木曜日の折り紙

 観音開きのバリエーション。菊の花、花電車、湯飲み茶碗。

 ミヨシくんは、それらをおぼえてしまい『新訂・楽しい折り紙』というテキストは、書棚に仕舞い込まれた。


 彼が折り紙とピアノを求める理由。

 さかのぼれば、一昔前の残酷とも言える告知から始まった。


 ♪♪♪


「きみは、お母さんと同じ病気なんだ」


 医療施設と研究所を併設した建物の一室で、ミヨシくんの母の担当医をしていた男が言った。彼は、私の娘を看取ったあと、研究所の管轄で働いている。


「確かな治療法は分からない。

 けれど、きみの未来に起こりることは分かる。聞きたい?」


 白衣の胸ポケットに、ブルーの万年筆が差し込まれていた。ミヨシくんが頷くと、万年筆を白い紙に走らせ始める。私とミヨシくんは円椅子に掛けて、筆の流れを追っていた。


 ①白血球の一種が大量の自己抗体を産生し、

 ②血中で①と自分の細胞の成分が結合し、

 ③皮膚や腎臓に②が沈着し、

 ④組織が炎症する。


「こういうことが起こるとね、風邪でもないのに熱が出たり、だるかったり、ふらついたり、関節がいたむこともあるんだ。生活の上で気を付けてほしいのは、ひとつめに、日光や風を真正面から受け止めないようにすること。ふたつめに、怪我をしないようにすること。みっつめに、こまめな水分補給を心がけること」


 難しい病理を書いた紙を横に除けて、新たな白紙に分かり易い言葉で注意が書き付けられる。医師であり研究員である男の名札が揺れた。


「イワノ先生、もし僕が注意を守らなかったら、どうなるの?」


 十歳のこどもの瞳は純粋に、白衣の先生の名前を読み取ってたずねた。


「ひとつめに、肌が赤く腫れて痛くなる。ふたつめに、関節が外れて戻らなくなる。みっつめに、身体が枯れてしまう」


「枯れて、しまうの?」


「そうならないようにしよう。

 それから、これは言っておかなければならないことだ」


 イワノ先生が、躊躇ためらいがちに告げた。


「残念だけど、きみが今以上に、大きくなることはなくて、

 徐々に関節が、曲がっていくだろう」


 ミヨシくんは冷静に確認する。


「僕は育たないし、

 曲がってしまうんだね」


 育たないとは、私も初耳だ。娘は成人してから、白百合病を発症した。既に、おとなに育っていたミヨシくんの母には、説明されなかった病態の提示。


「今から処方する薬を飲んで、刺激を避けていれば、生きていられるよ」


 永く、とは言われなかった。どれぐらい生きていられるのか、私たちが訊ねることも、なかった。未解明の病だ。明確な答えなど、存在しないのであろうから。


「指先を動かすようにしよう。この辺りから、曲がってくる。動きが、ぎこちなくなったと気付いたら、我慢しないで言って欲しい」


 イワノ先生がミヨシくんの、まだ真っ直ぐな指骨を包んでいた。


 ♪♪♪


 小さい身体に不似合いな大量の処方薬を、飲み易い順番に食卓に並べては、溜め息をつく。十歳のミヨシくんには、錠剤を飲み干すことからして、苦行だったに違いない。ラムネ菓子を水で流し込む練習から、始めていた。


 ピアノを弾かせてと言ったのも、書棚から折り紙を選んだのも、ミヨシくんが幼き日の注意を忠実に守った選択。

 はたして、それを楽しいと思っているのだろうか。私は不安になる。


 ミヨシくんは黙々と、かざぐるまを折って、細かい折り目を付けて開いて、菊の花を完成させた。その花の形は歪だった。イワノ先生の言ったことは本当で、ミヨシくんは育たなかったし、徐々に変形している。


「ちょっと歪んじゃった。仕方ないよね」


 おとなびた諦め。不完全な生を、何処まで生きるのだろう。私は、ミヨシくんが良い子であるほどに、確認したくなる。問い詰めたくなる。


 きみは、幸せなのですか、と。


 ♪♪♪


「教えてください。

 きみは、幸せなのだろうか」


 その問いに、霊媒師に呼ばれた娘が、答えを返す。


「……幸せ。

 だって、おじいちゃんに愛されて、いるんだもの。

 私の息子は、そう言っているわ」


 私は週に一度、シャーマンを通じて亡き娘と会話していた。自分を納得させる言葉を求めている。弱い精神を持て余している。


「きみは、どうだろう。

 私の娘で、幸せだっただろうか」


「幸せよ。

 お父さんに、愛してもらったから。

 幸せな、女の一生だった」


 私は、同名の或る仏蘭西フランス文学に想いを転じた。

 籠の鳥にすることが、正しかったのか。


「大丈夫。お父さんは間違っていない。

 さぁ、帰ってあげて。ミヨシくんが待っているわ」


 濃紫こいむらさきのカーテンにおおわれた小部屋で、蠟燭ろうそくほのをが揺れた。

 私は、娘との会話を終えて帰路に就く。

 たいてい、木曜日の夜だった。


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