一章 汚職の魔術師と没落貴族 6




 アレは何だったの?


 あの言葉は、あの差し出された手は、私に抱かせた想いは――いったい何だったの?


 少しでも頼ろうとした自分が馬鹿だった。愚かだった。


 間違いだったんだ。


 どうしてあんな口車に乗せられて、気前の良い言葉に絆されたりしたんだ。


 誰かに頼るなんて、私はそんな人間じゃなかったはずだ。


 十歳頃から、他人に期待したり、縋ったりなんてしたことは無かった。


 全部一人でやって来た。


 誰の手も借りなかった。


 全部一人で背負って、ここまで生きていたじゃない。


 これまで通り誰とも繋がらず、独りでいれば、こんなにも感情は乱されなかった――。




 護送車はロンデニオン市警がある中央区へと向かっているのでしょう。


 混み合う道に難儀しながら、目抜き通りの北へと向かっていました。私の目の前には制服の警官が見張りとして付き添い、ケンジット警部は格子窓の向こうにある助手席に座っていました。


 憂鬱な気分ではあったものの、私はそれほど危機感は抱いていません。


 だってどうあがいたって、私が怪盗オマールになることは出来ないのですから。警察が誇る魔術鑑定で、精神分析から私が嘘を吐いているかどうかを判断して貰える。


 泥棒の嫌疑が晴れるのは時間の問題でしかないのです。


 それなのに――。


 浮かんでは沈む乱れた感情に、私の精神は酷く動揺していました。


 もういい、済んだことだ、忘れよう――まじないのように唱えれば唱えるほど、私の心が乱れていく。何だってあんな女の言動に、ここまで苦悩しなければならないの。


 シンクレアは想像していた人物とは違っていた。


 結局は自分が大事なだけの、何処にでもいる大衆と変わらない。


 それで終わって良いはずなのに――胸が苦しい。


 なんて酷い人、裏切り者、卑怯者、馬鹿、阿呆、間抜け――汚職の魔術師!




 失望した――――。




 失望?


 何故、失望なの?


 失望とは期待を裏切ること。私は――密かに期待していた? 何に?


 あの手を取った後の未来? 


 貴族として返り咲くチャンス? 


 アルトロモンドが手に入るかもしれないこと――?


 ――違う。


 私は、私の手を取ってくれる人を、期待していたんだ。


 私は、ずっと独りだった自分に仲間が出来るかもしれないことを、期待したんだ。


 その事に気づいてしまうと、目頭が熱くなってきました。込み上げる想いは屈辱や悔しさや怒りでは無く、悲しみばかり。堰を切ったように涙が止めどなくあふれ出し、自分が置いてけぼりにされてしまったみたいで、寂しくて、哀しくて、苦しかった。


 私は――独りぼっちなんだ。


 私が嘔吐くように泣き出した矢先の事でした。


 突如、護送車が急ブレーキで停車し、ケンジットの怒鳴り声が車内に響き渡ります。


「なんだァいきなり!」


「車が突然飛び出してきて――」


 涙で滲み、ぼやける視界で格子窓を覗き込めば、そこには一両の車両が確認出来ます。突然横合いから飛び出し、こちらの前進を阻んでいるようです。そして次の瞬間、凄まじい衝撃と共に、一瞬の暗転が訪れます。


 全身を強かに打ち付け、頭を上げてみれば、私の隣では見張りの警官が気を失って伸びていました。上下の位置もおかしな事になっており、車が横転しているようです。仕切られた運転席の方でも、ケンジットたちが揉みくちゃとなり、車内は目茶苦茶。


「いたたた……何が起こったの?」


 私が周囲を見回して、五体満足であることにほっとしていると、護送車の両開きの扉が軋み、光が差し込みました。




「ルイズ! 生きてる!?」




 なんと、扉を開けたのは大佐でした。


 彼女は息を切らせながらこちらを認めると、安心したように一つ息を吐きます。


「た、大佐? なん、で――」


 こちらが何か言葉を紡ぐよりも前に、大佐が私の手を取り外へ連れ出しました。


 何故このような事態に陥っているのか全く飲み込めません。周辺から聞こえてくる悲鳴や喧噪に、ようやく護送車が事故に見舞われていることを知りました。横転する護送車の横には、フロントのへしゃげた軍用車が止まっています。


「まったく、これだから女の運転は嫌だニャ!」


 そう憤慨しながら歩み寄ってきたのはケメットです。


「まあまあ、ルイズも無事だったんだから良いじゃないの」


「何も良くありません! 大佐の作戦ではウチが行く手を阻んだあと、大佐が護送車の後ろにつけて中尉を救出する手はずでしたのに! 下手くそせいで死屍累々だニャ!」


「大丈夫よ、生きてるわ。たぶん」


 聞きたいことは山ほど彼女達が提供してくれますが、まず第一に――。


「大佐……なんで、こんなこと、どうして来たんです」


「もちろん、あなたを助けに来たに決まってるじゃない」


 その何の気なしに告げられた言葉に、私の中でどんな感情が芽生えたのか、自分自身でも良く分かりませんでした。


 ただ噴き出される感情の激流が、涙となってあふれ出てしまいます。


「こんな、こんな、の、馬鹿ですよぉ……」


「なになに、どうしたのよルイズ、そんなに泣いて。どこか怪我したの?」


「これじゃあ――」


「これじゃあ?」


「これじゃ本当に犯罪者じゃないですか! 器物損壊! 公務執行妨害! 危険運転! 殺人未遂! このまま警察署で取り調べを受ければ、疑いは晴れたんです! どうしてこんな無茶な真似するんですか! 来るなら警察署に迎えに来てくださいよ! 馬鹿なんですか! 馬鹿ァ!」


 嗚咽交じりに怒鳴り散らすと、大佐は困ったように微笑みます。


「でもそれじゃあ、きっとあなたの心は離れていったわ。きっと、仲間にはなれなかった」


 私は心底痛感しました。


 シンクレアは底抜けの大馬鹿で、とんでもない愚か者だと言うことを。


 そして、彼女がそんな言葉をかけてくれて、来てくれて、手を取ってくれて、嬉しかった自分が居たことも、実感した次第です。


 めそめそ泣いていると、野次馬の向こうからサイレンを鳴らす警察車両が姿を現します。


「まずい、ずらかるわよ! ほらルイズ! いつまでも泣いてるんじゃない!」


 大佐に手を引かれて、ケメットが運転する車へ放り込まれます。


「で、でも大佐……どうするんです、このあと? 捕まっちゃいますよ……」


 警察官に対して働いたこの所行は、どうあってもただでは済みそうもありません。いくら誤認逮捕だからといって、許されるはずもありません。


 助手席に乗り込んだ大佐は、後先の事など全く考慮に無い不敵な笑みを浮かべます。


「決まってるじゃない。怪盗オマールを捕まえるのよ!」


 私はこの人ほど『今を生きる』という言葉が似合う人を知りません。


 いえ、それでは少し語弊がありました。


 この人は『今しか生きていない』んです。


 恥も外聞もない全力投球の生き方。


 まるで自分の人生をサイコロに託すような無茶無謀。


 地位も名誉も富もその手にある癖に、その何れにも束縛されるつもりが無い。


 風の向くまま気の向くまま。


 なるほど確かに――『この人ならば』と思いました。




 その後、警察の目を眩ませるために、ロンデニオンの郊外にまで足を伸ばし、日が暮れてから再びロンデニオンの街へととんぼ返りしたのでした。


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