譚詩曲
十歳 禁じられた遊び
『禁じられた遊び』
ルネ・クレマン監督が千九百五十二年に制作した映画の名前だ。
その主題歌に用いられたことから、タイトルが定着している曲がある。
物哀しく切ない曲のメロディーラインをピアノで表現しようとすると、
親指より小指にウェイトを置かなくてはならない。人間の
最も
最も
十歳にして『白百合の病』に侵された孫。
『白百合の病』とは、私の愛娘を夭逝させた奇病であり、遺伝性の死病。
まるで自分は無関係なのだと云うように、娘の婿つまりミヨシくんの父は、この運命から早々と逃げた。時間の流れの中に取り残された孫と私。
老年の私と『白百合の病』に侵された孫は同類だ。
枯れることはあろうと育つことはない生命体。
未来への目標だとか夢だとか、そんな熱い希望的観測から遠いところで生きている。それは虚ろで、死を待つ日々で、逆さまの十字架を背負うような運命。
だが、私たちは運命を呪うことなく、
非常に透明な日々の積み重ねとして
毎日、私たちはアラームに急かされることのない朝を迎える。体内時計で自然に目醒めると、たいてい八時前後だ。つい先日まで入院していたミヨシくんと看病していた私は、病院の規則正しい生活形態に、すっかり馴染んでいた。
私は洗顔後に、髪と
孫は顔を洗い、黒いウィッグを装着する。私が退院祝いに贈った品だ。
『白百合の病』はミヨシくんの髪の色素を奪い、なんとも不可思議な
『白百合の病』は
その姿は父の私にとって「永遠の娘」で、娘が
遺伝性の病は隔世遺伝で現われるケースが多い。
夭逝した私の父は『白百合の病』であったらしい。らしいと書くには理由がある。私には父の記憶が無い。『白百合の病』の正体を封印して語らぬ家庭に育ったのだ。私は発病を免れて老年期を生きている。青年期には妻を迎え、ひとり娘を授かった。結果、娘は隔世遺伝で病の十字架を背負い、そして孫までもが。
隔世ではない。連続して現われた遺伝病。
ミヨシくんは十歳の或る日、小学校のピクニックの最中、
教師は、ぐったりと眠るこどもを揺り動かさず、救急に委ねた。突然の
その後、
孫は、祖父である私と、ふたりきりの静養生活を甘受する。
それは熱くなることを禁じられた
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