第17話『美少女はパチンコがお好き?』

「……ヘンだな」

 誰もいない。

 校門をくぐったあたりから、おかしいとは思った。

 何せ、学校全体に人の気配がない。

 いつもなら、登校時間であるはずのこの時間、校門や下駄箱は生徒でごったがえしているはず。なのに、中学の制服を着た人間とは誰もすれ違わないというのは、一体どういうわけか?



 廊下も、何だか静まり返っている。

 僕が廊下を歩く音だけが、唯一聞こえる音だ。

 今日は、日曜でも祝日でもない。フツーに平日の火曜日だ。祝祭日でもない。

 学校の創立記念日とも違う。今日学校が休みだなんて情報を、自分だけが聞き逃しているとも思えないし……

 狐にでも化かされたような気分で、僕は何も考えずに2年C組の教室のドアをガラッとを開けた。

 そこで、校内で初めて人に出会った。

 その人物と、目が合った。

 しかし……それはかなりまずい出会い方であった。



 視線がかち合った時、互いは固まった。

 開けきっていないカーテンの隙間から漏れ入ってくる日の光に照らされて、下着姿のクラスメイト・早田美代子が、紺の制服のスカートに足をくぐらせている姿が目に飛び込んできた。

 当然、彼女の反応は——

「きゃあああああああああ宮下くんのえっちいいいいいいい!」

 僕は、狼狽した。

 あ、まだ自己紹介してなかったっけ。オレの名前は宮下遊馬、ってんだ。

 別に、見ようと思って見たわけじゃない。

 悪気なく、たまたまこういう状況に遭遇してしまっただけだ。

 ゼンゼン見たくないかと言えばウソになるが、危険を冒してまで見ようとは思わないほどの良識は持ち合わせているつもりだ。

 朝のワイドショーで、痴漢の冤罪についての特集をやっていた。

 その被害者の気持ちが少しだけ理解できたような気がした。

 ああ、僕はこれからずっと彼女に『ヘンタイ呼ばわり』されて、皆にも噂が広まって肩身の狭い中学生活を送らないといけないんだろうか? おお、神よ!

「ご、ゴメンっ」

 とりあえず、できることはしないといけない。

 まずは彼女に背を向けて、一刻も早く教室から出ること。そして、彼女が着替え終わった頃を見計らって、ひたすら謝ること——

 しかし。事態はさらにややこしくなった。



 ビタン!



 何だか嫌な音がしたので、僕は思わず振り返った。

 言っとくけど、不純な動機からじゃないから!

 早田さんに何かあったのか心配になったんだ。それだけだからね。

「大丈夫かっ」

 僕は状況のまずさも忘れて、顔から床にダイビングしていた早田さんに駆け寄って、そっと抱き起こした。状況から推理すると、スカートをはきかけていた彼女は、突然のハプニングに狼狽するあまり、スカートの裾をふんずけてしまい、バランスを失って倒れてしまった、という構図だ。



 彼女は起き上がったが、顔がぶつかった辺りの床が赤い。

「きゃあああああああああ」

 彼女は鼻を拭った手のひらを見て顔色を失った。

 鼻血が、べっとりと付いていたからだ。出血は、まだ止まらない。

 僕はあわててポケットからテッシュを出した。

「ほっ、保健室に——」

 言いかけて、僕は我に返った。

 早田さんは、まだ下着姿だ。

「き、着替えないと保健室にも行けないよね」

 しかし。鼻を押さえてないと出血が——

「お、おはえほいへ」

 ……今、何て言った?

「あ、押さえといて、ってことかな」

 僕はティッシュを数枚束にして分厚くすると、早田さんの鼻にあてがった。

 その間に、空いた両手で制服を着てしまおう、という作戦らしい。

 「い、いはいっ! ひはらはへんはんはへてよねっ」

 解読すると、『痛い! 力加減考えてよねっ』 ということだろう。

 ちょっと、強く押さえすぎたか? んなこと言われたって、人の体のことはよく分からないよ!

「もうひひ! あんはへいふくひへへっ」

 そう叫んで、早田さんはセーラー服の上着を僕に押し付けてきた。



 ……僕に着せて、ってか? ほんとうに、それでいいのか?



 早田さんは自分で鼻にティッシュをあてがう。

 ものの1分もしないうちに、真っ白だったティッシュはそれ以上血を吸えなくなるほどに真っ赤になった。僕は、あわてて次の紙を用意する。

「こういう時上を向くと、かえって逆効果らしいよ。顔の向きは普通というか、あごは引き気味にしといたほうが……」

 そうアドバイスしながら、僕は肩袖ずつ腕を通しやすいように上着を着せてやった。その間、早田さんは空いた腕で鼻を押さえていた。

 何とかセーラーの上着は着せれた。スカーフまでは……許してくれ。結び方がゼンゼンッ分からん。

 片足ずつ上げてもらい、スカートもはかせた。滅多に起こりえない状況に興奮するというよりは、ただひたすらに恥ずかしかった。

 冷静に考えればもっといい方法があったのかもしれないが、この時の僕ら二人は多分冷静な判断能力を失っていた。ただ、目の前の問題をやっつけで処理することしか、頭になかった。



 努力の甲斐もなく、たどり着いた保健室には誰もいなかった。

 先生もいない。これは本格的におかしい。

 その頃には早田さんの鼻血も止まっていた。

「あっ、ごめん…」

 大あわてで、僕は早田さんを支えようとつかんでいた肩から手を離した。

 よく考えたら、鼻血止まったんなら一人で歩けるよな……



 さっきから僕は、気が動転するあまり早田さんを怪我人扱いしすぎて、肩を抱いて支えて歩いていたのだ。早田さんのほうも、もういいとか離れてよとか一言言ってくれればいいのに。

「今日ってさ、学校休みだった?」

 ずっと気になっていた事を、やっと人に聞けた。

「私、知らないわ。いつもと同じと思って来たら、誰もいなかったの。バカみたいに一人でクラブの朝練やってたわ——」

 いつまでたっても誰も来ないから、いい加減やめたらしい。そして誰も来ない、と思って油断して教室で着替えをしていたところへ、僕が来たらしい。

 この状況が分からないでいるのは、どうも僕と彼女の二人だけのようだ。



 職員室に行くと、一人だけ先生がいた。

「おっ。お前たち精の出るこったな。そんなに学校が好きなのか?」

 担任の中畑先生が、一人椅子にふんぞり返って新聞を読んでいた。

「お前たち、知らなかったのか? 今日は学校の創立記念日だぞ」



 そこで先生から受けた解説は、こうだ。

 僕らは、創立記念日を違う日だと思っていた。

「去年までの創立記念日はな、前理事長時代のやつだ。こないだ、理事長が代替わりしてな、学校が建った時を創立記念日とするのではなく、正式に都から中学校として認可された日にするべきじゃないか、っていうどーでもいい議論になってさ。そんで今年からは今日になったわけだ。あれ、連絡網回っていかなかったか?」

 そんなもの、来ていない。もちろん、早田さんにもだった。

「へええ? そりゃ運が悪かったな。ま、誰が悪いって今さら考えたってしゃーない。お前ら、せっかく来たんだから学校で過ごしていけや。どうせいつもどおりだと思ってたんだから、予定なんかありゃせんだろ?」 



 僕ら二人は先生に言いくるめられ、三人だけの学校生活を始めた。

「センセイは、何で学校にいるの?」

 それが、素朴な疑問だった。

「ああ、オレ? 日頃色々さぼってるから、今日はテストの点数つけにさ」

 まずやることは、早田さんの鼻血の掃除。

 教室の床と、廊下に少し、転々と血痕が残っている。

 僕は、早田さんの鼻血事件を少し先生に話した。もちろん、早田さんの着替えを手伝った、なんて余計なことは言わない。

「そうか。それはとんだ災難だったなぁ」

 特に面白い事も言ってないのに、中畑先生はクックッとヘンな笑いをかみ殺していた。それはまるで、事件の全貌を知っているんじゃないかと思えるような、何とも気味の悪い嫌な笑いだった。

 その後、先生から授業を受けた。中畑先生は、ぼくらの国語の先生でもある。

「試験に出るとこ、やってやるから」 などと口車に乗せられ、午前中は机に向かわされた。

 二人しか聞いていない授業、というのもヘンな感じがした。



「おう、腹減ったな。これで駅前でも行って何か食べるもん買ってきてくれ」

 中畑先生は僕に二千円をつかませると、そう言った。

 要は、先生の『使い走り』である。

「お前らの分も、何か買ってきてもいいぞ」

 その一言で、俄然行く気になった。



 早田さんと二人で、並んで街を歩く。



 ……よく見ると彼女、カワイイな。



 考えた事もなかった。

 うちのクラスには、田城美由紀という、ケタ外れに可愛い子がいる。

 その気になれば芸能人になれるんじゃないかと思うくらいなのだが、本人にその気はないようだ。

 それに比べると、早田さんはどっちかといえばクラスでも目立たないほうだ。

 彼女を異性として意識したことはなかった。でも、今こんなに心臓がドキドキするのはなぜだろう……?

 きっと、滅多にしないようなあんなドラマチックな体験をしたからだろうか。

 彼女の下着姿が、目に焼きついて離れない。

 以外にも、綺麗な体のラインをしていた。



 ……い、いかん。



 頭に浮かぶ邪念をはたきで追い払っていると、後ろから声をかけられた。

「よう。お前たち、元気だったか?」

「大塚先生!?」

 僕らは、驚いた。

 大塚先生というのは、僕らが一年生の時の担任だ。実は早田さんと僕は、なぜか一年の時からクラスが同じなのだ。

 先生は、無類のパチンコ好きであった。ほとんど、中毒とも言えた。しょちゅうパチンコ屋に出没するので、父兄から文句を言われても——

「オレはパチンコが命なんだぁ! アイラブパチンコ~!」

 そう言ってはばからなかった。

 そしてついに、僕らが二年生になる時に、大塚先生は教師を辞めた。それは辞めさせられたのでも何でもなくて、自分でパチンコ屋を開くためだというから、豪快だ。



「おう、寄ってけ寄ってけ。オレの店はすぐそこなんだ」

「そ、そんな無茶なっ」

 僕と早田さんは、大塚(元)先生にグイグイ背中を押され、パチンコ店に引きずり込まれてしまった。

「中学生をパチンコ屋に誘う先生がありますかっ!?」

 早田さんも抵抗する。

「いいっていいって。だいたいオレはもう先生じゃないし。社会勉強にもなるから、ちょっと楽しんでいけや。やってみたらヤミツキになるぞお~」

 僕、実はちょっとは興味があったんだ。でも、でも——

「それに僕たち、中学の制服着てますけど?」

 中塚先生は、まったく聞いていない。

「そんなもん、『コスプレです』って言えば、問題ないない」



 ……あるだろ!!



 早田さんは、青ざめた。

「ありますっ。問題オオアリクイですっ!」

 えっつ、今早田さんダジャレ言わなかった?

 真面目だとばっかり思っていた早田さんの、意外な一面を見た思いだ。

 そんなことを考えている間に、僕らは空いている席に座らされた。



「やったこと……ある?」

 隣の早田さんは、不安げに僕に話しかけてくる。

「ないよ、もちろん」

 大塚先生は、僕らに小さい箱一杯分の玉を渡してくれた。

「これがなくなったら、また言いな。オレはフロントにいるから」

 当然、玉がなくなったらもらってまでやる気なんかない。

「まぁ、義理もあるからテキトーに打って玉減らして、帰ろうぜ」

 僕は、かごの中の玉をつかんで、ジャラジャラと台に玉を補給して、つまみをつかんだ。きっと、ここを持ち続けていれば、玉が飛び出し続けるのだろう。

 早田さんは自分で打つ気はないらしく、僕が打っているのをじっと見ている。

「この台って…あの人気アニメの 『新世代オボンゲリヨン』 ?」

「……みたいだね」

 


 目が、チカチカする。

 大人って、よくこんな画面を何時間も見続けてられるよなぁ。

 一種の、『洗脳』じゃないかなぁ、なんて思ったりもする。

 玉の軌跡を見つめたり、めまぐるしく変わるモニター画面を見てたら、何だか目が回りそうになる。

「総員・第一種戦闘配備。AUフィールド展開っ!」



 ……エッ!?



 その時、派手な音楽とともに、毒々しい真っ赤なランプがペカペカと点滅。



「何じゃ、これ!!」

 荘厳な、クラッシック音楽にも似た戦闘シーン用の音楽。

「チンジ君、聞こえる? これ以上の戦闘は危険よ、すぐにプラグ射出!」

「ダメですっ。プラグ射出命令受け付けませんっ」

 何だか、モニターに勝手にドラマが展開していっている。

「兄ちゃん、確変かかったな」

 通路の反対側のおっちゃんが、声をかけてきた。

「おいおい、大きな箱用意しとかんと、玉がえらいことになるで」

 親切にも、玉を入れる大箱を取って来てくれた。

 専門的なことはゼンゼン分からないが、どうやらこれは 『オボ暴走モードリーチ』 という現象らしい。さっきから、パチンコ玉がジャラジャラ出てくる。真下の小箱で受けるが、そんなものすぐに一杯になる。

「姉ちゃん、手伝ったりや」

「は、はい」

 早田さんは、溜まった玉を大箱にどんどん移し替える。

「うああああああっ」

 とうとうチンジ君の搭乗する緒号機が暴走を始めた。



 何だか、緒号機が暴れだし、第14使徒ゼニエルを殲滅。

「おおっ、さらに連チャンや!」

 おっちゃんまで興奮して、のぞき込んでくる。

 すでに、下には大箱に満杯のパチンコ玉が二つ積み上げられている。

 一体何が起こっているのかわけも分からず、ただただ玉を打ち続けることしかできなかった。

 そのうちに、荷号機のアスコ・ハヨクレーまで出てきて、ド派手な攻撃を始めた。

「ユニゾン・キック!」



「おお~~~っ」

 いつの間にか、三人のオッサンが見物していた。

 周りが騒げば騒ぐほど、頭が真っ白になった。

 自分が何をした、というわけでもないのに、台は玉を吐き出し続け、足元には満杯の玉箱が積み上げられていった。



「さすがに、君らに現金渡すんはマズイなぁ」

 出玉を見て、大塚先生は目を丸くして驚いた。

 なんと僕らが稼いだ額は、現金にすると五万円相当にもなるらしい。

「そんかわり、展示してる景品、どれでも好きなもんあげるわ。でも、ビギナーズ・ラックちゅうもんは怖いなぁ。1200回転も回しよったで…」

 僕は電子辞書、早田さんは巨大なスヌーピーのぬいぐるみ。

「それ、どうやって持って帰るの……?」

 明らかに、彼女以上の胴回りのある大きさだ。カバンになど当然入らないし、入る入れ物もない。唯一の方法はだっこして持って帰る方法しかないが……ちょっと恥ずかしいだろうなぁ。

「意地でも、持って帰るっ」

 早田さんの決心は、固いらしい。

 そこでやっと、本当は中畑先生の昼ごはんを買いに来たんだということを思い出した。うわ、今から買っても先生怒らないかなぁ?

 もう、午後の四時になっていたからだ。




(田城美由紀からの報告メール)

 


 中畑先生へ


 作戦、大成功でしたね。

 二人にだけ連絡網回さなかった件は、本当にゴメンナサイ。

 でも、先生がこの作戦を支持してくれてうれしかったです。

 やっぱり、先生はC組みんなの味方ですね。

 せっかくの休みなのに、学校にいてくれてありがと。

 でも、あの二人によく外野から休みの情報が入らなかったものだ、と思います。

 ホント、この作戦正直失敗率高いだろうな、って思ってましたから。

 もうこれは運としか言いようがないですね。それか、恋の神様が味方した、っていう解釈でも面白いですね。



 今回の作戦で、計算外だったことが、二つ。

 まずは、早田さんの鼻血事件。

 まさか、あんな展開になるなんて!

 でも、あれで二人の仲は急接近したんだと思います。

『ケガの功名』 ってやつですね。まさか、宮下君が女の子に制服を着させてあげるなんて、夢にも思いませんでした。この秘密は、二人の名誉のためにも墓場にまで持っていこうと思います。

 


 もうひとつの計算外。それは、お辞めになった大塚先生の意外な介入。

 あれには、後ろから二人を尾行していた私も焦りました……。

 パチンコ屋に、入られちゃったんですから!

 まさかあの先生が、元教え子に台を打たせるとは!

 私、私服で良かったわ。変装用のメガネとマスクでとっさに顔を変えて店内に入りましたけど、何とか中学生だってバレずにすみました。あ、このことゼッタイ秘密ですからね!

 二人がパチンコに必死になっている間に、こっそり大塚先生の所へ行って正体を明かし、シメときました。すると、大塚先生青ざめてましたね。

「こ、このことは学校には黙っててくれ! 営業停止は困る~」

 交換条件に、宮下君の打ってる台を裏で操作して、大当たりになるようにしてもらいました。あんなに玉が出たら、さぞかし楽しかったんじゃないかしら。

 センセイはその寄り道のお陰で、お昼ご飯かなりお預けになったんですよね……そこは、ご愁傷さま。

 二人が帰ってきたのは、結局夕方の五時だったんですって?



 でも、結果的にはオーライでした。

 帰り道、宮下君は早田さんのゲットしたムチャクチャ大きいぬいぐるみを運んであげたみたいですし。

 早田さんも、最後は思い切って宮下君に告白できたみたいです。

 私、見ちゃいました。二人の別れ際のチュウ。キャッ。



 これで無事、C組内に新しいカップルが誕生しました。

 昔から気になってたんです、おくてな早田さんの気持ち。

 今回の場合は、両方をだまさないといけない高難易度の大作戦でしたが、何とか成功して、やっと肩の荷が下りた気分です。



 以上が、先生から依頼されていた作戦の詳細に関する報告書です。

 今後とも、ご協力よろしくお願いいたします。




 報告者 : 田城美由紀

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