一章 汚職の魔術師と没落貴族 3




 気がつくと、外の喧噪を聞いていました。


 眼前には種々雑多な人口で構成された人々の流れ。


 二百年前の妖精大量移民以来つづく、人間と妖精が経済活動に勤しむアルビオンの日常的な光景です。


「ダメじゃない中尉」という大佐の声でハッと我に返りました。


「あなた細かいこと考えたでしょ。あの場所では変に勘ぐっちゃだめなの」


「ミチノク喫茶はあまり営業していない珍しいお店ですのに、もったいないです」


 彼女達の言わんとしていることの意味がいまいち理解出来ません。ふと、通りに面して店を構えていたあのパブの方を振り向くと、そこは建物に挟まれた狭い路地しかありません。店がありません。店が消えているんです! なんて日でしょう!


 今朝の投身自殺の幽霊といい、またもや怪奇現象に見舞われました。もはや何かしらの祟りや呪いである線を考慮して、今すぐ教会に駆け込んで祓魔師ふつましに悪魔祓いしてもらう必要があるかもしれません。


「大佐! 今の店はいったいなんなんです!?」


「だから、そういうのを気にしちゃダメな店なの。良くわからないから面白いのよ。この世にはもっと謎があるべきだわ。その方が素敵でしょ? 冒険のし甲斐があるもの。全部を理屈で固めて理解しようとするなんて男の思考よ。感じて楽しまなきゃ」


 ね? と謎理論で説き伏せようとする大佐。言葉が通じていないようです。


「ケメット伍長、あなたは何にも思わないわけ? あの気味の悪い空間で、あんな化け物が出した何が入ってるかわからない妙ちくりんな物を食べて!」


「頭からっぽの方がお腹いっぱい詰め込めますニャ」


 頭蓋骨の中まで胃袋に占領されてやがる。伍長も大佐に倣って意味不明です。


 なんと申せばいいのでしょうか。昨日と今日では、私の認識していた世界感が一八〇度がらりと変貌して摩訶不思議アドベンチャー状態です。


 私がおかしいのでしょうか? いえ、おかしいのはこの二人。


「さて、中尉の歓迎会も終わったことだから今日はお開きね」


「ちょ、ちょっと待ってください! 何に終わろうとしているんですか。こんなお日様も高い内に公務員が終業しちゃ――いやそうじゃなくて、話を逸らさないでください!」


 聞き分けのない子ね、と大佐は腰に手をやって呆れ顔です。


 件の怪現象に関しては触れない腹づもりらしく、あまりしつこく追求しては覚えが悪いです。なので渋々引きさがりましたが、ここで大切なことを思い出しました。


 着任初日であるこの身には、雨風を凌げる家が必要なのです。


 つまりは所属部隊が定める隊舎への引っ越しです。


 いま住んでいる歩兵連隊の隊舎からは今日中に出なければなりません。大佐がなぜご自身の駐屯地へ私を呼ばなかったのかは疑問ですが、おそらくは自分の部隊に相応しい人間かどうかを見定める目的があったのだ、と解釈していました。


 まあ今となっては、どうして陸軍庁に呼ばれたか意味不明ですが……。


 部隊の面々との顔合わせも済ませたいですし、ここで野に放たれてはかないません。


「何もお話にならないというのでしたら……わかりました。私もいい大人ですので、もう騒ぎ立てません。それで、私はこれから何処へ向かったら良いのでしょうか。第七独立連隊の駐屯地で宜しいんですよね?」


 言わずもがな、という質問かもしれませんが、一応お伺いを立てておきました。


 するとどうでしょう、大佐の視線が急に宙を漂い始めます。


「え、あー……いやいや、そんな焦っても仕方ないわ! 駐屯地は逃げたりしないから。もう二、三日ロンデニオンを満喫していきましょう。キサリアなんて郊外の田舎町だし何も無い所でつまんないわよ! ねぇケメット?」


「そそそそそうですニャ! ウチは何も隠してません!」


「馬鹿ッ! 一言余計なのよあんたは!」


 ――怪しい。


 明らかな動揺が容易に見て取れます。


「いえ、私は今日中に今の隊舎から出ないといけませんので、そうもいきません。汽車の時間や手続きがありますから、そろそろ荷物を取りに戻ります」


 大佐が居なくても挨拶回りくらい一人で出来ますし、他の上官の方々にも私の話は伝わっているはずです。紹介状やその他の書類は再発行して郵送が可能なので、何も問題は無いように思えます。


「中尉、あなたは大事なことを忘れているわ! あなたはあたしの副官として配属されたの。いつ如何なる時もあたしの傍で副官としての勤めを――あっ、そうだ。いまうちの隊舎が改装中だったわ! ありゃー盲点だったわー。だから駐屯地に行っても無駄!」


 何でしょう、このとってつけた感じ。


 それに「あっ」って言いました。今思いついたと言わんばかりの「あっ」です。


「……あの、じゃあ私どうしたら――」


「大丈夫! いまホテル取ってるから、あなたの部屋も用意しておくし!」


 それなら良いのですが、絶対何か隠してますよね。


「そんなことないしッ! もう中尉ったら、疑り深いんだから。あははははは――」


 心の声を読まないでください。




 終始、不審な態度の二人に私の猜疑心はみるみる膨らんでいきました。


 だからと言って、上から下された決定に今さら異を唱えるつもりはありません。


 新しい上官が思っていたほど有能そうでなかったり、その部下が無残な有様であることに不満が無い訳でもありませんが、逆に言えばチャンスとも言えるのです。


 『名将はあえて愚将を置く』、とはこの国の諺です。


 闇が濃ければ濃いほど、微かな光でも神々しく見えるもの。


 立場は逆ですが、私はそんな光になりたい――なんて考えながら、大佐達と一度別れて荷物を取りに隊舎へ引き返します。


 その前に、王立博物館へと立ち寄りました。


 理由はこの肩に掛かっている、誰の物とも知れない鞄のせいです。


 早朝の出来事を思い返せば、不愉快な記憶を呼び起こさずにはいらません。しかし、人としての最低限の義理を果たすべく、鞄の持ち主が所属していると思われる博物館へ赴いたのです。


 しかし、どういう訳か博物館は臨時休業の立て札を出して、門を閉ざしていました。


 私の唾液に塗れた『ブラッディ・メアリー』をあれほど待ちわびていた人々の姿も無く、不自然な静けさに包まれていました。


 職員の姿も見あたらず、関係者通用門を探そうかとも思いましたが、今朝あのゴブリンに言われた『デカ尻女』という文句が頭を過ぎります。


 あの小憎たらしいチビが、今度はどんな因縁を付けてくるだろうか――。


 それを考えると善行に臨む意志が瞬く間に霧散し、『これが大事ならそっちから出向けば?』という思いが私の中で過半数を占め、民主主義が遂行されました。


 不本意では有りますが、あのゴブリンの手に渡った私の鞄には、私の個人情報が記された書類が入っています。アルビオン陸軍所属である事も知られているでしょう。後は陸軍の地域事務所にでも申し出ていただければ済む話――。


 と言うわけで、さっと踵を返し、今の古巣とおさらばすべく帰路につきます。




 駐屯地で諸々の手続きを済ませた後、軍隊生活最初の二年間を共にした部屋ともお別れです。


 感慨深い気持ちになりながら扉を閉め、辺りを見回します。


 見送りに来る者たちの姿はありません。


 そもそも、この平穏な毎日を送っていた首都防衛を要とするこの部隊では、将兵の間に醸成されると言い伝えられる――『戦友』なる関係が構築されません。戦場に駆り出されないのですから、職場仲間ではあっても友人とまではいかない者たちが多いのです。飲み仲間くらいの認識で、「そう言えばそんな奴居たな」くらいの思い入れでしょう。


 職場内の浮ついた話もありません。これには部隊の男共に見る目が無いだけです。


 こんなにも無防備で麗しいの伯爵令嬢が傍に居るにも関わらず、彼らは街に出てはパブの看板娘のお尻を追いかけるか、万札を握りしめて娼館の半獣人相手に鼻の下を伸ばすばかり。


 なるほどどうして……こちらからお断りな連中ばかりでした。


 故に私は一人旅立つことに不満は御座いません。


 不満は御座いませんが、何だかたまらなくなって隣室の扉に蹴りを入れました。


「一人くらい出てこいよ」


 不満なんて無いです。ええ、無いですとも。


 この胸にぽっかりと空いた穴を埋めてくれるのは、これから私がつかみ取る未来。


 すなわち地位、名誉、そして富です。我が道に友など不要。


 旅行鞄に収まる程度の思い出には蓋をしました。


 荷物は多くありませんが、着替えや生活用品を持ち歩くのは難儀します。


 辻馬車を拾うことも考えましたが、まだまだ生活にゆとりはないので、大佐が指定したホテルまでえっちらおっちら歩いて向かうことにしました。すると――。


「ほぇ……」


 半開きの口からは間の抜けた声が漏れてしまいました。


 大佐からは、目抜き通りの十字路から国道二号線沿いを西に向かった先にある、聖バクスーン大寺院前のホテルだ、と聞かされていました。その為、直ぐに思い当たらなかったのですがこちらの宿、幼い頃に家族でロンデニオンに訪れた際に宿泊した記憶がありました。


 世界に五〇店舗近く出店し、今なお拡大を続けている超高級ホテルチェーン。


 『ゲッシュ・カーネル』。


 一番安い部屋でも一人様一泊9万カークからとなっており、とても庶民には手が出せない、上流階級の為のお宿でございました。


「ここで間違いないのよね……」


 正面玄関の車寄せには黒大理石が用いられ、玄関ホールのぼんやりとした明かりがシックで落ち着いた高級感を醸しています。一流ホテルともなると、派手派手しい華美な装飾が逆に下品な印象を与えてしまうことを心得ています。必要最小限にして静謐を旨とし、美へと昇華させる様は、昨今見られるウィルク教関連の大聖堂よりも品があるように思われます。


「ああ……良い匂い。高そうな匂いだわ」


 私は大佐のセンスのよさに感心し、その財力に感嘆しながらホテルに入りました。


 たとえ将校と言えど、各国の首脳陣が宿泊するような宿を取れるものではありません。そもそも予算が降りませんし、こういった宿はポケットマネーから出ていることでしょう。


 やはり賢天の魔術師サージオともなると違うなぁ! 


 大佐を少し見直しつつチェックインを済ませます。


「ご予約のルイズ・エリオット・フォン・ピルペル・プルーン様でいらっしゃいますね、承っております。どうぞこちらへ、お部屋へご案内いたします」


 発酵乳製品でしょうか。名前は覚えてくれなかったようです。




 通された部屋は地上六階のビジネスランクでしたが、何の不満が御座いましょう。


 ダイニングキッチンと寝室が一つにされたワンルームの形をとる広々とした部屋。


 それとは別に個室トイレとシャワーにバスタブまで完備され、食卓にはフルーツの盛り合わせまで用意されています。ベランダからの夜景は、篝火が焚かれて闇から浮かび上がる荘厳な聖バクスーン大寺院。


「ご用件の際は備え付けの電話からお申し付けください」


 私の旅行鞄を室内に運び入れたポーターが退出すると、ベルボーイが恭しく頭を垂れて扉を閉めます。こんな風に誰かに傅かれることだって随分久しぶりでした。


 他人に尊重されるのって何て気持ちが良いのでしょう。


 久しぶり貴族扱いされて貴い精神の昂ぶりを押さえ切れず、大きなダブルベッドへと飛び込みました。


「ああ、ふかふかじゃないですかぁ……何年でぶりでしょうこの感触」


 このままお姫様気分で眠ってしまいたい欲求に駆られますが、哀しいかな今の私は庶民以下の生活を送ってきた弊害で酷い貧乏性に悩まされています。


 ここで眠ってしまったらもったいない。もっと堪能しなくては。贅沢の食い溜めです。


 枕に顔を埋めて足をばたつかせ、何とか幸せな眠気を吹き飛ばそうとしていると――。


 かさり、と枕元にメッセージカードが落ちてきます。


「これは……大浴場のご案内――こんなの出来たんだ」


 くいっと眼鏡を持ち上げて、時計を確認します。


 お風呂は夜の一〇時まで営業しているようで、いまなら夕食前に湯を頂くことが出来そうです。


 きっと白大理石で囲まれた豪勢なシャピノ式浴場であること間違いなし。


 これは行かなきゃ損です!


 私は飛び起きると浮かれ気分のまま大浴場へと向かいました。


 足取りは軽く、スキップしていたかもしれません。大佐への報告は後でも良いでしょう。何だかあの人たちの緩さが自分にまでも伝染してしまったみたいで、若干後ろめたい気持ちもあります。


 ですが、今はこの贅沢に飛び込みたい欲求に抗えそうもありません。


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