第14話『美少女、命の重さを知る』

 駅前デパートの3階、女性下着売り場。

 さすがに今日が日曜日だけあって、デパート全体としての客の人口密度も濃く、にぎわっている。

 美少女女子中学生、田城美由紀は売り場の中にズンズン入っていくのだが、彼女のお供としてついてきたクラスメイトの男子・福田孝太は、バリアーに弾かれたように売り場の5メートル手前で固まった。

「お~い、オレは何しとけばいいんだよ?」

 売り場の奥にまで行ってしまった美由紀に向かって、孝太は叫ぶ。

「ん? 何だったら、アンタも入ってくれば? 一緒に選んでくれてもいいよ」



 ……そんなムチャクチャな!



 美由紀は成績優秀で、トンチ的な知恵もまわり『学年一の賢者』の異名までとる切れ者なのだが、一般人とはちょっと違う感覚を持った不思議ちゃん、でもあるのだ。

「で、でもそんな買う下着を人に見られて、恥ずかしくないのか?」

「別に。つけてる所を見られるんならともかく、これだけ見られる分には何とも」

 孝太に背を向けたまま、振り返らずに陳列棚にある色とりどりのブラジャーを物色する美由紀は、さも何でもないことのようにサラリと言う。彼女が商品を手に取ったり胸にかざしたりする度に、腰まであるきれいな黒髪が揺れる。



 孝太は、改めて売り場を見回した。

 商品のどれもが、異様な存在感を持ってその場にそぐわない孝太をにらみつけているようであった。

 ある意味、お化け屋敷に入るようなものだ。

 ウブな男子中学生には、ちょっと刺激のきつすぎるコーナーである。

「ねぇねぇ、これなんかどう?」

 クルッと振り返る美由紀の胸には、薄いピンク地に可愛い花柄をあしらったブラがかざされている。

 カップが大きい美由紀には、どうもジュニア向けの商品よりも大人向けのもののほうがしっくりくるようだ。

 思わず色々と想像をたくましくしてしまった孝太は、下着売り場に背を向け、通路の反対側に逃げた。

 台所用品売り場で、茶碗などを見て心とアソコを静めようと努力した。



 デパートを出た美由紀は、先ほど買った衣類の紙袋を二つ、両手にさげていた。

 下着だけでなく、ティーンエイジャー向けのブティックでワンピや何着ものトップス・スカートの類まで買い込んでいた。

 横に歩く孝太は、その買いっぷりに目を丸くしていた。



 ……女って、そんなに着る物がいるもんなのか?



 どちらかというと、服に関してはさほどこだわりのない孝太は思った。

「じゃあ、これ持って」

 道の途中で、美由紀はいきなり先ほど買った服と下着の詰まった手提袋を、孝太にグイっと押し付けてきた。

「お、オレは荷物持ち、ってわけか?」

 美由紀はフン、と鼻息をひとつつくと、腰に手を当てて孝太に向き直った。

「あんたには、この荷物を今から教えるところに届けてもらう」

 これからがデート本番だと思っていた孝太は、肩透かしを食ってブーブーと文句を言い出した。

「まるで、宅急便だな。な~んでオレがそんなことしなきゃいけない?」

 言ってしまってから、孝太はしまったと思った。

 美由紀の目尻が上がったからである。

 そう、それは美由紀がこちらの痛いところを突いてくる前触れだから。

「あっ、いいのかなそんなこと言っちゃって。この前、あんた私が眠っているのをいいことにディープキスを——」

「わあああああああああああおおおおおおおおおお」

 あわてる孝太の姿は、はた目には阿波踊りをしているようにも見える。

 哀れ孝太は、結局は美由紀の言いなりになるしかないのだった。



 ……何だってまた、こんなところに?



 美由紀の指定した届け先は、大きな病院内の、ある病室だった。

 ナースステーションで事情を告げると、若い女性看護師はニッコリと笑う。

「ああ、来るってうかがってますよ。この廊下を真っ直ぐ歩いて、突き当りから手前に二つ目のドアです。ノックしてからお入りくださればいいですよ」

 孝太の来訪が前もって知られていた、というところに多少の引っかかりは感じたものの、孝太はとりあえず使命を果たすために、迷わず病棟の廊下を進んだ。



 さて、目的の病室の前に来た。

 ドアのすぐ右に、表札がかかっている。

 真っ白なプラスチックのプレートに、マジックで名前が書いてある。

 入院患者が入れ替わるたびに、消して書きかえるのだろう。

 名前が一人しか書いてないから、大部屋ではなく間違いなく個室のはず。



 『吉見麻緒』



 ……ふぅん。マオちゃんね。



 美由紀は、孝太に荷物を届けさせるに当たり、届け先の人物に関して『吉見』という名字以外の一切の情報をくれなかった。しかし、いくらバカな孝太でも、女性物の衣類や下着を託されたのだから、少なくとも届け先の人物は女性だろう、くらいには予想していた。


 ……まさか、『女装趣味のオッサン』とかじゃあないよな!?



 ここまでの道中、いらぬ心配をしまくった孝太であった。

 しかし、名前からしてもう女性であることがハッキリして、安心した。

 呼吸を整えて、数回扉を叩く。

「入って」

 たった一言だったが、孝太は透き通るようなきれいな声だなぁ、と思った。

 ドアノブをつかんで回すと、ゆっくり手前に引く。ギイイ……という音とともに、ドアの向こうの世界が孝太の視界に飛び込んできた。



 太陽の光が降り注ぐ窓辺に、大きなベッド。

 半身を起こして、背中を壁にもたれかけさせている少女が一人。

 腰までをブランケットで覆った少女の上半身は、ピンク色のパジャマ姿。

 麻緒は孝太の姿を認めると、まるで昔からの知り合いでもあるかのように満面の笑みを浮かべた。

「すぐそこに椅子があるでしょ? それ使って、そばに座ってね」

 なるほど、サイドテーブルのそばに折りたたみのパイプ椅子がある。

「これ。届けるように言われたんだけど——」

 孝太はまず紙袋を麻緒に渡してから、パイプ椅子を開けて座った。

「わぁ、可愛い!!」

 麻緒が取り出した下着類をかざして眺め回すので、孝太は目のやり場に困った。



 話を聞いてみると、麻緒は美由紀の小学校時代からの親友らしい。

 小学校低学年頃までは孝太も美由紀と付き合いがあった。でも、思い出す限り孝太は彼女に会っていない。

 麻緒は小学5年の時に隣町に引っ越してしまったため別校区となってしまい、美由紀とは中学が別々になってしまったようだ。

 よく見ると、麻緒も相当の美少女だ。 さすがは美由紀の親友。

 これぞ『類は友を呼ぶ』 ってやつだろうか? などと孝太は考えた。

「私ね、病気してたからあまりオシャレもできなくて。長いこと入院してるし、気分転換にでかけてみようかな、と思って美由紀ちゃんに外出着を選んで、って頼んでおいたの。ようやく担当の先生からも外出許可がおりたし」 

 体が頑健で入院生活などしたことのない孝太は、1年半もベッドに縛りつけらているという麻緒の辛さに想いを馳せた。

「……でも、頼んでない下着まで買ってきちゃうところは美由紀ちゃんらしいわね。きっと『見えないところにも気を使っておしゃれしなきゃダメ!』なんて言うんだろうね」

 そう言ってケタケタ笑う麻緒につられて、孝太も笑った。

「……そこで、孝太さんにお願いがあるんですけど」

 急に真顔になった麻緒は、孝太の顔をつぶらな瞳でのぞき込む。

「一日だけ、私の彼氏になってください」



 次の日曜日。

 ソワソワしながら、麻緒を待つ孝太。

 もちろん、こんな展開になったことは、美由紀には内緒である。

 知れたが最後、何を言われるか分かったものではない。

「……ごめん、待ちました?」

 待ち合わせ場所に現れた麻緒を見て、孝太はギョッとした。

 彼女は、今まで見たこともないような変わった形状の車椅子を操作して、現れた。

 服装は、先週届けた美由紀特選のミニワンピ。

「ホントはね、介護ヘルパーの方が同行することになってたんだけどね。今日の私には、しっかり守ってくれるナイト(騎士)さんがいますから、って断ってきちゃったぁ」

 エヘッ、と舌を出す麻緒の笑顔は、病人には見えない。

 本当に元気で可愛い少女だ。

 しかし、先週に比べるとしゃべり方が所々たどたどしく聞こえるのは、ただの気のせいだろうか? 

 孝太は、いらぬ疑念を頭から払拭した。そう、これからの時間は、麻緒ちゃんのためにも楽しく過ごすべきなのだ。

「じゃあ、行こっか!」

 今日の外出のナイト役を仰せつかった孝太は、気合い十分で麻緒の車イスを押す体勢に入った。

 気付いた麻緒は、あわてて孝太を止める。

「ああ、ちょっと待って」

 どうも、電動式車椅子を自動から手動に切り替える必要があったようだ。レバー操作を終えた麻緒は、真っ直ぐ前を指差す。

「レッツラ・ゴー!」

 異色のカップルは、都会の喧騒の中へと元気に飛び出した。



 映画を観たり、ショッピングをしたり。

 クレープを食べたり、公園を散歩したり——。

 今日は晴れてよかった、と孝太はつくづく思った。

 夕方になって、二人は公園の休憩所に並んで、空を見上げた。

「もう、帰る時間が来ちゃったみたいね」

 夕日を受けた麻緒の横顔は、少し淋しそうだった。

「……きっとまた来れるさ」

 元気付けるつもりで何気なく孝太が言ったその一言に対して、麻緒から意外な返答があった。

「もう、来れないもん」

 その確信めいた言葉に孝太は首を傾げたが、その謎はすぐに解けた。

「私ね、もう死んじゃうの」



 ……え、今何て?



 彼女の病名は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という、筋肉の萎縮と筋力の重篤な低下により、かなりの確率で死に至る難病であった。有効な治療法は未だに確立されていない。

「ごめんね、初めに言わなくて。でも、言ったら色々気を使わせちゃうと思ったし。何より、私自身がこの一日だけは病気のことも忘れて思いっきり楽しみたかったからさ——」

 余りの衝撃の事実に、孝太は声もなかった。

「今日はホント楽しかった。死ぬまでにね、一度は男の人とデートしてみたいな、って思ってたんだ。ありがとね、ありがとねぇ……」

 最後は、涙声になっていた。

「でもでも……」

 麻緒の顔が、クシャッと潰れた。

「死にたくないよう!  私、まだ死にたくないよう!」

 顔を真っ直ぐ天に向けて、涙も拭わずにしゃくりあげる麻緒。

 その姿を見ながら孝太は、どうしてあげたらよいのか途方に暮れた。

 しかし、意を決して麻緒に近付いた孝太は、一度かがむと車椅子の彼女の上半身を優しく抱き止めた。麻緒も、素直に孝太の胸に体をあずけた。



 どれくらい、時がたっただろうか。

 ようやく泣き止んで落ち着きを取り戻した麻緒は、さっきから何か言いたげな表情をしていたが、やっとのことでそれを口にした。

「孝太くん。もうひとつだけ、お願いがあるの」

 麻緒は、顔を赤らめて夕焼け空を見上げた。

「今だけでいいから、私と結婚して」



 夕闇迫る公園の片隅で、二人はかりそめの結婚式を挙げた。

 孝太は、牧師のような役をさせられた。

 恥ずかしかった彼は、誰かに見られてないか始終キョロキョロと公園内を見回していた。幸い、辺りに人影はない。



 汝

 健やかなるときも

 病めるときも



 喜びのときも

 悲しみのときも


 富めるときも

 貧しきときも



 これを愛し

 これを敬い

 これを慰め

 これを助け



 その命ある限り

 真心を尽くすことを誓いますか?



 これは、さっき麻緒に叩き込まれた誓いの文句である。

 よくまぁ、こんなにきちっと知っているものだ、と孝太は感心した。

「……誓います」

 麻緒は、感無量にそう一言言うと、目を伏せた。

 そしてすぐに、孝太に向かって同じことを聞いてきた。

 一瞬、孝太の頭に美由紀の姿がよぎったが、麻緒は見透かしたかのように笑う。

「心配しないの。今日限定だから」

 孝太は、目の前の子のためなら、もはや何でもしてやりたい心境だった。

「……誓います」

 その言葉を聞いた麻緒の顔が輝いた。

 そのためだけでも、孝太は自分のしたことを本当によかったと思うのだった。

 次は、指輪交換。さきほどアクセ売り場で買ったペアリングが役に立った。

「うれしい——」

 麻緒は筋肉の衰え行く病人とは思えないほどの力で孝太を引っ張り、両手で抱き寄せた。車椅子の背もたれの角度を倒した麻緒の体に、孝太の体が重なる。

「最後に誓いのキスを……」

「エエッ!?」

 意外な麻緒の願いに肝を潰した孝太だったが、それはほんの一瞬だけのことだった。麻緒への想いのあふれた孝太の唇は、自然に彼を待ち受ける麻緒の唇に重ねられていった。

 麻緒の赤い唇は、生まれて初めて男を受け入れた。

 そして、それが最後ともなった。

 目尻から涙を伝わらせながら、麻緒は孝太を抱く手に力を込めた。



 三週間後。

 放課後、孝太は美由紀に呼び出された。

 彼女は、麻緒の病室の前で落ち合おうと指定してきた。

 一度自宅に帰って、私服に着替えた孝太が病院へ行くと、すでにそこには私服姿の美由紀が、腕を組んで待ち構えていた。

 孝太は、美由紀に駆け寄った。

「おお、もう来てたのかよ——」

 彼女の顔を見た瞬間、孝太は出かかっていた軽口を呑み込んだ。

 美由紀が……泣いていた。ハラハラと涙を流して。

「ごめん。あんたをダシに使って」



 すべては、美由紀の仕組んだ計画だった。

 孝太と麻緒がデートをし、結婚ごっこのようなことをすることまで、美由紀は読んでいた。それでいてなお、あえて美由紀は孝太を麻緒に送り込んだのだ。

「本当はアンタを送り込みたくはなかったよ。でもでも、麻緒は友達なんだもん! もう死んじゃうんだもん! ねぇ孝太、答えてよ。私のしたことは、マチガイだった? よけいなおせっかいだった?」

 ワッと声を上げて、美由紀は孝太の胸に飛び込んだ。

「……お前は、優しいヤツだな」

 いつもそうだ。美由紀は、常に自分のことよりも人のことで悩んだり胸を痛めたりして、割を食っている。

「間違ってなんか、ないさ」

 そう言って孝太は慰めるのだが、彼ににすがっていた美由紀の体は、力なくズルズルと床に崩れた。

「麻緒ちゃんね、生きてるんだけどもう植物状態なの。呼吸器で息はしてるけど、二度と意識は戻らないのよう!」

 リノリウムの床にがっくりと両手をつく美由紀の瞳から大粒の涙がボトボトと落ち、水溜りをつくる。

 美由紀の身も世もない泣き声が、廊下に反響する。



「そう……だったのか」

 孝太の目にジワッと熱いものがこみ上げてきたが、涙は流すまい、と思いっきり歯を食いしばった。

 渾身の力を振り絞って、ここ一番の勇気を奮い立たせるのだった。

 美由紀のために。麻緒のために。そして、自分自身にけじめをつけるために——。

 泣く美由紀を背にして、孝太は一度大きく深呼吸をした。

 うつむいたまま、麻緒のいる病室のドアノブにそっと手をかけ、開く。 



 そして、ゆっくりと顔を上げた。

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