二章 異世界転生問題と教授のアルトロモンド 1


 うららかな晴れた日のこと――。


 古めかしい石壁がそそり立つ異様な光景を前に、私は緊張しながらその時が来るのを待っていました。隣では暇を持て余したケメットが欠伸をしています。


 そんな私たちのことを、詰め所の守衛が横目でちらちら見てきて落ち着かない様子です。


 女の値踏みでもしているんでしょうか。


 男という奴は度し難い生物だ、と思う反面、こんな仕事をしていれば出会いも無いでしょうから、と哀れにも思えてくるのです。


 と言うか、視線の行き先が、私を通り越してケメットばかりの気がしてなりません。


「こっちの方が良いニャ。でもこっちも捨てがたいニャ」


 ただ待つことに飽きてしまったケメットは、道ばたのタンポポを弄りながらそんな事を呟き始めます。草花が傾げる確度の調整という何一つ理解出来ない凶行に及んでいるのです。


 暇という物は人をダメにするのだと、しみじみと思いました。


 私も何れああなるのかと思うと戦慄が走るので、強引に話題を振ります。


「ところでケメット、あなたの口調ってどうかと思うわ。とてもアルビオン軍人らしくないもの。その制服を着ているのなら、もっと威厳とか兵士の規律を感じさせるべきよ」


「ウチの口調の何処がおかしいと申されるのニャ?」


「それよあなた。全部出たわ。田舎くさいし、アホっぽいし、軍人らしくないわ」


「では――これからウチのことを『わっち』と言えば良いのです?」


「それだと遊女みたいでいやらしいわ。もっと普通にしないさよ」


「ならばこれからはニャの部分を『だっちゃ』に変えれば満足していただけます?」


「いやそれもダメよ。何故かわからないけど……」


「中尉はわがままだっちゃ! そもそも、これはわっちが好きでやっている訳ではありんせん! 全部大佐のご命令なのですニャ!」


「大佐の命令?」


 そんな馬鹿な命令があるものか――と思ったものの、上官が馬鹿ならばあり得る、かも。


 そこにどのような意味があるのかを推し量るには、自分は常識人過ぎて考えが及びません。


 まあ、どうせ下らない理由でしょうからこの話は忘れましょう。


 カチャン、と詰め所の奥で甲高い音が響きました。


 私たちはやっと来たかと互いに顔を見合わせ、詰め所へと駆け寄ります。


 詰め所と敷地を隔てる格子の向こう側には、気怠げな様子で職員と会話をしている賢天の魔術師サージオシンクレアの姿がありました。




 賢天の魔術師サージオシンクレア。陸軍大佐。


 彼女の姿を見るのは一週間ぶりでした。


 後頭部で揺らめく金色のポニーテール、荒んだ心を表す赤錆びのような瞳、そして彼女のトレードマークでもある鳶色のラウンジスーツ。


 何もかも一週間前と一緒。


 丁度七日前、今日のように晴れ渡った清々しい朝に彼女と出会い、私は彼女の部隊へと配属されたのです。その後、怪盗オマールの博物館襲撃事件を経て、さあこれから新しい生活が始まるんだ――という時に、彼女は汚職で逮捕されてしまったのです。


 その後、裁判は異例の速さで結審し、シンクレアの有罪が確定しました。


 懲役十五年、執行猶予――五分! 


 怪盗オマール逮捕というお手柄分を差し引いたとしても、権力との繋がりを微塵も隠そうともしない判決にどん引きです。


 悔しさのあまりに泣き崩れる検察官達の姿、傍聴人達が口を揃えて『五分ッ!?』と驚愕する様子が新聞では克明に報道され、『お手柄シンクレア、汚職逮捕も素知らぬ顔』『功罪のシンクレア』『汚職の魔術師』などと皮肉った文字が今日も紙面で躍っています。


 善行と悪行を同時にやってのける、ある意味器用なシンクレア。


 そんな彼女に対し、世の人々はどう評価したものかと考えあぐねているようでした。


 しかし世論の逆風など何処吹く風、彼女は私たちを見つけると鼻息荒く、はつらつとしたご様子です。大股でこちらへ向かってくると、拘置所の檻から開放されました。




「お務め、ご苦労様でやんした親びん!」


 やんした? おやびん? ケメットの言葉使いが行方不明です。


 両手を背後に回し、斜め四五度に腰を折り曲げ頭を下げてケメットは大佐に傅きます。


 大佐は「おう」と素っ気なく答え、胸ポケットから取り出したサングラスを掛けました。


 すかさずケメットは紙巻きの妖精香を取り出し手渡すと、マッチで火をつけます。


 ぷかぁ、と桃色のパチパチした紫煙をはき出し、煙で脳みそがやられたのか、大佐はアホという字面を顔面で表現しながらクラクラしていました。


 マフィアの真似事をする余裕があるようで何よりです。


「お帰りなさい大佐、お待ちしてました」


「二人ともご苦労。あたしの部隊に変わりないか?」


 部隊ってこの場にいる三人だけですが、大きな変更点をケメットが伝えました。


「大佐が懲戒免職処分となりましたニャ」


「グハッ――」


 膝と両手を着いて項垂れる大佐。


 それを慰めようとしてか、ケメットは彼女の頭に、先ほど摘んできたらしいタンポポを差していきます。


「ふ……ふふふ、まあわかっていた事よ。トロン将軍から話は聞かされていたもの」


 大佐の懲戒免職、つまりクビは、世間の溜飲を下げさせるためのカモフラージュ。


 何かしら罰則が無くては、流石にバッシングが他方に飛び火します。


 今回、大佐は表向き懲戒免職となりましたが、官民共同で設立された調査会社での仕事が待っているのです。これで大佐は、晴れて自分のやりたいことを、やりたい放題出来るという訳でした。


 この待遇を見る限り、彼女が軍部にどれだけ甘やかされているのかわかると言うものです。


 私とケメットは陸軍から出向の形を取り、大佐のお世話をするよう仰せつかっております。


 というのも、軍が賢天の魔術師サージオである大佐を易々と手放す事は無い、そういう意思表示でもあります。余談ですが、大佐の上官であるトロン将軍は、私が陸軍庁に呼ばれて出向いた際、ゴルフの練習をしていた大佐のボールを股間に受けたあの方でした。


「でもよく考えたらこっちの方が身軽で良いわよね。これで思う存分、アルトロモンド探索に力を注げるってものよ!」


 やおら立ち上がった大佐は、頭に差さったタンポポを揺らし、間抜けな絵面のまま拳を固く握りしめました。このポジティブ思考は見習いたいものです。


 すると突然、ベチャッ、という音が聞こえました。


 何かと思えば大佐の後頭部にはべったりへばり付く生卵。


 後ろからそれをせせら笑い「やーい! 汚職の魔術師――ッ!」と小馬鹿にしてくる少年達の姿がありました。


 さもありなん、大佐は後ろ指を差される悪事に手を染めたのです。


 こうした経験を経て、地道に更正していただきたいと、ルイズは思うのです。


「このクソガキ――ッ!」


 子供相手に激昂した大佐は、事もあろうにサンレオン城の物真似オバケサンレオン・ミミークを白昼の拘置所の面前で使うという暴挙に及んでしまいました。凄まじい速さで子供達に大佐の影が伸び、彼らの影に食らいつくと、思い切り足を踏み鳴らします。


 その振動を伝えるかのように影が脈動し、終点の子供達にその衝撃が伝播。まるでトランポリンのように彼らはその場で強制的に飛び跳ねて、全員が地面にスッ転んでしまいました。


「食っちまうぞ――ッ!」


 ガオーと大佐が威嚇すると、子供達は恐怖に駆られて悲鳴を上げながら退散していくのでした。


 なんと大人げない。


 しかし、少年達が見えなくなると大佐はすぐにしおらしくなり、顔を歪めてグスンと鼻を啜りました。そんな彼女を見ていると、やはり自分と同じ人間で、他人からの視線や評価は少なからず気にするのだな、と親近感を覚えます。


 反省せずとも、少なからず後悔の念はあるのでしょうか?


 ケメットはそんな大佐に歩み寄り「大丈夫ですのニャ……」と頭を撫でました。


 普段は阿呆の擬人化と遜色無い生物ですが、優しい所もあるようです。


「これで終わりだと思ったら大間違いですので」


「あんた慰めたいのか脅したいのかどっちなのよ!」


 大佐はケメットの手を払い除け、彼女の頬引っ張りだしました。


 これにケメットも反撃し「自業自得ですのに――ッ」と大佐と頬を引っ張り合いを始めてしまいました。


 慰める手間が省けるので、本調子に戻ってくれるのは助かります。


「さ、いつまでも馬鹿な事してないでください。こんな所に居たら、また卵ぶつけられますよ――あれ?」


 二人に背を向け、車に戻ろうとした時です。


 私は視界に異物が混入していることに気づいてしまいました。


 拘置所の塀に沿って、四つん這いで進む男性を発見してしまいました。


 彼は虫のようにカサカサと機敏に動き、前進と静止を繰り返しているのです。


「えぇ……」


 ヤバイ人だ――万人が頷くであろう答えを私も当然持ち合わせています。


 私は背後のヤバイ人……ではなく大佐を急かします。危ない奴に絡まると碌な目に遭わないのは、既に経験済みです。


「大佐、大佐、向こうからヤバイ人が近づいて来てるんです! 早く行きましょう!」


「ヤバイ奴ぅ?」と彼女は懐疑的に目を眇めて視線をやると「ヤバイ奴だ」とご自身を棚に上げて答えました。


「何をしてますのニャ?」


 耳をピンと張ったケメットは、猫の様に好奇心丸出しで目を輝かせています。


 あんな変態に一々付き合っていたら、また厄介ごとに巻き込まれるに決まっています。


 早くこの場を立ち去ろうと、私は二人の背中を押して車へと向かいました。


 ところがどうでしょう、熱い視線を感じます。


 ハンサムで家柄が整った身辺清らかな殿方からの熱っぽい視線ならば大歓迎ですが、どこの馬の骨とも知れぬ中年変質者からの凝視などご免です。


 私は睨み付けるつもりで、件の変態を一瞥しました。


 すると――彼は首から提げていた十字のタリスマンらしき物を握り締め、こちらを呆然と眺めているではありませんか。光の反射か、一瞬だけ彼のタリスマンが輝き、それ以上に爛々と目を輝かせた変態と視線が合ってしまいました。


 思わず「ひっ」と私が悲鳴を上げると、その変質者は目の色を変えてこちらへ駆け寄ってきたのです。


 その勢いの凄まじさに、さしものケメットも一歩身を引き、大佐を突き出しました。


「ちょっとッ――あたし大佐! 上級将校! わかる!?」


 今はただの無職です。


「――って、何、なになになにッ! 何よいきなり!」


 男は真っ先に大佐に近づくと、顔を突き出して大佐の身体を舐めるように観察し始めました。


 近くで見た男の外見は、眼鏡を掛けた無精髭の柔和な面立ち、そして長髪を後ろで結った背広姿。


 外套には魔術師のローブを羽織っています。


 そこではたと気づきました。


 大佐と似たような格好をしたこの中年男ですが、私はこの人を知っています。


 この人は確か……。


「いい加減にしなさいよ!」と、無礼な態度が許せなかったらしい大佐のきつい蹴りが男の顔面に叩き込まれ、もんどり打って倒れます。ですが、彼は直ぐさまむくりと上体を起こし、罅の入った眼鏡の位置を正します。


「君はもしや……賢天の魔術師サージオシンクレアかね」


「だったら何よ! いっとくけどね、汚職汚職って言われてるけど、あたしは自分の為にお金を使ったわけじゃないから! 逆に増やして装備新調しただけだから! 誰か一人くらい褒めてくれたっていいじゃない!」


「大佐の汚職は綺麗な汚職だニャ!」


 懲りない人たちです。いや、それよりも――。


「あの……もしかして、パンシパル教官じゃありませんか? 髪が伸びていてわかりませんでしたけど。私、ルイズです。軍学校時代にお世話になりました」


 その時、中年男性、いいえ、パンシパル教官は私を初めて認識したらしく、目を見開いて立ち上がりました。


「おお、ハット伯のルイズ君か! 大人っぽくなって見違えたよ。いやぁ、懐かしい。三年ぶりくらいになるのかな」


「教官も――その、お元気そうで何よりです」


 唐突に始まった恩師と生徒のやり取りに、蚊帳の外にされていた大佐が強引に割り込んできました。


「ちょっと、無視しないでよ。しかも何? 知り合いだったわけ? あんたが変態がいるって騒いでたんでしょうが。こっちはもう変質者の相手をする気になってたのよ? 蹴り入れちゃったし。またあたしの評判がさがるじゃん! 卵投げられるじゃん!」


「『シンクレア、出所五分で暴力沙汰!』明日の見出しは決まりですニャ」


 だって軍学校時代の魔術教官が、あんな奇行を曝しているなんて思わないですもん。


 それにパンシパル教官は品行方正な方で、軍学校の汗臭い教室に涼風を運んできてくれる爽やかな男性で通っていたのです。


 どうしたって、あんなゴキブリみたいに路上を徘徊する奇人から、教官を連想することなんて出来やしません。


「いや、失礼なことを。申し訳なかった」


 「つい熱中してしまって」と教官は目を伏せて謝罪しました。


「いったい何をしておりましたのニャ?」


 ケメットが至極当然にして素朴な疑問をぶつけると、教官は胸元を押さえ、辿々しく答えました。


「ええと、さ、財布をね……まあ小銭入れだからね、もう切り上げようと思ってるよ」


 小銭だから何だ、一カークたりとも粗末にするな! と、窮乏した日々を送った所為で凡俗化したさもしい精神が騒いでいますが、貴族としての体裁を保つために黙っています。


 教官の前でケチ臭い姿を見せられません。


「ちょっと待って」と大佐が教官の顔をまじまじと見つめ思案顔。


 そして――。


「……パンシパル? それってまさか、あなたパンシパル・エウドラー? ロンデニオン大学教授の?」


「これはこれは……まさか賢天の魔術師サージオに名前を知られているとは驚きだ。しかし、何故だろうか。重ねて失礼ですが、どこかでお会いしたことがありましたかな? 何分研究所勤めで外にあまり出ないもので」


「やっぱりね、変な名前だからすぐわかったわ! パンシパル! 『アルトロモンドとは』の作者よね? あの独自解釈の研究本は読ませて貰ったわ。なかなか面白いアルトロモンドの考察をしていたから憶えてたの。サインして!」


 先ほどと一変し、大佐は嬉々としてペンを取り出しサインをせがみます。何処に書けばと困惑する教官に、大佐はケメットを捕まえて彼女の背中に書かせました。


「それ軍の制服なんですけど……」


 ケメットも文句の一つでも言ってやれば良いものを、口を半開きにしたアホ面娘は微動だにしません。ノーリアクションです。


 何からツッこめば良いやら……。


 しかし教官が『ゲニウスの扉』の研究本を出すほど、あの本に熱中していたとは知りませんでした。


 大佐との意外な共通点に驚きですし、その著作を通じて大佐の方も教官をご存じだというのが、何やら妙に……嫌な巡り合わせを予感させます。


 そう、面倒の予感です。


「それにしても驚いたよ。あの大人しかったルイズ君が、色々な意味で世間を騒がせているシンクレアの部下になっていたとはね」


「あ、あははは……」


 渇いた笑いしか出ません。


 確かに、大佐についていこうとは思っていますが、それ以上に頭を悩ませる問題を彼女は次々と引き起こしてくれるのです。個性の強すぎる面子に挟まれる形で、いつか自分が潰されてしまうのでは? そんな不安が有るような、無いような。


「しかし賢天の魔術師サージオの元で働けるのは良い刺激になるはずだよ。彼らは皆、世界から見ても、最高水準の域に到達しているスペシャリストだからね。君も魔術を磨く機会を得られたと思って、努力を続けなさい」


「はい、教官」


 教官は魔術の師として言葉を掛けてくれました。学生時代に戻った気分です。


 決して優秀な生徒ではなかった私を、彼はいつも根気強く教え諭し、辛うじて魔術が使えるまでのレベルに引き上げてくれた恩人です。


 当時はそんな彼の優しさと、向けられる柔和な笑みに、少女ながら恋心が芽生えたものです。


 しかし爵位を持ってはいませんでしたので、自分には不釣り合いなのが残念です。


「こいつ何言ってるニャ」


 心を読まないで。


 実のところ教官は、賢天評議会の推薦を得たこともある大魔術師でもあります。


 もしもその話が順調に進んでいれば、今頃は大佐と同じ賢天の魔術師サージオだった事でしょう。そうなれば、ルイズの花婿選考から外されることはなかったでしょうに。


 とはいえ既婚者でしたし、大きな事件もあったので、淡い恋心は青春の思い出に留まっていたことでしょう。今はただ、この偶然の再会と、彼が過去を乗り越えることの出来たことだけを、神様に感謝したい気持ちです。


「では、しっかりやるんだよ」と声を掛けていただき、旧交が温まったところで、パンシパル教官とは別れました。


 こちらも、道草を食っている暇はありません。


 大佐の逮捕という最悪の幕開けで出鼻を挫かれた新生活。


 仕切り直しといきましょう。


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