第24話:ぼくは、……女の子になりたい
例えば地獄も天国も、
この、今みんなが生きている、同じ世界の同じ場所に、同時に、重なり合うように存在している、という考え方がある。
同じ場所、同じ空間、同じ時間、
だけど全員、
違うフェイズ、違うレイヤー、違うレベルの世界を生きている。
みんな違う苦しみ、違う悲しみ、違う宿命を背負い、
同じこの世界で、人生を同時に、歩んでいる。
なので、ときに意外な言葉をぶつけられて、戸惑うこともある。
例えばこんなふうな。
「ねえ、女装してたって、マジ?」
休憩時間、次の時間は体育、女子がいなくなった教室で、着替えながら、一人の男子生徒がそう話しかけてきた。
蓮見くん、——ちょっと不良っぽいんだけど、意外とまじめな子。実はあんまり気は強い方じゃないかも。そんな生徒の、鋭く棘のある言葉、悪意が露骨に透けて見える、そんな態度。優は、蓮見くんの、その発言の意図を測り兼ねた。蓮見くんとはあまり話したことは無かったが、どちらかと言えば互いに、まあ好意的な関係ではある、そう思っていたのだ。
「襲われた時、オンナの制服着てたって、……なんで?」
「なんで、って……」
突っかかってくるようなしゃべり方、いらいらした感じ。
「それにさぁ、成瀬って、なんでそんなオンナみたいなの?」
「そんなこと、……」
優は口ごもる。なんでそんなこと言うの? という気持ちが強かったし、それに、争いごとは、今は嫌だった、とても嫌だった、言い返せない。
「おまえって、ホモなワケ? オトコが好き、とかさ」
さすがにハッとなって、視線を上げた。
互いの視線がぶつかる。
だが想定していたのだろう、蓮見くんは特に表情も変えず、揶揄うような、やや挑戦的な眼の色でこちらを見据えていた。
「そんなこと、……ないよ」
もちろん考えてみたことはある。隼人のことは大好きだ。でも、オトコが好き、というのとは違う。結果論的には、同性愛者、ということになるかも知れない、けどぼくは、ユキのことが、……
「それとかさあ、おまえ、自分はきれいとか、可愛いとか、思ってる? そんなオンナみたいな顔して……」
不意に起こったカン高い笑い声に、蓮見くんの声が遮られる。
神経を逆撫でする、不快な笑い声。
教室の反対側、廊下側にいる四人の男子生徒が発した笑いだった。着替え終わっていたその四人は、椅子や机の上に腰掛け、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ていた。優と蓮見くんとのやりとりを、悪意を以って楽しんでいる、そんな感じだった。
そして、蓮見くんの顔が、少しだけ赤くなる。
——ああ、そうか。
眼のまわりを赤くした蓮見くんを見て、優は思う。
蓮見くんが今、ぼくに絡んできてるのと、この四人がこちらを見てるのとは、何か関係がある。そう思った。この少し前に、きっと何か、やりとりがあったんだ。そしてそれはきっと、蓮見くんがぼくのことを何か言って、そしてこの四人にそのことを揶揄われて、……
優は、なんだか悲しい気持ちになった。
そして下を向いて、体育の服装に着替えるために、休めていた手を動かしだした。休み時間が終わってしまうし、それに、なんだかくだらない、めんどくさい。ボタンを外してワイシャツを脱ぎ、Tシャツ裾を摑んで頭から脱ぐ。それが、悪意でわざと無視している、と映ったのだろうか、蓮見くんは一瞬、怒りの色をその眼に湛え、しかしすぐに揶揄うような表情を作って、
「女子の制服着てたって、おまえ、ひょっとして、——」
そして、ひどい言葉を口にした。
「——ひょっとして、
「ちがうっ!」
優は怒鳴った。その大きな眼で、蓮見くんを睨みつける。蓮見くんは怯んだ、そして眼を逸らした、眼を合わせていることが耐え難く、困難だった。
「ぼくはっ、——!」
きれいな顔の人が本当に怒ると恐い。怒りが、濁りなく明瞭に、クッキリと表現されてしまうからだ。他の四人も笑いを消し、真顔になって黙る。
「ぼくは、……女の子になりたい」
静寂が室内に張り詰めた。教室の外から聞こえるざわめきが、やけに騒がしく聞こえる。
誰も笑わなかった。
半裸になった優のその姿は、男性的とも女性的とも言い難い中性的な印象で、見る者に、ローティーンの少女の裸体を想起させた。
――女の子になりたい、
優の、その言葉には説得力があった。
伸びやかな柔らかいフォルム、
白くてすべすべした肌、
健やかに伸びた長い手足と、
小さな、可愛らしい顔、
栗色の前髪の間からのぞく、
きらきらと光る大きな瞳、——
優はもちろん男の子だが、男性が女性に求める魅力の、ほとんどすべてを持っていた。もちろん、胸がないことを除いては。
「ぼくは、……妹に、ユキになりたい」
でも誰も笑わなかったのは、きれいだったから、だけじゃない。
優の白い裸身を黒く隈どる、黒く這い回るそのあざは、成熟した男性の、そのケダモノじみた欲望の「跡」だった。その手が、欲求が、その肌を、その部位を、
這い回り、汚した軌跡だった。
男性の激しい欲望を受け止めきれずに、その柔らかい肌を傷つけられてしまった、汚されてしまった、そんな十代初めの、少女の裸身そのものだった。
そしてその欲望に、中学三年生である彼ら自身、身に覚えがあった。
みんなは優の、その白い肢体から、這い回る欲望の残像から、その愛着と狂気から、目が離せない。
「ユキを愛してるっ、だから、……ぼくは女の子になりたい」
優は涙を見せたりすることなく、静かに口を閉じた。
蓮見くんは、瞬きできない。
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