穏やかに心象に語りかけてくる純文学です。
モチーフとなっているショパン『ワルツイ短調 作品34の2』や、ドビュッシー『アラベスク第1番』を伴奏にして読まれることをお勧めします。
おとなであることに空虚さを感じているササオカさんと、白百合の病に冒された十歳の外見をもつミヨシくん。二人はピアノ教室でお互いの透明な感性を共有します。
その透明は、ガラスのような脆いものではなく、花綻ぶ仲春と空高き晩秋の空気が同居したような——あるいは少女的青春と晩年が入り混じったような——儚くも壊しえぬものです。
それは、ピアノや病、オフィーリアのモチーフとともに、美しい筆致にのって、音楽のように胸に迫ってきます。
あなたもぜひ、その『透明』を感じてみてください。
「透明」という言葉は全編を包むキーワードです。ピアノの音色も、ミヨシ君の存在も、先生の想いも、全てが透明感に溢れています。
少年のかたちをしながら老成し、自らの終わりを受け容れることで透明度を高めてゆくミヨシ君。そして語り手であるササオカさんもまた、社会や常識というものを知りながら、そこに嵌まり切れない、濁ることのない少女性を持ち続けて大人になってしまったような女性です。そのためでしょうか、二人のつかの間のふれあいは、あたかも二つの同じ魂が共鳴する時間のように感じられるのです。
ラストはピアノ曲を聴き終わったあとの切なくも清々しい余韻と同じ。幸せな女の子という言葉が胸に沁みます。
おのれの「生」を静かに熟思するとはこういうことであり、きれいな日本語とはこういうものだというお手本を見せてくれる作品です。
まるで童話のような、明瞭でわかりやすい語り口の中に、語り手であるササオカさんの穏やかな心情が現れています。
その心は、ある出逢いを通してどんどん透明性を増していきます。
大きく乱れることのなく、打ちひしがれることのない、流れる水のような時間。
自由で繊細な、ピアノの鍵盤を操る指先のような動作。
彼女の目の前にいる、白い花のようで雛鳥のような、不思議な青年。
彼と過ごす時間が、ショパンのワルツとともにゆったりと揺らぎながら流れていきます。
透明なこの時間を、いつまでも大切にしたい。
美しい言葉で綴られる本作は、間違いなく誰の心をも魅了する純文学といえるでしょう。
無味乾燥な大学生活を終え、社会に出たばかりの主人公は、ピアノ教室に通い始める。そこにいたのは、10歳ほどの奇麗な少年だった。ピアノ教室の先生の孫だった。主人公は、ピアノ教室に遅刻した際に、少年と二人で留守番を頼まれる。そこで主人公は、少年の母が「白百合の病」によって亡くなっていることを知る。その病は身体に奇形を及ぼし、命を奪う、恐ろしいものだった。少年は母の奇形の手が白百合のようで美しかったという。しかし父親はそれに耐えられず、少年の元を離れた。そんな少年を引き取った祖父でさえ、怪しげな信仰に逃げたのだ。
まるで雛鳥のような少年と、シェイクスピアのオフィーリアについて語らい、少年の年齢に驚く主人公。せがまれるままに、「子守唄」をピアノで弾く時、主人公はこれがレクイエムに聞こえた。
少年がピアノと折り紙に固執する理由や、年齢。
そして少年の酷烈な運命。
そして主人公と少年の関係。
それらすべてが重なり合って、意味を持つとき、物語の深みに至る。
是非、御一読下さい。
作者様の筆力、描写力の高さに、脱帽です。
病のために成長が止まり、10歳前後の容姿でありながら、実際にはもう大人の年齢のミヨシくん。
彼の容姿と精神年齢の大きなズレを、作者様は大変魅力的に描き出しています。
病のため、やがて小さな雛鳥を連想させる姿になりながらも、内面の「大人の男」の魅力や色気が外へと滲み出す——何とも秀逸で絶妙な描写技術。
死に近づいているミヨシくんの描写。その周囲の、半ばあの世と繋がってしまったような空気の描写。言葉にならないそういうものが、迷いなく正確に綴られる不思議。
物語そのものの面白さ、素晴らしさはもちろんですが(他の方々のレビューで既に明らかです)、読者に見せたい情景を一切のストレスなく高い透明度で目の前に展開していく非常にハイレベルな筆力を、ぜひ多くの方に味わっていただきたいと思います。
繊細な言葉で綴られる美しい物語でした。
主人公が惹かれたミヨシ君は透明感のある少年。でも、それだけではなかったのです。
徐々に明らかになる残酷な現実。
それでも主人公もミヨシ君も悲観するだけではない。二人の心の通わせ方は普通ではないかもしれない。でも、とても美しい。
ピアノ曲と折り紙。オフィーリアの絵。美しい二人にぴったりです。
悲しい結末だと普通の人は思うでしょう。でも、主人公は幸せだというのです。
透明な永遠の想いを抱いて、指からそれを音の結晶にして、アラベスクを引き続ける主人公の姿が残ります。
美しい時間に揺蕩わせてくれる物語です。
ピアノ教室で出会う少年と社会人の私。
ミヨシくんはいつも折り紙を折り、ドビュッシーのアラベスクを弾きこなします。その姿は白く、美しくか細いひな鳥のようです。
私はそんなミヨシくんに不思議な印象をもっていましたが、徐々に彼のことを知っていきます。
何故彼が不思議な雰囲気を纏っているのか、髪が切りそろえられているのか、何故折り紙を折っているのか。
彼の真実を知った時から、透明な存在に近づいていきます。
止められない流れだとしても、その流れを受け入れて交流を深める二人の距離が愛おしくなります。
不健全な愛を差し出し、それを受け入れた彼ら。
ほろりと苦いケーキを食べた時のような幸福感が身を包みます。
幸せな二人の物語です。
……音楽。
それに「ピアノ」を中心として描かれた作品。
私も物語の運びは違えど、同じテーマで「ピアノ」作品を書いていますが、なんて透明感のある物語の運びなんだろう……って、本当に読みながら学ぶことばかりでした。
余韻を残しつつ、繊細に描かれたこの作品の印象は、静寂の風。
音が聞こえそうで聞こえない、聞こえないようで聞こえるみたいな……。
確かな音はそこにはあって、玉虫色の夢のような空間でした。
見えないものが見えてきそうな……。
そんな感覚で読者を「音の世界」へ誘います。
本当に透明感があって、素敵な作品です!
こんな作品を作れるようになりたいと素直に思いました。
ありがとうございました!!