一章 汚職の魔術師と没落貴族 2
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「本日付で第七独立連隊へ配属されました、ルイズ・エリオット・フォン・ピルメル・プルームプルハット中尉です。先ほどは、シンクレア大佐とは知らず失礼な言動を取ってしまい、まことに申し訳ありませんでした!」
私は背筋を正して敬礼をしながら、直立不動で謝罪の言葉を口にしていました。
もちろん自分が悪いなんて毛筋ほども思ってませんが、こうした方が好印象でしょう。
ここは揉み手でもゴマすりでも太鼓持ちでも、出来ることなら何でもします。
彼女に取り入れば、未来が開けるかもしれないのですから、自尊心を売り渡すくらい安い物でした。
しかし、この殊勝な態度が眼前の二人には伝わっていないようです。
ヒソヒソと「名前長くない?」「長いニャ」と囁いています。確かに、特異な名前である自覚はありますが、我が家は伝統派貴族として、それなりに名の知れた名家です。
物を知らない不躾な平民どもですが、今は我慢のとき。
それはそうと、幾分描写が不足しているので補足させて頂きます。
私たちはロンデニオンの目抜き通りに沿った路地から河岸を変えて、近くのパブに居ました。
よく通る道なのに全く記憶にない店で、薄暗い店内には私たち以外にも、そこそこ身なりの良い紳士淑女の姿があります。妙な居心地の悪さを感じる以外は、落ち着いた雰囲気の良い店かと思います。
いつ出来たのでしょうか?
そして対面する席に腰掛けているのが、我が上官となるシンクレア大佐、そして伍長の階級章をつけた下士官の半獣人です。彼女たちをよくよく見てみますとこの二人、ファッション誌の表紙を飾りそうなほどの美形で、腹立たしい限りでした。
シンクレア大佐に関しては、前評判もあって納得の出で立ちです。
艶やかな金髪は後頭部で簡単に結わえ、つり目で赤さびのような瞳は爛々と踊って活発な印象。そしてポスターの白い燕尾服とは打って変わって、地味な鳶色の三つ揃いをお召しになっています。
一見して好青年のように見えますが、女性を隠そうという意図は無いようで、カップを口にする所作ひとつとっても、洗練された貴婦人の佇まいが窺えます。
ですがそれ故に、陸軍庁での蛮行は気が触れているとしか思えません。
もう一匹の獣伍長ですが、こちらも大佐に負けず劣らずの美形です。
波打つショートの金髪と二つの大きな三角耳が特徴的で、造顔作家にでも作らせたかのような整った顔立ちや、臀部から生える長い尻尾と猫科肉食獣のようなにしなやかでスレンダーな体つきは芸術的とも評せましょう。
しかし半獣人という愛玩種である以上、男好きする容姿を持って生まれるのは宿命。
サキュバスとかインキュバスとか、何かそう言う淫らでいやらしい生物だと割り切れば、嫉妬もせずに済みます。が、この伍長は娼館に居るような半獣人の淫靡さを欠片も持っておらず、言ってしまえば、サバンナで横になってアホ面を曝す雌ライオンのようでした。
何かこう……全身からアホというか緩いオーラが放散されているのです。
「それで、時と場合によって黒髪ながら青髪ショートヘアとして表現されてしまうクソダサ丸メガネを掛けたマヨネーズ容器みたいな体型の中尉は、何か注文なさいますか? 今日は大佐のおごりですのニャ」
あらゆる法則に唾を吐きかける人物描写をありがとう伍長。
作業量が減って助かりますが、二言三言余計です。後で覚えてなさい。
「誰もおごるなんて言ってないし、まず自己紹介なさい」
彼女は上官なんだからね、とシンクレア大佐は獣伍長を窘めます。奢る云々の前文など無かったかのようです。
「申し遅れました。ウチは大佐のお世話をしておりますケメット伍長です。そのほかにも運転手や家事雑用、ホロホロ鳥係などを担当しておりますニャ。言わば私設伍長と申せましょう」
ケメットと名乗った半獣人の伍長は鼻息荒くやり遂げた表情です。
ホロホロ鳥係や私設伍長なる役職の存在については解りかねますが、彼女はいわゆる、将校の身の回りの世話をする従兵なのでしょう。しかしそれにしたって大佐に対する態度の不遜なことと言ったらありません。私が部隊に参入したからには、階級を軽んじる不適切な態度と、変な語尾を矯正しなくはいけません。
「わかってるでしょうけど、あたしはシンクレアね。今日からよろしく。さ、いつまで立っているつもり? 固いわ中尉。もう少し肩の力を抜きなさいな」
「そうですニャ、今日は無礼講です」
大佐はぽかんとケメットの頭を叩いてから向き直り、それからコホンと一つ咳払いをしてから私に視線を寄越します。
二人のペースに呑まれかかって居ることに気付き、私は慌てて席に着きました。
「プルームプルハット中尉……ハット中尉。うぅん、しっくり来ないわ。まあいい、中尉、あなたを私の部隊に加えるに当たって、まずはあなたの事をよく知っておきたいわ。いまあたしの部隊は人手が不足していてね、人事に掛け合って有能な人材を早急に寄越すよう伝えておいたのよ。急いでいたから資料を請求してる暇も無くってね、士官学校で何か魔術の科目は取ったのかしら? というか魔術師適性はあるの?」
来た! これはきっと重要な質問となるに違い有りません。
何しろシンクレア大佐はこの国の魔術師トップ十三の内の一人。
たとえ末席を汚す序列最下位だとしても、魔術に人選の重きを置いていることは間違いありません。
ですが私は魔法学校への憧れはあっても、金銭的な理由で断念せざるを得なかった過去があります。
むべなるかな、専門的な知識は世間一般のな魔術師には及びません。いくら私が才能の塊であっても、原石を磨く環境が無ければ如何ともしがたいのです。
「それが、その……ネシム学派の基礎を少々やりまして。魔術の権威であります大佐の前で言うのもお恥ずかしいのですが……〈口寄せ〉が少しできるくらいで」
「〈口寄せ〉ね。何が呼べるの?」
「虫、鳥、ネズミ……あ、鮭も呼べます。秋限定ですが」
「小動物ばかりね」
大佐の口調は素っ気ないものでした。
流石に小物の〈口寄せ〉程度では、
ここで呆れられては未来が開けませんので、しっかりケアをしなければ。
「力不足は自覚していますっ! ですが、努力することは苦ではありません。今回は急な転属で準備不足が否めませんが、大佐の下で学ばせて頂き、日々研鑽に務めていく所存で」
「まあ良いわ、タンパク質は大事だし。前の部隊も魔術師は重視してなかったし」
なんだか、杞憂に終わったみたいです。
それは良いとして、前の部隊というのは現在大佐が指揮を執る第七独立連隊の前、ということでしょうか……?
シンクレア大佐が魔術に拘っていないとわかり、ほっと胸を撫で下ろして次の受け答えへの心構えをしていますと、テーブルにバシンッ、とバインダーが叩きつけられます。
「それで、あなたを雇うことで、いったい我が社にどのようなメリットがありますニャ?」
赤縁メガネを掛け、グレーの丈の短いスカートスーツ姿となったケメット伍長でした。
先ほどから視界の隅で彼女は何かをしていましたが、どうやら着替えだったようです。
そして何故か豹変し、高圧的な態度を私に向けてきます。
「えっ、その、ええと……私が御社を志望しましたのは――て、いや、いやいや突然なんですか伍長!」
「口の利き方がなっていない、ペケをつけちゃいます。いまのウチは伍長ではなく面接官なので、さっさと履歴書をだしますのに。まったく鈍くさいったらない。社会を知らない新卒のぺーぺーはこれだから嫌だニャ」
うんざりだとでも言いたげに彼女は、長い脚を惜しげもなく組んで斜めに構えました。
いったい何が始まったのかと説明を求めて大佐に視線を戻します。ですが困惑する私をよそに、大佐は大佐で、懐から取り出した紙巻きの妖精香を吸い込み目を回していました。
こちらの声も届かない様子で、半開きの口から桃色の煙が立ち昇ります。
何だ、これは。
これが本当に、あのポスターの中で異彩を放ち、民衆からカリスマと謳われる
「はぁ、履歴書はまだでしょうかニャー」
ケメットはバインダーでテーブルを叩き、不愉快な音を立てて急かします。
どういった意図があって、こんな事が行われているのか理解に苦しみます。部隊へ入隊するに当たって、シンクレア独自の通過儀礼か何かである可能性もあり得ますが、大佐が何も言わないので不承不承ながら鞄から履歴書――ではなく、人事から送られるはずだったの推薦状と勤務実績、個人情報の書かれたファイルを取り出そうとしました。
ところが……。
「あ、あれ……?」
忘れ物をすまいと、昨夜に何度も入念にチェックした必要書類を収めた封筒が見あたりません。代わりに入っていたのは、乱暴に扱われたのか皺の寄った複数の書類と、それに畳まれた大判の地図らしきもの。
まったく身に覚えの無い中身に言葉を失います。
まさか自分がこんな大事な日に限って忘れ物だなんて、信じられませんでした。
というか、これは明らかに私の物ではありません。ですが、夕べと今朝の二度に渡って中身が揃っている事を確認したはずです。ならば、この鞄そのものが私物でない可能性が?
そう思い始めると、新調したばかりにしてはどことなく草臥れている気がします。
しかし状況は待ってくれませんでした。
私がどう説明した物かとまごついている間に、面接官――いえ、ケメット伍長が痺れを切らしました。
「なにをもたついているのです! 社長をお待たせするんじゃないニャ!」
「社長って誰よ!? あ、ちょっと待って、待ちなさい伍長! それは違うんです!」
私の方が上官だというのに、階級などまるで気にしないケメットは、鞄からチラチラと見えていた書類と地図をふんだくってきました。何て下士官でしょう。
そして彼女は書類にざっと目を通し、地図らしき物を広げると「むむむ」と呻ります。
「こ、これは……宝の地図だニャ!」
彼女がそう叫ぶと、壊れかけの煙突のように鼻と口から桃色の煙をだらしなく燻らせ、干し草を噛んでいるアルパカみたいだった大佐の瞳が、クワッと見開きました。
「どけぇい!」
大佐に突き飛ばされたケメットは「ひニャ――ッ!」と悲鳴を上げて隣のテーブル席を巻き込みながら倒れます。そして彼女から地図を奪い取った大佐は、赤さびのように濁った瞳を輝かせてそれを吟味し始めました。
亜然呆然はもうお腹いっぱいでしたので、割と冷静に私は状況を受け止めていました。
人の順応性というか、慣れとは恐ろしい物です。
「どれどれ……って、王立博物館の見取り図って書いてあるわ。何が宝の地図よ!」
地図ではなかったようで、大佐はすっかり興味をは無くして見取り図を放り出します。
テーブルに投げ出された見取り図に私は目を落とし、何故こんな物が入っているのかと首を捻りました。そして私の本当の鞄はいったい何処へ行ってしまったのでしょう。
「博物館の地図も宝の地図には違いありませんのに」
大佐に突き飛ばされたケメットでしたが、何事もなかったのようにこちらのテーブルからぬるりと頭を出しました。
「上手いこと言ったつもり? 手に入らない宝の地図なんて宝の地図とは呼ばないわよ。あたしはね、こそ泥じゃないの。略奪はしても泥棒はしないわ」
「さすが大佐です! 腐っても
腐ってもは余計だとケメットの頭を小突き、大佐は視線を私に寄越します。
「んで、なんであんたがこんな物を持っているわけ?」
頬杖をついて見つめてくる大佐の視線が少々鋭く、私としては針のむしろに座らせられたような気分になります。
「それが私にも良くわからなくて。どう説明したものか……もちろん私の物ではないんですが、このバッグ自体私の物では……ああ、いえ! 決して盗みを働いたわけではないんです! ほんと! 本当です! 信じてください!」
これは事情を説明するのに難儀しそうです。
博物館の見取り図と文字でぎっしりな数枚の書類、そしてこの鞄は私の物では無いが、同様の鞄を新調したばかりだと、私は懇切丁寧に伝えます。
ところが、話を聞いていた大佐の眉間には徐々に皺が寄って、瞳は猜疑に歪みます。
疑われている事がヒシヒシと伝わり、私は何か無かったかと懸命に記憶を辿ります。
そして、ひとつ心当たりがあること思い出しました――。
「そうだ! そう言えば今朝がたなんですが、陸軍庁に行く途中、ゴブリンの男性とぶつかって鞄を落としてしまったんです。その時に男性も鞄を持っていたんですよ! きっとその男性の鞄と取り違えたに違い有りません!」
「同じ鞄を持っていたの? ゴブリンの男が? その女物の鞄を?」
実際に注意して見ていたわけではないので、正直確信は持てていません。ですので私は酷くしどろもどろになって答えます。
「ああ……いえ、その……はっきり覚えていないんですけど、はい、おそらく……」
ぺろん、といきなりケメットに耳たぶを舐められました。
「ひんっ」
「これは嘘つきの味だニャ」
「嘘なんか吐いて無いわよ! ただ状況からしてその時しか鞄が入れ替わるタイミングが無いって、それだけのことで……」
「ふぅん。まあいいわ、盗みを働くにしたって転属初日にすることじゃないしね。そんな頭の回らない奴が推薦されるとは思いたくないし。中尉の言い分を信じましょ」
「あ、ありがとうございます!」
これまでの経緯からまたも冤罪に苦しむはめになるかと思いきや、シンクレア大佐は物わかりの良いお方でした。二、三トラブルは有りましたが、どうにか無事に新しい部隊へ着任できそうです。
「それで、大佐……こういう事情ですので、推薦状とその他の書類に関しては明日以降の提出になってしまいそうです。申し訳ありません、私の不注意でした」
「無いなら無いで別に私は気にしないけどね。それよりお腹減っちゃった」
ちょっとは気にしてもらいたいのですが……。
言葉の先に度々聞こえてくる「まあいいわ」の口癖からもわかるように、良きにつけ悪しきにつけ、シンクレア大佐は大らか――というか大雑把です。
世間で語られる『凛とした佇まいの麗しき女傑』というイメージとは異なります。
それでも初見で見られた庁舎での蛮行に加え、他人に罪を擦り付けて逃亡するような、頭のネジが吹き飛んだ無頼の輩いう悪印象はいくらか払拭されました。いささか不安ではありますが、新たな上官とはなんとか上手くやっていけそう――。
「マスター、ウチはトンカツと天ぷらとタンタン麺のスムージーです。大佐にも同じ物を」
「そんなゲロみたいなもん食えるか馬鹿。あたしはじゃじゃ麺ね」
二人は口々に注文をしますが、店には店主らしき者の姿は見あたりません。
料理に関しても聞き覚えのない名称で違和感がありましたが、ともかく新参者としての役割を果たそうと店内を見渡しました。すると、テーブルから目を離した数秒の間に、鼻腔を擽る美味しそうな香りが……。
二人の前には、いつの間にか見慣れぬ料理が運ばれてきており、彼女たちは迷わず食べ始めました。
大佐がフォークで巻き取っている料理が麺類であることはわかりますが、ケメットが口にしている物が理解できません。銀色の包装がされた吸い口のついた物体で、水筒のように彼女は内容物を飲んでいます。
『NASA』←銀の包装にこんな字が印字されていますが、読むことは出来ませんでした。
ほら、中尉も何か注文しなさいよ。ご馳走してあげる。
そんな大佐の心遣いの声も遠くに聞こえ、口は喘ぐだけ。
奇妙な感覚が五感を揺るがし、目の前が歪んで見えます。
精神が空中に溶け込んでいくかのように、自分自身が不確かなものとなり、私たちの他に居た客を注意してよく見ようとすると、彼らの顔は黒く塗りつぶされて確認出来ません。
私はどこへ迷い込んでしまったのだろう。
遠退く感覚に恐怖を覚え、なけなしの力を振り絞り、大佐にこの店はいったい何なのかと尋ねようとした、その時です。
「ご注文は?」
直ぐそばで聞こえた声に惹かれて仰ぎ見れば、薄らぼけた半透明の何かが天井から垂れ下がっていました。私は心神喪失に陥るほどのショックを受け、上擦った声でただ一言。
「みず……を」
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