二章 異世界転生問題と教授のアルトロモンド 5




 翌朝、目を覚ますと、習慣として水差しから水を一杯飲みます。


 その後に歯を磨いて顔を洗い、化粧台でアルビオン軍の規定が許す範囲での軽めの化粧をしてから朝食です。ミルクを一杯と、焼きたてのトーストに四角いバターをのせて溶かします。香ばしい匂いを嗅ぎながら紅茶を淹れて、小鳥の囀りが優雅さを演出し、貴族の嗜みを思い出させます。


 この朝の一時が、ささやかながら私の自尊心を回復させてくれるのです。


 今日もまた訳の分からない世界に飛び込む為の気合いを充填します。


 先に紅茶を頂こうと、ソーサーを手にしてカップを口元に運び、芳しい香りを楽しみながら上品に一口。そしてふと、外に目が行き——。


「ブフ————ッ!」


 紅茶を噴き出してしまいました。


「な、な、ななな——何が起こってるんです!?」


 私は自分の目に写った光景が信じられず、慌てて席を立ち、勝手口に張り付きました。


 そこからは大佐の母屋と庭を覗うことが出来るのですが、いま視線の先には大勢の男性の姿があります。よくよく見れば、皆あどけなさが抜けきらないセレス系の少年たちで、痴漢行為を働いた昨日の者たちと背格好も似たり寄ったり。


 彼らは皆、後ろ手に縛られ、ロープで数珠つなぎにされた状態で庭に座らされています。その数、目算で三十人以上・・・・・・もっと居るかもしれません。そこへ母屋の玄関から一人の少年を拘束したケメットが現れ、庭の少年たちの元に捕まえたばかりであろう少年を蹴り飛ばしました。


「まってくれよ! 不可抗力なんだ!」


 なんか聞いた事のある台詞です。


 そうだそうだ! とデモ隊の様に声を揃えて抗議する少年達は、それぞれの目的や弁解を口にして騒ぎ立てています。しかし、玄関から姿を現した大佐の姿を見るやいなや、彼らは一様に視線を泳がせて静まりかえってしまいます。


「傾注だニャ! 大佐から貴様らウジ虫にお話がある!」


 ケメットが鬼軍曹のように声を張り上げ、少年達の注目を集めると、その場を大佐に譲り渡しました。少年達の前に立った大佐は青筋を浮かべ、胡乱げな暗い瞳で彼らを威圧し、右手には拳銃が握られていました。


「今から、あんた達を一人ずつ処刑する」


 これはいけない——私の脳裏には、大佐と出会ったばかりの出来事が甦りました。


 新聞記者に囲まれ、警察が現れ、フラッシュの激しい嵐の中でパクられる大佐の姿が容易に思い浮かびます。そんなのダメ。折角、人生に光が差し込んできたのだから、こんな下らない形で棒に振ってたまるもんですか。大佐にはアルトロモンドへと導いて貰わねばならない——そう思い立ち、勝手口から飛び出して大佐の元へと駆け寄りました。


「何があったかはわかりませ……いえ、想像出来ますけど早まっちゃダメです!」


 大佐の前に立ちはだかり、少年達を背にしながらの諫言となります。


 しかし暢気な事に、背後の彼らからヒソヒソと下らない会話が漏れ聞こえてきます。


「眼鏡っ子来た」「無口眼鏡枠かな」「猫耳が至高」「(胸が)ないじゃん」等々。


「ちょっと! 誰のために身体張ってると思ってるんですか! 黙ってて!」


 別にあなた達の為じゃないんですけど、それでもそう言う体なんです。


「おはよう御座いますニャ」


「どのタイミングよ馬鹿! ケメット、あなたも大佐を止めるの手伝いなさい!」


「ですが……大佐も我慢の限界なので、この辺りで息抜きに二、三人始末しようかと」


「息抜きで人生終わらせたり終わったりしちゃダメだから! 警察はどうしたの!? こんなに痴漢溜め込んで何がしたいのよ!」


「もう夜遅いからまた明日、と言われましたニャ」


「職務怠慢じゃないの! いや、でも……悪戯に思われても仕方のない数だけれど」


 一日の内に何人、何十人と痴漢に遭うこと事態が稀——というか、世界的に見ても無いことでしょう。悪戯の線を疑われても仕方がない。とはいえ事実なのだから、もう少し協力的になって欲しいのですが……都心から離れた丘の上まで何度も行くのは、警察といえども億劫なのかもしれません。


「どきなさいルイズ」


 目を伏せ、肩を怒らせながら打ち震える賢天の魔術師サージオが一歩前に出ました。


 この時点で私は冷や汗をかきつつ、大佐を落ち着かせようと言葉を探します。


「だ、だめです! ダメですよ! こんな所で私刑なんてやらせませんってば! 彼らにはちゃんと裁判で罰を受けてもらえば良いじゃないですか? 大佐がここで手を汚しても、損をするのは大佐だけですッ!」


 ここで感情的に振る舞っても損するばかり。冷静さを取り戻させる為に、理を説いて諫言に徹しますが、大佐はキッと私を睨み付けて感情を爆発させます。


「こいつ等はわざとやってるのよッ! 口を開けば不可抗力不可抗力って! そう言っとけば許されると思って、わざと人の身体触ったりキスしたりして来るの! 人が寝入っている隙に天井から降って来たり! ベッドにいつの間に潜り込んできたり! このままじゃ早晩犯されるわ! こんなエロガキ共に汚されるくらいなら——この手をこいつ等の血で真っ赤に染めてやるんだから!」


「元から汚れていますので、多少泥まみれになろうと大差ありませんのニャ」


「どういう意味よどういう意味よ!」


 当然ながら、ケメットは半泣き状態の大佐の怒りに触れてパシパシ叩かれています。


 いつもクール(?)な大佐が、ここまでヒステリーを起こして発狂しているのを見て、もう限界なのだろう察しました。やっぱりこのままでは可哀想ですし、私の未来にも暗雲が漂ってしまいます。何か解決作を錬らないと。


「少年達を処刑するという案は却下です。そんなことをしても、またいつ降ってくるのかもわからないですし、逮捕された先の牢屋の中にまで彼らは現れるかもしれませんよ? もっと根本的な解決を図らない事には、この事態を打開できないと思うんです」


 そうだそうだ! とまた空気の読めない連中の声が上がります。


 これではまた大佐が逆上して話が進みません。


 折角のフォローを水の泡にする気かと、私は苛立ちを覚えて腰から拳銃を抜きました。


「黙りなさい」


 乾いた炸裂音と共に一発の銃弾を地面に叩き込むと、彼らは響めき、静かになりました。私の慈愛に満ちた思いやりの精神と行動力を前にして、気持ちが落ち着いてきたのか、大佐はケメットに構うのを止めて鼻をすんすん鳴らします。


「大佐、何か心当たりは無いんですか?」


「どんな心当たりよ……? こんなの知らないわ。魔術の事だったら大抵わかるけど、これってたぶん、召喚魔術の類でしょ。でもこんな大量の人間を空間転移させるような魔術、全然知らないもの。世界中の賢天の魔術師サージオに関する情報もある程度知ってるけど、空間転移って名前ばかりで実現させた魔術師なんて歴史上でも聞いた事が無い。そんな大魔術師、今も昔も居やしないのよ」


 賢天の魔術師サージオシンクレアをしてもなお正体不明の謎の力が働いている——となれば、浅学な私にある心当たりは一つしかないのです。


「でしたらもう、創造器くらいしか私には思い浮かびません」


 大佐ご自身もこれについては考えていたらしく、難しい顔をして呻っていました。


 それも仕方のないこと。創造器とは、何度も言うように神代の遺物であり、存在自体が非常に希有な歴史的遺産なのです。そんな物がそこら中にゴロゴロ転がっているなんてあり得ない。普段から破天荒な大佐ですら、心の隅ではそう思っているのでしょう。


 探しに行こうとは言いつつも、見つかるとは思っていない——それってどうなのと言う大佐評は置いておくとして、現状を説明するには創造器しか残っていませんでした。


「そうね、やっぱりその線しか考えられないかも」


「こんな短期間で二度も創造器が絡んでくるとも思えませんが、それでも可能性はゼロではありません。調べてみましょう」


「わかった。なら、異変が起こり始めた場所から調べるべきだわ。昨日あたし達が通った道を辿ってみましょう。あたしも行く。ケメット、車を——ふぎゃっ!?」


 車を表に回すよう言いかけた大佐の上に、またしても見知らぬ少年が落っこちてきます。


「ギャ——ッ!」


 相変わらず色気のない悲鳴です。例によって見ず知らずの少年は、強いられているかのようにスルリと大佐の股の間に顔を滑り込ませ痴漢行為に及びます。


 何が彼らをそうさせるのか。


「なんでよ! なんでよ!」


 大佐は半泣きで股ぐらに顔を突っ込む少年の後頭部に銃把を振り落としています。


 そこへようやく、警察車両の車列が家の前に現れました。


 先頭の黒塗りの車から姿を現したのは、一週間前に大佐を逮捕したケンジット警部です。


「これはこれは……それで、シンクレアを捕まえれば宜しいのですかな?」


 庭で繰り広げられる騒ぎと拘束された少年達を一望し、警部はそんな冗談にもならない軽口を叩きました。


「馬鹿言わないでください。今回の大佐は被害者です。原因はわかりませんが、大佐が痴漢を召喚する能力を身につけてしまったみたいなので、私はその原因を調べに行きます。後はお任せしますので、全員しょっ引いちゃってください」


「それはまた難儀な話だ。是非、早期解決していただきたいものです。でなければ留置所が痴漢で溢れかえってしまいますからね」


 呆れた様子の警部は若干の嫌味を織り交ぜ、部下に少年達を連行するよう指示します。こちらの話は軽く流され、まったく信じていない模様です。反発しようかとも思いましたが、今ここで警察に理解して貰うために骨を折っても徒労に終わるのは目に見えています。この事件は警察組織では手に負えないことでしょう。


 なので、一刻も早く解決の糸口を探ろうとロンデニオンへ向かいました。


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