二章 異世界転生問題と教授のアルトロモンド 4




「結局なに? 不思議を探しに行ったのに痴漢に遭遇しただけじゃない。ねぇ、ルイズ?」


 自宅のリビング兼ドナルドカンパニーの職場にて、大佐が私をいびってきます。


 まるで痴漢に遭ったのは私のせい、みたいな口ぶりは心外です。


「でも不思議じゃないですか。大佐は直前まで民家の屋根を見上げていて、人陰も無かったんですよね? だったらあの少年は、宙から突然現れたってことになりますよ」


 だとすれば空間転移魔術という事になるが、それ程の大魔術をあの少年がやってのけたのだろうか。大佐は「ないない」と可能性を否定し、足をテーブルに投げ出して椅子を傾けバランスを取っています。なんて品のない。


「大佐、テーブルから足を下ろしてください。下品ですよ」


「なぁに? ここはあたしの家なのよ?」


「今は職場です」


「むぅ……ルイズは堅苦しいのよ。もっと隙を見せないと、男が寄りつかないわよ」


 そんな品性の欠片もない男に言い寄られても迷惑です。私はもっと品のある殿方を所望します。それこそ地位も名誉も有って、お金もあって、優しくて、格好良くて。


「そんな都合の良い奴居ないわよ。ケメット、チラシズシまだぁ?」


「まだニャ」


 完全に気が抜けてだらけきった大佐は、キッチンで何やら木の桶に風をパタパタ送るケメットに夕飯の催促します。また何やら良く分からない料理が出て来そうな予感です。


「それにしても、初っ端からこの調子じゃ、アルトロモンドまでの道は長そうねぇ。でも少しは仕事してるアピールしないと、今度は本当にクビに——んあ?」


 行儀悪く椅子を傾けながら天井を仰いでいた大佐は、不意に話すのを止めて口をあんぐりと開けた上体で固まってしまいました。


 アホみたいな顔してますよ、と忠言しようと思った矢先に、異変に気づきました。


 大佐の頭上に、何やら渦潮のような現象が発生しているではありませんか。


 渦巻きなのか竜巻なのか、水面じゃないから竜巻が正解なのか、そもそも該当する現象に私は覚えがありません。いやそれは詮無いこと。空間がねじ曲がり渦として現れているその現象に、私も絶句して口があんぐりと開いてしまいました。


「おわぁっ」という男性の声に続き「ひぇっ」という大佐の若干可愛らしい悲鳴がドナルドカンパニーの事務所に響き渡りました。


「んんっ! んむぅっ!?」


「た、大佐ァッ!」


 大佐の頭上に発生した謎の渦巻きから、なんと少年が落ちてきたのです。大佐は当然彼の下敷きとなり、昼間の焼き回し的な光景が再現されました。慌てて立ち上がり大佐の救援に駆け寄りますと、大佐と見知らぬ少年のキスシーンに出くわしてしまいました。


「んなっ! い、いけませんよ! まだ日も落ちきっていない時分に破廉恥です!」


「夕飯です。出来ましたニャ」


「ンン——ッ! ぶはッ! アホか! 助けろォ!」


 ジタバタと藻掻く大佐の上で、少年は「は?」と茫然自失と言った感じで辺りを見回しています。


 私と料理を運んできたケメットは顔を見合わせると、「痴漢だ!」という意見で一致し、大佐の加勢に乗り出しました。「うわなんだやめろ」と抵抗する少年に向かい、私たちは手近な武器で殴る蹴るの暴行を加えます。手当たり次第に部屋にある大佐の私物を投げつけ、ケメットが木桶に入った料理を痴漢の顔面に叩き込み、彼はようやく大人しくなりました。




「それで、痴漢二号。あんた、どうやって現れたの」


 腕組みしいの睨め付け怒髪天大佐。割と落ち着いているのは、昼間にも同様の経験をしていたからかも知れません。ただ、唇を奪われたのは相当頭に来ていたらしく、少年の頬には真っ赤な手形が残っています。


「だから、俺は痴漢じゃない! あれは不可抗力だよ!」


「みんなそう言うのよ」


 経験者は語ります。


「俺はただ……秋葉を歩いていたら不思議な穴があって、なんだろうと思って触ってみたんだ。そしたらその穴に吸い込まれて、気づいたらその……」


「大佐とキスしたニャ?」


「いやそれは……」


「お金払えニャ。ウチが窓口です」


 すかさず大佐が「身売りはしない」とケメットの頭を叩きます。


 カランカランとケメットから音が聞こえますが、彼女の脳みその音でしょうか。ならば想像通りの小ぶりな代物です。


「一応聞くけど、名前は? どっから来たの?」


「桐谷隼人。日本にっぽんから……」


「ニッポンですか? あの少年とは違うんですね」


「昼間の奴とは違う国だし、やっぱり聞いた事無いわ。名前の雰囲気は似てるけど」


 同一の文化圏に属する近隣国家からやってきた可能性もあります。


 それに、このキリタニ・ハヤト少年が宙から現れたときの現象。あの渦巻きに関しても、調査する必要がありそうです。昼間のタカナシ・シュンも、同様の手段で現れた可能性が十分にあるのですから。しかし、それを調べる為の手段を私たちは有しておらず、更には、唇を奪われた大佐の静かな怒りと精神的被害を考慮しなければなりません。


 いくら頭のネジが外れた馬鹿だとしても、大佐も妙齢の女性なのですから。


 警察に通報し、間もなくキリタニ・ハヤト少年は連行されていきました。




 家の中から痴漢を追いだして、ほっと一息つく頃には、もう外は真っ暗。


 夕飯を食べ損ねた事が響いてるのか、お腹の虫も鳴っています。最近は大佐やケメットの好意に甘え、食事をご馳走して貰ってばかりでした。離れの住居にもキッチンは備えてありますので、今日の所は自炊することにしましょう。


「ああもうッ! 今日は最悪、穢された気分だわ。ケメット、お風呂用意して!」


「もう用意してありますニャ」


 それにしてもこの半獣人伍長、従者としては中々の高性能ぶりを有しています。


 大佐に比肩するかそれ以上のお馬鹿っぷりを発揮していながら、日常生活のあれこれや、危機に瀕した際の機転など、地味にファインプレーを連発してやいないでしょうか。もしかすると私よりも有能……? そんな恐ろしいこと考えたくもありませんので、今日の所はお暇します。大佐もいつの間にか浴室へ消えていましたので、私が帰っても問題は無いでしょう。


「じゃあケメット、私も戻るわ。また明日」


「お休みニャー」


 ペコリと頭を下げる彼女は本当に良くできたハウスメイドみたいで、少し残念、というか危機感を覚えます。もっと馬鹿みたいに振る舞ってくれなくては、私の常識人としての存在価値が無くなってしまいます。


 大佐の家を出ようとした折も折、再び事案を告げる悲鳴が轟きました。


『ギャ——ッ!』


 あまりにも色気のない悲鳴。


 夜更けの森から聞こえてくるような、得体の知れない鳴き声を耳にしました。怪鳥も斯くやといった感じでしたが、その後に屋内から聞こえてきた物音から騒音に交じり、言い争いに男性の声まで聞こえてくればもはや確信へと到ります。


 私は大佐の家へととって返し、そろりそろりとリビングから顔を覗かせるケメットを引き連れて浴室へと駆け込みました。


「大佐ッ! 今の悲鳴は————んなッ!?」


 浴室には大佐と見知らぬ少年の姿がありました。大佐は全裸で少年に対し、顔を真っ赤にしながら裏十字固めを極めて、少年も別の意味合いで顔を真っ赤にして床を叩き、「ギブギブッ!」と騒いでいます。


 あられもない姿になりながらも、近接戦闘もこなせる軍人の一面を見せる賢天の魔術師サージオシンクレアですが、流石に度重なる痴漢被害に相当参っている様子です。


「何なのよ何なのよ何なのよあんた達は——ッ!」


 大佐は大声で叫びながら渾身の力で少年の腕を捻り上げ、少年の悲鳴が浴室に響き渡ります。


「いででででででっ! 折れる! 折れるって! アレ、何で痛いんだ? NPCじゃないのかよ!? てか、ゲームじゃない!? 痛いッ!」 


 例によって女の敵を叩きのめし、警察に通報して空いた時間に尋問の流れとなります。


 今までの痴漢も意味不明であったことに変わりありませんが、今回の痴漢は輪を掛けて意味不明でした。まず何を言っているのかわからない。


「これってゲームじゃないの?」、「ログアウト出来ないんだけど」、「ちょっと、GM何してんだよ」、「草」、「聞こえますかー運営さーん!」、「イベントなげぇ、スキップさせろ」


 まるで私たちを案山子か何かのように思っているようで、こちらの問い掛けには一切応じず、独り言をぶつぶつと呟いてばかりでした。


 やがてやって来た警官は、「またですか」と言いたげにうんざりした表情を向けてきますが、またも何も被害に遭っているのは事実なのです。


「意味がわからない。あたしのことを見た途端に『良くできたエヌピーシーだなぁ』とか言って普通に胸触ってきたのよ!? あり得ないわ!」


「出身を問い質せませんでしたけど、セレス系の同じ民族だと思われますね。今回は勇者じゃなかったみたいですけど」


 流石にここまでくると大佐が可哀想になってきます。ソファーに座り、目を腫らして鼻をすんすん鳴らす彼女の姿は、いつもよりも小さく見えます。普段から妙齢の女というよりも一五の娘みたいに元気で奔放なお人が、まるで年端もいかぬ少女のようです。


「あたしが何したっていうのよ」


 汚職の天罰でしょうか。


 でしたら消えた金の分を身体で支払え、という神のお告げかもしれませんが、清貧を謳うウィルク教の唯一神がこのような破廉恥な罰を与えるとも思いがたい。


 ケメットから差し出された鼻紙で、大佐はチーンと鼻をかみます。


「もう頭がおかしくなりそうよ。いったいどうなってるの?」


「大佐でなければ男性恐怖症になっていてもおかしくない頃ですニャ」


「どういう意味よ」


 ぱすん、とケメットの肩を叩く大佐の突っ込みにも切れがありません。賢天の魔術師サージオと言えど、いつ何時来るやもわからぬ痴漢被害には手も足も出ないようです。残念ながら、魔術師として三流の私では解決策を提示できません。


「疲れたからもう寝る」


 元気のない大佐の背中を見送ってから、私も離れに帰りました。


 大佐のことは可哀想だと思いますが、実際に被害を受けているのは彼女一人で、正直なところ対岸の火事。この奇怪な現象を読み解く知識も持ち合わせておりませんので、意識としては、危機感もなく、被害者に寄り添う以外の選択肢が無いのです。それに、痴漢は痴漢かも知れませんが、当事者たちにその意識が無い(それが悪質とも考えられますが)ため、危険性は低いように思われます。


 わからないことに頭を悩ませても自律神経がいかれて、便秘になったり不眠症になったり胃が痛くなったり、良いことなんか何一つありません。


 明日になれば何か妙案が湧くかも知れない——、そんなお気楽な考えで、私は二階の寝室にあるベッドへと潜り込みました。今日は何かと衝撃的な展開の連続で疲れていたのか、すぐに眠りに落ちていきます。ただ、夢の中で何度か悲鳴を聞いた気がして、その度に目を覚ます、という夢を見た気がしますが、ふかふかのベッドが私を眠りの国に縛り付け、離してくれないのでした。

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