第6話『美少女は運動会がキライ?』

 秋晴れの空の下。

 中学校の運動会は大盛況の中、午後の部に突入した。

 紅白両陣営の応援合戦とエール交換が終わり、次にやって来るプログラムは……?

 そう、表向きは皆無関心なフリを装いながらも、実は内心ドキドキの 『フォークダンス』 。

 この年頃の子は、実にややこしい。

 男子と女子、お互いに関心なくはないのに、恥ずかしいという感情が先立つのか、あまり素直になれない。

 最近では、参加を拒否する児童も増えたそうで、そのせいで運動会でのフォークダンスが廃止になったりする学校もあると聞くが、実にもったいない(?)話である。公然と異性の手を握れる絶好の機会だというのに!

 幸い、この中学ではそういう問題も一切なく、毎年恒例のようにフォークダンスは行われていた。

 そして、今まさに音楽とともに『オクラホマ・ミキサー』が始まったのだ。



 2年C組の福田孝太は、一番初めの出発点であるA組のあまり面識のない女子とペアになった。

 しかし。目の前のA組の女子はすでに「アウト・オブ・眼中」であった孝太の頭の中は、同じクラスの美少女・田城美由紀と踊れるかどうかのシュミレーションでいっぱいであった。

 彼は勉強は得意ではないのだが、こういう時だけ計算高かった。

 学年の男子と女子で、それぞれ内側の円と外側の円になる。

 一番初めのペアから、曲の節目で列がずれて、どんどんペアが変わっていく。

 なぜかスタートが同じクラスの男女同士ではなく、片方を逆さまにしている。

 すなわちA組の男子どもが今C組の女子と踊っている。

 だから孝太は今、A組の女子と次々に踊っているのである。



 A組 (女子15人)+B組(女子14人)+C組(女子17人-欠席2)=44人



 美由紀の出席番号と孝太自身の出席番号を加味し、何人と踊れば美由紀に遭遇するかを割り出すと——

 双方の出発点の差分を引いても、25人と踊らなければならない計算になる。 

 この種目の予定時間(曲を流す時間)は、なぜか15分と長い。とすると?



 15分=900秒。

 オクラホマミキサーで一人と踊る間の時間は、約35秒。

 900÷35=25 (小数点以下切捨て)。

 ゆえに時間中に踊れる女子の数は、25人。



「ぎりぎりやんか~~~~~!」

 孝太は、頭を抱えて苦悩した。

 計算では、踊れる総数と美由紀が回ってくるまでに踊る人数とがイコールだから、ぎりぎり踊れるとは出ている。

 しかし、現実というものは、なかなか計算通りにはいかないのが常である。

 6分が経過し、すでにB組の女子を相手に踊っていた孝太の意識は、相手の女の子にはなかった。

 よく見れば、B組の女子にだってそこそこカワイイ子がいるにもかかわらず、孝太の心には美由紀だけしか住んでいなかったから、手を握れてもちっともうれしくなかった。

 いやはや、恋の力とは恐ろしいものだ。



 さて、いよいよ終盤、残り3分。

 すでに、孝太の相手はC組の出席番号の若い子になっていた。

 さきほど踊った朝倉瞳には孝太の恋心を見抜かれ——

「さ~て、美由紀ちゃんと踊れるかな? それとも、あえなく曲は終わってしまうのかなぁ?」

「……うるへえ」

 照れ隠しに、しかめっ面をして瞳の顔のそばに持っていってやったら、お返しにすねに蹴りを入れられてしまった。

「ぐぁっ!」

 それを見た他の女子が、クスクスと笑う。

 ……最近の女子は、こえ~よ。



「見えたっ」

 この先三人目。とうとう美由紀を射程圏内に捕らえた。

 孝太の胸はどっきんどっきん、と高鳴る。

 美由紀の手を握ったのは、恥ずかしい事件のあったあの日、何とか美由紀と和解した時にした握手、あの時だけ。しかもあの時は、大変な修羅場だったから、美由紀の手の感触とか、手を握れた感動とかを味わう余裕もなかった。

 でも、今度こそは!



 ……気持ちいいんだろうなぁ。

 綺麗でやぁらかいんだろうなぁ。

 ほんのりと温かいんだろうなぁ——

 あ~たまらんっ!



「ちょっとヤダ福田君、何を考えてるのよぉ!」

 だらしなく顔のゆるんだ孝太を見て、田城美由紀の直前の子・早田美代子はちょっと引いていた。

 一回転して美代子の手を離した孝太の目に、艶やかな黒髪のエンジェルが見えた。シャンプーの宣伝にでも出てきそうな黒のロングヘア。切れ長の瞳。

 いよいよだっ。いよいよあの手を——

 その時だった。

 放送用のスピーカーから、ブチッという嫌な音が流れた。

「それでは午後のプログラムNO.2、二年生によるフォークダンスを終了いたします。二年、退場!」

 孝太は絶望のあまり、その場にコケた。

「そんなあああああああああああ殺生なあああああああああああああ」

 それはもう、延長12回裏で巨人から逆転サヨナラホームランを打たれてしまった阪神の悔しさ以上だった。



 プログラムは、三年男子の騎馬戦へと移っていた。

 孝太が自分の応援席で、独り寂しく自分の不運を嘆いている時。 

 目の前の地面に、スラッとした女子の影が差した。孝太が見上げてみると——

「たっ、田城ぉ!?」

 そこに立っていたのは、まぎれもなくさっき孝太が手を触れそこなった美少女、美由紀その人の姿であった。

「……さっきは惜しかったねぇ」

 まるで孝太の考えてることなどお見通しよ、とでも言いたげな薄ら笑いを浮かべ、美由紀は腕組みをする。

 孝太は、体操着姿の美由紀もいいなぁ、などと不謹慎なことを考えた。

 しかし、孝太のそんなだらしない思考など吹き飛ばされてしまうようなことを、美由紀は言ってきた。

「あんたを男と見込んで、ひとつ頼みがあるの」



「エエッ、福田君が佐野さんの代わりぃ!?」

 美由紀が引っ張ってきた孝太の姿を見て、二年の女子全員は驚きに声もなかった。

「そう。二年女子の創作ダンスまでに、あとまだ三種目あるでしょ。福田君は勉強はアレでも体育とかはセンスあるし覚えも早いから、私が稽古つければ動きはマスターすると思うの」

「……勉強のことは余計だっ」

 孝太は抗議したが、ムンムンする女子の群れの熱気に囲まれて、だんだんその声も萎縮していった。



 実は、二年女子全員による創作ダンスは、途中かなり複雑なフォーメーションをする。二人一組で、組み体操のようなことをするシーンがあるのだ。

 今日は欠席者の関係で、女子の総数が奇数なのだ。それでは、どうしてもひとりあぶれてしまう。しかもダンスの見栄え上、一人だけのところを作るのはちょっと不恰好だった。

 そしてちょうど欠けてしまったのは何の運命のいたずらか、美由紀のペアの子だった! つまり美由紀は、孝太を即席のメンバーに仕立て上げようというのである。



「さっき先生には許可もらっといた」

 美由紀の言葉に、孝太は顔色を失った。

「マジかよ! 男子なんかダメだとかなんとか言わなかったのかよ?」

 他の女子たちもみな、美由紀に注目した。

「問題なし。先生、『おおっそりゃ見ものだ! 是非それでやってみたまえ』 って、お腹抱えて笑ってたよ」

「じゃあ~、決まりねっ!」

 女子全員から、割れるような拍手が起こった。

 とうとう孝太は、紅一点ならぬ『黒一点』となって、女子のダンスに出場することになった。



 放送席からのプログラム紹介の声が、青空に高らかと鳴り響く。

「……次はプログラムNO.6。二年生女子による創作ダンス。曲は『オリーブの首飾り』。可憐かつダイナミックなダンスに仕上がったとのこと。皆さん、拍手でお迎えください!」

 入場口から、両手を水平に挙げた女子の列が、まるでバレエの動きのように足の甲を伸ばして入場してきた

 そして、やがて彼女ら、正確には『彼女らと一人の野郎』は二つの列に別れ、時計の短針と長針のように、動かないある人物を起点としてグルグル回りだした。

 頭には腰まで長さのあるピンクのリボンをつけ、靴は脱いで裸足で踊る、という演出までついていた。

 ちなみに、バックの音楽はポール・モーリアなどで有名な『オリーブの首飾り』 という、誰もが一度は耳にしたことがある曲。

 手品などで ♪ちゃららららら~ん とバックでよく鳴っている、アレである。



 先生方も生徒達も、応援に来ていた父兄たちも——

 女子の群れの中に、かなり違和感のあるものを見つけた。

「ねぇ、もしかしてあれって、福田君じゃない?」

「うゎマジで? ホントだ。孝太、お前一体何やってんだよ!?」

 二列はそれぞれ、放射状に反対向きに円を描いて駆け、出会ったものと腕を組み一回転。またその勢いで走り次に出会った者と腕を組む。

 足運びは、やはりバレエを意識した走法で一貫していた。

 目まぐるしくも可憐な演技に、ギャラリーは釘付けになった。

 しかし、孝太を見るたびに皆、大笑いをした。

 彼が真面目に演技すればするほど、余計に周囲の笑いを誘った。

 美由紀による短時間の集中特訓を受けた孝太は、間違えたり流れを乱したりすることなく、与えられた役割をこなしていた。その点は、十分評価に値する。



 いよいよ、曲も最後の部分に差し掛かった。

 この創作ダンスの最後の決めのポーズは……

 二人一組なって真っ直ぐな列を作り、一人が、他の一人の背中を腕に抱えて支え、地面ギリギリのところでピタッと止めて、お互いに見つめ合う、というものである。

 社交ダンスでよく見るポーズである。



 ……いよいよだ!



 孝太は、夢のような場面の到来に胸が高鳴った。

 美由紀が向こうから駆けてくる。

 曲のラストとともに、互いに一回転してから孝太は美由紀を背中から抱きかかえる手はずになっていた。

 オマケに、右手は美由紀の手を握ったまま、というスペシャルコースだった。

 昔の少女マンガかなんぞのように、美由紀の背後にバラの花びらが散った。

 そして、美由紀の瞳にこれでもかというくらいに多すぎる星がキラリンと輝いた。



 ……ああっ、美由紀ちゃ~ん、最高!



 煩悩に支配されたのがいけなかった。

 ぼうっとした頭で一回転した孝太は、思わず目がクルクルと回ってしまった。

 方向感覚を失ってしまった彼は、それでも何とか美由紀の体を抱きかかえたのだが、思いっきり目測を誤った。



「いやああああああああああああああ」



 美由紀の大絶叫が運動場に響いた。

 彼女と孝太を見た者は、皆思わず息を呑んだ。

 なんと孝太は、背中から美由紀を抱えないといけなかったのに——

 逆だった。

 そう、つまり…孝太の左手は、抱えるタイミングがずれたせいで地面の方を向いてしまっている、『美由紀の胸』を押さえてしまっていたのだ。



 モミッ



 発育の良い、中学生にしては豊満な美由紀のバストを——

 こともあろうに、鷲づかみしてしまったのだ!

 まさに、もう終わってしまった。



「ひいいいいいいいいいいいいっ」

 そこで動揺してしまったのがいけなかった。

 アッ、と思った孝太は、美由紀の胸にあてがっていた手を思わず引っ込めた。

 当然、そこには重力の法則というものが、遠慮なしに働く。



 ビッタ~~~ン



 その時、運動場を静寂が支配した。

 誰も、声を発さなかった。

 周囲の女子がみな決めポーズをとっている中、美由紀だけは顔から地面に激突し、這いつくばっていた。

「孝太、お前はよく戦った……」

 男子一同は、確実にその恋は散ったと思われる亡き戦友に、心からの敬礼を捧げるのだった。




 夕焼けが街全体をすっぽり飲み込もうとする頃。

 道には、制服姿で下校する美由紀と孝太の姿があった。

 真っ赤な夕日を遠くに臨む坂道にさしかかった時、孝太は遠慮がちに言った。

「……やっぱ、怒ってる?」

「ふんっ、怒ってるわよ!」

 美由紀のきれいな顔のど真ん中には、あまり似つかわしくない絆創膏がペッタリと貼られている。

 そう言われてしまっては、孝太は何も言い返せなかった。

 思わず遠慮がちに数歩遅れて、美由紀の斜めうしろを歩くのであった。



 突然立ち止まった美由紀は、クルッと体を反転させ、正面から孝太を見つめた。

 長い髪がオレンジにきらめいて波打ち、スカートのひだがフワリと揺らぐ。

 美由紀はどういうわけか、ためらいがちに自分の右手を差し出してきた。

「…………?」

 意味が分からず、孝太がキョトンとしてその手を見つめていると、イライラした美由紀は言い放った。

「どうせあんた、フォークダンスの時に私と手をつなぎたかったんでしょ? 別れ道までつないでいてあげるから」

 ホラホラ、と美由紀がプレッシャーをかけてくる。後ろめたかったが、孝太はおずおずと右手を伸ばし、美由紀の白い手にそっと触れた。

 そして、優しく指で包んだ。



「……行くわよ」

 美由紀の頬が赤いのは、決して夕日のせいだけではないように見えた。

 手でつながった二人は、しばらくうつむいて無言で歩いた。

 その静寂を、美由紀が破った。

「あんた私にあんなことして、お嫁に行けなくなったらどうしてくれるのよっ。その時は、責任取ってよねっ」

 ふくれっ面をして、美由紀がそんなことを言う。

 夕日に向かって顔を上げ、孝太は遠い目をした。

「ああ。そん時はもらってやるとも」



 心は揺れているのに、なかなか素直になれない二人であった。

 蒼い月が、夕日と交代しようとしてはるか向こうの空に顔を出した。


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