一章 汚職の魔術師と没落貴族 8
8
「うぅん……う、痛ッ、イタタタタ……」
首筋に走った神経を触るような痛みを感じ、私は目を覚ましました。
目を覚ましたは良いものの、今度はまぶしてく眼球にズキリとした痛みを覚えます。
どうやら夜が明けてしまったみたいですが、冷え切った身体に注がれる朝日の陽光は心地良かったです。上体を起こしてみると、額から濡れタオルが足下に落ち、自分が担架に寝かされているのを知りました。何があったのでしょう?
「起きました? 中尉はお寝坊さんですニャ」
独特の語尾に引かれて視線を動かせば、隣にはケメットが居ました。
彼女は芝生にスカートのまま胡座をかいています。
はしたないから止めなさい、と言ったつもりでしたが声に出ません。
頭の中は霧がかったように漠とし、呆けたまま彼女を眺めてから、次に周囲を見回すと、大勢の黒服の姿。警察です。
制服姿の警察官が忙しなくそこら中で動き回っていますが、物々しさはありません。
彼らはいったい何をしているの?
彼らの制服を見つめながらそう思った矢先、大輪の花火が炸裂する情景が脳内に吹き荒れ、頭の中で昨夜の記憶が甦りました。
「そうだ――大佐はッ!? 怪盗オマールはどうなったの!?」
差し迫った問題を前に気を失うという失態。内省するのは後回しでした。
ともかく現状を把握が第一と、ケメットに息を詰まらせながら尋ねます。
すると彼女は、途端に頭の上に突き立つ可愛らしい耳を萎れさせ、暗い表情へ。
ゆらゆら揺らめいていた尻尾も、パタリと芝生の上に落としてしまいます。
「大佐は……大佐は――死にましたニャ……」
「そんな――」
衝撃的な内容に私が言葉を失っていると、ケメットの頭がパシンと叩かれます。
「痛いニャッ!」
「殺すな馬鹿。どうしてあの状況から死ななきゃならないの。あたしの完勝圧勝、大勝利以外ないでしょうが」
頭を抱えて蹲るケメットの背後には、腕を組んで仏頂面をした大佐が立っていました。
「ま、わかってましたけど。それより大佐、この警官たちはいったい……オマールはどうなったんですか?」
私の物言いに何か言いたげな様子で片眉をつり上げる大佐でしたが、裏庭の一角を指します。
そこには、護送車に乗せられる間際のオマールたち怪盗団の姿がありました。
彼らは警官たちを口汚く罵っては、腰が痛い、優しく扱え、黙秘権を行使する、などと喚き立てています。昨夜と同じ調子で憎まれ口を叩いていますが五体満足なご様子。
癇に障る事を言われたり、死にそうな目に遭わされたりもして、憎い連中には違いないのですけれど、不思議なもので、元気そうで何よりだとも思ってしまいます。
これもアルビオン貴族の寛容な心構えがなせる徳に違いありません。
罪を憎んで人を憎まず、です。
「嬉しそうね、ルイズ」
「いえ……これで一件落着だなと。そう言えば、オマールが持っていた創造器はどうなったんです?」
「杖が怪しいと思って、あんたが気絶してる間にあたしも調べてみたんだけどね、壊れちゃっててね。きっと偽物だったんでしょう。残骸は警察が押収したわ」
創造器とは地上の産物ではなく、たとえ隕石の直撃を受けても壊れない神聖な物とされています。
実際に検証された話は聞かないので眉唾ものですが、あの程度で壊れてしまうようでは偽物の可能性が高いのでしょう。あとは取り調べ室での尋問を待つ身であるオマールの供述次第となりそうです。
「そうそう、こっちはまだ押収されてないわ」
そう言って大佐は胸ポケットから何かを取り出し、頭上にかざしてみせました。
太陽の光を受けて深紅の輝きを放つ懐かし宝石、ブラッディ・メアリー。
幸せだった昔を思い出し、手を伸ばしたくなる衝動に駆られてしまいます。
ですが――。
この思い出は、何れ自分の手で取り戻したいと、そう思います。
大佐と一緒に居れば、何れ叶うのではないかという予感がありました。
「ダメですよ、大佐。ほら、あっちで博物館の館長さんっぽい方があたふたしてます」
「何よちょっとくらい良いじゃない、あたしも女なの。光り物は嫌いじゃないわ」
「カラスとかも光り物が好きですので、大佐はそう言う感覚ですニャ」
「なにっ? どういうこと!?」
上官と部下という垣根を越えて、友人同士のように言い争いを始めた大佐とケメット。それを私は呆れながら見守っていると、コホン、という咳払いが聞こえてきました。
「ちょっと宜しいかな、ご婦人方」
そんな紳士的な台詞に引かれて振り返った私たちは、声を上げて驚きました。
声を掛けてきた人物は、四十代半の中年男性。整った口ひげを生やし、茶色のスーツと山高帽を被ったその姿は、紛う事なきケンジット――怪盗オマールが変装していたあのケンジットとうり二つなのです。
私たちが驚嘆の声を上げたことで、彼は「どうされました」と戸惑っています。
「私はロンデニオン市警のケンジットです。今回は大変な事件に巻き込まれたようで、いやはや、皆さんご無事で何より。医療班もおりますので、身体に不調を感じましたらいつでも申してください。病院への搬送も可能ですのでね」
ふむ、と大佐は得心いったらしく、顎に手をやり頷いていました。
「なるほどね、あなたが怪盗オマールの元ネタってわけ? でも偽物よりも落ち着いてて男前じゃない! 野暮ったい感じも無いし、紅茶とか好きそうよね! 高いところからカップに注いじゃってさ!」
大佐はへらへら笑って私たちの反応を見つつ彼を指さしていました。
その刹那、とても哀しい事が起きました。
カシャンッ、と大佐の右手に手錠が嵌められてしまったのです。
「へっ?」
「シンクレア大佐、あなたに逮捕状が出ています。詐欺、横領、器物損壊、国家反逆罪の疑いで逮捕いたします。お疲れのところ申し訳ないのですが、ご同行願います。おっと、こちらの宝石はお預かり致しますよ。これ以上罪を増やしたくは無いでしょう?」
「えっ?」
驚きのあまりに疑問符しか出ない大佐は、凍り付いた表情のまま警官達に連れていかれてしまいます。
「ウチは関係ありませんので」
「まあ遅かれ早かれってやつですね。反省してください」
これはもう、しょうがないやつです。
「あははははは! ちょっとちょっと待ってよ。あたし
護送車に乗せられた大佐の声はそこで途切れ、怪盗オマールを乗せた護送車に続いて博物館から出て行きました。
「ふぅ……」
悪は滅びました。
一仕事終えた感と言いますか、何だか充実した気分です。
晴れ渡った空や、澄み切った早朝の空気がそうさせるのでしょうか?
都合二度目になる私の門出を祝福してくれているかのように気持ちの良い朝でした。
天国に居るお爺様、ルイズはやってみせます――そう朝日に誓います。
プルームプルハット家再興の為にも、必ずや大成してみせましょう。
たとえ目指す目標が幻の扉――アルトロモンドだったとしても、この新しい仲間たちが居れば、それも成し遂げられる気がするんです。
もう、独りではないのですから――。
さて、とケメットは猫みたいに大きな伸びをして立ち上がり、「疲れたので帰ります」とだけ残しその場を去っていきました。あの特徴的な語尾も、田舎娘みたいな口調もなりを潜め、完全にオフ仕様です。ビジネスキャラ付けなんでしょうか。
というか、また一人になってしまいました。
このままでは体裁が良くないので、決意表明でもしてお茶を濁しましょう。
「ルイズ、頑張ります――大佐が、出所できたら」
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