第15話『美少女は日の丸弁当がお好き?』
「起立~、礼!」
四時間目終了のチャイムが鳴り、先生が教室から去ると、一気に二年C組の教室は活気を帯びて賑やかになる。
皆が待ちに待った、弁当の時間である。
普通の公立中学だから、学食なるものはない。
ほとんど皆、弁当持ちである。どうしても事情で弁当を持参できない生徒には、申し込めばサンドイッチやおにぎりの販売が行われるのだが、もっぱらおいしくないとの評判のため、利用する生徒はかなり少ない。
時代の流れもあって給食導入が検討されてるらしいが、仮に今決まっても実現に3年はかかるそうで、美由紀や孝太の学年の在学中には、関係のない話となる。
「さてと。今日の弁当のオカズはな~にっかなっ?」
飢えた野獣と化した2年C組・広田和也は、我慢できずに弁当の中身を確認し始めた。寝坊して朝に遅刻しかけたお陰で、ろくに朝食も食べてこなかったから。
「母ちゃん、起こしてくれてもいいじゃないかぁ!」
いつものように早起きして、きちんと弁当を仕上げていた母に文句を言った。
「あんた、目覚ましきちんとかけた?」
「……覚えてねぇ」
「母さんだってね、アンタの召使いじゃないんですからね! いい年なんだから自分で起きなさいっ。あ、それと今日の弁当は傑作よ。期待してね~」
和也の母は、料理上手だ。その母が期待しろというのだから、かなりのものに違いない。そういう期待感もあって、すぐにでも中身を見たくなったのだ。
仲良しグループで弁当を食べる場所に行ってからでもいいのだが、やはり今すぐ見たいという誘惑には勝てなかった。
さて、彼が意気揚々と弁当のフタを開けると——
「ヘ?」
………………………………!
……………………!?
………………、
…………。
……
和也は、見てはならないものを見てしまったような気がした。
……きっとこれは夢だ。気のせいだ。
「お~い和也ぁ、一緒に食わねーのか!?」
いつも一緒に弁当を食べている福田孝太と室木大輔が、遠くから呼んでいる。
「ああ、行くからちょっと待っててくれ!」
とりあえずそう叫んでから、和也は次に見えるのが色とりどりのオカズで飾られた、食欲をそそる弁当であることを祈った。
日頃信じてませんが、今信じます!
神様仏様イエス様、並びに美輪先生——
どうかお願いいたしますっ。
この弁当を、日の丸弁当の魔の手から救いたまえ、祓いたまえ清めたまえ。
アーメン
何だか、神様以外のものまで混じってないか?
にわか信者になった和也は、気合を入れてもう一度弁当のフタを開けた。
「南無阿弥陀クジ、南無妙ホウレンソウ! エイッ!」
「……おいしそうな弁当ね」
背後からの声に、和也は泡を食ってガバッと恥ずかしい弁当を隠した。
「ひいいいっ」
後ろには、クラス一の、いやもっと言えば学校一の美少女・田代美由紀。
恐る恐るおびえた目で後ろを振り返ると、美由紀はアーモンド型のクリッとした形のよい目をちょっと細めて、ニタニタと笑っていた。ああっ、これは格好の話のネタにありついた女子の目だぁ!
「み、見ちゃった……?」
和也の質問に、美由紀は満面の笑みでコックリとうなずく。彼女が頭を振ると、そのままシャンプーのCMにでもなりそうな綺麗なロングヘアがサラサラッとなびく。
「うん。そりゃもうバッチリと」
絶望のあまり机の上に突っ伏す和也。
……ああっ、オレはもう終わりだぁ!
きっとこの情けない情報は、一瞬にしてクラスに広まってしまうはずだ!
「……ここはひとつ、私に任せてみない?」
美由紀は、驚くべき提案をしてきた。
「あんたの弁当を、きちんとした弁当に変えてあげるっ」
そう言うなり美由紀は和也の手を握り、どんどん引っ張って歩く。
「いいっ!?」
頭の中が、真っ白になった。
いきなり女子に、しかも美由紀に手を握られるだけでも大事件なのに——
これ以上一体、どんなことが身に降りかかってくるのか?
「孝太に大輔! 今日は広田君こっち借りるね~」
美由紀は、和也がいつも孝太や大輔と弁当を食べていることを知っていて、そう声をかけた。
ちょっとは何か言ってくれるかと期待したが、それどころか 「おうおう。いくらでも持ってけドロボウ」 などと言い出す始末である。友達甲斐のないやつらめ!
「一名様、男子ご案内~!」
セーラー服の集団の中に連れてこられた和也は、その場に固まった。
「まぁ、座って座って」
美由紀に席を勧められたが、カキンコキンに固まっていた和也は、あきれ果てた美由紀に『膝カックン』されて初めてやっと椅子に腰が落ちた。
そこは、女子が仲よし組に分かれて弁当を食べているグループの中でも、最大規模を誇るグループであった。
美由紀を中心にして朝倉瞳、宮田菜緒・佐野秀美・早田美代子・堀田利美・安西京子……おまけに美由紀に引けを取らないA組の美少女・高倉綾子までもが、どういうわけかC組に食べに来ていた。かなり、可愛い子率の高いグループと言える。
「いらっしゃ~い」
迷惑そうな顔をするどころか、女子どもはみな拍手で迎えている。
「ささ、さっきの弁当をここに出して」
隣の美由紀にせかされて、和也はしぶしぶあの『お母さまの傑作のはず』な日の丸弁当を出す。
フタが開けられると、その何とも言いようのない重厚な存在感に、女子たちは感嘆の声を上げた。
「おおーっ」
……いったい、何をどう感心してるんだよ!
「ああ可哀想。私がひとつ、オカズを恵んであげましょう——」
美由紀は箸でつまんだ何かを、和也の弁当の上に置いた。
それは、梅干であった。
「すっ、すんばらしい! これぞ伝説の『ダブル日の丸弁当!』」
女子たちは手を叩いて笑い転げた。
真っ白なごはんが敷き詰められた中央に、二つの梅干。
和也は、何だか無性に情けなくなった。
しょげかえる和也の背中をバンバンと叩いて、元気付ける美由紀。
「今のはほんの冗談よ。実はね、利美ちゃんが今日は余分にお弁当作ってきてくれたみたいなの。聞いたらばね、それを和也君にあげてもいいってさ」
名前の出た堀田利美は、ちょっと顔を赤くしてうつむいた。
堀田利美は、料理の腕前はずばぬけている子だった。
こないだ、『全国中学生弁当コンクール』にエントリーし、惜しくも優勝は逃したが準優勝を果たし、夕方のTVニュースでもちらっと顔が映ったほどだ。
彼女は、弁当はいつも自分で作るという。そしてサービス精神旺盛な彼女は、仲良しのクラスメイトに振舞うために、いつもオカズを余分に作ることを習慣としていたのだった。
その分を、今日は哀れな和也に提供しようというのである。
「ダラララララ……ジャジャ~ン!」
皆が指で机を叩いて、ドラムのような音を出して利美の弁当の登場を盛り上げた。
そして、美由紀が弁当のフタを開けるとそこには……
……は、恥ずかしい!
和也は、頭から湯気がでそうなくらい顔が火照った。
確かに、出来は素晴らしい。見事、としか言いようがない。
しかし、男の子が食べるには、可愛すぎた。
キャラ弁とまではいかないが、色とりどりの野菜や肉、ソーセージなどを駆使して蝶や猫、お星さまや月までが弁当一面に描かれていた。
……こ、これをオレに、女子の目の前で食えと?
まるで、幼稚園の子の弁当みたいじゃあないか!
「さぁさぁ! ほらほら遠慮しないで~」
女子一同は、みな期待して和也を見つめている。
恥ずかしかったが、それ以上にやはり……おいしそうだった。
育ち盛りの和也は、とうとうちゃんとオカズのあるお弁当の魔力に敗北した。
「いただきます」
女子たちが固唾を呑んで見守る中、和也はひと口目を口にした。
「……ど、どう?」
美由紀が、緊張した面持ちで聞いてくる。
……何でお前が緊張するんだよ。
そういう余計な思考が頭に浮かんだのもつかの間。
強烈な電撃が、和也の脳天からつま先までをビリビリと駆け抜けた。
「うっ、うまいいいいいいっ!」
それは、天にも昇る至福の瞬間だった。
噛んだ瞬間に口の中に広がる、うまみ。見た目は普通の鶏のから揚げに見えるのだが、何ともジューシで複雑な味だ。きっと何種類もの調味料やスパイスをからめているに違いない。
和也の母の料理も確かにうまいのだが、利美のこの味は……また別次元のうまさであった。和也はもはや周囲の目など気にせず、きれいに利美の弁当を空っぽにした。
完食の瞬間、一同から拍手が巻き起こった。
ヘンなことに、それはどうも、堀田利美に向けられたものらしかった。
「よかったね、利美ちゃん!」
当の利美は、顔を赤くしてうつむいていた。
でも、何だか幸せそうな顔をしていた。
「また、作ってきてあげるね」
お昼の弁当会がお開きになると、堀田利美は和也にそう言ってきた。
「ありがとな。マジうまかったぜ。でも、うちの母ちゃんがきっちり弁当作っちまうしなぁ」
その時の会話を思い出した和也は、事の成り行きの不思議さに驚いた。
家に帰ってみると、母が急におかしなことを言い出したからだ。
「母さん、これから週に三日だけどパートで働くことにしたわ。専業主婦ばっかりじゃ息がつまるし、あんたも大きくなったからね。問題ないでしょ」
「ま、マジ?」
母が思い立った事をいきなり実行に移すのは、別に今に始まった事ではないが……それにしても、タイミングがタイミングである。
「パート、朝からだからね、ちょっと弁当作れない日も出てくるからね! あ、そうそう。あんたのクラスに堀田さん、いたでしょ? あの子がね、その日はあんたの分も弁当用意してくれるってさ」
「なななななな何だってええええええ」
別に大したことでも何でもないように、母はあっけらかんと言う。
「よかったじゃないの、あの子料理上手よ? よくお礼言っといてね」
和也の母と利美の母とは、古くからの友人同士らしい。きっと、そのツテでこうなってしまったのだろう。
多少の困惑はあったが、それでもまた利美のあの絶品弁当が食べられるのかと思うと、やっぱりうれしい和也なのであった。
早朝。4:30 AM。
利美は沢山のメールやショートメッセージに励まされた。
「作戦成功! よかったね」
これは美由紀を初め、二年C組の女子一同から。
「あんな子だけど、どうかよろしく面倒見てやってね」
和也の母からも、感謝のメールが。
そう。
今回のことは、利美の恋心を応援するために、和也以外のすべての人間が仕組んだことだったのだ。
小心な利美を説得して計画を立案したのも美由紀なら、和也の母に秘密裏にアプローチして協力を要請したのも、また彼女であった。
もちろん、こんなまどろっこしいことをしなくても、ストレートに思いを伝える手もある。でも美由紀には、根拠ははっきり言えないが、二人には何だかこの方法のほうがしっくりくるように思えたのだ。
もう、それは理屈の世界ではなく、直感の世界であった。
早起きはしないといけないが、利美は幸せだった。
二人分の弁当を、心を込めて作る。
キッチンの小窓から見ると、夜空の遠くにうっすらと光が見えた。
もうすぐ、夜明けのようだ。
甘酸っぱい憧れを胸に、利美は鼻歌を歌いながら野菜を炒め始めた。
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