第8話:きれいで、可愛いくて、目が離せなくて

国語科準備室の扉が開いた。

廊下から光が差し込み、風が入って来る。

反対側の窓が開いているせいだ。

教育実習生の 国武くにたけ 隼人はやと は、眼鏡の下で目を細め、光の差し込む方を見た。


――最初、女子生徒なんだと思った。


白のワイシャツが似合う、少し背が高めの、可愛い女の子。

細くて、華奢で、でも伸びやかな印象の身体。

成長期であることを感じさせる柔らかなシルエット。

しみひとつ無い乳白色の肌。

小さく、端正で、でもあどけなさの残る顔。

星屑みたいにきらきらと光る、女の子らしい優しげな瞳。

可愛いだけじゃなくて、ちょっとカッコイイ感じ。

ショートボブがよく似合っている。


「2年1組、国語係です」

少し鼻にかかった感じの可愛い声。

「おー、ユウ、お疲れさん」

常勤の国語科の先生が声を掛ける。

――ユウ?

教育実習生の隼人は、その名前を反芻した。

男子の名前である。

ということは、2年1組、自分の受け持ちのクラス、

――成瀬なるせ ゆう

男子だ、間違いなかった。

そういえば確かに、ブラウスじゃなくてワイシャツだし、それに黒のスラックス。

しかし一見すると女子に見えてしまう。

「ユウ、こちら、今日から国語の授業を見てくれる国武先生な」

優が隼人の方を見る。

——大きな目、長い睫毛、

「おはようございます、えっと、クニタケ先生」

上目づかいにこちらを見る、はにかんだ表情。

——可愛いな、ホントは女の子?

「おはよう、成瀬くん、国武隼人です、よろしくね」

「ハヤト先生、……」

優は透きとおる瞳で隼人を見ながら、小さな声で、そう言い直した。

——ハヤト先生

ゾクッと、痺れるような戦慄が、隼人の背筋を走った。


初めての授業を終え、緊張から解放された隼人は、やや興奮した面持ちで教室を後にした。

「ちょっと待って下さい」

振り返ると優が走ってやって来る。

「持ちます、ハヤト先生」

教材を準備室まで一緒に運んでくれるという。

「ありがとう」

教材と言っても、——教科書と、授業準備用の資料が綴じてあるレターファイル1冊と、配布物プリントの残りだけだったが、配布物プリントだけ持ってもらうことにした。

授業の感想が聞きたかったし、それに、可愛い子だし一緒に歩きたい、という気持ちが、心のどこかにあったのは否定できない。

「今の授業だけど、分かりにくいとことか無かった?聞こえづらい、とか」

「ハヤト先生の声、すごい大っきいから大丈夫ですよ、……でも、」

優がおかしそうに笑う。

「でも……?」

「ふふっ、……ハヤト先生、黒板の字、ヘタだよね」

そう言って、弾けるような笑顔をみせた。

瞳がキラリと大きく光り、血色が上った頬がバラ色に染まって、ドキッとするくらいきれいだった。少しだけ、いたずらっぽい表情。

「そんなことないよ、……って、そうかな?」

答えながら、しかし隼人は、優の表情から目が離せなくなっていた。


柔らかそうな、さらさらの髪、きれいな栗色で、触ってみたくなる。

きれいな肌、血色がまだらに透けて見えて、触れてその温度を確かめたい。

透明感を湛えたきれいな瞳、深く清らかな泉の底を覗いているようだ。

そして淡紅色に、小さく色づく、可愛いくちびる、そのくちびるを、……


優が、

くちびるに指をあてた、そしてその指を見た。

何か付いてるのかな?そんな仕草。

——イケナイ、しまった!

何も付いていないことを確かめると、優は、何かを訊ねるような目でこちらを見た。

首を少しだけ傾げる、栗色の髪が揺れる、くそっ、可愛いな……。

「いやっ、ゴメン、違うんだ、そうじゃなくて、……」

言いよどむ、だって、何て言えばいい?

優は頬にその指をあてた、少し不安そうな表情。

——マズイ、何か言わなきゃ、こっちが慌ててるのを見て混乱してるんだ!

「ゴメン、……」

隼人は焦った、そして、つい、口が滑った。


「成瀬くんが、きれいで、可愛いくて、目が離せなくて、……」


優は目を丸くした。

口が少しだけ開いている。

その表情は驚いているようにも、ぼんやりしているようにも見えた。

次の瞬間、

ボッ、っと音がするくらい、急激に顔が赤くなった。

それを見て、しまった、と思った。今なに言った?オレ――

羞恥に揺れる目の色、困ったような表情、指を口にあてている。

眉を切なそうに寄せて、こちらの視線を避けるように、瞳が左右に泳ぐ。

何か言いたげに、あいまいに口が開いたり閉じたりする。

「ちがっ、……あの、ごめん」

何も言えなかった。

男の子を、女の子扱いしたことになる。

思春期にこれから突入する、微妙で、たぶん傷つきやすい時季。

無神経に、不用意に何か口にすれば、取り返しがつかなくなるような気がした。


気まずい雰囲気のまま、国語科準備室まで来た。

優は配布物ぷりんとを隼人に渡し、踵を返そうとした。

優の右手が、隼人の左手に触れた。

優は、ビクッと肩を上げ、右手を引っ込めた。

視線がぶつかる、顔が赤い。

恥ずかしさのせいなのか、目が涙に潤んで見える。

「失礼しますっ」

優は顔を伏せ、前髪に表情を隠しながら踵を返した。

――強い拒絶、

優が走って行くその後姿を、隼人は見なかった。

見ることが出来なかった。

後ろ手に扉を閉める。

誰もいない。

隼人はうな垂れて、深くて長いため息を、だぶん3回くらいいた。


優は教室まで足早に歩いた。

顔は赤く、目のふちに涙が浮かんでいる。

感情の高まりに、涙腺が耐えられなかったのだ。

触れた右手を、くちびるに当ててみる。


――きれいで、可愛いくて、目が離せなくて、……


くすっ、と優は少しだけ笑った。

うれしかった。

ガラスに映る、自分の姿を見る。

青空の中から、淡い色彩の美しい少女が、こちらを見ている。

雪季ゆき、……

優は小声で囁いた。


――きれいで、可愛いって。




































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