第13話『美少女、悪夢の初キス体験』

 2年C組の生徒たちを乗せた貸切バスは、蛇行する山道をどんどん登ってゆく。

「……カルビクッパ!」

 そう叫んだ室木大輔は間髪入れずに、持っていたマイクを前の座席の朝倉瞳に爆弾でも押し付けるかのように回す。

「エーッ」

 瞳は、一瞬頭が真っ白になった。



 ……大輔のアホ!

「カルビ」 だけでいいのに、よりによって 「カルビクッパ」って何よ!?

「パ」で始まる言葉といったら……?



 しかし、負けん気だけは人一倍の瞳は、ぞうきんのように脳みそをしぼって何とかパで始まる言葉を探し当てた。

『パフェ』『パスタ』『パプリカ』はすでに出たので言えない。『パンツ』は品がないし、『パーマン』や『パソコン』は 「ん」がつくから駄目だ。

「パ、パッチギ!」

 今時の若い子で、その古い映画のタイトルが出てくるとは! さすがは博識の朝倉瞳である。さて、困ったのは次にマイクを渡された福田孝太だ。

「ギ、ギぃ!?」



 ……な、何でうちのクラスのしりとりは「リンゴ」「ゴリラ」「ラッパ」とかいうやさしいパターンにならんのだ!?



 孝太は焦った。

 このゲームには 『10秒ルール』 というのがあって、その時間内に答えられなければ、恥辱的なバツゲームが待っているのだ。

「ぎ、銀河鉄道999(スリーナイン)!」

 


 シーン……



「ヘ?」

 沈黙のわけを必死で考える孝太だったが、単細胞な彼にもやっと合点がいった。



 ……さっ、最後に 「ん」 がついてるじゃないかぁ!



 ショックのあまり、頭を抱えて座席にうずくまる。

「ちっくしょ~~ ヘタこいたぁ~~!」

 せっかく一生懸命考えて10秒以内に答えたのに、結局バツゲームの刑に処せられる孝太であった。



 外では、だんだん雨が激しくなってきた。

 今日は、二年生全体の遠足の日だ。

 三台のバスが山道を走る。先頭がA組・真ん中がB組・そしてしんがりにC組。

 そして、行き先は水族館。

 普通の遠足なら、雨で中止になるところだ。しかし、水族館は屋内だし移動もバスだから、さして問題はないということで決行となった。

「……それにしても揺れるなぁ」

 柔道のジュニアチャンピオンのくせにバスに弱い孝太は、朝方飲んできた乗り物酔いの薬のご利益がありますように、と天に祈った。

 運転手さんがハンドルを切るたびに、生徒たちは右に左に体が傾く。

 水族館に着くには、どうしてもこの山を越えなければならないのだ。

 


『しりとり合戦』 は、すでに二回戦へと突入していた。

 普通、このようなレクレーションの場ではバスガイドさんが大活躍するのだが、活発でしかもまれにみる自主性のかたまりであるC組の前では、することがなかった。それどころか、バスガイドさんも生徒に仕切られて、しりとり合戦の参加要員となり、まるで生徒の一人のように楽しんでいた。

「フルーツポンチ!」

 早田美代子は、大急ぎでマイクを前の席の堀田利美に渡す。

「チンピラ!」

 前の山崎真悟。「ライバル!」

 さらにその前のバスガイドの川上さん。「ルンバ!(あ、お掃除ロボットね)」

 バスガイドさんは、一番前の席でボーッとしている中畑先生の背中を突付く。

「センセイ! センセイの番ですよっ」

「エッ、もう?」

 すっとぼけた顔の中畑先生は焦った。

「ホラ、センセイったらしっかり! ルンバの『ば』ですよっ」

「アワワワワワ」

 中畑先生は、ない頭をひねって何とか言うべき言葉をひねり出すことに成功した。

「ばんばひろふみ!」

 バスガイドさんを含むC組一同は、キョトンとして静まりかえった。

「……それ、誰?」



 しりとり合戦のあと、孝太は『ひよこおどり』という恥ずかしい踊りをさせられた。もちろん、罰ゲームとしてである。



 たまごたまごがパチンとわれて♪

 中からひよこがピヨピヨピヨ

 まあかわいいピヨピヨピヨ ♪

 


 お尻を突き出して背中をそり、唇をすぼめてひよこ口をした時の屈辱といったらなかった。バツゲームをやっとの思いで終えた孝太は、重力にまかせてドシン、と座席に腰を下ろした。

「……しっかし」

「しかし、何よ?」

 孝太の右隣に座っていた田城美由紀は、いぶかしげに彼を見た。

「何で」

 ボソッとそう言ったあと、孝太の魂の雄たけびがバスに響いた。

「何でオレだけ補助席なんだぁ~~~!」



「だって、しょうがないじゃない。あんた、クジ運ゼロなんだから」

 そう言って美由紀は、残酷な事実を改めて孝太に認識させた。

 先日、遠足のバス内での座席を決める際、座席数の都合でひとりだけ補助席になるため、一体誰がそのいけにえになるのかクジを引いたところ、ものの見事に孝太に当たったのだ。

「でも、よかったじゃない。そのおかげで、アンタ唯一女子のすぐ隣に座れたんだからさ」

 バスには中央の通路をはさんで、左右に二つずつの座席がある。隣同士のペアは必ず同性同士になるようにしているから、補助席の孝太だけが女子である美由紀に隣接しているのだ。



 孝太は、実は美由紀に恋していた。

 それはもう、夢に出てくるほどに。

 この前は、夢に素っ裸の美由紀が登場して、見事に夢の中での『初撃ち』を決めてしまった。想像の産物ではあるものの、美由紀の美しい曲線を描く胸のふくらみに触れた瞬間、下半身に電撃が走り抜けた。

「……なんじゃこりゃああああ」

 目覚めてパンツの中を見た孝太は、思いっきりブルーになった。

 母にバレるのがイヤで、自分でパンツを洗い、洗濯機を回した。その「性の目覚め」の体験以来、美由紀へのピュアな恋心に混じって、性的な意味でのあこがれも混じるようになった。

 そして、これがまたやっかいなのであった。

 無難で問題のない中学生活を送るには、あまりにお荷物な感情だった。

 現に今も、ちょっと体を傾ければ肩が触れ合うほどの距離にいる美由紀を、それはもうステルス戦闘機さえも補足できるんじゃないか、というほどの高感度レーダー並みに意識していた。

 今までの数々の事件の中で、孝太は美由紀に対しては少なからず『脈あり』だとは思っているのだが、ここ一番で意気地のない孝太は、さらなる勇気ある一歩をなかなか踏み出せずにいたのだ。



 その時、運転手が思いっきり急ブレーキを踏んだ。

「きゃああああっ」

 女子たちの悲鳴が上る。

 担任の中畑先生とバスガイドの川上さんも、突然のアクシデントにあわてて立ち上る。一体何事ですか? そう聞こうと思った二人だったが、口まで出かかったその言葉をゴクリと飲み込んだ。

 目の前の光景を見て、その『何事か』が分かったからだ。



 大雨で、土がゆるんだせいだろうか。崖の上から落ちてきたらしい土砂が、こんもりと積みあがっていた。

 A組のバスとB組のバスはすでに向こうへ通過している。

 完璧に、C組のバスだけが分断されてしまった形になった。

「……まさか、こんなことが起こるとは」

 運転手の西間というオジサンは、驚いて額の汗を拭いた。

「これでは先に進めませんね。どうします? 西間さん」

 バスガイドの川上さんは、心配げに目の前の土砂の山を見上げる。西間さんは無線機をつかみ、先を行ってしまったA組のバスの運転手と交信を交わした。

「……情報によると、ここからちょっとバックしたところに、その先でもとの道路に合流できる脇道があるそうです。少し遠回りで到着は遅れますが、きちんと着けるとは思います」

 バスはゆっくりとUターンし、その脇道を求めて再び走り出した。 



 目の前に広がるおかしな風景に、バスガイドの川上さんは顔をしかめた。

「あの、西間さん……これって道合ってますかね?」

 さっきから、進めば進むほどさびしい道になってきているのだ。

 ついに、舗装されていない砂地の道になり、道幅も思いっきり狭くなった。

 信号はおろか、道路標識にも一切巡り合わない。

 運転手の西間さんは無線で呼びかけたが、機械がガーピーガーピーいうばかりで、全くつながらない。

「そ、そんなバカな! あり得ん!」

 絶望のあまり西間さんは大型車の大きなハンドルの上に突っ伏した。

「あっ」

 何を思ったのか中畑先生は、スマホを取り出して液晶画面を開けた。

「け、圏外か…」

 川上さんもそれに続いた。

「やっぱり私も圏外かぁ。センセイ、それって私と同じAUですよね。他の会社のはどうなんでしょうね?」

 そこで川上さんは生徒たちに呼びかけ、手持ちのスマホのアンテナが一本でも立ってないかどうかを確認してみた。結果、ドコモもAUもソフトバンクも、どの回線もすべて例外なく圏外だということが判明した。

「ちょ、ちょっとこれまずいっすよ……」

 登山家の使うような高機能な腕時計をしていた室木大輔が青ざめていた。

 彼の時計には、方位磁石の機能も備わっていたのだが、東西南北を示す針が、グルグル回転を続けていたのだ!

「この辺りって、もしかして磁場の狂った特殊な場所なんじゃ……?」

 大輔の言葉にエエッ……という動揺の声があがった。



 進めば進むほど、寂れた場所に出る。

 車はおろか、人っ子ひとりともすれ違わない。

 C組一行をあざ笑うかのように、周囲には濃い霧が立ち込めてきた。

 まるで 『世にも不思議な物語』の中に入り込んでしまったかのようだ。

 しかし、さすがはC組。

「まぁ、これはこれで面白いんじゃないの?」

「いつかは、生きて帰れるっしょ」

 逆に、この不思議なアクシデントを楽しんでるようでさえあった。

 誰一人、水族館に行けないことを嘆いている者はなかった。



 夜になった。

 バスの窓の外には、手を伸ばせば届きそうな満月。

 あれからずっと道を走り回ったのだが、行けども行けども風景は変わらず、いよいよ迷宮に迷ったような感じになった。

 助けを求めようにも人にも民家にもめぐりあわず、電話もずっと圏外で無線も役に立たず、外界との通信手段も皆無だった。

 恐らく、学校関係者や親たちをはじめ大勢の者が心配していることだろうが、こればっかりはどうしようもない。

 ヤケになった一同は、無制限カラオケ・デスマッチを行い、5時間ぶっ続けで盛り上がった。そして持ってきていたお弁当とお菓子を、昼と夜とに半分ずつに分けて食べた。もちろん、水分補給も配分を考えて皆で分け合った。

 疲れ果てた彼らは、夜の到来と共にそれぞれの座席で眠ってしまった。



 暗がりの中、目を覚ましている者が一人だけいた。

 それは、補助席の福田孝太だった。

 彼が眠れない理由。

 それは、彼のすぐ横でかわいい寝息をたてている美由紀の存在だった。

 他の座席は皆同性のペア同士だが、孝太だけが女子のすぐ横でしかもそれが恋焦がれる意中の人なのだ。

 意識せずに眠れ、というほうが無理な話ではある。

 美由紀は学年一、人によっては学校一などと言う者もいるほどの美少女だ。

 今、その彼女が聞く者の耳をくすぐるような寝息をたてながら、もたれかかってきているのだ。

 そのままシャンプーの宣伝になりそうなつややかな長い黒髪がファサ……と揺れる。孝太の心臓は、エイトビートのリズムでドクンドクン脈打っていた。



 ……誰も、見てないよな?



 ゴメン、神様。ちょっとだけ、ちょっとだけよ——。

 まるで加藤茶のようなことをいいながら、孝太はセーラー服の襟ごしに自分の右手を少しずつずらし、美由紀の肩に手を回して抱いた。

 腕にたやすくスッポリと収まってしまう、華奢な美由紀の体。

 孝太は、愛おしさに胸を焦がした。

 今度は左手を延ばし、美由紀の手の甲の上に、そっと自分の手の平を重ねる。

 孝太の心のメトロノームは、思わず耳をふさぎたくなるくらいにカンカン音を立てて、最高速度で振り切れかかっていた。

 美由紀の制服からは、香水でも振ってあるのか、やたらいいにおいがする。

 それがさらに、孝太の脳下垂体を直撃した。



 その時、孝太は心臓が止まるかと思った。



「富士山麓王蟲鳴くっ」



 それは、美由紀の寝言だった。

 孝太は慌てて、美由紀の背中から肩に回している手を一瞬にして抜いた。

 それはさながら、テーブルクロスの上に食器を置いたまま、落とさずに抜き去る『テーブル芸』のように鮮やかだった。男子たるもの、エッチなことには驚く能力も発揮する。

 孝太の技術の勝利(?)により、美由紀は目を覚まさなかった。美由紀は寝言を言った後は、また首をガクン、と垂れて再びスースーと寝息を立てた。



 ……びっくりした~~~!



 しかし、寝言でまで5の平方根を暗唱するあたり、相当の勉強家である。

 煩悩に毒されまくっている孝太とは大違いだ。

 ……でも、鳥のオウムじゃなくって 『王蟲』 ?

 美由紀が無意識に体の向きを変えたのに連動して、孝太が手を重ねていた美由紀の手がスッと抜けていき、結果孝太の手のひらはストン、と美由紀のスカートの上に落ち、生地ごしに美由紀の太ももに触れる結果となった。

「うぉぉぉぉああああああっ」

 それは、甘美な刺激だった。しかし、天使の孝太君は叫ぶ。



「だめだよ、こんなこと!

 いくら好きでも、フェアにいかなきゃ。

 そんな卑怯なことで欲求を満たしても、むなしいだけじゃないか」



 バイキンマンのような格好をした悪魔の孝太君は、槍のようなものを振りかざしてそそのかしてくる。



 ヒッヒッヒッ。

 こりゃ一生にまたとないチャンスですぜ、旦那。

 美由紀ちゃんのオイシイ体をさわれるのは、今しかありませんぜ?

 格好つけなくたっていいですよ。

 何だかんだ言ったって、女の子の体に興味あるんでしょ?



 天使と悪魔は、孝太の心の中で壮絶なバトルを繰り広げた。

 


 ……ああっ、オレは一体どうしたらいいんだぁ!



 しかし。苦悩する孝太に、人生最大の誘惑が来た。

 座席で寝返りを打った美由紀の顔が、孝太の目の前3センチに迫った。

「!!!」

 月明かりに、美由紀の形のよい唇がなまめかしく光った。

 孝太がほんの少し顔をずらせば……二人の唇は触れ合う。

 美由紀の唇の隙間から漏れる寝息が、規則正しく孝太の鼻にかかる。



 ……こっ、これはああああああああああああああああ!



 夢にまで見た、美由紀の唇。

 残念ながら、これまでの夢の中ではキスできずに目が覚めた。しかし、しかし!

 たまらなくなった孝太は、美由紀の頬に手を当てて顔の向きをずらし、唇を手前に接近させた。

 唇同士の距離は、今や5ミリほどしかなかった。

 小心者の孝太の心に、最悪のシナリオが思い浮かんだ。



「んぐぐぐ…」

 孝太はたまらず美由紀の唇に、自らの唇を押し付けた。

 プリッとしたグミにも似た、弾力のある美少女の唇をむさぼった。

 その瞬間、美由紀の目がパッチリと開いた。

「きゃあああああああああああエッチいいいいいいいいいいい」

 寝静まっていた一同は、飛び起きた。

「どうしたの??」

「一体、何事なんだ!?」

 バスの照明がパッとともる。涙を流しながら、美由紀は絶叫する。

「福田君が、福田君が……私が寝てるのをいいことにキスしてきたのっ! あ~ん、アタシもうお嫁にいけない~~」

 さめざめと泣く美由紀に同情した分、皆の怒りは孝太に注がれた。

 学校のアイドルに卑劣なやり方で手を出した孝太に、男子は憤った。

「男子の風上にも置けないやつだよな。この卑怯者!」

 女子からも、非難ごうごうである。

「寝てる間に手を出すなんてっ。女の敵よっ!」

 中畑先生もアキれる。

「福田よ、これは大問題だぞ。さっそく職員会議にかけないとな。内申書は当然のこと、お前の一生にこの汚点は付いてまわることになるぞ——」



 ……そ、そんなのやだぁ!



 新聞には、痴漢行為で地位や名誉を失った中年男の記事がよく載っていて、なんで人生棒に振ってまでそんなことを? とバカにしたこともあったが——

 孝太は今、人事ではなく自分がその魔の状況に直面していた。



 ……さぁ、どうするどうする?



 バレなきゃ、万事オッケイ。

 しかし、目を覚まされたら一巻の終わり。人生ジ・エンド。

 まさに、死をかけたロシアン・ルーレット。人生最大の賭け。

 しかし。下りかけたジェットコースターが急には止まれないように、ここまできてしまった孝太には、もう後戻りのできる余地はなかった。

 心臓は、胸を突き破る勢いで早鐘を打っている。

 恥ずかしいことに、それと連動して彼の股間も暴発寸前であった。

 血液がそこに流れ込んで、一大決起集会でも行っているかのようだ。

「越後屋。お前も相当のワルよのう!」

 お役人と越後屋のアッハッハ、という品のない大笑いが聞こえる。

 きっと、この後で必殺仕事人に血祭りにあげられるのに違いない。

 しかし。孝太は抗う事のできない力により、人生最大の賭けに出た。

 顔を、ぴったりと美由紀に押し付けた。



 皆が寝静まるバスの中。

 月明かりだけが見守る中、孝太と美由紀の唇はついに触れ合った。

 柔らかな、それでいて温かい至福のその感触。

 美由紀のすべてが、孝太の胸になだれ込んできたような気がした。

 雷に打たれたような衝撃が、孝太の脳天を襲う。

 生まれて初めてのキスは、経験のない孝太には刺激が強すぎた。

 しかも、相手は絶世の美少女、美由紀。

 初めは、恐る恐る唇を触れ合わせる程度のキスだったのが、欲が出て、さらに押し付けるように美由紀の唇をむさぼったのがいけなかった。

 彼は自分の体に起きた現象に気付いて、あわてて美由紀から唇を離したが、すでに遅かった。

「…………。」

 制御不能の自分の股間に、うんざりした。

 さて、出ちゃったこれをどう処理したものか——。

 ティッシュを片手に、ガニ股でエッチラオッチラとバスのドアを目指す。

 トイレに行きたくなった者のために、ドアは開くようになっているはず。



「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべしっ」



 ビックゥ~~~と孝太の背中が跳ね上がった。

 それはどうやら、朝倉瞳の寝言らしかった。



 ……ナウシカ、はやってんのか??



 何とかブツを拭き取ってきた孝太は、また席についた。

 泊りがけの修学旅行でもないから、替えのパンツなどない。

 少々気持ち悪かったが、この際仕方がない。自業自得というものだ。

 席に戻った孝太は、月明かりに照らされた美由紀の美しい横顔を見た。

「……ごめんな」

 この時になって初めて、後悔の念が孝太を襲う。

 まったく、人間とは都合のよい生き物である。

 孝太は、美由紀とは体を反対向けにして目を閉じると、眠ろうと努力した。

 それでもやっぱり、眠れなかった。



 あくる朝。

 林業を営む農家の車によって、バスは発見された。

「ダメだよ、こんな所入ってきちゃ。ここらはね、『第二の樹海』って呼ばれててね、土地のもんでも迷うことがある所さね。でも、まぁ見つかってよかったよ」

 バスはその農家にまず向かい、豚汁を振舞われてとりあえず元気をつけた後、農家のトラックに先導してもらって、住み慣れた都会に戻ってきた。

 この事件は、マスコミや教育界に様々な波紋を投げかけることになるが、この物語では特に述べる必要性を感じないので、割愛するものとする。



 実は、あの時美由紀は眠っていなかった。

 孝太のする一部始終を知っていて、寝たフリをしていた。



 ……ふうん。キスの感触って、あんななんだ。



 美由紀にとっては、何事も勉強であった。

 寝言さえも、孝太の反応を楽しむ演技だったのだから、相当の悪女ぶりである。

 でも、美由紀は一つだけ不満があった。

「でもやっぱり、歯磨きはしといてもらいたかったかも……」



 ファーストキスの味は、孝太が食べた豚の生姜焼きの味がしたからだ。

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