二章 異世界転生問題と教授のアルトロモンド 6




 結局、私は一人でこの事件を調べることにしました。


 大佐はあんな状態ですから、むしろ邪魔になりそうなので置いてきました。彼女のサポートにケメットも必要でしょうし、警察がまともに取り合ってくれるとも思いませんでしたから、この単独行動は必然と言えます。


 とはいえ、やはり心許ない心境ではあります。


 何せか弱い乙女一人で、かような変質者に塗れた怪事件を解き明かさなければならないのですから。もしまたゴブリンの窃盗団みたいな連中に出くわしたらひとたまりもありません。ですが幸いにも軍部から拳銃の携帯許可が下りていますので、護身用の得物には不足ありません。

 お前魔術師じゃなかった? 


 なんて内なる声が聞こえてきますが、へっぽこ魔術師なのでご理解いただきたい。


 それ故、拳銃で解決出来ない場合は、尻尾を巻いて逃げ出す所存でした。


 鬼が出るか蛇が出るか、そんな不安とともに私はロンデニオンの街中に到着し、昼間の賑やかな目抜き通りを探索します。


 一応、大佐が拘置されていた拘置所も回って来たものの、人気もなく味気ない通りと無機質にそそり立つ高い塀があるだけでした。


 勇み足で飛び出したは良いのですが……。


 この事件を起こしていると思われる創造器の特定にどうやって至るのか。


 まったくのノープラン。


 何とは無しに、自然と足が向かった先はあの場所。


 私が投身自殺の幽霊を見た街路で、大佐に痴漢一号が降りかかった通りでした。


 タウンハウスに挟まれる何の変哲もないこの通りは、ロンデニオンの何処にでも見られる有り触れた街並みで、外観からは特に目立った異変はありません。


 また外灯の下に立ったら、自分にも痴漢が落っこちてくるかもしれない——そう思い立ち、周囲から注がれる奇異の視線に耐えながら、おっかなびっくり足先から飛び込んで見たり、その場で飛び跳ねたり、お祈りをしてみたり、地面を入念に調べてみました。


 小一時間その場で奇行を繰り広げましたが……。


「やっぱり、何も起きませんね」


 もしかするとこの石畳の下に埋まっているのかも? 


 だとしたら掘り返す必要が有りますが、そんな許可も予算も下りないでしょう。それに場所の問題では無いのかもしれない。件の現象が創造器による物として、その力が偶発的に発動したのか、能動的による物なのか——前者は創造器自身による力の暴発で、後者は怪盗オマールに見られる人為的な例です。


 私の見立てでは後者が怪しいと睨んでいますが、どうにも犯人は尻尾を掴ませてくれません。これまでの経過観察から、犯人は少なくとも殺意は無いように窺えます。それはあの痴漢を見れば明らかで、召喚するならばもっと殺傷能力を秘めた魔物がわんさと居るからです。こうした状況から推測し、犯人の某は愉快犯だと思われます。


 この完璧な仮説を元に、通りにある家を一軒一軒訪ね歩く案も考えましたが、目立つことで犯人が雲隠れする恐れがある。あと、酷く手間が掛かるので面倒です。


 いったいどうすれば良いのか、途方に暮れてため息がこぼれます。




「ルイズ君、どうして石畳を剥がそうとしているんだい?」




 急に背後から掛けられた声に肩がビクつきます。


 振り返って見れば、買い物帰りと思われるパンシパル教官の姿ありました。


「は——き、教官!? あ、いえ、これはその、何か埋まってないかなとかそう言うんじゃなくてッ、なんでも、なんもないです! とういうか、何で教官がここに?」


 カリカリと石畳のつなぎ目を引っ掻いていた小石を捨てて、私はバタバタと身なりを整えて彼に正対します。なんて奇行を曝してしまったんだという後悔から顔が熱を帯びますが、昨日の教官の姿に比べれば幾分マシ。


 そう思えば落ち着きを取り戻せます。


「何故と言われても……ここは私の家だからね」


 そう言って彼が指さしたのは、私が調査を進めていた路傍の目の前、四階建てのタウンハウスだったのです。




 偶然の再会から一日の間に色々なことが起こりすぎて、すっかりパンシパル教官の事が頭から抜け落ちていました。ここで会ったのも何かの縁、という訳でもないですが、彼の知恵を拝借できないだろうか——そんな考えが私の頭を過ぎったのです。


 なにせ現在のパンシパル教官はロンデニオン大学に在籍されている上、賢天の魔術師サージオの称号にも手が届くほどの魔術だったのです。自分たちを取り巻く不可思議な現象を読み解くヒントを与えてくれるかもしれない、そう思いました。


「そうだ、昼食がまだだったら一緒にどうだろう。独り身で凝った物は出せないが、良い茶葉も手に入ったんだよ」


 そんなお誂え向きの誘い文句もあり、私は殿方のお宅にお邪魔しました。


 教官の家は、二棟のタウンハウスを買い切り改装した物になっていおり、四世帯が十分に暮らせるだけの広さがあります。住宅の裏手にある小さな工場も彼の物らしく、自身の研究所も兼ねているそうです。教官に着いて回廊を歩いている内に、本来ならば裏庭となる場所が中庭として設けられ、物置小屋も窺えることから、改装増築にかなりの金額を投じられたとが窺えます。


 それにしてもまさか教官がこんなにもお金持ちだったなんて——俗っぽい感想を持った事を恥じ入りながらも、教官に対する評価がうなぎ登りです。


 そしてふと、どうして食事に誘われたのだろうかと、疑問が浮上します。


 もしかすると、教官は私に気があるのかも——そういった考えが沸き起こるのにコンマ一秒も掛かりませんでした。そうなってくると、変に意識してしまいます。


 緊張に強ばる私が通された部屋は一階のリビング。


 部屋に入った途端、背後から抱きしめられるんじゃないかとソワソワしてしましたが、そんな事は無く、教官は紳士な態度でソファーを勧め、「少し待っていてくれ」と部屋を出て行きました。


「ふぅ……落ち着いて、落ち着くのよルイズ」


 一息ついて、心の平静を取り戻そうと努めます。


 もうこの時、私の頭から珍事件のことはすっかり追い出されていました。


 涙目で拳銃を振り回す大佐の姿も忘却の彼方へと押しやり、差し迫る男女の駆け引きのことで頭が一杯です。偶然の再会があった昨日の今日で、加速度的なアプローチ。


 草食系優男な見た目の割に、教官がぐいぐいと来る肉食系だったのは意外です。


 ですが、彼の人生を慮れば理解できなくもありません。


 あれから数年。


 事故を乗り越え、現実を受け止めて普段の生活に戻れたとしても、独り身が骨身に染みて来るには十分な時間。人肌恋しい時期なのかもしれません。そこへたまたま私という淑女へと変貌を遂げた教え子が現れたのですから、その昔に秘めたる劣情が抑えきれなくなったとしても、仕方のない事だとルイズは察します。当時は禁断の愛という壁が立ちふさがっていましたが、今や二人の間に邪魔する物は何一つありません。


 生活力は有るようなので問題無し。爵位はありませんが、教授職という将来性のある地位であれば、学術的貢献から騎士の称号を授かる可能性は十分に秘めています。


 年齢差は倍ほどありますし、髪の毛も伸びて髭の手入れも少々野暮ったい。けれど見た目は十分に修正が効くでしょう。


 それに彼は昔の想い人。


 はい、覚悟完了です。


 サっと鞄から手鏡を取り出し化粧の状態をチェックし、髪を直して、どこかに問題はないかと落ち着き無く身だしなみを確認していきます。これからは未知の領域。


 貴族の令嬢としての心構えは出来ているつもりですが、何分志し半ばで俗人に身を落とす不運に見舞われた為、実技の面での実績が無いことが悔やまれます。通例ならば、社交の場で年上のご令嬢達を通じてそう言った話題に華を咲かせ、経験値を蓄積していくものですが、私にはそのチャンスもありませんでした。


 強いて言えば、労働者時代の紡績工場で、主人の愚痴を零すおば様方の鳩首疑義が漏れ聞こえていた程度。


 どうすれば良いのでしょうか? まずは何をしたら? キスですか?  


 こんな事なら色々と経験豊富そうな大佐から、体験談の一つでも聞いておけば良かった——と言うのは後の祭り。当たって砕けろ、女は度胸です! 


 頬をパシンッと叩いて気合いを入れた瞬間に戸が開きました。


「すまない、待たせてしまったね」


「ひゃいッ!」


 心構えが整う前に彼が戻ってきてしまい、私は思わず起立して直立不動となってしまいました。軍隊という組織に毒されたのもありますが、女性を待たせている部屋に入るのだから、心の隅でノックをして欲しかったという気持ちも微かにあります。まあ仕方ないでしょう、こういうずぼらな感じも、自分がイメージする殿方にはありがちです。


 なんて冷静に自己分析していますが、顔面が一気に熱を持って、心臓の鼓動は天井知らずに高まっていきます。


「どうしたんだ、顔が紅いな。熱でもあるんじゃ?」


 言うや否や、教官は私の額に手を置いてきました。


 低血圧気味なのか、教官の掌はヒンヤリとしていて、今はそれが心地よく、私の表情はトロンと蕩けてしまっている事でしょう。心まで解きほぐされていくようでした。


 大胆です。


 ここまで一気に距離を詰めてくるとは予想していませんでした。


 まさかの初手ボディータッチから始めるなど(額ですが)夢にも思っていなかったのです。もっとこう順序立ててお付き合いに発展する物とばかり——しかし彼が望むのであれば、セオリー無視も吝かではありません。


 私は眼を瞑って、控えめに顎を上げて後の事を彼に委ねることにしました。


「ん——……んぅ?」


 なんだいどうしたい、来ないじゃないですか。


 何か来るだろう何かするだろう、そんな期待と不安が入り交じる心境で、プルプルとその「何か」の瞬間に備えていますが、待てども暮らせどもやってこない。いっそこちらから突撃して既成事実を——はやまりかけた瞬間、思いがけぬ感触が唇をざわつかせました。


「むぐっ!?」


「大丈夫、熱は無いよ。さあどうぞ、形は不格好だけれど、まずまずの出来だ」


 私の口に押し当てられていたのは、ほんのり温かい出来たてのサンドイッチでした。




 とんだ拍子抜け。肩すかしで残念ということもなく、私は浮つく気持ちと極度の緊張が綯い交ぜとなって悶々としており、いつパンシパル教官が狼に変貌するのかと気が気でない時間を過ごしました。ですので、彼が折角用意してくれた緑野菜と分厚いベーコンのサンドイッチや昨日の残り物だという野菜スープも碌に味わえません。


 そして試合は食後のティータイムまでもつれ込んで行きます。


「口に合えば良いが。キーア産の珍しい茶葉でね、なんでも樹齢千年以上の木の葉から作られた物らしい。フェアリランドのエルフ達が常飲する類の物なんだ。寿命が伸びる、なんて教授仲間が言っていたから貰ってきたけれどね、誰も検証した事は無いんだよ」


 教官はこちらの気を知ってか知らずか、あくまでマイペースを崩さずニコニコ世間話を続けていました。私はと言うと、意気込み過ぎてぎこちなく相づちを打つばかり。


 「はぁ」「へぇ」「ほう」と雑念に囚われ気が散り散りになっていました。


「そういえば、さっきはどうして石畳なんか弄くっていたんだい?」


「はえっ!? ああ、いや、ホント、あれは何でも無いんです! 別に意味なんて」


「今は賢天の魔術師サージオシンクレアの下で働いているんだろう? とにかく変わり者と聞いているし、軍隊の仕事以外にも手広くやっているらしいじゃないか。もしかして何か仕事を頼まれていたんじゃ?」


 大佐が軍務以外にも仕事を手がけていた、という話は初耳でした。


 でも今はどうでもいい。他の女の話題なんか出さないで頂きたい。


「いえ仕事なんて有りませんから! 暇です! ぜんぜんヒマ! 今日は休みですから! なんなら明日も休みです! だから一日中暇だったんですよ——もう暇で暇で、石畳を剥がそうかってくらいやることがなくってですね!」


「それは止めた方が良いかと……」


 一瞬不審そうに顔を顰めた教官でしたが、すぐに教え子の可愛らしい冗談を受け入れる鷹揚な態度で苦笑しました。手遅れかもと思いながらも、変な女とは思われたくない。


 何か話題を変えようと、素早く視線を巡らせました。


 めぼしい話題の種が視界に写ります。本棚の空けた一角、何気なく置かれた一冊の本。題名からは大佐を連想させる文字が躍っており、あまり気は進みませんでしたが、共通の話題と言うことで取り上げる事にしました。


「あ、あの! 教官、そこの棚にある本って……?」


 教官は私の視線の先を一瞥すると、少し気恥ずかしそうに笑って首肯します。


 表題に記されているのは『アルトロモンドとは』——即ち、昨日大佐から聞き知ったパンシパル教官が著した本です。


「だいぶ前の物でね、あまり出来が良くないんだ」と謙遜しながら彼は本棚から件の本を抜き取り、私に差し出しました。それを読みたくて仕方がなかった新書のように、丁重に受け取りまじまじと観察します。作家の知り合いなど居ませんでしたから、目の前に作者がいる書物をこうして手にするのは、些か不思議な気分です。


「教官が『ゲニウスの扉』に興味があったなんて、その、意外というか、なんて言うか」


「こんな物を真面目に書いて、子供みたいだろう?」


「いえ! そんな! 私も読んでましたし、冒険譚の中でも一番好きですし……えっと、その、素敵だと思います!」


 取って付けたような賛辞を贈りましたが、如何せん社交辞令じみた印象になってしまいます。それを後悔しつつも、どのような内容なのか興味があったのは本当です。


 大佐から差し出された手を取ったあの日から、私はズブズブと彼女の想い描く混沌とした世界へ足を踏み入れつつあるのですから。


「教官は、アルトロモンドを信じていらっしゃるんですか?」


 書かれた本の内容は知りませんが、素朴な疑問として学者肌の彼が冒険小説に登場する魔法の扉を鵜呑みにしているとは思えません。扉を盲信する大佐とは違い、もしかすると批判的な内容であるのかもしれませんが、ならば大佐がサインを求めることもなかったと思われます。


「信じているか、と言われると、全面的には肯定出来ないが——と、そんなことを書いたのさ」


 自嘲気味にな笑みを浮かべると、教官は再び本棚へと視線を向けます。


 その先にはあるのは写真立て。収められている写真には一組の家族が写っており、美しい妙齢の女生と可愛らしく着飾った四、五歳ほどの少女、そして正装に身を包み、山高帽を胸に当てている若々しい姿のパンシパル教官。


 遠い昔に思いを馳せるように彼は写真を見つめ、手中で寿命が伸びるといわれる紅茶の入ったカップを弄んでいます。しばらくの間、カップを手で擦る音だけが室内で小さく鳴り続けるました。


「ルイズ君」


 教官の呼びかけにもう胸の高鳴りは起こりません。理由は定かではありませんが、室内の空気が明らかに重く、いえ、反転したように思えました。こちらを見ない彼の相貌には暗く陰が落ち、真夜中に佇む石像のように精気が失われているかのようでした。


「私が今、どんな研究しているのか教えてあげよう。アルトロモンドを信じているか、だったね。信じているとも——私なりの、アルトロモンドを」

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