第11話:「タピオカミルクティー」うれしそうに優は声を弾ませる。
駅から商業施設へ抜けるペディストリアンデッキの、その通路に面している喫茶店に隼人はいた。まだ新しい内装、明るい店内、その窓際の席に座り、行き交う雑踏と、その向こうに広がる五月の空を見る。
何となく落ち着かない気分だった。教員資格取得のためにお世話になっている、その学校がご両親から預かっている大切な生徒と、学校の外で会う。少しだけ後ろめたい気持ちだった。
しかし他方では、優と会うのを楽しみにもしていた。制服以外の、私服を着た優を見てみたかったし、学校の外ではどんな男の子なのか、興味があった。
雑踏の向うの、青く抜ける空。
その空は高く、そしてその色は深くて、漆黒の宇宙を想起させた。
寝不足の頭を、雑踏の音と店内のざわめきが圧迫する。軽く目を閉じる。
ふと、影が差したような気がした。
隼人は目を開けて、前を見る。
驚いた。
まだ年端もいかない、でも美しい女の子が、目の前に立っていた。
夢を見ているような気分。
黄色の、ミニのワンピース。
ウェストが細い、というか、小さい。
生成り色のレギンスがちょっとだけセクシー。
きれいなシルエットの脚。
眩しいほどの白い腕。
子供みたいな小さな肩。
薄い頬と、淡く色づく可愛らしいくちびる。
優しげに潤んだ大きな瞳。
その瞳がはにかんだように揺れて、こちらを見ている。
――誰?なんで僕を見てる?
そう思った。
「先生」
女の子が言う。
――あれ?うちの学校の生徒?
返事が出来なかった。少し混乱していた。
「ハヤト先生」
「え、……」
栗色のボブを揺らして首を傾げる、その仕草、……見覚えがあった。
「優?……」
「正解っ」
にこっと、でもちょっと恥ずかしそうに、女の子は笑った。
口元に指を当て、小さく肩を竦める。ほんとに女の子みたいな笑い方。
その女の子を、というか優を、書店に連れて行った。
海外文学の文庫本コーナーに案内し、そこで目当ての本を見つけた優は、飛び跳ねて髪を揺らし、白い指でほほと口を押さえて、きゃーきゃー言ってはしゃいだ。再三繰り返したとおりの、少し鼻にかかった可愛い声で、箸が転がっても可笑しいと世に云う、まるで十代初めの女の子そのものだった。
その後、優はその厚い文庫本を片手に、書棚の間をしばし回遊した。例えば本屋を模した水槽を泳ぐ、鮮やかな色彩の熱帯魚のような、そんな美しさだった。
金色に輝く濡れたように美しい髪と、
小さな両肩、
すっと伸びた背筋と、
小さなお尻、
長くて健やかな脚、
レギンスの柔らかい生地に包まれたふとももと、
目にしみるほどの真っ白なふくらはぎ、
やっぱり女の子にしか見えない。
顔が女の子っぽい男の子、というのはよく聞く話だが、優の場合は少し事情が違っていた。
例えば、ミニのワンピースの裾から覗くふともものラインは、完全に若い女性のそれだし、ひざの曲げ方や足の角度も、まったく女の子のようで、男の子のそれとは違って見えた。
性同一性障害、そんな言葉を隼人は想起した。本当は女性なんじゃないか?と逆に疑いたくなる。そんな筈は無いと、すぐに打ち消しはするが。
本人に自覚はないかも知れないが、優の女子としてのルックスは、それほどの、非現実的なくらいのレベルだった。
「なに飲む?、いいよ好きなので」
さっきとは別のカフェに入り、隼人は優に言った。
「タピオカミルクティー」
うれしそうに優は声を弾ませる。
「まさに定番な感じだね、イマドキの、……」
女の子の、という言葉は飲み込んだ。
「シェアして一緒に飲もうよ」
という優の提案をやんわり、しかし固辞して、隼人は別にコーヒーを注文した。
「もちもちしてておいしいっ!ハヤト、飲んだことある?」
先生、が抜けている。なんか付き合ってるみたいなムード。
「無いよ」
興味無いし、と言うより先に優はストローを隼人に向けた。
「いいよ、ハヤト、……」
きらめく瞳で、溶けるような笑みで、甘い香りとともに、優が言う。
「いいよ、優のだよ、飲みなよ」
「恥ずかしいの?ハヤト、……オトコ同士なのに?」
隣の席の夫婦がギョッとして振り返るが、優と隼人は気付かない。
「恥ずかしくなんか、別に、……」
そう言って、隼人は、優の差し出したストローにそっと口をつけた。
だって、断り続ける方がなんだか恥ずかしい。
にも関わらず、口を付けたその瞬間、隼人は背筋に甘く痺れる感覚を覚えた。
タピオカの粒をストローで吸いだして口に入れる、その行為が、ひどく性的で、さらに倒錯的なものに思えた。相手はまだ十三歳、それも男の子、しかも飛びきりの美少年だ。
そしてその弾力のある粒を、歯で噛み潰そうとして、にゅるっと逃げる。
腰から下が痺れてだるくなる。
前を見る。
少し意外で驚く。
だって、笑っていると思っていた。
顔を真っ赤にして、うろたえた優の姿がそこにあった。自分も小さく口を開けて、隼人の口元を見ている。大きな瞳に映る無数の光沢が揺れて、泣いちゃうかも、と少し心配になる。
隼人の視線に気付くと、優は赤面したまま目を横に逸らした。隼人も反対の向きに目を逸らし、咳払いしながらコーヒーの入ったマグカップに手を伸ばした。
気まずかった。
不適切だった。
考えが足りなかった。
こっちが大人なのだ。
「せんせえ、顔赤くなってるよ、……」
上目づかいに、優が言った。隣の席の夫婦の肩がビクッとなったが、優と隼人は気付かない。
「別に赤くなってなんか、……」
「って、自分じゃ見えないじゃん」
そう言って優は笑った、顔は赤いままだ。
「人にさせといて、優だって赤いじゃん、どうしてくれる?」
隼人も笑いながら返した。なんかしあわせ、ああオレ変態だ。
「びっくりした?」
優が隼人に訊いた。自分の「女装」について、だ。
夕方のバスターミナル上の通路を、並んで歩いていた。
「かなり」
隼人は思ったことをそのまま言った。
「だよね、……」
ごめん、変だよね……、しかしそう言うより先に、隼人は言葉を継いだ。
「でも、それほど意外な感じがした、って訳でもない」
「……」
「最初だけ、あとは違和感ないよ」
「えーっ、どっち?だって、かなりびっくりしたって、……」
優はようやく笑顔をみせながら、横から隼人の顔を覗き込んだ。
手を後ろで組んで、ちょっと前かがみになる。揺れるショートヘアが白い頬にかかり、大きくてクリアな瞳に周囲の景色が小さく映り込んで、とても美しい。
「最初に国語科準備室で見た時から、女の子みたいだな、可愛いな、って思ってたから、違和感ない。……別に男らしくない、とか、そういう意味じゃないよ」
優は少しの間、黙った。
そして、また顔を赤くするかな?そう思ったが、違った。
優は手を後ろで組んだまま立ち止まって、くるっと隼人の方に向いた。
そして夕刻の赤く染まる空を背景に、黒く潤んだ優しげな瞳で、隼人と視線を合わせた。
「また、学校じゃなくて、こんなふうに、……ぼくと会ってくれる?」
風が吹いた。
隼人は息を飲む、瞬き出来ない。
頼りなげにミニのワンピースの裾がはためき、乱れて靡く髪が、青白く影の差す頬を嬲る。
「優、……」
それ以上、言葉にすることが出来なかった。目の前にいるのはとても美しい少女で、まだ思春期を迎えたばかりの若さで、しかも本当は男の子で、まだ子供で、でもとても可愛くて、そして何故だか自分に好意を抱いていて、どう向き合うべきなのか、隼人は判断し兼ねた。混乱もしていた。
「せんせえ、……」
気が付くと優の目には涙が浮かび、それは目のふちから今にも溢れそうだった。
「もうダメだ、……」
隼人は歯を噛み締めて、そう呟く。
「え?……」
その声には答えず、隼人は、正面から優の身体を抱き竦めた。
細くて、華奢な身体。
柔らかくて、甘い匂いがして、あたたかい。
細くて子供みたいな髪が、頬をくすぐる。
お日さまの匂い。
隼人は混乱していたし、大人としての責任も感じていたし、しかし優の、その姿があまりに美しすぎて、愛しすぎて、もう耐え切れそうになかった。
「君が愛しい、僕も会いたい」
「ハヤト、……」
優は静かに、隼人の背中に手を回し、目を閉じた。
そして、
あの日の、
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