二章 異世界転生問題と教授のアルトロモンド 3
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陸軍庁へ登庁する道すがら、日が昇ってそれほど経たない朝の段階で、その現象は起こったのです。
大都会ロンデニオンのど真ん中、見慣れたタウンハウスが建ち並ぶ通りの一角で発生した心霊現象を調査しに、私は再びこの場に戻ってきました。
時刻は昼過ぎ。
幽霊を見るにはまだ日が高すぎる気がしますが、一連の出来事を鑑みても、時間が関係しているとも思えません。しかし当時とは違い、人通りはあります。
行き交う人々の姿は多種多様。
人間にも種がありますし、妖精にも種があります。車が道を行けば、馬車が後塵を拝する場面も数えたら切りがありません。
そんな衆人環視の中、幽霊までもがこの画に加わってしまうのは、正直カオス過ぎて嫌になります。
「ここね。ルイズが幽霊を見たっていう通りは」
「はい。丁度、そのガス灯がある付近です。普通に道を歩いていたら、頭上からが悲鳴が聞こえてきました。何かと見上げてみたら、凄い形相をした男性が落ちてきたんです」
咄嗟に身を躱し、自殺者と地面が織りなす悲劇に備えて眼を瞑りました。
しかし、そこに遺体はありませんでした。
自殺者と自分が衝突しそうになった歩道はあの時のまま、何の変哲もない石畳が敷かれています。
ここまで来ておいて何ですが、正直私は日々の生活に疲れていましたので、幽霊なのか幻覚なのか、はっきり区別が出来ません。ストレスから自律神経も乱れがちで、眠れない夜も珍しくないのです。
「何も起きないわね」
「やっぱり私、疲れていたのかもしれません。幻覚だったのかも……」
幽霊に会いたいわけじゃないですが、二人を動かした手前、徒労に終わるのも申し訳ない気分です。路肩に車を停めているケメットが、後続の馬車に文句言われているのも居たたまれません。
「おいそこの半獣人! どこに車止めてるんだい邪魔だよ! 道幅考えろよな!」
「うるさいニャ! 黙って横すり抜けたら良いですのにッ!」
もうこの場に留まるのは限界でしょう。
周囲に迷惑を掛けるので、調査を切り上げましょうと、タウンハウスの屋根を眺めていた大佐に声を掛けました。
「なにも出ないじゃない」とつまらなそうに大佐が踵を返したその時です。
空を引き裂く絶叫が、私の時と同じように再び路地に響き渡ったのは――。
「うわぁああああああ――ッ!」
「は?」と大佐が頭上を見上げるも時既に遅し。
彼女は「んぴぎゃッ」と潰されたカエルのような悲鳴を上げて、路上に倒れ込んでしました。
そして――彼女の上には黒い服の少年がのし掛かりながら呻いています。
「ほらっ! ほら! 出たじゃないですか! 出ましたよ大佐! 幽霊!」
あの時の心霊体験がこれで証明出来たと、興奮から歓喜の声を上げる私ですが、大佐は少年と頭をぶつけ合った痛みから打ち震えています。
「い――ッ、痛ててて……なんだ、ここ? どこだ?」
むくりと身体を起こそうとする少年。
彼としては地面に手をついたつもりでしょうが、そこは地面ではないのです。
むにゅっとした擬音でも鳴りそうなほど、がっしりしっかり大佐の胸を掴んでいます。
「街の中……? って、なんか地面が柔らかい――」
自身の置かれた状況を把握しようと、彼はキョロキョロと周囲を見回し、何故か入念に大佐の胸を揉みしだいています。灯台下暗し、とは語弊が有るかも知れませんが、確認すべき最重要案件を見逃す、足下の疎かな少年でした。なんかわざと臭いです。
「おい」
大佐の低い声に釣られて、少年はようやく自分のしでかした行いを知る事となります。
「―――いや、違うんだよ」
「何が違うんだよ痴漢野郎!」
怒り心頭の大佐による平手が少年の頬を強かに打ちのめし、あらゆる悪態を吐きながら彼女は暴れ「ルイズ、ルイズ! 何見てるのよ! 助けなさいよ馬鹿! 痴漢よ痴漢!」そう言われてハっと我に返ります。
解説実況をしている場合ではありません、上官のピンチです。
「は、離れなさいこの痴漢!」
「ちがっ、誤解、誤解なんだ――」
「助太刀するニャ――ッ!」
痴漢に組み敷かれた大佐を救い出すために、遠巻きから事態を見守っていたケメットも加わり、白昼の路上で乱痴気騒ぎが繰り広げられました。相手が痴漢と思って容赦のないケメットが飛びかかり、下敷きにされた大佐が「うぐっ!」とうめき声を上げ、私は私で何も無い所で転んでしまうという、お茶目な一面を見せて大佐の上に倒れこみ「ギャッ」という悲鳴が聞こえます。
騒ぎが騒ぎを呼んで野次馬が集まり始めたところで、ケメットが少年を組み敷いて事態は終息しました。
捕らえた少年を路上に座らせた大佐は、腕組みしながら彼を睨め付けています。
少年はボロボロの姿で、ひっかき傷や殴打の痕が痛々しく、そして何故か大佐もスーツが擦り切れ、髪はボサボサ、靴の痕を顔に残すという無残な有様。
何が有ったのでしょう?
「これはあんた達がやったの」
視線を再び少年に転じ、改めて彼を観察しました。
彼が着ている厚手の黒服は、その簡素で洗練された様式から軍服のようにも見えます。
顔立ちはまだ幼さが残っており、年の頃は十五前後と言ったところ。
ですが、幽霊では無いようです。幻覚でもありません。
東方の民族であるセレス人のようですが、完璧なアルビノ語を話します。
総合して判断するに――。
「大佐、恐らくセレス系のどこかの国で、諜報教育を受けた士官じゃないでしょうか。言葉もそうですし、何より軍服ですし、魔術師の可能性もありますよ。だって彼、どこから現れたんですか? 空か降って来ましたよ!」
軍諜報部で英才教育を受けた魔術士官である可能性を進言します。
大佐は目を眇めて少年を見据え、彼はばつが悪そうに視線を逸らします。
「あんたどこから来たの? 名前と出身を言いなさい」
逡巡して視線を宙に漂わせた少年は、辿々しく口を割りました。
「小鳥遊瞬……日本から、来た」
「タカナシ・シュン? ニホン?」
聞き馴染みのない名前はセレス人なのだから当然として、ニホンなる国には聞き覚えが有りませんでした。
東方の泡沫国の一つかもしれません。
大佐も聞き覚えのない国のようで、ピンと来ていない様子です。
「聞かない国ね。身分証は? 入国許可証は持っているんでしょうね?」
海外から来た外国人であれば、税関を通るのは必定。そこで入国許可証が発行されます。
そう、密入国で無い限りは、外国人が携帯を義務付けられているのです。
私の読みでは、先に話したとおり、諜報教育を受けた外国の士官という線でした。
それを裏付けるように、タカナシ・シュンの表情は強張り、答えに苦辛しています。
そして彼はとんでもない事を言い出したのです。
「あのさ、さっきは悪かったよ。でも不可抗力だ、わざとじゃない。あと俺は……別の世界から来た。だからあんた達が言うような入国許可証とか、パスポートも持ってない」
「……嘘にしては大きく出たわね」
「違うって! 本当なんだ! 学校から帰る途中に変な魔法使いにさらわれて、この世界の危機を救う勇者になれって命令されたんだよ! 魔王が目覚めるからお前の力が必要だって!」
私たちは顔を見合わせて、肩を竦めました。
彼の言う魔王が巨悪という意味なら、権力と繋がり私利私欲のままに振る舞う悪党が目の前に居ますが……。
「なにかしらルイズ」
「いえ」
「シュンだっけ? 世間知らずみたいだから教えてあげるけど、魔王ならとっくに討伐されているの。後釜に座った暗黒大陸に居る魔族のヴラド卿は、人類の産業革命に着いてこられずに障気を張って引き籠もっている。連中は未だに、剣と槍と弓と魔術なの。聖地奪還で招集された同盟軍が、毎年のように戦車と大砲と絨毯爆撃で暗黒大陸を切り崩しているわ。今では戦費も嵩むし、魔族を未開文明の民族として保護しようって声まで上がってるの。数百年続いた慣例だから遠征を続けていたけど、もう潮時なのよ」
だから――と大佐は一拍置いて、タカナシ・シュンに現実を突きつけます。
「だからねシュン、いいえ、勇者さま? あんたは必要ないの。火薬で事足りるの」
普段は夢見がちで空想妄言の権化のような大佐ではありますが、これでも世界最強の軍隊で一翼を担っていた
現在、世界に求められているのは勇者よりも、汚職に手を染めない公僕なのです。
「……ェ……ァ」
開いた口が塞がらないといった体のタカナシ・シュンに、トドメの一声が掛かります。
「あいつが密入国した痴漢だニャ」
警察を呼びに行っていたケメットが、二名の警官を帯同して帰ってきました。
何とも切ない結末です。
世界を救うために異世界からやって来た勇者は、痴漢犯罪者として現行犯逮捕されたのでした。
もちろん異世界云々の勇者という話は信じていません。
信じてはいませんが――彼がどうやって現れたのか、それだけが気掛かりです。
その点については、警察の取り調べを待つより他ありませんでした。
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