一章 汚職の魔術師と没落貴族 5
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翌朝の事でした。
私がホテルのラウンジで朝食を摂って寛いでいると、ホテルの従業員が何やら慌ただしくしているのを目にしました。
大口の予約でも入ったのか、はたまた移り気な王族の唐突な来訪が決まったのか。
当初はそう思い、右往左往するのを他人事のように眺めていたのですが、どうやら事態は別の案件だったようです。
ホテルの玄関口に大勢の人々が押し寄せていることに気付き、ギョッとしてしました。
彼らは人であったり妖精であったり様々ですが、一様にハンチングを被り、メモ帳を手にして、対応に追われるホテルの職員と押し合いへし合い状態です。
人垣の後ろの方ではカメラを掲げる姿もあって、まるで威嚇するようにフラッシュが焚かれます。
恐らく彼らはブン屋――まあ新聞記者でしょう。
彼らがこれだけ大挙して押し寄せるということは、大スクープがあったという証拠。
このホテルにいったいどんなネタがあるというのか――。
随分儲けているみたいだし、金絡みの悪事が露呈したのでは? なんてゲスの勘ぐりを入れていると、ラウンジで私と同じく朝食を摂っていた紳士の一人がチラチラと私の方を窺っていました。
小綺麗な格好した素敵な紳士のおじ様で、一瞬、私に気があるのかも、年収と家柄次第では年齢には眼を瞑りますよ? と、そう思ったのもつかの間、手にしてた雑誌をラウンジの雑誌棚に戻して立ち去っていきます。
奥手の中年なんて流行らない、私は憤ります。
それでもやはり気になって、彼が手にしてた雑誌を取り上げました。
それは昨夜、ケメットが愛読していることを公言していた『センテンスプリング』という週刊誌です。このホテルには些か不釣り合いな、下卑た雑誌ではありますが、様々なニーズに応えようというホテル側の配慮でしょう。
この雑誌と、私に何か関係があるのか。
ぴらりと表紙を捲った最初の見出しページには、とんでもない文字が踊っていました。
『
『軍の金を横領』『若き魔女――栄光とその闇』『五八〇億カークはどこへ』
雑誌を読み進めていくと、目を疑うようなスクープが幾つも報じられていました。
大々的に報じられている汚職は言うに及ばず、その他にも一〇〇億カーク規模の詐欺や一般人への暴行、器物損壊、捜査機関への悪質な嫌がらせと公務執行妨害、マチス現首相との不倫疑惑、違法薬物使用疑惑、インサイダー取引、食い逃げ、飼い猫への虐待……と、数え始めたら切りがありません。
およそ個人では為しえないであろう悪事の数々に雑誌を持つ手が震えます。
ですが正直、一人の人間をいくら叩いても、こんなに埃が出るとも思えません。
「こんなことって……いや、ダメよルイズ、まだ真実と決まったわけじゃ……」
この件を報じているのゴシップで有名な雑誌。
大佐は有名人という事もあり、当然スキャンダルで日銭を稼ぐメディアは手ぐすね引いて待ち構えています。そこで、取り立てて大騒ぎする必要もない小事を、大げさに取り上げた――風説の流布という可能性も十分有り得るのです。
有り得ます、が……振り返って見れば、大佐と出会って以来、彼女は不可解な言動を繰り返してはいなかったでしょうか。
「いや、ダメダメダメッ、大佐を疑うなんて……きっと本人が一番辛いはずよ、こんな有ること無いこと書かれて」
そこへ、渦中の本人がケメットを伴って現れました。
「た、大佐!」
私が雑誌を手にして大急ぎで駆け寄ると、大佐は寝ぼけ眼でフガフガ言いながら「おはよう中尉」と挨拶をしてきます。あれだけ玄関前に記者が押しかけているのに、まだ事の重大さには気づいていないご様子。
「暢気に挨拶してる場合じゃありませんよ! これ! これ見てください!」
私が雑誌を開いて大佐に突きつけると、次第に彼女は眉間に皺を寄せていき、クワッと目を見開いてから玄関口に目をやり「ああ……」と貧血気味に蹌踉めきます。
「大佐ッ! お気を確かに! 傷は浅いニャ!」
ケメットに支えられながら大佐はへなへなと床にへたり込んでしまいました。
悪漢に対してはあれほど気丈に振る舞われていた大佐でも、流石に堪えたようです。
「こんなのってあんまりです! テキトーなこと書いて人を貶めようとするなんて!」
「ウチが抗議してきます!」
「ふんす」と鼻を鳴らしたケメットは、息巻いて記者団の元へ歩いていきました。怖い物知らずというか何も考えていないというか、とにかく果敢にも彼女は記者が待ち構えている玄関前に颯爽と姿を見せました。
軍服を着た半獣人が現れたことで記者団は色めき立ち、ここぞとばかりにケメットに質問を投げかけます。しかし彼女はそれに答えず、落ち着き払った様子で咳払い。独特の空気に記者団が静まったのを見計らい、一言、声を大にして言いました。
「大佐の汚職は、綺麗な汚職ですのニャ!」
予想していた弁解とか弁明とはほど遠い言葉が飛び出したことで、記者たちは毒気を抜かれてしまったようです。誰一人二の句が継げず、時が止まっていました。
これに対して逆に毒気づいたのが大佐です。
「あんの馬鹿ネコッ」と大佐は猛然と玄関まで駆け出すと、ケメットの頭をゲンコツで殴りつけ、ついでに彼女を回収して撤退してきます。あまりの速さに対応仕切れなかった記者団は、やや遅れてから再び玄関前でホテルの職員と押し問答を再開します。
幾度と無く焚かれるフラッシュを背にして、ケメットを小脇に抱えた大佐はラウンジへと戻ってきました。
「はぁ……」と大佐は深いため息を吐いてソファーにどっかり腰を下ろします。
さて、先ほどのケメットの言に加え、何の釈明もしなかった大佐。
些か、話が変わってきました。
この報道は真実か、否か――確かめなくては。
「大佐、いったいどういう事なんです。この記事は事実なんですか?」
恐る恐るといった風ではありますが、この質問を投げかけます。
実際、これから世話になる上官に対してスキャンダルの疑惑を問いただす、なんてことは部下としては中々出来ることではありません。内申点に響いてどんな任務を回されるかわからないし、今後の扱いも左右されるからです。
しかしそれでも、私には大いなる野望があります。
貴族としての復権、御家の再興。これらを成し遂げる為に、ここで不祥事に巻き込まれることはご免こうむりたい、というのが本心です。
すると、頭に大きなたんこぶを乗せたケメットが平然と言ってのけます。
「言いがかりです中尉どの! ウチが知らないのもあるので、全部が本当というわけではありません! 大佐の汚職は綺麗な汚職ですのに!」
「それ! それがアウトッ! 何なのよその綺麗な汚職って!? 大佐、本当のことを教えてください。汚職は本当なんですか? 答えてください!」
事件の矮小化を図ろうとする獣伍長に腹が立ち、熱くなってしまった私は思わず大佐に詰め寄りました。彼女は「うぅん」と苦しそうに呻いて天を仰ぎ、それから何とも情けない声音で言い繕います。
「いや違う、違うのよ中尉、あたしは……いや確かに横領? と見えなくもないけど、あたしは部隊の為にお金を使ったのよ? それにお金だって増やして使ったんだから」
「増やして……使う?」
大佐の説明はこうでした。
大佐は軍に入隊した五年前、
新しい物好きの大佐は、毎年の予算で最新の兵器を海外から買い付け、それを転売することで資金洗浄を行い、その金を元手に海外に幾つも会社を買収、設立されたそうです。
すると当然、装備品が会計から外れて毎年の帳簿にずれが生じてしまう。この穴を補填するため、国内に作った会社をマザーカンパニーとし、海外で育てた会社群とパイプを持たせ、その上納金を回すことで兵器を中古で買い戻していたそうです。
さらには、国内に設立した会社に他国の兵器を解析させ、ライセンスを得ずに技術を盗用し、それを民生品に転用して海外の子会社で商品として展開。多額の利益を得ていたそうです。加えて、大佐が設立した企業には石油石炭・保険・金融なども多く、まるで一人で世界を支配しかねない勢い……。
「でもでもでも、あたしは経営に関わってないのよ?」
と、謎の言い訳をする大佐。
国内外に展開しているグループの企業に関しては一切関与しておらず、謎の協力者をトップに据えて、自分は影の元締めとして君臨しているようです。
それはまさに悪の親玉とでも呼ぶべき姿。
疑問があるとすれば、こんな大々的不正行為がなぜ今の今までバレずに済んだのか。
行政の独立機関である会計監査局がこの大規模汚職を見逃すとは思えません。
「ちゃんとお金を渡してるし」買収してました!
「それに官僚とか政治家にも席を用意してあるし」天下りポストまで準備済!
「だから大丈夫」何がッ!?
「さすが大佐ですニャ!」閉口するしかありません。
国ぐるみの一大スキャンダルの真相を目の当たりにして、私は目眩を起こして手近なソファーに崩れ落ちます。
この数日、私は突然舞い込んできた幸運に喜び、天にも昇る思いでした。
始まりはそう、ネコの少佐から転属を言い渡されたあの時――いえ、あの暗い食堂で魔女シンクレアのポスターに羨望の眼差しを向けた時かもしれません。。
ですが思い返せば、不穏な影はその時から既に忍び寄っていたのかもしれません。
大佐はどうして、私が駐屯地へ向かおうとするのを引き止めたのでしょう。
こうなることがわかっていたからでは? はたと気づきます。
『わかっていた』とは、つまり、自身の不祥事が露呈することを、予め承知していたということではないでしょうか。では何故、そこで兵員の補充なのか――。
あの奇妙なパブで大佐は、早急に人員を補充したいと仰っていました。良く考えてみればこれもおかしな話で、大佐の指揮する第七独立連隊は総員五〇〇〇人を越える大所帯。小師団とも言われ、陸軍きっての大部隊なのです。なのに、人手不足?
「うそ……そんな」
怖気と共に私は一つの答えを導き出しました。
そうだとすれば、彼女の言動にも納得がいきます。
駐屯地へ向かう事を遠回しに引き止めるのは、既に自分の部隊では無いから。だから陸軍庁での初顔合わせとなり、ホテルを取ったのも自分に帰るべき場所が無いから――?
では、人事局はどうして根無し草となったシンクレアの下に、私を差し向けたのか。
落ち目の
これは栄転などでは無い。
私は生け贄となるべくして送り込まれた、供物の山羊に過ぎなかった――。
配属される部隊など無く、向かうべき戦場も無く、立身に繋がる名誉も無い。
こんな、こんな侮辱があっていいものか――ッ。
「あんまりです! 私、人事に掛け合って転属を取り消して貰います! 短い間でしたが、お世話になりました!」
今まで大した功績を挙げてきた訳ではありません。それでも組織を円滑に動かすため、真面目に部隊運営に取り組んできました。確かに、それなりに訓練を受けて経験を積めば、誰にでも出来る仕事で、代わりの居る仕事ばかりではあります……でも、こんな仕打ちを受ける謂われは無いのです!
自分自身の人生を否定され、瞬間的に頭に血が昇り、私はいきり立ちました。
「ちょ、ちょっと待って中尉――あなたが居ないと部隊が運営出来なくなるの! あたしはやること沢山あるし! ケメットなんか足し算引き算で躓くんだから!」
「数字は二十まで対応しておりますニャ。順次更新されますのでご期待ください」
なんて馬鹿げた話でしょう。自身の現状分析も出来ない愚かな上官と小等部の計算すらまともに出来ない獣兵――待ってください、それってつまり……。
「いま部隊の運営と仰いましたが、大佐、私は第七独立連隊に配属されたのですか? そもそも、第七独立連隊はあるんですか? 部隊があるとして、その兵員の規模は?」
お答えください――私は凄んで大佐を問い詰めます。
彼女は手をまごつかせてあれこれと言い淀んでいましたが、やがてしぶしぶ答えます。
「あたしと、ケメットと、あなただけよ……例の一件で連隊長からは外されたわ」
それ見たことか!
大佐は第七独立連隊の部隊長職を解かれ、行き場を失っていたのです。しかもこれだけ大規模な汚職ともなれば、軍法会議に収まるかも微妙なところ。最悪は刑事事件として立件され、国家反逆罪の容疑で訴追されるかもしれない。
誰がどう考えても、シンクレアは終わりでしょう。
泥舟とわかっていながら乗船する馬鹿はいません。道連れにされるのはご免。
私は無言のまま、鞄を手にしてその場を立ち去ろうとしました。
けれど、大佐はなおも追いすがってくるのです。
「待ちなさい中尉! あなたの言わんとしていることは分かっているわ。確かに私は第七独立連隊から外された。でもまだ終わりじゃない。新たな部隊を創設している最中なの」
「あたしは――」と大佐は一拍おくと、私の古い記憶――お爺様からの初めて頂いた冒険譚――を呼び覚ます一言を口にしました。
「あたしは、アルトロモンドを探し出す」
「は……い……?」
一瞬、何を言われたのかわかりませんでした。
「創設のお題目としては、創造器の調査・回収を目的とした部隊にすることで申請中よ」
「……創造器って、あの創造器ですか?」
「創造器とは、人類史が始まるより以前にあったとされる神代ゆかりの品で、神々は創造器を用いて世界を造り上げたと、神話や伝承に遺されております。神々が死に絶えたあと、創造器だけが現代に遺され、世界中に点在しているのですニャ」
不自然極まりない唐突な説明をありがとう伍長。
「もちろんです、プロですから」
何のプロかと。いや、そんなことよりも――。
「ちょっと、待ってください大佐……アルトロモンドっていうのは、小説あれですか? 『ゲニウスの扉』に登場する願いを叶えてくれる扉のことですよね?」
私がそのことを尋ねると、大佐は神妙な面持ちを一変させて喜色満面。
「そう! なぁんだ中尉、あなたも知っていたのね! だったら話は早いわ。あたしは、アルトロモンドを見つける為に新しい部隊を創設する。中尉も協力してちょうだい!」
頭がいかれちまってるこの女。
小説『ゲニウスの扉』に登場する幻の扉――アルトロモンド。
あらゆる願望を叶えてくれる創造器という設定で、作中では主人公の冒険家が願いを叶えるために、様々な試練を乗り越えて扉に辿りつくというもの。
「いや、いやいやいや……本気で言ってるんですか? 確かにアルトロモンドは、小説で創造器として登場します。けどそれは物語の設定。作り話なんですよ!?」
まさか創作物を現存する物と信じているのでしょうか。だとしたら正気の沙汰とは思えません。汚職の件もそうですが、大佐は頭のネジが外れている類の方だったようです。
今時子供だって、そんな夢みたいな話は信じない。
しかし現実を突きつけてやっても、大佐の目の輝きは一向に陰ることはもなく、彼女の赤茶けた瞳は鋭さを増して私を射貫いて来ます。
「中尉、ホテルに来るまでの間、あなたの事を調べさせてもらったわ。あなたの家、プルームプルハット家って結構名のある伯爵家だったのね。没落しているみたいだけど」
「ぐっ……それが、なんですか? 大佐には関係ありません」
人の急所を歯に衣着せぬ物言いで抉り込んで来ます。
いったい何が言いたい――。
「あなた、上官に伯爵家を再興したいと話したそうじゃない。軍で功績を立てて、参謀本部に入りたいって」
「――っ、そうです! そうですよ! それが何だっていうんですかッ!」
馬鹿にしたいのならばすればいい――私は語気を荒げて吠えました。
共感も同情もいらない。
没落貴族と汚職の魔術師。みじめな者同士で傷の舐め合いなんてまっぴらごめんです。そんな事にかかずらう暇は無いし、どんな困難があろうと私は諦めない。これまで散々、苦労に苦労を重ねて士官にまでなることが出来たのです。遠回りになったとしても、目標を達成してみせるし、プルームプルハットの名に恥じない生き方を貫いてみせる――。
対抗心を滲ませて大佐を睨み返すと、どうしたことか、彼女が笑みを浮かべたことで虚を突かれてしまいます。
「それが、あなたの願いね?」
「そ、そうですけど?」
彼女が、私に差し出されました。
「叶うわ、その願い――アルトロモンドならッ!」
その真っ直ぐな瞳の力強さが意味するものとはいったい何なのか。
アルトロモンドは創作だと彼女も理解しているはず。まさか本当に頭がいかれてしまっているのかとも思いましたが、子供騙しのお伽噺を信じて疑わぬその姿は、どこかで見たような覚えがありました。
この世界がまだ素敵なことで満ち溢れていると信じ、悪意も悲しみも知らず、色眼鏡で世の中を見ることもなかった幼い時分、夢中になって読みふけった冒険の物語。
馬鹿だ阿呆だと誹られながらも、自分を信じて突き進む愚か者に、私は心を奪われていた。憧憬の念が蘇り、あの暗い食堂で抱いた羨望の熱と重なり合い、一つのフレーズを思い出します。
――己を信じて疑わぬ愚か者だけが、扉へと辿りつく――そして。
「あなたが必要なの! あたしと一緒に、アルトロモンドを探しましょう!」
その熱量はどこから湧いてくるのでしょうか。
見つめる双眸から、差し出された掌から、吐き出される戯言から、彼女の総身から漲る自信の根拠はいったい何なのでしょう。説得力など皆無の筈なのに、それなのに、その手を取りたい衝動に駆られてしまうのは何故――。
いえ、わかっています。わかっていたんです。ただ怖かっただけ。
常識の範疇に収まることで、安穏と出来るだけ楽な道を探すことだけに執心していた。
荒野に突き進む勇気が自分には無く、彼女には有る。
それを知らしめられるのを畏れていた――憧れに近づく事を畏れていた――私には勇気が無い、それだけのこと。
夢を目指し、達成する覚悟が無いのは自分の方だ。
扉を開くことの出来る愚か者――シンクレアはきっと、そう言う人なんだ。
一歩前へ、前へ踏み出さなくちゃ何も始まらない。
胸を張って、ここまで来たと誇れるように、この手を――――取れません?
「あ……れ?」
一世一代の覚悟と、不思議な高揚感に誘われて大佐の手を取ろうとした折、横から伸びてきた殿方の手によって手首を掴まれていました。
「プルームプルハット中尉、で宜しいですな?」
私の手を取っていたのは、四十半ばで口ひげを生やした男性でした。山高帽を被り、茶色のスーツを着こなす姿は紳士然とした佇まい。ですが、鋭い目つきや帽子からはみ出るぼさぼさ頭が、粗野というか、荒事なれしたような雰囲気を醸していました。彼の背後には、制服の若い警察官が二人同行していました。
「あ、あの、どちら様でしょうか?」
「お話の途中すみません。私はロンデニオン市警のケンジット。実は通報がありまして、少しお話をお聞かせ願いたい」
突然の乱入者。それも警察官だなんて。
全く訳がわからず、大佐に助けを求めようとしました。ですが彼女は、ケメットの後ろに隠れて警察の方々の様子を覗っていました。自分が逮捕されると思ったのでしょうか。そりゃあ、身に覚えがあるはむしろ大佐の方なのだから当然です。
対して私には何のやましい事も御座いません。
「話って何です? その手を離しなさい、女性の手を突然掴むなんて無礼ですよ」
毅然とした態度を見せると、ケンジットと名乗る警官の口元が薄く嗤いました。
「実はですな、王立博物館から盗難届が出ておりましてね。その件でたれ込みがあったのです。博物館からとある品を盗み出した大泥棒が、このホテルに泊まっていると。お嬢さん、そちらの鞄を、見せていただけませんかな?」
サー……っと血の気が引いていきました。そんなまさかと、このタイミングで警察の取り調べを受ける事になるとは露にも思っていませんでした。私の明晰な頭脳はこの後の流れを瞬時に読み取り、対処出来るキャパシティを越えていることに絶望します。
「な……いや、これは、違う、違うんです!」
「何が違うのでしょうか?」
「これは……そう、怪盗オマールの鞄と入れ違ってしまって、そもそも、怪盗オマールはゴブリンです! 私は歴とした人間!」
「私はまだ怪盗オマールが犯人だなどと言っておりませんが」
「昨夜に襲撃を受けたんですよ! オマールの一味を名乗る連中が私の部屋に乗り込んできて――協力出来ることなら協力します。だから離してください!」
「お話は署でお聞かせ願います」と、ケンジットは、なんと言うことでしょう、私に重厚な手錠を掛けてきたのです。
「こんな、こんなの酷い! あんまりです! 私のどこかゴブリンに見えるっていうんですか!」
「怪盗オマールは百の顔を持つと言われる大泥棒。女になりすます事など容易いことだ」
「警部、有りました。書類です」
制服組の声に、ケンジットは挑戦的な笑みを零します。
「ふぅむ、証拠が出てしまったようだ。これは仕方がない。いやいや、私は何もあなたが怪盗オマールだ、などと決めつけているわけでは無いのですよ。何故、盗難品を所持しているのか、これをじっくりと調べる必要があるのです。ご協力、いただけますね?」
まさかこんな事になるとは……。
昨日の時点で鞄をちゃんと返しておけば良かった。後悔の念が絶えず、過去に戻って自分の頭をひっぱたいてやりたい思いでした。
「違うッ、私はルイズです! プルームプルハット家の跡取りですよ! こんな無礼が許されるもんですか! 大佐ァ! お願いです、昨日あったことをこの人たちに説明してください!」
「いや……これは……これ以上の不祥事は、流石のあたしも対処しきれないと言いますか、なんと言いましょうか……あは、あはははははは」
「……流石のウチも絶句です」
ええ……。
大佐の渇いた笑い声と、それにどん引きしてキャラを忘れたケメットを背にして、私は警察に連行されてしまいます。外へ連れ出された際、大佐を待ち構えていた報道陣に囲まれ、無数のフラッシュを焚かれながら護送用の車に乗せられる姿を撮られました。
この上ない屈辱と喪失感を味わった私は、もう何も考えられませんでした。
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