二章 異世界転生問題と教授のアルトロモンド 8
8
かつての恩師、パンシパル教官の真意を私は考えあぐねていました。
何故、彼はアルトロモンドを造ろうだなんて思ったのか。興味があるからこそ研究の題材として扱い、突き詰めて全貌を解き明かすことに注力する。
それこそ研究者の性である。
ですが、興味を持つにも切っ掛けは必要です。
そもそも、題材としてアルトロモンドは適当なのかどうか。
作り話の中に登場する架空の創造器を、なぜ研究テーマにしてしまったのか。
彼の薄暗い地下工房を訪れたとき、あの石の門を見たとき、訊ねるべきでした。
叶えたい願いがあるのかと。
本棚の片隅で笑顔を見せていた家族の写真が頭を過ぎります。
「教官は、三年……いえ、もう四年近く前のことになりますが、奥様と娘さんを列車事故で亡くされているんです」
ロンデニオンの街へ向かう車上で、私は自分が考えていた事を大佐に打ち明けました。行動には動機が伴うのが自然のあり方で、願望の器を求める教官は、少なからず欲している何かがある。彼の願いは——?
そこまで心中を吐露していると、大佐は「そんなもの決まってる」と鼻で笑います。
「馬鹿なのルイズ? あんた気づいてるでしょ。惚れた腫れたかは知らないし、認めたくない感情があるのかもしれないけれどね、
火を見るよりも明らかだ、大佐は吐き捨てました。
その言葉に胸がチクリと痛みます。気づかないフリをしているだけ、考えるまでもなくパンシパルの願いは明白——自分のあさましさを見抜かれたようで、私は少し気落ちしてしまいます。妻子を失ったその日を境に、教官は魔術講師の職を辞し、出向元である大学に戻られました。あれから数年、偶然の再会を果たしたあのときの彼は、とっくに過去を乗り越えたのだ——都合良く、私はそう思い込んでいたのです。
視線を落とし、釈明の弁や内省に取り組もうかともごもご口を動かしていると、運転席のケメットが天を指さし声を上げました。
「空が変だニャ!」
彼女の声に吊られて見上げて見れば、丘の麓に広がるロンデニオンの上空に輝く帯が煌めきます。天を割るように亀裂が走り、帯は鮮烈な輝きと色彩を夜空に広げ、闇夜のとばりを彩るオーロラとなって街を飾ります。
この異常気象に目を見張っていると、過ぎゆく周囲の景色に茫とした影が混ざり始めていることに気づきました。朧な影はその姿を私たちに認めさせようしているかのようで、暗闇から次々と立ち上がりました。
やがて私たちの進む道の行く先々に、影法師が姿を現し、彼らは並木のように道行く私たちにあの真っ白な虚の目を向けてきたのです。
「こいつらなんなのですニャ!」
ケメットは戦々恐々としながらハンドルを握り、縮こまりながら運転を続け、大佐もただならぬ事態に緊張気味で「まるで世界の終わりね」と呟きます。
影法師はただその場に立って私たちを見つめてくるだけ。そこに在るだけで、触れることも触れてくることも無い存在。しかし危害を加えられずとも、この底冷えする恐怖心を掻き立て、着実に私たちを追い詰めていました。唯一知り得ることは、彼らは凶兆の権化ということだけ。不幸の水先案内人なのか、神が使わした伝令なのか——私たちは物言わぬ影に見守られながら、パンシパル教官の自宅へ急ぎました。
街の様子は明らかに普段と異なっていました。
たとえ真夜中であったとしても、この世界有数の都市であるロンデニオンには夜に生きる者たちが少なからず居るものです。裏社会の者から水商売の女たち、ゴミ箱を漁る浮浪者だって珍しくありませんし、夜の寒さを凌ごうとガス灯にたかるピクシーや、そんなピクシーに吠えたてる野良犬など。
今宵はそうした生物の形跡が見あたらず、家明かりすら零れて来ない。薄く靄がかった街はしんと静まりかえり、等間隔のガス灯の明かりだけが、静かに煌々と靄の奥底へ導いて行きます。見慣れたはずの街並みは変質し、ゴーストタウンに迷い込んでしまったみたいです。それに拍車をかけるのは、従来の住民に取って代わり町に佇む影法師の姿。
パンシパル教官の家に到着し、つかず離れず、私たちを見つめ続ける影法師から逃れるように玄関のアプローチを駆け上がります。
まず私が戸を叩き、声を掛けてみます。まだ教官がこの事態を引き起こしたとは確定しておらず、無関係の場合も想定して穏便に事を進めるつもりでした。
「教官! ルイズです! 夜分遅くにすみません、ちょっとお話をお聞きしても宜しいでしょうか? 教官!」
返事はありません。
もう一度——と戸を叩こうとした刹那、唐突に胸が痛み始めました。
ド、ド、ド、ド——と激しい動悸に襲われ、私は立っていることすら危うくなってしまい、玄関にもたれ掛かるようにして膝をつきます。
「っ——く、ア——」
助けを求めて振り返れば、大佐とケメットも同様の症状に見舞われているようで、彼女達は苦しみながらその場に膝をつきました。動悸は一層その激しさを増し、このままでは心臓が破れるか止まってしまう。声にならない悲鳴を上げると、これまでにない最大級の振動が全身に襲いかかり、高所から地面に叩きつけられるような衝撃を受けました。
その一瞬の衝撃で、私の意識が身体から分離するのを幻視します。
何が起きたのかと当惑していると、周囲の景色が一変していました。
辺り一面が真昼の世界に変化してしまったのです。
目の前では凄まじい量の自動車が往来していました。
周辺を見回してみると、見たことも無い建築物の数々。天を穿つ程の高層建築らが整然と並び建っており、私はその一角に座り込んでいるようでした。
道行く人々の格好は様々で、どことなく奇抜な印象を受けます。しかし、その中には妖精の姿は一人も見あたりません。頑固そうなドワーフも、忙しなく働くホビットも、社会的地位を確立し悪賢そうな顔をするケットシーやゴブリン、それに主人に付き従う半獣人……全てが人間のみで溢れかえっていたのです。
呆然と騒がしく音楽を奏でている方面に視線をやると、建築物の壁面には、映写機も見あたらないのに映画館でしか見ることの出来ない映像が、着色されて映し出されていました。画面の中では、布地の少ないいかがわしい身なりをした女達が腰をくねらせています。
瞬間的に、高度な文明を持つ社会であることを理解しましたが、何故この場に私が居るのか理解不能で、呆けたまま視線をやることしかできません。
気づけば、私の目の前では小さな男の子と、その母親らしき人物が口を半開きにしてこちらを見つめていたのです。
べちゃり、と子供が持っていた氷菓らしき物が地面に落ちます。
私は——教官宅の玄関前に座り込んでいました。
我に返り、大佐達を振り向くと、彼女達も同様に困惑した表情をしています。
今し方の幻覚を体験していたのは、二人の顔を見ればわかります。訳の分からない世界に飛ばされ、かと思えば真夜中の不気味な街路に舞い戻っている。
大佐がアプローチの手すりを取り、蹌踉めきながら立ち上がります。
「異世界? この世界の他にも世界があるっていうの?」
独り言を呟きつつ、大佐は自身の米神を押さえています。
「ウチ、宇宙の心理に触れました」と言うケメット。お前は何を見ていたんだ。
その直後に、再び動悸が激しくなりました。
頭痛までもが襲ってきて、私たちはその場で再び崩れかかります。
「大佐……ッ、なんか、まずくないですか!」
半ば悲鳴のように大佐へと声を掛けると、彼女は路地を向いていました。これまで佇むばかりだった影法師たちが、風に揺らめく草木のように揺れ、その靄のように朧気な姿を散らして私たちを取り囲んでいたのです。
「世界の境界が……溶け始めてるんだ」
切迫した表情で大佐は玄関扉を乱暴に叩きます。
「パンシパル! ここを開けなさい!」
それでも扉が開く気配はなく、焦れた大佐は拳銃で鍵穴を撃ち抜いて蹴破りました。
「ルイズ! パンシパルの工房に案内しなさい! このままだと、どこぞの世界とあたし達の世界の境界が溶け合って一つになる!」
「溶け合うと……どうなるんです?」
「知るもんか。でも良くないってのはわかる。二つの世界か、それ以上かは知らないけれど、複数の世界が集約して一つになれば、それは衝突と同じよ。世界がぐちゃぐちゃになる——」
あの近未来的な街の風景と、この街に重なり合う光景が網膜に幻視されました。
人や動物、建物や土地そのものが重なり合う。もしそのまま一つになったらどうなってしまうのか。『世界がぐちゃぐちゃになる』という大佐の言葉が脳裏撫でリアルに再現されていきます。
大佐も事態を正確に把握出来ているとは思えません。それでも一連の体験を経たことで、彼女の直感は私を説得するには十分でした。その危機感をより一層募らせる影法師たちは、慌てふためく私たちを見てせせら笑うように揺らめいています。
「くっ——」
これは絶対に良くない兆候だ。それも危機的な状況。
焦燥感と影法師に煽り立てられながら、私は気力を振り絞って立ち上がり、工房へと先導を始めました。
教官の自宅はタウンハウスを改装して繋げているため、一般家屋よりは広いものです。しかし、個々は通常の街家でしかなく、屋内を縦断して裏庭の地下工房までの距離は通常であれば一息、駆け抜ければ物の数秒でしかないはずです。
しかし、裏庭までの道のりは途方もなく感じられました。
一歩一歩、床を踏みしめる度に世界の乖離が発生するのです。
住宅の中を歩いていながら、見知らぬ街中を進んで行たり、次の瞬間には文明から遠ざかった密林を彷徨っていました。入れ替わり立ち替わり世界が変転して、その都度、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けます。次第に脳みそが溶けてしまうのでは無いかと言うほど頭が熱くなって、立っていることもままなりません。
数歩毎に変わりゆく世界で、私は昼間の記憶を辿りながら歩みを進め、どうにか裏庭へ出ることができました。地下工房へ通じる小屋の戸を蹌踉めきながら開き、数歩進んだ時点で目眩を起こしてしまいます。
足を踏み外し、私は地下への階段を転げ落ちてしまいました。
「あ——ぐ——ッ!」
無理——。大佐が後を着いてきているか確認することもままなりません。
階段から落ちて痛む体よりも、気が狂ってしまいそうな頭の変調が問題なのです。
これが私の限界。
重々しい鉄製の扉に縋りつき、なけなしの力でこじ開けました。
精一杯ここまで先導してきましたが、最早立ち上がる気力はありません。目の奥がチカチカと光り、ヒンヤリとした地下室の床の感触が頬に広がっていきます。耳鳴りが私から位置情報を奪い取り、静寂の中にある湖面に体を横たえている錯覚に包まれます。
意識が遠退き、込み上げてくる心地よさに目を閉じようとしたその時でした。
「そうか、来たのか」
優しくて柔らかくて懐かしかった恩師の声が、冷気を帯びて静謐な地下室に響きます。
視線を向けた先には、日差しを照り返す白雪のように輝く石の門と、教官の姿がありました。
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