が後者を示しているそうだ。


「あ、そろそろ見えてきたよ。わたし達の学校」


 真弥が人差し指でその方向を指したため、穹路はそこに視線を向けた。

 かつての東京に当たるここ、日本第一区の中心部一帯を占める巨大な建造物群。それを見ると、同じ場所ながら確かに過去とは違うことが改めて実感できる。

 ドーム状の建築物や密集したビル、そして、恐らく校舎だろう何棟かの建物が渡り廊下で繋がったもの。

 かつての帝大よりも遥かに強い影響力を持つらしい区立第一統合大学とその付属校だけあって、その外観に圧倒されてしまう。


「あのビルは大学の研究室とかで、あっちの繋がった建物の正面左が小学校、真ん中が中学校、右が高校の校舎だよ」


 真弥のアナウンスを参考に全体を見渡すが、穹路の記憶にある学校のイメージと比べると一つ象徴的なものが足りなかった。


「グラウンドはどこにあるんだ?」

「普通の地面の運動場のこと? それは……あの建物とかの中にあるよ」


 真弥の指差す先には四、五階ぐらいの高さで、外観は体育館のような建物があった。そこだけでなく、同じような建物は数棟確認できる。

 教育段階によって使い分けられているのかもしれない。


「もちろん普通のフローリングの体育館も畳張りの道場とかもあの中にあるよ」

「じゃあ、あのドームは何なんだ?」

「あれは天候やその他様々な環境を調整できる特別な訓練施設。それより、もう降りるから二人共準備して」


 その螺希の言葉が終わるよりも少し早くバスは速度を落とし始め、制動を体で感じる間に完全に停車した。

 そして、一部色の違う制服を着た数人の生徒達の後に続いてバスを降りる。

 通学の時間帯にしては全く混んでいなかったため、実にスムーズに下車できた。


「何か、変に空いてないか?」

「この方向に会社は少ないから通勤に利用する人はいないし、あの学校に通ってる人の多くは寮住まいで、専用バスがあるから。ほら、あっち」


 螺希の視線を追うと、丁度それらしいバスが到着し、前の扉からよくもそれだけ入っていたというぐらいの生徒が吐き出されていた。

 その様子を見ただけで中の息苦しさが容易に想像できる。


「後、それ以外のほとんどの人は家が近くて自転車か歩き。公共交通機関を使ってるのは自宅住まいで家が遠い人だけだけれど、全体から見るとかなり少ない。そういう人は普通寮に入るから」

「わたし達の家は全校生徒の中で一番遠いかも」


 そう言った真弥は先に校門を潜り、くるりと穹路達を振り返って続けた。


「じゃあ、わたしはあっちだから、また放課後ね。お姉ちゃん、お兄ちゃん」

「あ、ああ、うん。気をつけてね。真弥ちゃん」

「お兄ちゃん、ここはもう学校の中だよ?」


 くすくすと笑いながら背を向けて、真弥は小学校の校舎へと駆けていった。

 何となく決まりが悪くなって頬をかきながら螺希の方を見る。と、彼女は真弥の後姿を眺めながら小さく微笑んでいた。

 そんな螺希の優しい表情はとても綺麗で、穹路は思わず目を奪われてしまった。


「どうしたの?」


 その視線に気づいてか、螺希は戸惑ったように折角の微笑みを抑えてしまう。


「いや、笑った表情がいいなと思って」


 それが余りにも勿体なくて、穹路は無意識に正直なところを口に出してしまった。


「そ、そう」


 螺希の笑顔は、人を明るい気持ちにしてくれる真弥の無邪気な笑顔とはまた違った、安らかな気持ちにしてくれる静かで穏やかな笑顔のように穹路には感じられた。

 惜しむらくは、そういう表情は真弥に関連してしか見せないことか。

 こうして傍で見ていなければ、螺希のそんな魅力には気づけないことだろう。


「そんなことより、まず担任の先生のところに行かないと」


 何やら誤魔化すように、しかし、どことなく照れたように早口で言い、螺希は穹路に背を向けると高校生用の昇降口へと歩き出してしまった。


「あ、螺希、待ってくれ」


 穹路はそんな彼女の後を慌てて追いかけた。つい口走ってしまった言葉に、今更強烈な恥ずかしさを感じながら。

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