二章 異世界転生問題と教授のアルトロモンド 7




 やっとの思いで登り切った丘の上から振り返ると、ロンデニオンの街は茜色に染まっていました。まるで印象派の画家が描いたかのように幻想的で、建物の凹凸が真っ赤な水面から浮き上がって見えます。何処かへ帰るらしい鳥たちの一群もやけに映えており、この光景が情景であるかのような錯覚を覚えました。こんな景色が見られるのなら、何度だって苦しい思いをしても良い、とはなりません。


 辛いのも苦しいのも嫌なので、私は「はぁ」とため息を吐き、トボトボ帰路を進みます。


 上り坂を何度も折り返す街道にはまだ慣れておらず、やはり車での往来が必須である事を心に刻みました。


 長い長い折り返しの坂を上ったにも関わらず、そこから続くのはまだまだ長い緩い坂。『地獄峠』の愛称で親しまれる丘の頂に、私の寄宿先と、大佐の家がポツンとあるのです。


 周囲は草原が広がり、木立が散在していますが、何も無い寂しい峠。


 立地もさることながら、その名称にしても、魔女のが住むにはぴったりの場所でしょう。


 依然と力を持ち続ける眩い夕暮れに向かって歩き続ける最中、私は物思いに耽りました。




 数時間前、パンシパル教官はご自宅に設えた工房へ私を案内してくれたのです。


 中庭に建てられた木造の簡素な小屋、そこから地下へと伸びる階段があり、壁際の燭台に灯された蝋燭の明かりに誘われて行きます。おどろおどろしい雰囲気に私が息を呑み、おずおずと先を行く教官の後に続いて行くと、地下工房へと辿りつきました。


 地下工房は地上にある教官の自宅の一室よりも遙かに広々としており、実験器具が並べられた作業台から、魔術関連と思しき蔵書を収めた本棚が幾つもありました。


 そして、工房の一番奥の壁際に、それはあったのです。


 切り出した石灰岩を幾重にも組み重ね、矩形に形造られた重厚な人工物。


「これは・・・・・・」


 石橋やトンネルを組む時の方式を真似ているこの人工物は、大人二人が通れるほどの口を開き、奥に面した壁にピタリと接していました。厚みはそれ程深くはないものの、それはまさしく——石の門。教官が何か口にせずとも察する至りました。


 彼が研究の題材としているのは、小説『ゲニウスの扉』に登場する架空の創造器にして、何でも願いを叶えてくれると言われる万能の願望器『アルトロモンド』に他なりません。


 ふと、教官の切れるような流し目に気付き、心臓が窄まる錯覚に囚われます。


「レプリカさ。本物ではない。しかし、本物である必要もない」


 そう言って教官は石門の岩肌を愛おしそうにひと撫でしました。


「もう間もなく、一つの成果が得られそうなんだ。随分掛かったよ、三年……普通の学問にしてみれば早いだろうが、私には永遠にも等しかった」


 彼は私に振り向き、一つの問いを投げかけました。


「ルイズ君、アルトロモンドとはなんだろうか?」


「——願いを叶える魔法の、扉です……」私は戸惑い勝ちに答えます。


「私の見解は異なる」


 教官は穏やかな口調で続けます。いつかの午後の教室を思い起こさせる語り口。


 教壇に立ち、黒板の前で教本を手に歩く姿が懐かしさと共に甦ります。けれど、彼の横顔に当時の面影はありません。余裕と楽観が窺えたかつての柔和な笑みは消え去り、悲しみと悦びが同居するような狂気を滲ませる面持ちは、酷く危うい物に写ります。


「アルトロモンドとは、別の次元を指している。この世界とは別の世界に繋がるパスとなる魔術——もしくは、無数にある世界、多重世界、もしもの世界……パラレルワールドのハブとなる場所へ渡るための術である。私はそう仮説を立て、時空間への干渉が行われている召喚魔術を基礎として、次元の壁を突破する研究を続けてきた。間もなく、それが実を結びそうでね、この石の門はその為の装置さ」




 パンシパル教官は、アルトロモンドに対して私が想像していたような夢物語とは一線を画する見解をお持ちでした。その仮説が意味する物とは何か、召喚すら未だに扱えない未熟者には想像もつきません。教官は、このアルトロモンドのレプリカを私に見せてどうしたかったのか。何故こんな雲を掴むような研究に手を出したのか。


 疑問が首もとまで迫り上がってくるのを押し留めます。


 訊くべきだったのでしょうが、それは憚られました。


 優しかった教官が何か別の物へと変貌してしまったような、言い知れぬ不安感に襲われたのです。疑問を口にすれば、あの暗く重苦しい地下室から永遠に出られなくなってしまいそうな予感に従い、教官の自宅を逃げるように後にしました。


 私は帰路を辿りながら考え続けます。


 召喚魔術を基礎として、時空間へ干渉する研究に着手しているというパンシパル教官。


そしてアルトロモンドを模したと思われる石の門。これらの情報が組み合わさり、大佐の身に起こっている異常現象との関連性を疑わざる終えない。


 そう一つの結論に、懐疑的ながらも到達した頃、自宅が見えてきました。


「なんでしょう……?」


 丘の頂にある自宅の前に、人影が佇んでいました。


 もう陽が暮れる時刻ということもあり、真っ赤な日差しが逆光となって人影を作りだしているようです。身丈からして男性と思われますが、来客でしょうか——思った矢先に、鋭い日差しが目を突き刺し、私は咄嗟に視線を逸らしました。


 再び前を見据えると、既に人影の姿はありませんでした。


 その時は別段気にする事もなかったのですが、嫌に胸騒ぎがして私は小走りで家まで戻ることにしました。すると、意外にも庭先には大佐の姿がありました。ならばあの人影は大佐を見つめていた? そして大佐もそれを認識していた——という事でしょうか。


 やはり来客があり、大佐が見送りに出ていたのかもしれない。


 この事柄について自己完結に至ろうとしましたが、次に掛けられた言葉からこの認識が間違っていた事を知ります。


「見た?」と大佐。


 先ほどの人影の事でしょうか。


「え? あ、はい。どなたかいらっしゃっていたんですか?」


「……まあ半分正解ね」


 半分不正解、ならば残りの半分は何だというのか。


「あれは『影法師』よ」


 その言葉を聞いた瞬間、私は背筋が凍り付き、全身に鳥肌が立つのを感じました。


 影法師。

 それは世界中に伝えられている凶兆的な存在です。


 影法師を見たら悪いことが起こる。怪我に見舞われたり、身の回りでの人死や大災害の前日などにも目撃談があるそうです。子供が悪戯をして叱りつける際にも、影法師に連れて行かれるよ、なんて言われて子供達は震え上がるのです。


 総じて良くない事が起こる前触れでした。


「私、初めて見ました」


 怖くなってしまい、恐る恐る影法師が立っていた道を振り返ります。


 そこへ大佐の自宅からケメットがバタバタ飛び出し、道ばたに塩を撒いていました。


 影法師。


 この凶兆が意味する物とはいったい何なのか——。


 いやな予感を拭えないまま日は暮れて行き、やがて空は重苦しい夜の帷に覆い隠されてしまいました。




 創造器調査事務所、もとい『ドナルドカンパニー』兼、シンクレア大佐のご自宅にて、調査の報告をするためにリビングのテーブルを囲んでいます。


 ですがまずは、痴漢で現行犯逮捕された異世界の勇者たちに関する報告から。


 ケメットがファイルを手にして、真面目くさった表情で口を開きます。


「警察に依頼していた事情聴取の結果が届いております。報告はCMの後でいたしますので、チャンネルはそのままでお願いします」


「早くしなさい」


 ケメットの良く分からない冗談を、大佐は彼女ごと足蹴にして先を急かします。


「あの勇者達は、大きく分けて三つの国から送り込まれておりました。『ニホン』『ニッポン』『アイフロム・ジャパン』だそうですニャ」


 セレス系の見た目をしている事から、セレス地域の諸国家のどこかだろう——そういう見立てをしていました。しかし、お縄に付いてからも彼らはこの調子を崩さない。


 その様を見るに、嘘を吐いているわけでは無いのかもしれません。


「話を聞く限り、彼らは全員が不法入国者のようです。しかし強制送還すべき国が見あたりませんニャ。なので、準備が整い次第、聖地奪還遠征が行われている暗黒大陸にて、懲罰部隊行きを検討中とのことです。マナの適性検査では約半数が適合。特殊な能力を開花させた者も居たため、賢天評議会傘下の王立魔導研究所の方で解剖検査を行いたいという申し出があり、大佐の名前で許可を出しておきました。大佐が被害届を取り下げなければ、来週には被験者を安楽死させて解剖だニャ」


 恐ろしい懲罰を事も無げに語るケメットでした。痴漢や不法入国の罰にしては、随分と重いので、何か別の思惟が働いているような気もしなくもありませんが、大佐は満足気でした。


「次に彼らの目的ですが、全員がバラバラです。何者かに指示された者も居れば、祖国に居て次の瞬間には大佐の頭上に現れた者も。そして、自分は死んだ後に転生してこの世界にやって来たと言い張る頭のアレな者も居たそうです」


「怖い話は止めて」


 時折みせる大佐の恐がりをルイズは不可解に思います。オバケを畏れることで、普段の図太さを帳消しにし、可愛い子ぶって男性に媚を売っているに違い無いです。


「言語に関して、流暢なアルビノ語が話せた理由につきましては、わからないと言うのが大半です。一部、魔法使いや女神に魔術を掛けられて話せるようになったと語る者たちがおります。彼らの母語はニホン語なるもので、先にお話しました国の共通言語のようです。宗教もブッキョウ、シントーと言う二つを信奉しておりましたが、無神論者もおりました」


「ふむ。なるほど良く分かったわ」


「次に聞き取り調査の結果です。大佐の乳を揉んだ容疑者は四八名、唇を奪った容疑者は三三名、股ぐらに顔を突っ込んだ容疑者は二五名。次に乳を揉んで唇を奪った者が——」


「いらないから! そんな情報いらないから!」


「ですがまだ行為に及んだ際の感想が残ってますのに」


「全員死刑でいいから!」


 テーブルを叩き、ふん、と大佐はそっぽを向くと、足を組んで不機嫌オーラ全開です。


 とりあえず、以上が勇者たちの尋問の結果でした。




「そう言えば、あれから勇者は降って来てないんですか?」


「お昼に大佐がお花を摘みに行かれて、悲鳴と銃声を響かせたのが最後でしたニャ」


 トイレの天井や扉が穴だらけになっている光景が容易に想像出来ます。大佐は珍しく顔を紅潮させて貧乏揺すりをしており、よほど恥ずかしい思いをしたのでしょう。しかし、昼以降は現れて居ないというのは朗報でした。いつ何時、痴漢に襲われるかやもしれない生活など気が休まりません。


「ともかく」と大佐は話を切りました。


「他国の工作員の線を考えていたけれど、あのエロガキどもを見た限りじゃそう言うわけでも無さそうね。潜入工作にしたって杜撰だし、虚弱だし軟弱だし、ベラベラ聞かれてもない事を喋るし。あんなのが諜報活動できる筈無いわ。勇者なんて論外、豚箱で泣かしとけばいいんだわ! ルイズ! あんたの方で進展は? 創造器はどうだったの。まさか、あたしが居ないのを良いことに、街で暇を潰していたんじゃないでしょうね?」


 ギクリ——私は思わず身を強ばらせてから視線を漂わせ、身振り手振りで「そ、そそそんな訳ないですよ! 大佐が大変な時に!」と、自然な嘘で言い繕います。


 そして、自分に不利になる情報を端折りつつ、パンシパル教官のお宅を伺った際の出来事を伝えました。


「なるほどね。アルトロモンドがなければ、アルトロモンドを造れば良いじゃないって事でしょ。ふふ、やっぱりあの先生は面白いわね。全面的に賛同はしかねるけど、同じ扉の探求者としてはシンパシーを感じるわ。明日にでも、彼に会ってみましょう」


 創造器に関しては依然として不明瞭でしたが、やはり確かめる必要があるようです。


 本来であれば、自分が問いただすべき事案であったことは明白。


 ですが、我が身可愛さのあまりに、職務を放り出して逃げ帰ってきたのです。


 あの時に抱いた恐怖心が何に対するものだったのか。身を危険から生じるものであったのか、それとも、記憶の中の教官が崩れ去ってしまうことへの忌避感だったのか——自分でもよくわかりません。


 やはり、一人では心許ないのが実情で、彼女達が今の自分にとっては支えであり、頼りになる存在であることを実感しました。二人が居れば、きっとどのような結果であっても受け容れる事が出来そうな気がしたのです。




 変調の兆しはジリジリとにじり寄り、気づけば打つ手無し——そんな状況は稀に起こります。水位が上昇しつつある浜辺にボンヤリと立ち尽くしていれば、徐々に海水は膨れあがり、いつの間にか膝が浸り、浜も港も海水に呑まれている。世界を一変せしめる変異というのは、こうした津波のような物なのかもしれません。


 始まりは穏やかに、そして終わりは——。


 銃声が寝入っていた耳朶を打ち、私は目を覚ましました。


 無意識の内にサイドテーブルに置いた眼鏡を手探りで取り寄せ、ノソノソと緩慢な亀のような挙動でベッドから転げ落ちます。


 薄暗い寝室にランプを灯し、スツールの上に用意しておいた制服に着替えました。


 今が何時なのか定かではありませんが、真夜中であることは確かです。先ほど聞こえた銃声は恐らく母屋から。また大佐が痴漢に向けて発砲したのだろう、そう軽い気持ちに構えつつ、念のためにと確認に赴きました。


 そして勝手口から下宿を出た瞬間、黒い朧気な存在と鉢合わせてしまいました。


「ひッ——・・・・・・ピャアアアアアアアアアアッ!?」


 勝手口を出た先に佇んでいたのは、昼間に見た影法師。


 私は驚きのあまり怪鳥の如く叫んで腰を抜かしてしまいます。下宿に引き返そうとしますが、四つん這いでジタバタするばかり。恐怖から涙が込み上げてきて、私は戸にしがみつくしかありませんでした。


 影法師はガスの集合体が人の形を成しているようにも見え、小刻みに粒子が震えています。そして瞳に当たる部分には真っ白な孔が二つ渦巻いており、その奇っ怪な両目で私を見つめていたのです。


「た、たたた食べないで殺さないで! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


 得体の知れない化け物に怯え、最早こちらは死に体の状態——にもかかわらず、影法師は真っ白な虚のような目で私を見つめるばかり。取って食べるような習性は無いのでしょうか。かといって、友好的とも思えません。


 暫く戸にしがみついていましたが、向こうに敵意は無いようです。


 怖々とその場から移動し、そっと彼の視線から逃れると、あとは脱兎の如く大佐に助けを求める為に母屋へと駆け出しました。


 大慌てで母屋の玄関にへばり付いて「大佐ァ! 大佐ァ!」と喚き散らしながら戸を叩きまくると、鍵が開くと同時に戸が開き、私は家の中へと転がり込みます。


 意外なことに、戸を開けてくれたのは大佐でした。彼女はシャツにスーツパンツの出で立ちで、その上をショルダーホルスターで留めていました。右手には拳銃が握られており、突貫で身支度を済ませた様子です。


「大佐! そそ外外外にッ! 影が——ッ!」


 これだけでは意味不明でしたが、大佐には伝わったようです。


「わかってるから落ち着きなさい。別に食われたりしないわ」


 それを聞いてようやく落ち着きを取り戻すことができました。


「先ほどの、銃声は?」


「ケメットが撃った。そこよ」


 くいっとしゃくった顎に促され、リビングを覗き込んで見ると、背筋が凍り付きました。リビング兼ドナルドカンパニー事務所となっていたその一室には、八体の影法師の姿があったのです。彼らは一貫性なく方々を見つめて立っており、何をするわけでもなくそこに居るだけ。そんな彼ら影法師に占拠された部屋の片隅では、毛布を被り、小銃を抱えて震えているケメットの姿がありました。


 恐らく寝起きに水でも飲みに来た所で彼らが現れ、反射的に攻撃したのでしょう。


「いくら撃っても無駄よ。言い伝えでは彼らと私たちでは生きている世界が違う……らしいわ。詳しくは知らないけど、触ることも出来ないし、向こうからも触れない。影法師そのものは無害と言っても過言ではないわ。ただ——」


 不吉の象徴とも言われる彼らにこうも無断で踏み入られては、全く心が安まりません。


「こんな状態で朝まで待つのはごめんね。パンシパルの家に行きましょう。彼が関係しているかは定かじゃないけれど、行ってみればわかることよ」


 そう言うと大佐は猫の首根っこを掴む要領でケメットを引きずり出し、車を回すように指示を出しました。

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